17 未来はつないだ手の中に
関所の門の上に聳える左側の塔の屋上へ登ると、マリーがいた。
「うまくいった?」
「ああ。書かせるものきっちり書かせて、お帰り頂いたよ」
青空の下で。マリーは、兵たちと同じような姿をしていた。
だぶだぶの上着と白いシャツ。ぶかぶかの長いズボン。
金色に染められた髪は、ばっさりと肩口で切られていた。
「備品を支給してもらったんだけど。どう? あ、ちゃんと申請はしてあるから。あの恰好のほうがよかった?」
地味なマリーが地味な格好をしていると、やっぱり地味だ。そのはずだ。
だけど、どうしてだろう。
きれいに見えてしまうのだ。内側から光っているみたいで。
この人が、好きな女なんだ、と思うと、なんだか気恥ずかしくて。
「……マリーはマリーだろ」
「あ、逃げたな。でも、前の方がよかったとか言いにくいもんね」
「そんなことない。今の方が、そのなんというか、マリーらしい」
纏わりついていた淀みのようなものが、晴れやかになった感じだ。
「ふふっ。あたしもそう思う。心からそう言ってくれるあんたで嬉しい」
ああ。きれいだな。と思ってしまう。
「ぜーんぶ捨てたら清々した。あとはこの髪だけ」
そういうと、マリーは自分の前髪をつまんで見せた。
すでに色は落ちかけていて、金と黒のまだらになっている。
「マリーには黒の方が似合ってるよ」
「下は黒だったでしょ。見て興奮した?」
オレは正直に答えた。
「なんか生々しくて、ああ、これからマリーとするんだ、って改めて思った」
「あはは。あたしも、すごくドキドキした……で、2年遅れで既成事実を作ったわけですけど、この仕事が終わったらどうするの?」
仕事とか言ってるけど、戦争だ。
オレかマリーが、いやふたりとも死んでしまうかもしれない。
本当は、仕事……戦争が終わるまで、避難してほしい。でも。
マリーがそうしないのは判っていた。
それなのに、彼女には、不安な様子もカラ元気も悲壮さもなかった。
それが不思議で。
「相手は7000、こっちは300だ。常識的に考えれば逃げるの一択だぞ」
「あの作戦計画一号とやらにたっぷり時間かけたんでしょ?」
「ああ……それくらいしか出来ないからな」
「しつこく、しつこく、穴がないか何度も確認したんでしょ」
「才能がないから、せめて、考えて手を動かすくらいしかできないよ」
「だから。安心してる」
「どこに安心できる要素があるんだ? オレは平凡で凡庸だ。成績も容姿も」
「そうだね。成績はね。でも……」
マリーは言葉を選ぶように、少しだけ間を置いた。
「試験のあと、ふたりでよく反省会したの覚えてる?」
「もちろん」
夏はうだるように暑い図書室で。冬はこごえるような図書室で。
『どぶろく亭』で皿洗いをしたあと、深夜からっぽの店内でしたことも……。
きっと、オレはあの頃から、マリーが好きだった。
「その時さ。あんたに解けない問題はなかったでしょ。すごーく時間さえかければ」
「解くまで時間がかかりすぎるんだよ。マリーだけだよ。最後までつきあってくれたのは」
「それはね。すごく参考になったから。感心もしてたし」
「感心? なにに?」
「あーたが時間がかかるのは、理解するまで時間がかかるから。そんだけ。あたしみたいに。あちこち要領よく飛ばさないで一歩一歩全部考えるから。それを脇から見てると、『なるほど』と思うこと多かった」
ぜんぜん理解できなくて、余計な方へ行ったりもして、苦心惨憺してた記憶しかない。
みんなには要領が悪すぎって言われてた。
そういえば、マリーだけは言わなかったな……。
「そのあんたが、時間をたーっぷりかけて、細かいところまでうんうん悩んで悩みまくって、一応、提出できると思えるまで考え抜いた計画でしょ。だから、あたしは全然心配してない」
マリーは塔の胸壁から下を見て
「ほら。見て。集まってる兵隊さん達からも、不安な様子ってないでしょ。あんたは信頼されてる。あんたならうまくやれるってみんな信じてる。それはあんたがここで2年間積み重ねてきたこと。もっと自分を信頼なさい」
マリーにそう言われても、こわくて。
「試験の答えとちがって、実際では、何が起きるか判らないだろ」
オレはいい。オレの仕事だから。
王都から正式なルートで降伏命令か撤退命令でも出ない限り、これがお仕事だから。
だけどマリーが死んだら、バルガスやセンセイや兵隊さんが死んだら。
「その時はさ。他人を頼ればいいのよ。あたしも、あのふたりも、兵隊さん達もいるんだから。それが信用ってもんでしょ?」
「そう……だな」
「で、お仕事が終わったあとは、どうする気?」
オレは、今朝来た新聞をマリーに渡した。二日遅れだが。
「元奥方のざまぁとやらは絶賛進行中らしい」
元奥方の実家は、長女である元奥方を勝手に外へ出し、正統な血を引いていない義妹(性悪キャサリンな!)へ継がせようとしたお家乗っ取りの件で。
元奥方の元婚約者(アホボンボンな!)の実家は、密貿易の件でお縄。
そして、オレは……。
「うわ。あんたスゴイ悪人じゃん。都合のいい嫁さん欲しさにアホボンボンに味方して、嫁さんには『白い結婚』押し付けて、裏では平民の愛人囲ってたことになってる。で、頃合いを見て始末するつもりだったんだ! 絵に描いたような悪人! ぷぷっあははっ」
マリーは大笑いしてる。
「へー。爵位も取り上げ済みなんだ。近々横領やそのたもろもろの嫌疑が固まり次第王都へ召喚されて、アホボンボンの実家との共謀を取り調べられるんだって。しかも、手紙の一枚、贈り物ひとつ出さなかったカスだそうですよ」
「ひでぇ男だよな……アホボンボンに味方してしまったことは否定できないけど……」
「どうせ、あんたのことだから手紙や贈り物は送ってたんでしょ?」
「届いたのは間違いないんだけどね。ちゃんと受け取りも確認できるようにしてたから」
でも、これが事実ってことになるんだろうな……。
「へぇ……そしてあたしは、そのあいだもこっそり付き合ってた平民の愛人! あたしとあんたが仲良かったことは、同期なら知ってるからね……しかも、あたしは昼間っから裸みたいな恰好でうろうろして、第三室の男たちだけじゃなくて、王宮勤めの男を誘惑しまくってたんだって! 同姓同名のすごい人がいたもんだわ」
オレ達、2年間全く接触してない。
オレは王都へ行かず。マリーは王都から出ていない。
正式な資料を調べれば判ることなんだけどね。
「それにしても、この新聞、すごいね。王家のごたごたがやたら詳しく書いてある。息子が廃嫡されるピンチの王妃殿下が、憤怒のあまり侍女たちのまえで皿を100枚割ったとか。周りにあたりちらして、侍女や侍従をやたら折檻させるとか、実は全て王弟殿下の陰謀といううわさもあるとか。似顔絵もまぁ悪意に満ちてる!」
挿絵はやたら誇張されて醜悪。
オレとマリーらしき男女が、元奥方らしき清楚そうな女の目の前でベッドインしている絵まである。
こんな新聞、よほど大きな力がバッグにないと差し止めだ。
おそらく差し止めになっているのに、堂々と大量に刷られているのだ。
ウラル商会。という名前が浮かぶ。
「……地ならしってことだろ。ほら、この美男美女は帝国の第二皇子と侯爵令嬢だ。純愛を実らしたふたりだけど、侯爵令嬢は異国の空で乱れた母国とその民草の苦労を心から憂いているんだそうだ。腐った王族に比べて、なんとお優しい方、だってよ」
帝国軍(仮)がこの関所を突破すれば、王都へは二日でつく。
王都の近くの貴族を緊急招集すれば、5000は集まるだろうが、五日はかかる。
帝国軍(仮)は、あっさり王都を陥落させるだろう。
王家への支持が地に堕ちていれば、占領後のかけひきや統治もうまくいくというわけだ。
「そううまくいくかな。だって、ここであんたがお仕事をするんだから」
「だけど、仕事の結果がどうなろうと、こんな評判立てられたら、オレは王都へ帰れない、だから……」
それはマリーも同じだから一緒に逃げよう……。
と、口に出しかけて。
なにこの口説き文句!?
今、気づいた。
2年前、マリーが結婚しよう、と言ってくれた時より、状況が全然悪い。
「その……あれだ……オレは、爵位もなくなったし、それに無職になってしまうわけで、いや、どちらにしろあと4日くらいでなってしまうわけだけど……最低の評判で……国を出るしかなくて……」
どんどん声がちいさくなってしまう。
「バーカ。ちゃんと言ってよ。ぜんぶそんなことは判ってるんだから」
「……そうだな」
彼女の覚悟は、もう決まっているのだ。
だからこそ、こうして側にいてくれる。
きっと、ここで何を言わなくても、マリーは側にいてくれるだろう。
だけど。それは、余りにも駄目すぎだ。
オレは、マリーの前にひざまずいて、頭を垂れて手をさしだした。
「……マリー・ライト令嬢。オレの親友で、世界一好きな人。もしこの仕事が片付いたら、一緒になってくれませんか?」
その手を、マリーは握ってくれた。
「もちろんお受けします。ヒース・マグネシア令息。あたしの親友で、昔から世界で一番すきなひと」
オレは顔をあげた。
マリーは晴れやかな顔をしていた。その瞳にうつるオレは格好悪かったけどしあわせそうだった。
あふれんばかりのしあわせと、不安。
マリーは、ああは言ってくれた。オレが時間をかけてした仕事なら大丈夫と。
でも、逆に言えば、日常ではいつもオレは凡庸で平凡でのろいということだ。
そんな男がマリーをしあわせに出来るのか。
作戦計画とちがって、どうすればいいのか全く見えない。どこから手をつけていいかすら。
「……ごめんな。こんな男で、いつもうだつがあがらなくて。ひとりで国を出るつもりだったから、蓄えもあんまりないし」
『高い城』のあれこれに、結構ポケットマネー使ったからな……。
「ほんと。失業確定だものね。あたしも道中の宿でなぜかお金を盗まれたから一文無し。多分、あのデブが、スリか泥棒でも雇って、あたしが逃げられないようにしたんでしょうね。最悪」
「うわ……」
「でも、2年前よりよいこともあるでしょ。あたしは家族からも縁切られてるし。あんたもそうでしょ。もう家の体面とか考える必要ない。さっさと既成事実だって作れたしね」
「それは確かに」
男爵家になった時点で別の家になっている。
そして、その爵位も取り上げられるから二人とも平民、ただのヒースとマリーだ。
マリーは掴んだ手で、オレに立ち上がるようにうながし、向かい合ったオレの額に額を合わせて。
「あたしを幸せにできるか、とか不安に思ってるんでしょ? でも、あたしは、あんたとだったら幸せになれると思ってる」
「でも、オレは将来とかぜんぜん……」
「そんなのふたりとも慣れてるじゃない。お互い実家が細かったからさ。仕送りとか乏しすぎて、冬なんか暖房いれられない下宿で震えてたでしょ」
実家が送ってくれたのは、学費と賃料と最低限の食費だけだった。
「……月末、金なくて、ひもじくて、水ばっかり飲んでおなかいっぱいにしてたな」
そうだった。
あの頃も、未来は見通せなかった。
官吏採用試験だって、あの頃のオレの成績では危なかった。
もし、マリーと出会わなかったら。ヤマの貼り方とか、丸暗記で答えられる設問とか、そういうコツを教えてもらえなかったら……。
そのマリーが今もこうして、一緒にいてくれる。
「王家の庭園の開放日に、木の実とかとりにいったよね」
「セミは、脱皮したてがおいしいとか、知りたくもないことを知ったなぁ……」
木の枝に串刺しにして焚火で焼くと、エビに似た味なんだよな。
お金がないのは辛い。ひどい思い出ばかり。
でも、なんともいえない笑みがお互い浮かぶ。
「お針子仕事とかもしたけど……一番払いがよかったのは、あちこちの侯爵家の侍女さん達から洗濯を孫請けしたことだったわ。冬なんかさ。冷たい水桶に入った洗濯物を裸足で踏んで……思い出すだけでも凍えちゃう」
「そういう侍女って、みんな伯爵家とかの娘が行儀見習いで、だろ? オレらより金があったんだよな……オレも犬の散歩とか、庭師の手伝いとかやった! どぶさらいとか、収穫期の農家への臨時雇いとかも」
気が楽になってきた。
マリーが生き残れる、と言ってくれているのだ。
未来はなんとかなる、とも。
だったらオレは、オレを信じてくれるマリーを信じる。
未来はつないだ手の中にある。
「落ち着いた?」
額をくっつけたまま、マリーが訊く。
「ああ。もう大丈夫。いつもありがとう」
「いえいえ、これからもよろしく」
笑うマリーはかわいくて。
オレは衝動的にくちびるにくちびるを――
「盛り上がってるところすまんが、そろそろ時間ですぞ」
いきなりかけられた声に、ふたりして驚くと。
センセイとバルガスが、屋上の入り口に立っていた。
「ゴロツキどもが若親分の言葉を待ってるぜ!」




