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彼女の願いはあまりに愚かで、切なくて  作者: 当麻月菜
第一章 その願いは、あまりにぶっ飛んだもので
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 杏沙が入社した年、ノベクラ紙通商の総務課では3人の新卒が配属された。一人は杏沙で、残りの2名は戸川紗里奈(とがわ さりな)伊藤留美(いとう るみ)。両名とも短大卒で杏沙と同い年。


 卒業した学校も学部も違えど同じ地元出身ということもあり、3人はすぐに打ち解けた。


 けれど仕事上、二人と一人という組み合わせで作業をするときは、必ず紗理奈と留美がペアを組む。そうなると必然的に杏沙はひとりで作業をすることになる。ちなみに今日もそうだった。


 一人は、履歴書と職務経歴書のファイリング業務。もう二人は秋採用の為の会社案内の封筒入れ。どれにする?と、相談する間もなく紗理奈と留美は封筒入れを選んでいた。


 ──ま、それはどっちでも良かったんだけど。


 杏沙は今朝のミーティングの出来事を思い出して苦笑する。


 留美から「ごめんねぇ」と、おざなりに謝罪を受けた時、ちゃんと自分は自然な表情で「いいよ」と言えたかは気になるけれど。


 でもきっと向こうは相手がどんな顔をしていたかなんて、気にしていないだろう。杏沙とて、気にしてほしいと思ってなんかいない。


 ただ今から、この差し入れをどうするかによって、留美の機嫌を損ねることになるから頭が痛い。


「……お願いだから分けやすいものでありますように……」


 祈るように呟きながら、杏沙は包装紙を剥がして箱を空ける。途端に大きなため息を吐いた。


 一つ一つ職人の手作りが売りの一口大のチョコレートは、全部で24個。この全てが味が全部違うときたものだ。


「あー、こう来るわけか。……困ったな」


 杏沙はチョコレートの箱を持ったまま呆然とする。


 同じ味なら8個先に抜いて、紗理奈と留美に残りのチョコレートを渡せばいい。でも、味が違うとなるとそうはいかない。


 先に自分が好きな味を選ぶなんて論外。こういう場合、3人で好きなチョコレートを選ぶのが正解だろう。


「でも、長居はしたくない……」


 たかがチョコレートだが、されどチョコレート。


 はたから見たら杏沙たちは仲良し3人組に見えるかもしれない。けれど同期だからこそ、色々気を使わなければならないことをお局様は知らないのだろうか。


 ──個別に配ってくれたら良かったのに。これこそ小さな親切、大きなナントカだ。


 お局様だって遥か昔、こんなふうに人間関係で悩んだことがあるはずなのに。


「あーもー……年を取ると、図太くなるのかなぁ……」


 善意で渡されたチョコレートなのに、ついついお局様に意地の悪いことを呟いてしまう自分に杏沙は嫌気がさす。


 けれども、うじうじ考えても仕方がない。気合を入れるように勢いよく立ち上がった杏沙は箱を手にして、保管庫へしまうファイリング済みの履歴書の束を手に取り、ミーティングルームを後にした。


 *


 履歴書が綴じられたファイルとチョコレートの箱を持って廊下に出た杏沙は、二つ隣のミーティングルームの前に立つ。


 上司がここを通ったら絶対に叱られる声量で、紗理奈と留美が楽しそうに話をしているのがドア越しに聞こえてきた。


 立ち聞きはマナー違反と知りつつ、杏沙はノックをする前に耳をすます。


 どうやら会社帰りにヘッドスパに行こうかどうかという内容で、隠し持っているスマートフォンで検索しているのだろう。ここはオシャレだとか、値段が高いだとか、知りたくもないお店情報が頭の中に入ってくる。


 それは人によっては不快に思うだろう。でも杏沙は、自分の話題では無かったことに安堵して扉をノックする。


「あ、はいっ」

「どうぞっ」


 余所行きの声を出した二人に、杏沙は笑みを作って扉を空けた。


 長テーブルが二つと4人分の椅子が置かれているミーティングルームには、段ボールに入った会社案内と封筒のせいで、びっくりするほど狭く感じる。履歴書のファイリングも大変だったけれど、こちらも負けず劣らず大変そうだ。


 けれど二人で作業をしているはずなのに、封筒に入れ終わった会社案内は、思いのほか少なかった。


 これは手ではなく口を動かし続けた結果だ。余計なお世話だけれど、今日のヘッドスパは諦めたほうがいいかもしれない。


 そんなことを思いつつ、杏沙は長テーブルの端にチョコレートの箱を置く。


「お疲れさま。あのね、これ沢野主任から差し入れだって。良かったら二人で食べね」


 早口でそう言って、そのまま部屋を出ようとしたけれど、紗里奈に引き留められてしまった。


「えー長沢さんは要らないの?」


 素早く箱の中身を確認した紗里奈は、信じられないといった表情を杏沙に向けた。


 小柄で舌足らずな喋り方をする紗里奈は、一見甘やかされた末っ子に見えるけれど、実は3人兄弟の長女で面倒見が良い。


 普段から自宅でも率先して菓子を取り分けるタイプなのだろう。手際よく取り分け用のティッシュペーパーを並べている姿は様になっているが、三人分なのは困る。


「うん。私はいいから……2人で食べて」

「なんで?これ美味しいよ??1個くらい食べなよ」


 曖昧な笑みを浮かべる杏沙に、紗里奈は「好きなの取って」と箱を押し付ける。


「……あ、うん」


 なら一つだけ。そう言って、一番端のチョコを取ろうとした瞬間、いつの間にか近くに来た留美が口を開いた。


「長沢さん、もしかしてダイエットでもしてるの?」

「まさか」


 瞬時に首を横に振る杏沙に、留美は「ふぅん」と疑いの目を向ける。それは抜け駆ける裏切り者を見る目つきだった。


 他人のダイエットに過敏に反応するくらい、留美は体系がふくよかだ。対して紗里奈と杏沙はどちらかというと細身に属する。


 紗里奈が日ごろからダイエットをしているかどうかは知らないけれど、杏沙はもともと食べても太らない体質だ。でもそれを今言おうものなら、険悪な空気になるのは間違いない。


 だから杏沙は、とっさに自虐的な嘘を吐いてやり過ごすことを選んだ。


「実は私……こういう高級チョコレートって苦手なんだ。なんか味が複雑すぎちゃって」

「あ、そうなんだ」

「へぇ、意外ねー」


 あっさりと納得した二人は、どれを食べようか箱を覗き込む。その表情は仕事をしている時より真剣だ。それもまたどうかと思う。


 それよりも波風立てることなく差し入れを辞退することができてホッとした杏沙は、手にしたままのファイルを抱えなおして二人に声をかける。


「じゃあ、私……保管庫に行かないといけないから。また後でね」

「お疲れー」

「はーい」


 すぐさま返事を貰ったけれど、紗里奈と留美はチョコレートから一切目を逸らさない。


 そんな二人に、杏沙は何とも言えない表情を浮かべて廊下に出ると、そっとミーティングルームの扉を閉めた。





 保管庫からミーティングルームに戻った杏沙は、だらしなく椅子に腰掛ける。


 ノベクラ紙通商は8階建ての自社ビルで、総務課は5階にあり保管庫は地下にある。ちなみに1階から地下まではエレベーターが無いので階段で行き来するしかない。


「あー疲れた」


 もともと学生時代からインドア派だったけれど、働き始めてから輪にかけて運動不足になってしまった。


 でも今ぐったりしているのは、階段がきつかったわけじゃなく、ついさっきの紗里奈と留美とのやり取りのせいだ。

 

 私立の女子高に入学した杏沙は、そのまま付属の短大に進んだ。つまり5年間ずっと女性ばかりの環境で過ごしてきた。


 男がいない世界は花園なんかじゃなく、女性の嫌な部分が剥き出しになるドロドロの世界。杏沙はマウントを取り合う女生徒の中で、常に居心地悪さを感じていた。


 なら男女共学の学校に進学すれば良かったのだけれど、古風な考えを持つ杏沙の親はエスカレーター式の女子高が一番娘に相応しいと考えていて、杏沙はそんな両親を説得してまで共学の学校に進学したい理由を見つけることができなかった。


 だからこそ就職先は女性の多い職場を避けたつもりだったのだが、現実はなかなか厳しい。


 学生を卒業しても、一度拗れたらそう簡単には元には戻らない女性特有の人間関係にもまれている杏沙は、これがあと何年続くのだろうとうんざりする。


 でもいつかは気楽に働ける日が来るだろう。それまで同期とは、付かず離れずの距離を保つのが一番。とどのつまり今日の気苦労は無駄ではなく、明日への平穏。


 そう自分に言い聞かせ杏沙は、肩をぐるりと回してファイリング作業を再開しようとした。


 しかしどうにも気分が乗らず、上着のポケットに隠し持っていたスマートフォンを取り出した。


 杏沙が勤務するノベクラ紙通商は、未だに女性社員にだけ制服の着用を義務付けられている。正直、古臭いチェックのベストと紺色のスカートは泣きたくなるほどダサいけれど、ポケットが豊富なのはこういう時はありがたい。


「───……ん?めずらし」


 膝の上でこっそり待ち受け画面を開いた杏沙は、目を丸くした。大変珍しいことにキャリアメールから新着のお知らせが届いていた。


 両親とすらラインのやり取りが主になってきた近頃、キャリアメールには滅多に連絡が入らない。


 一体誰だろうと思いながら杏沙は、メールの受信箱を開く。そうすれば一番上の未読欄に、高校時代の友人の名前が表示されていた。

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