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彼女の願いはあまりに愚かで、切なくて  作者: 当麻月菜
演じる日々と、知られざるあなたの真実
12/12

2

 留美が姿を消してもフロアは何となく気まずい空気が流れている。それを払うように沢野主任はパンッと手を叩いて口を開く。


「さっ、会議の準備は大体終わったから、備品申請と社内報の原稿をやっちゃいましょう」


 良くも悪くもお局様の発言は強力で、総務課全員が各々の仕事に取り掛かる。


 紗里奈はそそくさと役員会議の準備をするためフロアを後にし、杏沙も段ボール箱を潰す作業を再開する。


 月曜日の総務課の午前中は、週の中で一番忙しい。会議の準備はもちろんのこと、各部署からの備品申請の対応にも追われる。


 加えて毎週火曜日は社長の一言を添えた社内報を電子掲示板に公開しないといけないから、月曜日中にある程度のフォーマットを作っておかなければならない。


 真面目に読んでくれている人間がこの会社に何人いるのかはわからないが、総務の仕事なんてそんなもの。深く考えたら、負けである。


 だから総務課は、常に淡々としている。そんな活気ゼロのフロアに突然、沢野主任の声が大きく響いた。


「あっ!」


 あちこちから聞こえていたキーボードのカタカタ音がピタリと止まる。


 潰し終えた段ボール箱を荷造り紐で纏めていた杏沙も、何事かと声のする方を見た。すぐに沢野主任と目が合った。


「長沢さん、悪いけど急いでこれ持って1階に行ってちょうだい!」


 ぐいっと押し付けられたこれは、番重と呼ばれるパンや弁当を運ぶプラスチック製の大きなケース。重役会議の仕出し弁当を会議室まで運ぶときに使うものだった。


 受付で仕出し弁当を受け取る際には、必ずこれを持参して会議室に向かうのが準備の流れである。


 それがここにあるということは……


「伊藤さんったら、焦って忘れちゃったみたいね。長沢さんは今からこの段ボール箱、ゴミステーションに持っていくんでしょ?ついでだから届けてあげて」

「……はぁ、あ、いえ。わかりました」


 留美が番重を持って行かなかったのは、焦っていたからじゃなく故意に忘れたような気がしてならない。


 しかし本人不在時にそんなことをわざわざ口に出すのもどうかと思った杏沙は、言いたいことをぐっと堪える。そしてすぐに1階に向かった。


 段ボール箱を小脇に挟んで番重を両手に持った状態でエレベーターを待っていると、ベストに忍ばせておいたスマートフォンがブブっと振動音を立てた。


 今すぐ内容を確認したいが、この体制では無理である。


 焦る気持ちから更に急いで受付に向かうと、途方に暮れた顔で留美が仕出し弁当を見つめている……と思いきや、彼女は受付案内席に座る受付嬢と楽しそうに話し込んでいた。


「伊藤さん、運ぶやつ持ってきたよ」

「ああ、ありがと!」


 ぱっと笑顔になった留美に杏沙は苦笑しながら番重を渡す。


 しかし受付嬢との話は余程楽しいのだろうか、留美はなかなか仕出し弁当を番重に移すことはしない。


 ちらりと時計を見れば、もうすぐ10時半。会議に間に合わせるには、かなり急がなければならない。ここは手伝うべきだろう。


 そう思ったけれど、つい先ほど冤罪をかけられそうになったことを思い出した杏沙は、意地が悪いと思いつつも自分の業務を優先する。


「えっと……じゃあ私、コレ捨ててくるね」


 小脇に挟んでいた段ボール箱を手に持ち替えながら杏沙がゴミ捨て場に向かおうとすれば、留美は「じゃあ、待ってるわ」と言ってひらひらと手を振った。


 留美から”待ってるわ”と言われた杏沙は、唖然とする。


「ちょっと待って、もう時間が無いからここで待ってないで───」

「だから早くしなよ」


 受付嬢との会話を中断されたことにムッとした顔をする留美は、シッシと野良犬を払うような仕草で杏沙を急かす。


 職場では事なかれ主義をモットーにしている杏沙でも、さすがに腹を立てた。


 しかし時間は刻一刻と進んでいく。そして役員会議の準備が間に合わなかった場合、新人3人がまとめて怒られるのは目に見えている。


「……なんなのよ、もう」


 つい口に出してしまった不満は幸か不幸かわからないが、お喋りを再会させた留美の元には届かなかった。


 だが、一向に番重に仕出し弁当を詰める気配がない留美を見て、杏沙は露骨に舌打ちをしつつゴミ捨て場に駆け出した。





「───……ってか、マジで最悪。何でジジイの弁当を、うちらが用意しないといけないわけ?テメェでやれって感じだよねぇー」

「っんとにぃー。ロクな会議しないくせに食べる物はご立派なんだから。ねえ知ってる?この弁当って、1個三千円の上幕の内だよ」

「うっそ」

「マジ、マジ、マジ、マジ、マジで本当。だって私、注文書見たもん」

「ったく、ふざけんなだよ。うちらは安月給で、こき使われてんのにぃー」

「だねぇー」


 役員会議室で紗里奈と留美は、かなりの声量で愚痴を吐きながらダラダラとお茶を席に置いている。


 それを誰かに聞かれないかハラハラしながら、杏沙は仕出し弁当と、予備のペットボトルのお茶を会議室の端に用意された簡易テーブルに並べている。


 時刻はもう10時50分。いつ役員がここに入って来てもおかしくはない。


 けれど紗里奈と留美の動きは、恐ろしいほどのんびりしている。


「こっち終わったよー。手伝うことあるかな?」


 重役たちに新入社員の愚痴を聞かれたらマズいという気持ちと、定刻通りに準備を終わらせたい責任感でそう言えば、紗里奈と留美は同時に「ないよー」とあっけらかんとした口調で返事をする。


 時計の針はもう10時55分。無責任なその発言に、思わず「本当に?」と聞き返したくなる。でも朝から続いた不快な出来事を思い出し、杏沙は我が身の可愛さを選んだ。


「そっか。じゃあ私、これ持って先に戻ってるね」


 番重を持ち上げて杏沙が会議室を出ようとすれば、背後から「はぁーい」と二人の呑気な声が聞こえてきた。

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