98話 隠れ家の天井まで飛び上がる
ランジェリーショップでの、レヴェイユの鳥笛ライブ。たった五分でブロンが呼び出されてくれたのは、その日、側近の仕事が休みだったからだ。
四六時中グランドに連れ回されるブロンの休暇ということは、即ち、グランドとエタンスが会っていた時間とも言える。
これまで何度か登場している彼の隠れ家だが、詳細はお伝えしてこなかった。
グランドの隠れ家は、王都にはない。
王都を出て東側へ、ゆったり馬を走らせること、五十分ほど。そこには小さな林に囲まれた別荘地がある。その一つ、質素な家がグランドの隠れ家だ。
盗賊団サブリエの住処が騎士団本部前にあったことから、本来であれば、盲点をつくために王都に隠れ家を構えるはずだ。しかし、主義に反して王都の外に隠れ家を作った理由は、一つだけ。
アンテ王女が眠るとされている王城から近い場所で、自分の狂気を全てさらけ出すことができなかったからだ。愛する人にだけは見られたくない、卑劣非道な部分。
彼の気持ちは、きっとレヴェイユだけは理解できるはずだ。愛する人に知られてしまったときの絶望を、彼女は知っているから。
さて、グランドの隠れ家は、意外にもシンプルな作りをしている。木造特有の香りが漂う、二階建ての小さな家。
グランドはアンテグッズをかき集めているわけだが、王女のヒールだとかドレスだとか、直接的なアンテグッズは王都の自宅に保管している。全て正当に購入したものだからだ。
隠れ家に保管しているのは、全て盗品。直接的なアンテグッズではないが、アンテ王女にゆかりのあるものばかり。
例えば、王女が懇意にしていた刺繍家の作品とか、王女の自画像を修繕していた画家が描いた作品とか、王女がお忍びで訪れて、大のお気に入りになったとされるパン屋の延べ棒やフライパンとか、懐中時計のメンテナンスを担っていた時計職人が作った時計とか。
そこまで集めるかと疑問に思うようなコレクションばかりだ。
で、そんな隠れ家の一階。グランドとエタンスは、悪党面全開で話をしていた。
「あの少年はなんだったのだ!? トリズ・カドランと名乗っていたが、調べはついたか!?」
ポレル私兵団と文官デュールを引き合わせてから、一週間。多忙なグランドは休む間もなく働いて、どうにかエタンスと会う時間を作ったのだ。その間、どんなにヤキモキしたことか!
「はい。カドラン伯爵家の遠縁まで全て探りましたが、関係者に十代の少年はいませんし、トリズという名前も見当たりません」
「全くの架空の人物ということか。危ない賭けをするものだな。……しかし、あれが演技だと? 素性は調べたが、怪しいところはなかったはずだが……」
「はい。本名、トリズ・モントル。十一歳の時点で孤児院を無断で出て、窃盗恐喝詐欺などで生活する荒くれ者です」
グランドは、差し出された孤児院のデータを見て「むむぅ」と唸る。もちろん、全てフェイク情報なわけだが。
「首領クロルから、トリの話は聞き出せたか?」
「それが……あの貴族令息っぷりには、クロルも驚いたと。ポレル私兵団と聞いた時点で、カドラン姓を名乗ろうと決めていたようですが」
グランドは「しばし待て」と過去の資料を見返す。
「……そもそも、首領クロルと子分トリの出会いはいつだ?」
「二年以上の付き合いです。兄弟のように過ごしてきたと、クロルは話していました」
「二年とは、なかなかに長い」
「差し出がましいとは思ったのですが、つい聞いてしまいました。トリが騎士である可能性はないかと。しかし、大切な弟分で、裏切り者なわけないと笑っていました」
グランドは「弟分であるか」と言いながら、口の端を噛んだ。グランドにとって、まさにエタンスがそれに当たる。この二人には、ある種の信頼関係があるのだ。
「……して、展示室『赤の目覚め』の下見は、どうであった?」
「報告書があります」
「うむ? エタンスとは違う筆跡だが?」
「それは伯爵令嬢レヴェイユが記録した箇所です」
「なるほど。ふむふむ、さすが首領クロル。目のつけどころや指摘内容が的確であるな」
本当はレヴェイユの指摘したことなわけで、カンニング野郎の高笑いが聞こえる。
「ほう、騎士の配置は……総勢五十五か。首領クロルは、どうするつもりだ?」
「招待状で入場後、勝手口側の騎士を倒して、天窓から展示室内へ入る。さらに室内の騎士も倒し、懐中時計を盗む。勝手口と裏門の内鍵を開け、裏門の騎士を倒して逃走。逃走用の馬は、王城各門に置いてくれと頼まれました。大まかな計画はこうです。とても楽しそうに話していましたよ」
「細やかな計画は?」
「……ご存知でしょうに。彼らが細やかな計画を立てたことは、一度としてありません」
「はっはっは! 気持ちの良いくらい度胸のある男だ」
グランドは、しばらくお腹を抱えて笑ってしまった。国宝相手に、ずいぶんとのん気なものだ。いつでも楽しそうで余裕綽々。それでこそ、天才肌。
「笑い事ではありませんよ……」
「首領クロルのことだ、どうにかするだろう。それよりも、トリの方だ。使う予定は?」
「……そのままお伝えしましょうか。『んー? トリがやりたがってるから、裏門の騎士三人はやってもらおうかなー』だそうです、ゆるいです。不安しかありません」
「トリが裏切り者であれば、首領クロルが裏門を開けた瞬間に、即捕縛ということか」
グランドは髪をぐしゃりとかき乱す。こうして、トリズ・カドランを思い出しては乱されるのだ。
「とても不安だ。あぁ……この目で窃盗現場を見届けたくなってきたぞ」
エタンスは資料の端を額に当てながら、ため息一つ。
「落ち着いて下さい。当日、私がトリと行動を共にして監視いたします。窃盗の手伝いもできますし」
「しかし、捕縛の危険があるが?」
「今更、変なことを聞きますね」
「感謝する。頼んだぞ」
そろそろ報告は終わりかと思ったが、エタンスは紙を取り出して、なにやら言いにくそうに視線をさまよわせていた。
「どうした? なにかあったか?」
「はい……お耳に入れておくべきことが一つだけ。いいですか? こちらを……落ち着いてご覧ください」
「失敬な! 私はいつでも落ち着いているぞ?」
いつも落ちつきのないグランド。なるべく音を立てずに紙をめくると、瞬間、脳天を突き破るほどに衝撃を受ける。
「…………へ、へきがぁああ!?」
落ち着くどころか、天井まで飛び上がっていた。
「壁画! 壁画ぁ?」
「グランド様、語彙力が乏しいです」
「アンテ王女の壁画……」
グランドは、アンテ王女に惚れすぎていた。百年前に死去したとされる人物相手に、よくここまで愛を傾けられるな。
「その壁、欲しい」
「申し訳ございません、壁は壊せません」
「端的な正論で返すな馬鹿者! ……ど、どんな絵であった?」
エタンスは少し上を見ていた。つられてグランドも上の方を見ながら、ゴクリと喉を鳴らす。
「間違いなくアンテ王女本人が描かれていました。ドレスは白、こめかみに赤い薔薇を付けて、そして……微笑んでいました」
「ほ、ほほえみぃいいーー!?」
ほほえみぃい、ほえみぃ、えみぃ……みぃ……み……
林全体に甲高い声がこだました。カラスがバサバサッと一斉に飛び去り、ウサギだかタヌキだか、そんな感じの小動物たちが走って逃げていく。人間界でも自然界でも、はた迷惑な男だ。
どういった理由があるのかは不明だが、アンテ王女は微笑む姿を一枚として絵に残さなかった。基本、スンとした真顔。
そんなわけで、グランドは脳天突き破って心臓が破裂するほどに、ときめいてしまったというわけだ。人はときめきが致死量に達すると、こんな風になるのだ。恋の病っていうか、普通に病気だ。
「見たい、見たいぞ!」
「そう仰ると思いました。それはなりません。忍び込むおつもりですか?」
「そのおつもりだ。私も共に連れていけ!」
「捕縛されますよ」
「ぐぬぅ……!」
「壁画は逃げませんし消えません。今年は、懐中時計を優先すべきかと」
「し、しかし……微笑みが」
「グランド様!」
「うぅ……」
こういう場面で、エタンスの意見を聞かないわけにはいかない。グランドは、赤い瞳を悔し涙で潤しながら、「わかった」と同意をしたのだった。




