97話 美しい山並みを囲む
「姉ちゃん! 久しぶりでもないけど、久しぶりー! ケガとかしてない? 変なことされてない? あーもー心配でたまんないんだけど」
「ふふっ、大丈夫よ~」
変なことは色々されたが、姉は元気だ。
「ブロンも体調くずしてない? ちゃんと食べてる? 心配してたよ~」
「あはは、全然へいきー!」
グランドの金で贅沢三昧なわけで、弟は元気だ。
「でも、なんで下着屋? オレと会って平気なの?」
「うん、ちょっと協力してほしいことがあるの。ここなら、グランドさんの目も届かないでしょ?」
レヴェイユがソファに座ると、ブロンは「協力?」と言いながら隣に座る。その対面に、クロルとトリズも座った。
……というわけで、四人は真面目な顔で、きわどいランジェリーの山を囲んで座ることになってしまった。山並みが大変素晴らしい。キャンプファイヤーみたいなワクワク感があって、なんとも良い絵面だ。
クロルは、『置く場所を間違えたな』と思ったが、見てみぬフリをした。うっかりクロルだ。
さて、時間がない。かくかくしかじかと話をし出す。展示室『赤の目覚め』の小部屋で見た壁画のこと。グランドをおびき出したいこと。でも、グランドは、簡単にはおびき出されてくれないこと。
「で、アンテ王女に瓜二つのブロンに、ぜひとも協力をお願いしたいってわけ」
「ふーん?」
ブロンは、欠片ほども興味がないらしい。レヴェイユの髪を三つ編みにしたり、二つ結びにしたり遊びながら、なんとなーく話を聞いてくれた。
「ねぇ、ブロンお願い。助けてちょうだい?」
「まー、姉ちゃんとクロルくんの頼みなら、聞いてあげてもいいけどー」
「ク、クロルくん……?」
突然のクロルくん。クロルくんは、ひどく混乱した。女装のレイ時代からのやり取りが脳内を駆け巡る。君付けされるような、素敵な思い出などなかったはずだ。
「ブロン、どした……? この数か月で人格変わった?」
「あははっ、変わったのはそっちの方っしょ。親愛をこめて、クロルくんって呼ぼうかなって」
「やめてほしい、逆に怖い」
「えー? ひっでー」
以前は『ロージュ』とか、吐き捨てるように呼ばれていた気がするが、なんだか態度がやわらかいぞ。逆に怖い。
「大金払って、姉ちゃんのドジを助けてくれたと思ってたんだけど、ちげーの?」
ブロンはどこまで知ってるのか、レヴェイユの髪をポニーテールにしていた。
ブロンが言っているのは、懐かしのスリシスターの件だろう。
パールのブローチを取り返したことで貰った報酬を、レヴェイユが孤児院に寄付してしまったのだ。それをクロルが自腹を切って立て替え、もみ消したことで、レヴェイユは打ち首を免れた……という話だ。
「へー、それも知ってんのかよ、さすが情報屋だな」
「クロルくん目立つもん。潜入騎士だからフェイク情報めっちゃ多いけど、より分けるコツを掴んだもんでね」
「コツって?」
「ヒミツー」
「はは、怖……。俺のプライバシーってホント死んでるよな。もう慣れたけど」
ブロンはレヴェイユの髪を解いて、ワシャワシャふわふわと遊びながら「あははっ、共感!」と笑った。
「姉ちゃんを助けたってことは、オレを助けたも同然! オレのお願いを一つだけ聞いてくれるなら、協力してあげてもいーぜ?」
「タダじゃねぇのかよ」
「だって、相手はグランドさんっしょ? こちとら食いしん坊キャラを貫いて、あっちに踏み込まないよーにしてんのに、オレが敵だってバレたらどうなると思う? 物理的に首を切られて、首から上だけ飾ってそー。クロルくんには恩を感じてるけど、金で買えないものってあるじゃん?」
命は大事。クロルとトリズは目を合わせて『仕方ない』と同意した。元より、タダとは思ってなかったし。
「で、お願いってなに?」
クロルの問いかけに、ブロンはレヴェイユの髪遊びをやめて向き直った。
「この任務が終わったら、姉ちゃんを解放してほしい。騎士をやめさせたい」
隣にいるレヴェイユをぎゅっと抱きしめて、青い瞳を苦しそうに歪ませていた。その姿は、家族を取られたくない子供みたいな必死さがあって、クロルは少し胸がキュッとした。
「オレ、この四か月で思い知った。やっぱり姉ちゃんと離れて暮らすとか無理。オレたち、普通の家族と違うじゃん。一緒にいることって、すっげぇ意味あるなって……。もう泥棒業はやらないって誓うから、お願い!」
「ブロン」
「クロルくんなら分かるだろ? 金で買えないものがあるって……知ってるっしょ?」
『知ってる。俺もそう思う』と即答したかった。でも、もどかしくもそれは出来なくて、クロルはトリズに視線を向ける。
もちろん、トリズは小さく首を振った。そりゃそうだ。彼女がしてきた事を考えれば、この任務でハイ終わりとはならないだろう。
他人の幸せを奪うのも、仕事の内なのかもしれない。ブロンにとっての唯一の願いだろうに、他の願いに変えてもらわなければならない。クロルはやたら重い唇を開いた。
でも、重だるい声を出す直前、「ねぇ、ブロン」と優しくたしなめる声が、クロルの言葉を止めた。
「私もね、ブロンと離れて寂しい。でも、騎士は続けたいと思ってるの」
「ぇえ!? 姉ちゃんが? それマジで言ってる?」
「うん、本気よ~」
「ウソだろぉ? 改心でもしちゃったっての?」
「ふふっ、別に改心はしてないけどね」
「なんだ、よかったー」
全く良くはない。
「でもさぁ、騎士やってたら離れて暮らすしかねーじゃんか」
「そうねぇ……あ、でも寮住まいじゃなくて、自分のお家に住んでる騎士さんもたくさんいるわよ? デュールさんとか。トリズさんもそうですよね?」
「うん、まぁそうだけど~」
トリズは濁した。真面目に騎士職に励んでいるとは言え、彼女を寮から出して普通の騎士と同様に自由を与えて良いものか。クロルと離れたら彼女の悪党心は、どうなるのだろうか。正直、判断が難しい。
となると、印籠を見せて意見を変えさせるのが手っ取り早い。レヴェイユの印籠といえば、やっぱりクロルだ。
「でも、ソワちゃんが寮から出たら、クロルと隣の部屋じゃなくなっちゃうよ? 寮にいた方がいいんじゃないかな」
「いえ……どのみち、お隣さんじゃなくなっちゃうんで、いいんです」
レヴェイユは、そこで一口果実水を飲む。ちゃぷん、ゴクリと音がする。
「それに……クロルだって、いつまで寮にいるか分からないでしょ? 結婚とかしたら寮住まいじゃなくなっちゃうし……もう、いいんです」
クロルは「はぁ?」と口を挟んだ。吸った空気と共に、アロマキャンドルの香りが肺まで入り込む。
「なにそれ。俺、結婚する予定なんてねぇけど?」
「あ、えっと、例えばの話デス。だって、結婚した騎士さんって寮を出るじゃない? それに、手狭だからって出る人もいるみたいだし」
「まぁ……単身者向けだし、そういう慣習があるにはあるけど」
「ね? 先のことはどうなるか分からないもの。あの、トリズさん、私って寮から出たらだめですか? 距離が問題なら、騎士団本部の目の前に家を借りるとか、どうかしら……?」
レヴェイユの案に、ブロンは一気にテンションを上げた。
「いいじゃん! オレ、住むとこなんてどこでもいいし。なんなら騎士団本部の中庭に家建てようぜー」
なんという乗っ取り計画。
「それはやめて欲しい~。でも、ソワちゃんの給金は出ないだろうから、家を借りるのは厳しくない?」
「そこは、オレが頑張る! 姉ちゃんのためなら何でもやるよ」
本当に何でもやりそうで怖い。
「僕は余計に不安になったよ。う~ん、大丈夫かなぁ」
頭を抱えるトリズの肩をポンと叩き、クロルは労った。
「トリズが不安に思うのはわかるけど、レヴェイユなら大丈夫。寮だって、こいつがその気になれば、簡単に逃亡できるの知ってんだろ?」
「それを言われると、ぐうの音も出ない~。とりあえずクソ親父に掛け合ってみるよ」
すると、ブロンが「ちょいちょいちょい!」とストップをかける。
「舐めないでくんない? カドランだか何だか知らねーけど、今、ココで、確実に、約束してくんないなら協力しないぜ? グランドさんをおびき出す作戦が上手くいった後に、『やっぱナシで』とか言われたくねーもん」
ブロンがまくし立てると、トリズは「も~、ワガママ坊主だなぁ」と困り顔。バチバチとテーブルの上で火花が散る。やはりこの二人、相性が悪い。
クロルは、間に入るように「まぁまぁ」と続けた。
「交渉材料が必要ってことだろ? それならこういうのはどう? もし、レヴェイユが逃亡したら、クロル・ロージュの首をはねていい。俺がここまで言えば、カドラン伯爵も納得するだろ」
「えっと~、……それはクビ?」
「いや、首」
トリズは、ひゅっと笑顔を引っ込めた。そして、反動がきたかのように「あはは!」と大爆笑。
「おっもしろい! クロルがそこまで言うなら、僕も身を削らないとね。何としてもクソ親父にイエスと言わせる。全面的に協力してくれるなら、サブリエ征討任務の終了後、ソワちゃんは寮から出ておっけ~。約束完了ね。ブロン、これでいいかな?」
「マジ!? クロルくん、ありがとー! 超うれしー!」
クロルに懐いたブロンは、非常に協力的だった。いつになく真面目に話を聞いてくれて、作戦の詳細を詰めることができた。ブロンからデュールにも情報共有をしてもらい、マミちゃんとの約束である二時間が終了。
トントントントン。
「お客様~、いかがですかぁ?」
そこでちょうど。マミちゃんの確認ノックが入る。ブロンは「じゃあ、オレ帰るねー」と、レヴェイユと別れのハグをして窓から逃亡。
「お客様ぁ~?」
「あぁ、ごめん。今、開けるから待っ……痛っ!」
慌てて立ち上がったのが悪かった。クロルはうっかりとテーブルに足をぶつけてしまった。不運なことに、テーブルの上には果実水が置いてあるじゃないか。足がぶつかった衝撃で、果実水がグラグラと揺れる。ぐらぐら、ぐらぐら。
「あ……!」
クロルの美しい『あ』という声と共に、ガチャンびちゃん、ドバーと果実水が倒れる音が響く。
忘れてはならないが、果実水が倒れた方向には、ランジェリーの山があるんですけど。家族の絆とか真面目に語っちゃった真ん中に、まるでキャンプファイヤーみたいに鎮座しているランジェリー山があったわけで。
きわどいランジェリーたちは……甘い香りの果実水で水浸しになった。うっかりクロルが過ぎる。
「まじか」
「あちゃ~、やっちゃったね」
「あらまあ、大変」
「……トリズ、これ経費で?」
「落ちませ~ん」
「だよな」
クロルは、きわどい山々をチラリと見て、ため息一つ。その視線を、そのまま彼女に向けた。
「……レヴェイユ、これいる?」
「え! 私? もらっていいの?」
「良いも何も、これを俺にどうしろと?」
「……どうしようもないわよね~。ふふっ、可愛いのばっかりで嬉しい! 遠慮なくいただきます」
「助かります(敬語)」
トントントントン。
マミちゃんのノック音が無慈悲に響く。クロルはスッと立ち上がり、覚悟を決めてドアを開けた。よく覚悟を決める男だな。
「どうでした~? 吟味できました?」
「ははは、結局二時間かかったよ。ありがとう」
「わかりますぅ」
「それで……申し訳ないことに、商品を汚しちゃったんだよね」
「二時間の吟味ですもんね、そうなるかもとは思ってましたぁ。覚悟の上です、お気になさらずに~」
なんとなく噛み合っちゃう会話。
「いやもう、床まで汚れちゃって……申し訳ない」
「床まで? わぉ、それはそれは」
「本当にごめんね? でも、二十セット、全部買うからさ」
「え! 二十セットを、全部お汚しに……? ということは、二十セットを全部お汚しになられた、と?」
同じことを二回言うと、二回目は意味深に聞こえるのはなぜだろうか。
「ははは、うっかりね」
「わぉ、アンビリーバボー。リスペクトですぅ。師匠、サービスしておきますね!」
「師匠? うん、ありがと?」
「お買い上げ、ありがとうございまぁす」
きわどいランジェリーは、布が少ない癖にとても高かった。




