94話 二十九歳と飲む
爆死済みのクロルが馬車に乗り込もうとすると、レヴェイユはいなかった。
「……あれ? レヴェイユは?」
「手洗いに行って、クロルと一緒に戻ると言っていたが」
「は?」
トリズもエタンスも、伯爵令嬢である彼女を一人にしてしまったわけだ。正直、クロルはイラッとした。
しかし、ここで責めるよりも、彼女を見つける方が先だろう。
「……まぁいいや。わかった。俺が探してくるから、エタンスとトリは先に帰ってろ。この格好で長居して、トラブルになりたくないしな」
「クロルさんは大丈夫っすか~?」
「あぁ、レヴェイユを見つけたらすぐ帰る」
クロルは王城内に戻った。まさに勝手知ったる隣の我が家。迷わない足で、ずかずかと進む。
「いないか」
ハンカチを落とした部屋にも、手洗いにもいない。クロルは『あいつのことだ、どうせ迷ったに決まっている』とか思っていた。暗雲低迷、迷わせたのは貴様だ軽薄男。
しばらくウロウロするも、全く見つからない。国中の騎士が捕まえられなかった女泥棒だ。そんな彼女を探すのだから、割と必死。茂みとか木の上とかまで見なければならなくて、かくれんぼもソワール相手だと大変なのだと知る。
一時間ほど走り回っても見つからなかったから、そこで王城の受付に向かった。心優しい文官が迷子の彼女を捕まえて、受付に連れてきてくれることを想定したのだ。
が、しかし。
「……え? すでに退城?」
「ええ、ポレル私兵団のレヴェイユ様ですよね。はい、五十分ほど前には退城手続きが済んでいます」
「五十分も前に? ……そうですか。どうも」
クロルは、舌打ち交じりで馬車に乗り込んだ。『迷子になった挙げ句、勝手に帰宅するなんて、ホントどうしようもないやつだな』とか思っていた。本当にどうしようもないのは誰だろうか。
そうして、コゲ色アジトに帰宅。リビングでは、トリズが飲んだくれていた。まだ夕方だというのに、なかなか出来上がっている。
「トリズ、ただいま。レヴェイユは帰ってる?」
「おっかえり~♪ 遅いよ~? 待ちきれなくて、先に始めてるよ」
「ん? あー……あぁ、ちょっと立て込んでて」
そこで思い出す。王城に行く前に、トリズの愚痴聞きに付き合う約束をしていたのだ。すっかり忘れていた。
「で、レヴェイユは?」
「ちょっと前に帰って、シャワー浴びて二階に行っちゃったよ~。ウイスキーいっぱい注いじゃおっと」
「そうか。えっと、ほどほどにな……? ちょっと着替えてくる」
二階の部屋。二人は同室ではあるものの、ノックをして「入るぞ」と告げてから入る。
外は暗くなり始めていた。ランプには火が灯っていなかったから、部屋は暗い。でも、彼女が部屋にいることは、すぐに分かった。ベッドがまん丸に膨らんでいたからだ。
少しホッとして、「レヴェイユ?」と小声で話しかけた。すると、丸まった彼女は少し身じろぐ。寝てはいない様子に、声の大きさに戻す。
「お前なぁ、先に帰るなよ。めちゃくちゃ探したんだけど」
「……うん」
「レヴェイユ? ……どうした?」
まだ夕食も取っていないだろうに、布団にくるまっている姿。
「具合わるい?」
「ううん、大丈夫」
「風邪? 熱はある? 医者を連れてくるから待ってて」
「ううん、……ちょっとお腹のとこが、なんか変なだけ」
「腹痛? じゃあ、温かい飲み物をもってくる」
「いらない」
「でも、つらいだろ? 薬、買ってくる」
「いいの。放っておいて」
「……そうか……辛かったら言えよ?」
クロルの半生を考えれば、彼がこうやって質問攻めにするのも理解ができるだろう。放っておいて、もし何かあったらと思うと、確認せずにはいられないのだ。人の命はよく燃えて、幸せは一瞬で塵となることを知っているから。
でも、彼女が「大丈夫」と言うので、クロルは「そう……」と納得とも言えない返事をしながら、着替えを取った。
「リビングにいるから、何かあったら呼べよ」
「うん」
彼女の声が弱々しくて、部屋を出るのをためらってしまう。しばらくドアの前で突っ立っていたが、また様子を見に来ることだけ伝えて、仕方なくドアを閉めた。
家族でも恋人でも友達でもない、名称をつけられない関係。これくらいの距離が適切だと、布団をめくるのを諦めた。
着替えを済ませて階下にいくと、打って変わって賑やかなトリズがいた。楽しそうでなによりだ。
「あ、きたきた~! おっそい~」
「悪い。レヴェイユが腹痛みたいで」
「あ~、そう言えば、具合悪そうだったかも。女の子の日じゃない?」
「それは思ったけど、肌質からして違うんだよなぁ」
肌質で女の子の日を判断できる男。本当に便利で、とても気色が悪い。
「まぁ今日がんばってたもんね~。ゆっくり休ませてあげよう」
「それな。ホントすげぇよなぁ」
鍵の複製やらなにやら、ドン引きの一日だった。司法取引なんて策を思い付いたのはクロル自身だが、こんな高スキルの人材を易々と死なせたのならば、騎士団としても大きな損失だっただろう。
「あ、そう言えば~! 馬車の中でエタンスに質問攻めにされたよ」
「カドラン伯爵家ご令息の件? まぁそりゃそうだよなー」
「『どこで貴族の真似事を覚えた?』『クロルとは、どうやって仲間になった?』とか、僕の半生まで聞いてくるから、眼鏡にはうんざりだよ~」
「なんて答えた?」
「なにも。だって荒ぶる少年トリだもん。『ぁあ? うっざ』とお返事さしあげました」
「じゃあ、そのうち俺の方に来るだろうな。トリズも、カドラン姓を名乗るとは大きく出たよなぁ」
クロルは、そこでカドラン伯爵の顔を思い出す。
「……カドラン伯爵とトリズって、戸籍上は赤の他人なんだっけ?」
「うん、そうだよ~。母親が父親不詳で出生届を出しちゃったから」
「前から思ってたんだけど、なんで結婚するのにカドラン伯爵の許しが必要なんだっけ? 実の父親とは言え、公にはしてないし、どーせ結婚式にも呼ばないんだろ?」
「それね~! 聞いて聞いて!」
トリズの話はこうだった。
トリズの母親は、カゼリオ・カドラン至上主義なのだそうだ。休日の予定も、用意する料理も、服の趣味も、髪型でさえも、カドラン伯爵に合わせる女。罪な男だ。
そんな母親なのだから、当然言うだろう。『お父様が許した相手でなければ、婚姻は認めません』と。
結婚誓約書に親のサインなど必要ないが、さすがのトリズも、母親の許可なく強行突破するわけにはいかなかった。
で、カドラン伯爵と散々交渉した結果が、ソワール捕縛と盗賊団サブリエの征討だったと。
「僕なんて見た目若いけど、もう二十九歳だからね? 伯爵家の後継ぎ争いなんて心底どぉおおでもいいし、結婚くらい自由にさせてくれよって思う~。そろそろ彼女に種付けしたいし」
少年フェイスで酒瓶片手に、そんなこと言わないで欲しい。クロルブロックが働かないことが悔やまれる。
「トリズのことを大事に思ってるってことなんじゃね?」
「まさか! 親の私利私欲で反対されてるだけだよ」
「俺は親いないからなぁ。反対されるのも、ある種の憧れっつーか、登竜門みたいな感覚はあるけど」
ビールをとくとく注ぐ。さて飲むかと思ったところで、注いだビールをトリズに横取りされてしまった。
「ごくごく、ぷはぁ! ……前々から思ってたんだけどさ~、クロルって親というものに対して、夢見すぎじゃない?」
「え」
親の夢を見ることはあるが、親に夢を見るとはなんだろうか。
「親だって、所詮は人間。結構、自分勝手なこともやるよ?」
「ほー?」
「僕の親なんて見てみなよ〜。片や、立場を顧みずに愛人を孕ませて、私生児を跡取りにしようとする父親。片や、立場を弁えずに、我が物顔で愛人をやっちゃう母親。も~やだやだ。夢を見る隙もない人生である! クソ両親のことなんて理解できないよ! 彼女の真っ直ぐなドジっぷりだけが、僕の癒やし~、愛し~」
数奇なことで。トリズが歪むのも当然である。
「うーん、まぁそう事実を並べられると……心中、お察しします」
「くるしゅうない」
トリズは「あはは!」と笑って、ウイスキーを一口。未成年顔をほろよいカラーに染めて、独り言のように二十九歳らしいことを言う。
「でも、両親の気持ちが理解できないからこそ、自分が親になることで理解してみたいって気持ちがあるのかも~」
「……はー、なるほど。その発想はなかったな」
「ある種の反骨心? 昔から、結婚願望が強めなんだよね~」
「俺は結婚願望、最弱」
「モテ男め! ね、ずっと結婚しないの? っていうか、そんな質問するのも回りくどいから、ショートカットして聞いちゃお。ソワちゃんのこと、どうする気?」
「どう、と言われても」
「このまま別れるんだ~? くっず~い! ひゃはは!」
「そもそも恋人ですらねぇけど」
「真面目スイッチはぁ、どこかな~? えい!」
「あぶねっ!」
トリズの強烈チョップを、紙一重でかわす。真面目に危ないところであった。
「こえー。スイッチは自分で入れるから任せろ。真面目に言うと、園遊会以降、俺はノータッチ。キャッチせずにリリース」
クロルがビールを飲むと、そのグラスにトリズがビールを注ぐ。今夜は飲まされそうだ。
「え~、ソワちゃん可哀想~。あんなに献身的に尽くしてくれてるのにぃ」
「司法取引のこと忘れた? あいつが尽くすべきは、俺じゃなくて国だから」
「へりくつぅ。いいのかな~? 来年の今頃には、他のメンズと結婚しちゃうかもよ~?」
「俺も、そこらへんどーなのかなーって思ってさ。聞いてみたら、結婚願望ないって。……それに、つい忘れそうになるけど、あいつソワールだかんな? 結婚してくれる男なんていなくね?」
ド正論だ。
「普通の男じゃ無理だよね。でも、僕の彼女のソワールファンネットワークを使えば、結婚してくれる男もわんさかいるかも~」
「……あー、その手があったか」
「とは言え、ソワちゃんが結婚したくないとすると、生半可な男じゃダメかぁ。う~ん、じゃあこういうのはどうかな。独身女性のままだったら、やらされると思わない?」
「なにを?」
「ハ・ニ・ト・ラ」
クロルは、ビールをぐいっと飲み干した。
「むりだろ。別に美人ってわけじゃねぇし、技量もゼロ。あいつにハニトラはむり。絶対にむり」
悪女のくせに、彼女は残念なのだ。
「そうかな。騎士団唯一の女性騎士。顔に似合わずスタイルよし。欠けた常識と歪んだ良識。言いくるめればやってくれそうな、ゆるい雰囲気。あのクソ親父だったらやらせるでしょ~。想像してごらんよ、何人もの男を受け入れ、染められていく彼女を……あぁ、嘆かわしい!」
「トリズ」
ハニトラ担当なのに全く染まらない男は、空のグラスをテーブルに置く。ダンっと強めの音がした。
「この前から、なーんか怪しいんだよなぁ。前は全力スルーだったのに、最近踏み込んでくるじゃん。なに企んでる?」
「え? べっつにぃ? 僕なりに、ソワちゃんを応援してるだけだよ」
「……さては、ドジ彼女だな?」
「(ぎくり)」
「あー、わかった。俺をレヴェイユにあてがって、レヴェイユに恩を売る算段だな? 売った恩で何を買う?」
「あ、あはは~! ばれた?」
トリズは、姿勢を正してお願いポーズ。
「彼女がさ、ソワちゃんに会いたいらしくて~。それから友達になって、親友になって、結婚式も合同でやりたいとか言ってて。そんでもって、家族ぐるみの付き合いをしたいとか夢見始めちゃって。ドリームが止まらない止められない。……というわけで、一緒に結婚式やらない? 僕と家族になろうよ!」
「夢見すぎじゃね?」
クロルの一刀両断に、トリズは不服そうにしながら「もう、いいやい! クロルには頼らないやい!」と、ウイスキーをあおり始める。
「でもさぁ、先輩として真面目な話してい~?」
「おう、不真面目に答えてやる」
「ソワちゃんのことは、僕もかなり買ってるんだよね。あの子、心根はすっごく悪いけど、いい子でしょ? ……ん? 僕は一体、何を言ってるんだろう。酔ったかな」
「まぁ言いたいことはわかる」
「そう? じゃあ、言いたいことは分かるよね?」
トリズは微笑みをしまい、やたら真剣な眼差しで見てきた。グサリと刺されそうだったから、それを受け流すように窓の外を見る。空には月がぷかりと浮かんでいて、ずいぶんと秋の月らしくなっていた。
視線を月に固定したまま、「トリズ」と答える。
「……俺には頼らないんだよな?」
「……あ、ばれた? シリアス展開ならいけると思ったのにぃ」
「もう諦めろって。簡単には、なびかねぇよー」
クロルが『あっかんべー』と舌を出すと、トリズは『い~!』と歯を見せる。仲良しだ。
「じゃあ、美談攻撃だ~」
「どんとこい」
「クソ親父は、我を通しまくるクソなやつだけど、好きな女性とは結婚できない人生だったからね。僕が代わりに叶えてあげようかなぁと、躍起になってる部分もある。親が叶えられなかった願いを、クロルが叶えてあげようよ!」
「俺の両親は、俺が幸せならそれでいいって思うタイプだから大丈夫」
「反論しにくい! 泣けるぅ、いいご両親~」
自分で言っておきながら、クロルは『そうなんだよなぁ』と思って、ちょっと笑った。
「でも、その美談。カドラン伯爵が聞いたら喜びそうだけどな」
「あはは、クソ親父の死に際に教えてあげようかな。何年後だろ~。……あれ? クロルのパパさんって何歳で死んだんだっけ?」
「親父? えーっと、俺が生まれたときに二十三歳で、六歳のときに死んだから、享年二十九歳だな。……え、二十九!? まじか」
「ぇえ!? 僕と同い年じゃ~ん! ひゃははは!」
よっぱらいトリズは、もう大爆笑。さすがにクロルも爆笑した。享年二十九歳で、ここまで笑いがとれるなんて、クロルパパだって思いもしなかっただろう。
「あはは、どう? 二十九歳なんて、こんなもんだよ。立派なわけもないっ! べろべろ~」
「いや、さすがに笑うわ。すごい説得力。開眼しそう。まじで青天の霹靂なんだけど」
「息子よ、パパって呼んでいいよ~」
「パパ、酒飲みすぎ」
「クロルと家族になれた~、あはは」
うるさいトリズを置いて二階に様子を見に行くと、彼女は小さく寝息を立てていた。暗闇の中、起こさないように、手探りで彼女の額に手を当てる。熱もなさそうだし、汗もかいていない。
一階に戻ると、ウイスキー片手にトリズも寝ていた。起こすと面倒だなと思い、ウイスキーは取り上げて、布団をバサッとかけておく。
風呂に入って寝支度を整え、彼女の隣に寝転がる。彼女が抱きついていない分、いつもより距離がある。三週間後は、もっと離れる。
まだ三週間あるのか。もう三週間しかないのか。
ほろ酔いクロルは、いつもより少しだけベッドの真ん中に寄る。投げ出されている彼女の手を、大切そうにぎゅっと握った。彼女は無意識に握り返してくれたから、そのまま手を繋いで眠った。
おまけSS【一度もない、の破壊力】
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