93話 王城で仲良く爆死する
展示室『赤の目覚め』を出たクロルたちは、王城の一室で軽く打ち合わせをしてから、帰り支度をした。最後、騙され役であった文官デュールに挨拶をする。
「文官殿。これで現場確認は終了です」
「本当にありがとうございました、防犯リーダーさん。もう不安もなく、当日を迎えられそうです」
「文官殿も、当日は展示室に入られるんですか?」
「展示室だけでなく、色々な場所をチェックしながら巡回する予定です」
「そうですか。お力添えが必要でしたら、ご連絡ください」
「はい、感謝いたします。では、門までお見送りいたします。さぁ、足早に参りましょう!」
「文官殿、かたじけない。えぇ、足早に!」
クロルたちは、王城の廊下を速やかに移動する。スタタタタタ。やたら速い。エタンスも『やたら速い』と不思議そうだったが、この眼鏡野郎に構っている時間はない。それよりも、いち早く王城を出なければならないのだ。
なぜ、こんなに急いでいるのか。
サラッとお伝えしていたが、実は、クロルもトリズも王城にはよく顔を出している。犯人を捕縛した後、潜入していた騎士本人がやらなければならない手続きがわんさかあるからだ。
ちなみに、デュールは貴族のお坊ちゃんのため、なかなか潜入する機会もなく、王城に顔を出す事はあまりない。そのため王城文官役は、デュールの一択だったわけだが。
というわけで、クロルとトリズは王城に知り合いが結構いるのだ。特に、クロルは目立つ。彼を潜入騎士だと知っている人間は、『ポレル私兵団の制服を着ているクロル』に、話しかけては来ないだろう。
しかし、クロルのことを普通の騎士だと思っている人間の方が多い。潜入騎士は、自身がそうであることを秘匿する。配偶者以外に潜入騎士であることを告げたなら、一発でクビだからだ。
クロルは戦々恐々としていた。知り合いに出くわして、『よぉ、騎士団やめて私兵団に転職したのかよ~?』なんて、やぶ蛇事案が発生するのではなかろうかと。だから、スタタタタタと歩いているというわけだ。
しれっと潜り込んでいるものの、彼らは大変なリスクを背負って王城にいるということだ。
スタタタタタ。廊下を速やかに移動していると、しかし、そこでやわらかい声がストップをかけてきた。
「あらまあ、大変」
「レヴェイユ、どうした?」
「さっきの部屋に、ハンカチを置いてきてしまったみたいです。イチゴの刺繍入りの。取りに行って参ります~」
「え」
のん気なレヴェイユは、スタタタタタと戻ってしまった。先に進むこともできず、かと言って、部屋は十メートルほどの距離にあるから一緒に戻るほどではない。
クロルとトリズは、内心でハラハラしながら、なるべく隅っこにいた。目立たないよーに、壁側を向いて、しずかーに。事情通のデュールも、なんとなーく目隠しになってあげていた。
でも、クロルは自分の実力を侮っている。彼の茶髪は、焦香色。えり足でさえも、大層美しいのだ。
「あら? 美しいえり足。あらあら?」
『レヴェイユ、早く戻れー』と念じていると、五メートルほど先から声がする。
クロルが視線を向けると、なんかどっかで見たような気がしないでもない女性とバッチリ目があった。女性は、完全にクロルを知っている様子。
まじでやばい、やぶ蛇案件の発生だ。
比喩ではなく、クロるした女など星の数ほどいるため、いちいち顔なんて覚えていないクロル。最低な脳みそを死ぬほど絞りあげた結果、奇跡的に三秒ほどで、おぼろげな記憶が出てきた。
確か……クロルに一目惚れしたとかで、グイグイに迫ってきた王城の侍女のような気がするぞ! たぶん、きっと!
おぼろげな記憶が、少しずつ曖昧に蘇る。うっすい記憶だ。そうそう、王城に行くと高確率でエンカウントするしつこい侍女な気がしてきたぞ、たぶん。よし、もうそんな感じの人物ってことでいいだろう。
クロルが脳を絞りあげている間に、侍女は声をかけようと近付いてくるではないか。
クロルはトリズの肩を軽く叩き、『まじでやばい』を発動。そのまま瞬足で動いて、侍女の前に立ちふさがった。背中にエタンスの視線が刺さる。ヒヤヒヤだ。
全力でやらねばなるまい。焦香色の美しい前髪をかきあげ、ニコリと微笑む。
「やぁ、こんにちは。今日は王城に来る用事があったから、君に会えるかなって期待してたんだ。本当に会えて嬉しい。少し話がしたいんだけど、今いい?」
さすがプロ中のプロはすごい。口から出任せしか出てこないじゃないか。
加えて、必殺・泣き黒子アタック。ニコリと微笑めば、目尻の横の一番星。彼の泣き黒子もキュンとあがる。すると、あら不思議。侍女は瞬殺というわけだ。
侍女は「はい~!」と食い気味に返事をしてくれた。エタンスとトリズには、レヴェイユを連れて先に馬車に行くように伝え、そのまま侍女の背中をグイグイに押して、近くの部屋に連れ込んだ。
部屋の中で、真実とは程遠いテキトーなことズラズラ並べて、守る気ゼロの約束をいくつか交わして、超テキトーにクロる完了。実質、三分以下。即席すぎる。
そうして何食わぬ顔で部屋を退出し、馬車へと向かった。ふぅ、顔が良いと大変なことも多いが、顔が良くて助かった。事なきを得た。
◇◇◇
事なきを得ているわけもない。こういう事案は二方向から見たくなるものだ。レヴェイユが何をしていたか、だ。
ハンカチを取りに部屋に戻ったレヴェイユ。きょろきょろと部屋を探すこと三十秒、床に落ちているハンカチを見つけた。
イチゴ柄の刺繍がしてあるお気に入りのハンカチなのだ。なくなったら、それはそれでどうでもいいかな~という程度の、お気に入りのやつだ。
「ふふっ、良かった~」
それをギュッと握りしめて、クロルたちの元へ戻ろうと廊下に出た。クロル目掛けてスタタタタタと移動しているところで、レヴェイユは目撃してしまった。
「あら? クロル……と?」
クロルの隣に誰かがいる。目を凝らすと、それが侍女っぽい格好をしていることが分かった。侍女、すなわち女だ。
レヴェイユは、とにかく目を凝らした。たれ目がキリリ。すると、クロルが侍女の背中に手を添えて、部屋に入っていくところを……見て、しまった……。
ちなみに、彼は背中に手を添えていたのではなく、グイグイ押していたというのが事実だけど、なんか優しく手を添えてる風に見えたのだ。先入観ってこわい。
―― 知り合いの女の人? 部屋に二人きり……? 仕事関係なのかしら?
スーパーやきもち妬きのレヴェイユ。突如として沸き起こる、むかむか。『ううん、ダメよ。仕事仕事』とむかむかを抑えながら、トリズたちのところに戻った。
そこでは、あの侍女が何者なのかと、エタンスが疑問を投げかけていた。そりゃそうだ、王城の侍女に知り合いがいる盗賊なんて、ちょっと怪しい。
文官デュールがいる手前、詳しく説明することもできないのだろう。私兵団トリズはテキトーに説明をしている様子。
そうして、彼らの背後にレヴェイユが立ったとき、事件は起こる。エタンスから「クロルの元恋人!?」という謎のフレーズが発せられたのだ。トリズ、テキトーに説明しすぎだ。眼鏡野郎も、声が大きい! もう一人の快楽眼鏡、レヴェイユが背後にいることに気付いて笑うな!
がちこーんと、レヴェイユの耳に入ってきてしまった『元恋人』という言葉。がちこーん。
―― あのひとが、モトコイビト!? がーーん!
恋愛オンチには聞き慣れない言葉だ。大丈夫だろうか。
―― ……き、気になる……
気になっちゃった悪女は、トリズたちに「トイレに行ってくるから先に馬車へどうぞ」と告げて追っ払い、聞き耳を立てることになってしまう。覚醒した悪女は盗み聞きごとき、軽くやってのける。
いやいや、彼女はちゃんと理解している。レヴェイユに盗み聞きされたとして、クロルが嫌がるとは思えなかったのだ。事実、クロルはそんなこと気にしない。
当然、相手がレヴェイユだからというのは大きいが、彼にとってプライバシーという存在は、彼が生まれた瞬間に息を引き取り、そんなものに守られることもなく、堂々と生きているという不遇さもあった。美形って可哀想。
―― 気付かれないように、気配を消さなきゃ!
スーパー悪女は綺麗さっぱりと気配を消し去った。さすがソワール。盗み聞きごときで、えげつない気配の消し方だ。
悪いお耳をドアにピタリとくっつければ、愛しのクロルの声が聞こえてくる。ふむふむ。
「……というわけで、本当に悪いんだけど、王城では君と話せないんだ。君のことは大切に思ってるんだけど、ほら事情があるから」
―― 君のことは、大切に思っている!? やっぱり元恋人なのね。むー
元恋人という立ち位置に加えて、 『きみ』という耳障りの良いフレーズ。レヴェイユの頬はむくむくと膨らむ。だって、こちとらいつだって『お前』だもの。あぁ、頬がパンパンだ。本当に大丈夫だろうか。
ちなみに、クロルがやたらとキミキミ言っているのは、侍女の名前が思い出せないからだ。名前どころか、話した記憶すらない。どクズじゃねーかと思うことなかれ。この侍女が勝手にアピールしてくるだけだ。クロルは、ソフトストーカーの被害者だ。
「では、王城以外でなら会って頂けるかしら?」
「ぁあ? あぁ。時間が合えばもちろん」
「ランチとディナーは、どちらがよろしいかしら?」
「ははっ、何ならどっちもする?」
―― 昼も夜もどっちも!?
レヴェイユは、かなりショックを受けた。あのドレス工房のフィッティングルームでの会話を思い出したからだ。
レヴェイユには、朝昼晩、彼と食事をする未来なんて一切ないというのに、侍女はランチもディナーもできちゃうわけだ。侍女に転職したいくらいにうらやましい。ハンカチを握る手の力が尋常ではなかった。シワシワでぼろぼろだ。
ちなみに、クロルは侍女との約束なんて守る気ゼロだ。彼は任務遂行のために必死なのだ。
「クロル様……私、楽しみにしております。あの、ディナーの後は、朝までご一緒できますかしら……?」
この侍女、とんだグイグイ女じゃないか。こりゃ相当やってんな。
レヴェイユは、ゴクリと喉を鳴らした。さすがの呑気苺頭だって、直接的な誘い文句を聞いたならば意味がわかってしまう。こりゃ間違いなく男女のアレだろうと。
でも、レヴェイユは知っている。ああ見えて、彼は硬派なのだと。
一緒に過ごすこと約半年。プライベートで女性に声をかけることは一切ないし、声をかけられても超塩対応が基本だ。レヴェイユは何度もそれを見てきた。あと情報屋ブロンからも、そう聞いていた。そんな情報を調べさせてどうする気だ。
しかし、この侍女は元恋人。クロルだって、無碍にはできないはず。どうするのだろうか。どうか断ってほしい。レヴェイユは、耳をビタンとドアにくっつけて、盗み聞きに全力を注いだ。
クロルの「あー、朝までね。ははは」という声が聞こえる。続きを聞きたいような、聞きたくないような。ドキドキとする心臓を押さえつける。
「いいよ、喜んで」
両者とも、無事に爆死した。
「落ち着いたら、また俺から声をかけるから待っていてくれる?」
「いつまでもお待ちしておりますわ!」
「そう? じゃあ、本当にいつまでも待っていて。忙しいから失礼するよ」
永遠に待たせそうな言い回し。清々しいほどに最低で素晴らしい。ニッコリ笑ってクロる完了だ。
彼が出てくることを察知したレヴェイユは、瞬時に物陰に隠れた。さすがソワール、動きが尋常ではなく素早い。
クロルは部屋を出てすぐ、何かを探るように視線を動かしていたが、そのまま足早に去っていった。スタタタタタ、やたら速い。
レヴェイユは、彼の背中をそっと見送って、そのまま逆方向に歩き出す。当然ながら、彼女が馬車に戻ることはなかった。




