90話 カーテン越しに向き合わず
新アジトは、普通の一軒家だった。
朝日が降り注ぐ王都の住宅街。王城からは少し離れているが、それなりに活気のある西通りの近く。
チョコレート色の屋根というと聞こえは良いが、これは焦げたパンみたいな汚い茶色だ。
苔色アジトを脱出したかと思ったら、次はコゲ色アジトに住むことになるとは。
パタパタ……と、鳥の羽ばたく音がする。まぶたの裏で朝の光を感じ、クロルは目を開ける。
―― 甘い……苺……
「レーヴェ、暑いんだけど」
絡みついてくる、彼女の足と腕。抱き枕って、こんな気持ちなのかな、なんて思ったり。
それにしたって、こんなに全力でくっついて寝る必要があるだろうか。『絶対、逃がさないからね?』という強いメッセージを感じてしまい、ちょっとゾッとするクロル。寝相で伝わる執着心。
それよりも、鳥だ。こんがらがったレヴェイユの手足をほどき、パッと起き上がる。寝起きの美形と白い鳥。これは良い絵面。
ところで、このブロンの白い鳥も万能なわけではない。ブロンお手製の笛で呼べば飛んできてくれるらしいが、新しい場所に飛ばすためには、ブロンが派遣先に足を運び、エサを与えたりする必要がある。
コゲ色アジトのことは誰にも知らせていないのに、いつの間にか知っていて、いつの間にか鳥を調教させているとは……。
「情報屋、恐るべし。えーっと、ふむふむ?」
左手でブロンからの手紙を読みながら、右手をレヴェイユの背中に滑りこませ、グイッと起き上がらせる。小慣れている。
「レヴェイユ、おはよ」
「ふぁ、おはよ~。顔が良すぎてパッと目が覚める~」
「そりゃ良かった。ブロンから手紙がきたぞ」
「ん~? まろん?」
「それは栗だ。ブロンだ、ブロン。ドレスをチェックしに行けってさ」
レヴェイユは、たれ目をぼんやりと開けて、「ブロンのドレス? あの子、まだ女装してたの?」と言う。
「ちげぇよ。お前が秋の園遊会に着ていくドレスの話。ブロンの伝手で、ドレス工房を紹介してもらったじゃん」
「そんなこともあったようなそんなような~」
「朝飯食ったら、すぐ行くか」
「え! デート?」
「仕事」
朝食のときに、トリズも誘ってみたけど「そんな野暮じゃないよ~」と、心底イヤそうな笑顔で断られた。笑顔のバリエーションが豊かだ。
どうやら、ドジ彼女に会いに行くようで、レヴェイユ愛用の口紅を教えてもらっていた。同じ物をプレゼントするらしい。惚れすぎだ。
ドレス工房は、小さな店だった。ブロンの話だと、生地や糸など材料も含めて、グランド商会とは全く無関係。騎士団の特殊任務であるということを理解した上で、口が堅くて詮索せずに作ってくれる、隠れた名店なのだとか。情報屋、恐るべし。
「いらっしゃいませ」
「レヴェイユと申します~」
「ブロン様のご紹介の方ですね。少々お待ち下さいませ」
男性店員は、クロルを見ても会釈をするだけだった。この美形を前にして、ノーリアクションの仕事人っぷり。クロルは『この店は信用できる』と思った。
「スタッフがご案内致しますので、奥のフィッティングルームへどうぞ」
「よろしくお願いします~」
手持ち無沙汰になってしまったクロルは、店内を眺めてみる。目がチカチカするなーなんて思っていると、ウェディングドレスの前で足が止まった。『俺、一生独身だろうなぁ』と思うくらいには、無縁の純白だ。
しばらく純白を眺めていると、着替えが終わったことをスタッフが知らせてくれた。フィッティングルームに案内される。
「レヴェイユ、入るぞー?」
「はぁい」
クロルがドアを開けると、小さなドアベルがチリリンと鳴った。
―― あ……ショートケーキ
「ふふっ、どうかしら~?」
「……白い」
「うん。本当は真っ白にしたかったんだけど、それだとウェディングドレスになっちゃうかなと思って、クリーム色にしてみました~。クロルって、白が好きでしょ?」
「え、俺? いや、別に」
「がーーん! 勘違い!? で、でも~、お洋服を選んでくれるときも、いつも白系とか淡い色になるでしょ?」
クロルは、服を選ぶときのことを思い返す。白が好きというわけではないはずなのに。
「……あー、まぁ、確かに」
「似合ってるかな?」
「はいはい、似合ってるよ」
「褒めが足りない~」
「はいはい、キレイキレイ」
「もう一声~」
「……『すごく可愛いよ。いつも可愛いけど、今日はとびっきり綺麗だ。このまま攫って、二人きりになりたいくらい』これでいいか? さっさと確認したいんだけど」
「ふふっ、満足しました。はぁい、どうぞ」
店員を下げさせて、フィッティングルームのドアを閉める。
窓の外では小鳥がさえずり、ふわりとカーテンがなびいている。クロルは、彼女の耳元にピタリと唇を付けて、美しい声でささやいた。
「スカートめくるぞ」
やっぱりこれだよ。こんなことを言い出すなんて何事だ! 仕事だ。もはや恒例だ。
そう、なぜ口が堅いドレス工房を探したのかといえば、特殊なドレスを作ったからに決まっている。
秋の園遊会。ここで盗賊団アンテは、本気で窃盗をする。正義の名の下に、ガッツリと窃盗計画を立てているのだ。ガチである。
懐中時計が飾られる展示室『赤の目覚め』の現場確認はこれからだが、かなり厳重だと聞いている。会場内に持ち込めるのは、ハンカチだけ。特に、男性に対するボディチェックは厳しい。
鍵をこじ開ける道具、武器、縄。それらをどうやって会場に持ち込むか。唯一、確認されない……いや、確認したくてもさせてもらえない場所といえば、当然ながら、スカートの中だろう! というわけで、色々と仕込めるようなドレスの仕様にしたのだ。
ドレスのデザインは、平たく言うと動きやすそうなやつだ。全く読む必要はないが、せっかくなので明記だけしておこう。以下、ドレスのデザインだ。
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ドレスの型は、ボリューム重視のプリンセスライン。スカート部分はティアード。フラウンスの間隔は、十から二十センチくらいだろうか。道具の存在を外から感じ取らせないように、かなりボリュームがある。内側にもパニエのような、ひだ飾りが縫い付けてあり、これならばドレスだけでふんわりシルエットが保てるだろう。
透けてるやつの三トリオである、オーガンジー、チュール、シフォンの素材を上手いこと組み合わせて、淡いクリーム色に奥行き感を出す。動きは軽やか、重さを抑えた作りだ。
デイパーティーのため、露出を控えつつ動かしやすいフレンチスリーブ。バックリボンも、何かを隠すように大きく華やかだ。
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以上、要するに、窃盗計画に最適なドレスだ。
さて、話を戻そう。スカートめくりの話だ。違う、仕様確認だ。
クロルはしゃがみ込み、ためらわない手でドレスをめくった。ゴソゴソ、ふわふわ、ゴソゴソ。
「……ボリュームがありすぎて、たどり着けない」
ゴールが遠かった。想像してみてほしい、スカートの中で埋もれている美形の姿を。これは良い美形。
「ふふっ、こっちこっち」
レヴェイユはクスクス笑いながら、腰あたりを指さす。
「スカートに物を入れると重さで不自然になっちゃうんですって。このお店すごいね~。アレンジをしてくれたの」
なんと。ぱっと見では分からないが、よーく見ると、脇から腰にかけて、スリットが入っているじゃないか。クロルは「おー」と言いながら、ためらわずにスリットを広げて中をのぞく。少しはためらえ。
しかし、スリットの向こう側は、ドレスの布地だった。『はて、下着はどこだ?』とよからぬことを考えつつ、そこに手を入れてみる。遠慮がない男だ。手のひらで布地をスーッと撫で、素敵なカーブに沿って奥まで手を入れると、そこにゴールがあった。
「ひゃん! そっちじゃなくて、おしり側です~」
「……ごめん、つい。んー? おー? おぉ、たどり着いた」
「ね? 剣帯みたいな感じで、腰に道具入れを巻きつけてあるの。その上からドレスを着てるから自然でしょ? 道具入れは、おしり側にあるから私も動きやすい。すごい~」
「客のニーズをつかみすぎだろ」
大して事情は話していないというのに、掴まれすぎていた。
「しかも、力いっぱい千切ると、綺麗にミニスカートになるんだって! 緊急事態のときは戦力になれるの~」
「名店過ぎる」
第五の御用達になりそうな名店具合だった。
「よし、ドレスは良さそうだな。文句なし。もう着替えていいよ」
「はぁい。じゃあ、後ろのリボンほどいて~」
「は? なんで俺が」
「秋の園遊会。当日の朝は、ここでヘアメイクまでしてもらうけど、帰りはどうなるかわからないでしょ? 『お連れ様にお手伝い頂き、お召し替えできるようにしました』って、店員さんが言ってたわ」
「この店は何なんだよ、怖ぇんだけど」
「ちなみに、ドレスのお値段は十万ルド」
「バカ高ぇな」
こりゃ口止め料込みかな、なんて思ったり。
「では、高級ドレスのリボンを解く貴重な体験をどうぞ~」
「はいはい。このリボン?」
「うん」
すでに色々と見ちゃってる関係なわけで、お互いに抵抗などなかった。それでも、ここからは一人で脱げるだろうというところで手を止める。
「ここからは一人でやって。カーテンの外にいるから」
「はぁい」
時刻は昼前。日が高くなったせいか、少しのどが渇いていた。クロルは、置いてあった来客用の果実水を飲みはじめる。
すると、カーテンの向こう側から「……ねぇ、クロル」と彼女の声が聞こえてきた。あまりにも小さな声だったから、『どうしたんだろう?』とは思った。
「んー、なに?」
「……園遊会が終わったら、異動しちゃうの?」
クロルは少し驚いた。彼女は、四六時中ひっついてくるし好き好きうるさいくせに、こういう核心をつくような話はしてこないからだ。
グラスを置いてから、返事をした。
「……うん、異動するつもり」
「どこに?」
「わかんね。まぁ、第一騎士団以外かな」
「じゃあ、騎士はやめないの?」
「そうだなー、他の職業となると見つけるのも大変だからな」
「あ~、そうよね。ウェイター、馬車の整備士、デュールさん家の使用人などなど。全部、女性関係で辞めなきゃいけなかったのよね。格好良い人って大変なのね~」
「おい、よく知ってんな?」
「うん、ブロンに教えてもらったの」
「そう……まぁ、いいけど」
普通は、『プライバシーに関わることは、本人の口から聞くべきよ』とか言って、聞かないでおくものじゃなかろうか。
弟とは言え情報屋から聞いて、悪びれもなく聞いたことを本人に告げるとは。さすが良識にとらわれない女。
「じゃあ、秋からも本部にいるのね~」
「まぁな」
「ランチは……無理かなぁ。朝ごはんなら、一緒にできる?」
「お前、朝弱いじゃん」
「ふふっ、頑張って早起きする。お隣さんだもの、お迎えにいくね~」
「ばーか。寮は所属ごとに建物が違うだろ。隣同士じゃなくなる」
「え……そうなの?」
「仕事も別々だし、食事の時間なんて合わねぇよ」
「そっかぁ。じゃあ、……えっと、お休みの日は? 会えたりするかな?」
「そっちは任務に入ったら、休みなんてあってないようなもんだし、俺も日勤夜勤ごちゃまぜだろうなー。休みが合うことなんて、ないと思うけど」
カーテンの向こう側。壁掛けランプのろうそくが、ゆらりと揺れた。パサッと音を立て、ドレスが床に落ちる。
「……そっかぁ……うん、わかった」
顔が見えないから、余計に声が響く。彼女の声が、少し震えて聞こえた。
「レヴェイユ?」
「なぁに?」
「……ドレス脱げたか?」
「うん」
「慣れてるよな。こういうドレス工房、前も来てたのか?」
「うん」
「昼飯、何か食べたいものある?」
「ううん」
「カーテンがあるから風が通らないだろ。暑くない?」
「だいじょうぶ」
普段は途切れない会話が、まるでカーテンに遮られたみたいに続かない。
押し殺すような泣き声が聞こえた気がして、クロルは思わず、手を伸ばして……でも、そのままグラスに勢いよく果実水を注いだ。ちゃぷん、ちゃぷん。
窓の外には高い塀があって、その向こう側を通る人々の笑い声が聞こえる。部屋の中には、動かないままのカーテン。その声が聞こえるたびに、水を飲んだ。
しばらくして、カーテンがゆらんと揺れはじめる。シルエットから察するに、彼女はワンピースを着始めたようだった。
グラスを片付けようと思って視線をあげたら、そこにはドレスの絵が何枚か飾られていた。そのうち一枚は、ウェディングドレスの絵。無縁の純白だ。
ずっと考えていたからだろうか。絵を見た瞬間、するりと言葉が出てしまった。
「お前も、いつかはウェディングドレス……着るんだよなぁ」
「え? ふふっ、突然なぁに?」
彼女の笑う吐息で、ろうそくが揺れる。クロルは、その揺れが止まらないうちに「だってさ」と話を続ける。
「結婚願望が強い子、多いじゃん? 俺が聞くのもどうかとは思うんだけど、レヴェイユはどうなのかなーって。……結婚願望とかある?」
クロルだって『サイテーな質問だな』とは思ったが、どうせぶつぶつに途切れた会話だ。正直なところ、かなり気になっていた質問なわけで、カーテンがあるうちに聞いておきたかった。秋の園遊会の前に、聞かなければと思っていた。
「う~ん、結婚したいって思ったことないかも」
「思ったことが、ない?」
「うん」
「……一度も?」
「うん、一度も。だから、結婚願望がないのかも~」
「は? じゃあ、この前『プロポーズされるかと思ったのに~』とか言ってたのは何だったんだよ」
雨上がりの森林公園で、イジケていたのは何だったのか。
「え? プロポーズって、ずっと好きだから死ぬまで一緒にいようって告白することでしょ? あこがれる~」
「……まぁそうなんだけど」
そうなんだけど、そうじゃない。
「お母さんも結婚してなかったからかなぁ。紙に名前を書くだけなのに、なんの意味があるのかしらね~」
結婚宣誓書を『紙に名前を書くだけ』と言い切る、この女。やはり悪女は一味違う。
「はぁ……ホント常識外を生きてるよなぁ。そりゃ意味あるだろ。結婚したら家族になる。一生、離れないって約束があるかないかって重要じゃん。だから、簡単には結婚できないわけだろ?」
彼女は「ふふっ」と笑っていた。
「不思議ね~。人は、簡単には約束ができないものなのね。約束をやぶることなんて、とっても簡単なのに」
そこでカーテンが開く。彼女はふわふわと笑っていた。クロルが選んだ淡い栗色のワンピースが、ヒラリとひるがえる。
「ねぇ、ランチはおいしいパンがいいな~。焦げたところをあちあちって言いながら、はふはふ食べたい気分」
「中央通りに美味しい店がある。行く?」
「うん!」
二人であちあちって言いながら、焦げた部分をはふはふ食べた。
やっぱり生きてきたベースが違う。パンを頬張る彼女を見ながら、クロルは思った。『絶対にやぶりたくないから、人は簡単に約束ができなくなるんだよ』って。
近づけば遠ざかる。進んでは後退する。そんな関係のまま、一方で、任務はスルスルと進んでいった。
この翌週、国宝窃盗事件の舞台である、展示室『赤の目覚め』に足を踏み入れるのだった。




