9話 女泥棒・ソワール
注意、犯罪行為が入ります
『まさか、あのソワールと会えるとはなぁ、はっはっは! 本当だったら叩き出してるとこだが、どういうわけかそんな気にはなれねぇなぁ。茶でも飲むか?』
そう言って、笑ってくれた髭モジャ姿が懐かしい。時計たちが一生懸命に動いている空間に、いつも笑い声が響いていたっけ。
◇◇◇
時は遡って、前日の真夜中。栄養失調のクロルが、潜入初日にぐっすりと寝ている間の出来事だ。
真夜中の王都をトコトコと歩いている女性が一人。闇夜に紛れて、何やら悪いことをしそうな雰囲気をまとっていた。
女泥棒・ソワール。
彼女は謎に包まれた存在だ。以下は、全て目撃証言の一部。真実かどうかは定かではない。
推定年齢二十代、推定身長一七五センチメートル。
髪は金色、瞳は青色。目深に被った帽子で目元は見えないし、口元は深紅のストールでおおわれているのに、かなりの美人だと言われている。
黒い外套をなびかせながら、ついでに男もなびかせる。ブーツのヒールも彼女の気位も、とびっきり高くて絶対に折れたりしない。スタイル抜群で、その脚から繰り出される蹴りは威力も抜群。
まとう雰囲気は、まさに勝ち気な悪女そのもの。悪戯に他人の物を奪っては、微笑みながら去っていく。どんな場面でも余裕綽々、優雅さと妖艶さを忘れない。
目撃者は揃いも揃ってこう語る。二十年以上、ずっと証言は変わらない。
しかし、実際の彼女は、と言えば。
「眠い~」
真夜中。ソワールはソワールの癖に、夜更かしが得意ではなかった。眠気まなこをこすりこすり。珈琲をがぶ飲みでどうにか盗みを働く。努力する方向性が間違っている。
「唐突にクロワッサンが食べたいかも。あ、パンプディングも捨てがたい。悩む~」
パン屋の前を通りながら、朝食はどちらにしようか悩んでみたり。これから泥棒をするとは思えないゆるさだ。
さて、そんな彼女が向かう先は、とある貴族の屋敷。
「今夜は盗賊団サブリエも来るかしら」
ソワールの情報網によると、ここの貴族が購入した大粒のエメラルドを、窃盗団が狙っているらしい。
「よいしょっと」
のんびりしたかけ声を添えて、ソワールは高い塀をひょいっと乗り越えた。朝食メニューは悩むのに、不法侵入は悩まない。やはり彼女は本物のソワールだ。
カチャカチャ、カチャン、キィ。
―― ふふっ、今日も侵入カンタン。ソワール感謝~♪
どこの貴族も防犯がなってない、なんてソワールは思っている。
外から丸見えの一階玄関に厳重な扉を用意してしまっては、『ここにお宝がありますよー!』と言っているようなもの。それでいて二階からは簡単に侵入できちゃうのだから、泥棒ホイホイだ。
―― 引退後は、防犯アドバイザーにでもなろうかな。ふっふふー♪
心の中で茶化せるくらいには余裕綽々。
なにせ、彼女は二代目ソワール。先代である天才的泥棒であった母親から、全ての泥棒技術を叩きこまれたプロ中のプロ。
生まれ持った高い身体能力に、鍛え上げられた体術。どれに着目しても、全ての泥棒の頂点に立つだろう。
何よりも、その心だ。髪の毛先まで根付いている、悪たる価値観。純真無垢な黒さ。悪いことをしても悪いとも思わない。それが女泥棒ソワールなのだ。
そうして、ソワールはものの数分で金庫室までたどり着く。金庫室の前には、警備中と思わしき使用人の男性が立っていた。廊下に一つだけ灯ったロウソクをぼんやーりと見ている。暇そうだ。
ソワールは、廊下に置かれた調度品……やたら大きい木彫りの鹿みたいなやつの陰から見ていたわけだが、どうにも眠くて『ふぁ~』とあくびが出てしまう。
しかし、そのあくびが大きすぎて問題発生。うっかりと鹿を倒してしまったのだ。ゴトン!
「あらまあ、大変」
床を見ると、ぽきっと折れた鹿の角が転がっていた。とりあえず折れた角をひょいと拾って視線を上げると、警備の男性と目が合う。
「こんばんは、鹿の角はご入用かしら?」
金色の髪を耳にかけ直し、鹿の角片手におっとりと微笑む。こんな非日常的場面で微笑まれてしまうと、おっとりのんびりな様子が『余裕綽々で妖艶』に見える不思議。そう、目撃証言のソワールと完全一致。
一方、男性は信じられないという様子で身体を震わせ、定まらない指先を向けてくる。
「ソ、ソ、ソワ……うぐっ!」
「夜はお静かに~」
ソワールは一瞬でトップスピードを出して、その勢いのまま角で一発。男性は低い呻き声と共に気を失い、床に倒れてぐーすかぴー。
ちなみに、この男性は後々こう証言をする。
『目の前で鹿の角を折って、それを僕に向けてきたんですよ! 腹を突き刺すつもりなんだと思って、もう大慌て! そしたら、どういうわけか殴られただけで……あぁ助かりました。なんか良い香りもしたし、暗がりだったけど噂通り美人だったかな!』
こうして、事実はねじ曲げられるのだ。
さて、ソワールは窃盗作業を進める。
―― 金庫室のドアは、ピッキングできないタイプね。鍵を作るか、壊すか、開けるか……どうしようかしら?
もし彼女が泥棒ではなく詐欺師であれば、ここの家主を騙して鍵をゲットするところだけれど、あいにく彼女は泥棒だ。本物の鍵に興味なんてない。鍵があろうがなかろうが、どっちだっていい。
まずは、トントンとドアをノックする。不在を確認しているわけではない。音の反響で厚みを測定しているのだ。周りの壁もリズミカルにトントン~♪ と叩いていく。
「はぁ、つまんない。ドアも壁も、とっても薄いわ。これなら簡単に穴が開いちゃう」
きっと、大粒エメラルドの購入に合わせて急ごしらえで作った金庫室なのだろう。鍵は立派だったが、鍵だけが立派だった。
壁が薄ければこちらのもの。詳細を書くとアレな感じになってしまうため、ここでは大幅に濁すが、あれやこれやをして内鍵を回し開け、金庫室に侵入成功。
―― お邪魔しまぁす
無慈悲なソワールは、ぽつんと置かれた金庫に向き合う。
外套の下から現れるのは、手入れの行き届いたピッキング道具。やっぱりプロ中のプロはすごい。まさかの二分ほどで、カチャリと音を立てて金庫は開いた。
―― あぁ、良い音ぉ……
恍惚とした表情で鍵を開ける彼女。こりゃ悪い女だ。
ちなみに、普通の泥棒であれば数十分はかかる解錠作業だ。彼女の腕が如何にピカイチであるか、分かりたくもないがお分かりだろう。
「み~つけたっ♪」
金庫を開ければ、そこには輝く大粒エメラルド。彼女は、まるでチョコレートをつまむみたいな仕草で盗み取った。窃盗完了。
そこでチラリと時計を見ると、時刻は午前三時前。
「そろそろ盗賊団サブリエが来る予感~」
ソワールは埃っぽい天井裏に身を隠し、金庫室の様子をライブ鑑賞し始める。待つこと、五分。まだ静かな夜更け前。耳を澄ませば、悪い男たちの囁き声が聞こえてくる。
「おい、見ろよ。金庫室が開いてる」
「やっぱりだ、エメラルドが盗られた!」
「絶対にあの女だ。また俺たちが来る前に忍び込みやがったんだ」
ソワールは何でも盗む節操なしだが、一つだけ大きなこだわりがあった。彼女は、盗賊団サブリエが狙った品物を横取りするのが大好きなのだ。その事実は騎士団も知らぬこと。
なぜ横取りなんてことをするのか。もしかして彼女にも善良な心があるのではないか。なーんて憶測が飛び交いそうではあるが、実際のところ良心なんてものは欠片ほどもない。
理由はシンプル。六年前、彼女の唯一とも言える友人の店の商品を、盗賊団サブリエが盗んだのだ。そのとき、友人が用意してくれていた彼女への贈り物も含めて、全部根こそぎ盗まれてしまった。
ここで、とても重要なことを一つ言おう。彼女は天才的泥棒だからこそ、本当に欲しい物も大切な物も、そんなの一つもない。何でも簡単に手に入るということは、欲しがる心を失うということだ。
だから、友人からの贈り物を返してほしいわけじゃない。単純に、日々を送るスパイスとして盗賊団サブリエに仕返しをして楽しんでいるだけ。
動機が子供じみていて悪さが際立つ。最低すぎるが仕方がない。ソワールが盗まなかったとしても、大粒エメラルドは盗賊団サブリエに盗られていたわけで……あっちもこっちも最低な人間ばかりだ。
というわけで、彼女は本物の悪人だ。彼女の心は極めて単純。盗みたいものを盗む。それだけだ。こんなヒロインで大丈夫だろうか。ハッピーエンドが遠すぎて霞む。とりあえず突き進もう。
さて。ソワールは盗賊団サブリエの吠え面を楽しんで、一つ伸びをしてから行動開始。
スタタタタと街を移動して、ひょいひょいっと屋根の上を飛び回り、他人の家の中を通り抜ける。軽やかに艶やかに、ソワールは王都の東通りまで戻ってきた。
そう、ここは宿屋『時の輪転』。
暗闇の中、ソワールは食料庫へ向かう。盗んだ大粒エメラルドを空っぽの缶に入れ、カランと良い音を響かせる。棚をググッと力強く動かせば、奥に見えるのは隠し棚。
実は、盗賊団サブリエから横取りした盗品は、すべて裏庭の食料庫に置いてあるのだ。使い道もないし、とりあえず雑に保管をしているだけ。雑すぎて、こんなところに宝物があるなんて思いもしないだろう。
次に、いつものワンピースや靴に着替える。備え付けの洗い場で化粧を落としてすっぴんに。
「変身完了~」
誰の視線も通さない真っ暗な裏庭を悠々と歩き、完全に気配を消して私室に戻った。
朝食の時間。今日は、彼女が朝食作りの当番だ。パンが焼ける香りが漂えば、一階に皆がやってくる。
「おはようございます」
「おはよう、ふぉっふぉっ」
「お早うございます」
「おはよー」
「おはよ」
五人がそろえば、向かい合わせで手を合わせ。
「いただきます」
「お、今日はクロワッサンか。俺、好きなんだよね」
「クロルさん、体調は大丈夫ですか~?」
「うん、一晩寝たらかなり良くなった」
「なら、さっさと出て行ってよね」
「ふぉっふぉっ」
「クロル、ゆっくり食べてね」
「ありがと」
ソワールは彼を見つめて「はぁ……」とため息。
―― クロルを見ながらのクロワッサン、なんちゃって~。はぁ、美しい。尊い……はぁん、サクサクぅ
というわけで、潜入二日目の朝食メニューはクロワッサンだったとさ。