84話 睡眠時間を削って、無事合格
ドアは薄手で、パジャマは厚手。『逆なんだよなぁ』と思った。ドアは厚手で、パジャマは薄手。それが人生における最適解だったのだ。
トントントン。
三分どころか六十分。まだ早朝。クロルは、廊下の監視がされていないことを確認しつつ、トリズの部屋をノックした。
「開いてるっすよ~」
トリズは鍵もかけずにいたようだ。度胸の塊みたいな男だな。
「おはよ」
「来た来た~♪」
「一時間だけ寝かせて。……悪いんだけど、」
「彼女を一人には出来ないもんね。僕があっちに行くよ」
「恩に着る」
クロルは、めちゃくちゃ不機嫌に礼を告げた。この二十九歳の『なんでも分かってます~』って顔が、寝不足のメンタルを刺激するからだ。
「もうやっちゃえばいいのに~。僕だったら三回はしてるけどなぁ。あ、放置プレイ中?」
「ちげーわ」
「プラベで手を出すのは責任ともなうからアウトだけど、仕事なら大義名分あるしセーフじゃない?」
「ゲスい」
ゲスい。
「……秋になったら、どうせ手放すつもりなんでしょ? 好きな男と初体験。思い出くらいあげたらいいのに」
「安売り御免。っつーか、いつになく踏み込んでくるじゃん。めずらしー」
「高嶺のクロルくんの敵ってわけじゃないんだけど、まぁ、彼女の功績は認めてるからさ~。たまには味方になってあげないとね」
「……この場合、俺の功績を認めるべきだと思うんだけど」
「言えてる。あ、服は?」
「着せた」
「あはは、メンタル強~」
トリズは「いってくるっす~」と、廊下の監視がないことを確認しつつ出て行った。ベッドに倒れ込みながら、閉まるドアに向かって呟く。
「逆なんだよなぁ……」
苦労した甲斐があった。
寝不足の日々を過ごすこと、一週間。ドアの向こうにいる監視員に、伯爵令嬢の手綱をしっかりと握っていることを知らしめることができた。
そして、とうとう盗賊団アンテはその日を迎える。グランドからの合格通知、『亡き王女の愛した懐中時計』の依頼が来たのだ。
それは、ランチ前のことだった。その日は朝から雨がザーザーと降っていた。
クロルとレヴェイユが「ランチどうする?」なんて話しながら仲良く廊下を歩いていると、エタンスに声をかけられる。
「クロル、少し時間はあるか? 話がしたい」
「依頼?」
「あぁ、一階のスタッフルームに来い」
「じゃあ、トリも呼んでくる」
そこでエタンスは、「待て」と言う。
「伯爵令嬢は遠慮してもらいたい。話の邪魔だ」
「……うーん、まぁいいか。レヴェイユは、トリと一緒にいて」
「それも待て。盗賊団アンテへの依頼だ。首領クロルと紫頭のトリ、二人で来い」
「は? レヴェイユを一人にしろって?」
クロルが不満げに返すと、エタンスは「言いたいことはわかる」と同意を示す。
「ご令嬢を一人にしたくないだろうことは察している。俺自身、初日にそう言ったしな」
「お、めずらしく察しがいいじゃん」
「だが、重要案件だ。ご令嬢の耳には入れたくない。伯爵令嬢は……部屋に鍵をかけて待っていろ」
この言い回しで、クロルはピンと来た。
―― きた。『亡き王女の愛した懐中時計』の依頼だ
ゾワリと背中が震えた。高揚する心臓をどうにか抑え、興味なさ気に「ふーん?」と返事をにごす。
チラリとレヴェイユを見ると、彼女も察したのだろう。ニコリと微笑んで、クロルに絡めていた腕を解いた。
「クロル様、私なら大丈夫ですわ。お部屋でお待ちしております」
「あぁ、うん……」
嫌な感じがした。部屋の鍵なんて、どうせフロント係の泥棒君がスペアキーを持っているはずだし、泥棒だらけの宿屋だ。ぶっちゃけ鍵の意味を成していない。
しかし、彼女の正体はソワールだ。そんじょそこらの騎士より強い、スーパー女泥棒だ。何かしら危険なことがあったとしても、きっと大丈夫だろう。
それでも、エタンスに従う道理はなかった。
「エタンス。一階のスタッフルームの前に休憩室があったよな? レヴェイユはそこにいてもらう。話は聞かせないで済むし、いいよな?」
「……まぁいいだろう」
そうして、クロルとトリズはスタッフルームへ。レヴェイユは、その目の前にある休憩室で待たせておいた。
「盗賊団アンテが信頼に足る犯罪者だと見込んで依頼をする。国宝『亡き王女の愛した懐中時計』を盗み出してほしい」
「お、おう……」
信頼に足る犯罪者。すごい矛盾したワードだなと思った。
「っつーか、国宝? それまじで言ってる?」
クロルは、少し渋る素振りをみせる。
「これ、誰からの依頼?」
「そういう質問は一切受け付けない」
「あっそ、まぁいいけど。実際、盗めるかどうかだよなぁ」
「そういや、国宝ってどこにあるんすかね~?」
すると、エタンスは書類を取り出す。
「普段は、王城の最奥で厳重に保管されている。ここに忍び込むのは不可能だ。だが、五年に一度だけ、公開される日がある。王城主催の秋の園遊会だ」
「園遊会……あ! だから、招待状持ちのレヴェイユが必要だった?」
「そういうことだ」
「なるほどー」
知ってたけど、知らぬフリ。
「秋の園遊会にレヴェイユのパートナーとして潜り込んで、懐中時計を盗めってこと?」
「いや、手段は問わない。夜中だろうが昼間だろうが、盗めればそれで良い。夜中に懐中時計が展示会場にあれば、だがな」
クロルは『回りくどい言い方すんなー』と思った。
「懐中時計は、園遊会当日に運ばれるっつーわけね」
「そのようだ。招待客以外が展示会場に近づくことは難しい。堂々と招待客として侵入するのが、一番手っ取り早いだろう」
「と言っても、騎士が見てる目の前で『失礼しまーす』って盗むわけにもいかねぇよなぁ」
「そうだな」
「そうだな、じゃなくて情報が足りねーって。もらった資料には、何も書いてないみたいだけど?」
「クロルさんなら、ぶっつけ本番でやれるっすよ~」
「トリ。俺を買いかぶりすぎだぞ……?」
「ひゅ~ひゅ~」
ゆるふわ盗賊のアンテチーム。どうやって情報を集めるか、あーだこーだ相談する。しばらく経って、エタンスは時計をチラリと見ながら口を開いた。
「落ち着け。ぶっつけ本番はやめろ。失敗は許されないからな。秋の園遊会の情報を持っている人物なら、心当たりがある」
「それを先に言えって。っつーか、さっきから回りくどいし、何なんだよ」
クロルが語尾を強めると、エタンスは眼鏡をかけ直しながらチラリと時計を見た。
「いいだろう。俺たちが犯罪者だとはバレない形で、その人物と接触して情報を盗み取る。そこから窃盗作戦を立て、当日は伯爵令嬢のパートナーとして侵入して国宝を盗み出せ。これが依頼内容だ」
「簡潔に言えるじゃん。よし、分かった。この依頼、盗賊団アンテが引き受けた。トリもいいよな?」
「意義な~し。超テンションあがる~」
クロルとトリズは目を合わせた。本当は手を合わせたかったけど、ハイタッチはまた後ほど。
「……ところで、伯爵令嬢との恋人関係はどうだ? 順調か?」
そこで突然、エタンスから恋バナが放たれた。真面目眼鏡なのに、そういう話が好きなのだろうか。まさかレヴェイユのアレなボイスを聞いて、ちょっといいなとか思ってるんじゃなかろうか。
なんてことをツラツラ考えながら、クロルは答える。
「まぁ、相変わらず愛し合ってるけど」
「秋の園遊会が終わった後は、どうするつもりだ?」
「どうすると言われましても」
「後腐れなく別れる準備はしておけ。我らも事が終わったら、ここは引き払う予定だ。しかし、伯爵令嬢が密告する可能性もあるだろう? 口止めをどうするか……そっちはどう考えている?」
クロルは納得した。これをレヴェイユに聞かせたくなかったわけだ。
そりゃそうだ。彼女は伯爵令嬢。盗賊クロルが手綱を握っているから『味方』だけれど、秋の園遊会が終わって用済みになれば『証人』になる。
エタンスは顔を知られているし、盗賊団の住処も大公開。伯爵令嬢だからおいそれと手出しはできないし、かと言って放っておくわけにもいかない。こんなに面倒な相手はいない。
「……なぁ、それってレヴェイユの口を封じるために、どうこうしよう話?」
「そういう可能性もなくはない」
「……ふーん?」
「お前も、別に本気で好いているわけじゃないだろ? 口止めの仕方は、我らに任せてもらいたいのだが」
「本気だけど」
「ん?」
「レヴェイユのこと、本気で愛してるよ」
「は!?」
エタンスは驚いていた。飛び出た目玉で眼鏡が割れそうだ。
「ははっ、なんでそんな驚いてんの?」
「いやいや、貴様がたぶらかしただけだろ!?」
「まぁ出会いはそうだったけど、本気で好きだよ? 元々、可愛いなーって思ってたから、ここまでずっと一緒にいるわけだし。立場的に難しいかもだけど、許されるなら一生一緒にいたいくらい」
「一生!?」
「そりゃそうだろ、本気で好きなんだから。って言っても、職業がこれじゃあそうもいかないか。転職しよっかな、ははっ!」
「ほ、ほ、本気……?」
エタンスは、かなり動揺していた。
「だから、口止めの件も俺に任せてよ。大丈夫だからさ」
「……あぁ、それは理解した」
「さんきゅー」
エタンスと日程を相談し、せっかく大犯罪をやっちゃうチームなのだからと固い握手なんか交わしちゃって、きゃっきゃルンルンと三人仲良くスタッフルームを出た。
ドアを開けたその瞬間、クロルは悪党眼鏡のエタンスの腹を思いっきり蹴り飛ばした。
エタンスが時計をチラチラ見て、やたら言い回しがくどかった理由が、一瞬で分かったからだ。
休憩室はもぬけの殻。
レヴェイユは、いなくなっていた。




