80話 潜る
クロルたちは、驚きで飛び出そうな目玉をどうにか押し込めて、盗賊団サブリエの住処に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ、宿屋『水の音色』へようこそ。当宿は、ご予約のお客様のみのご利用とさせて頂いております。ご予約のお客様でしょうか?」
「えっと、クロル……ですけど?」
「あぁ! クロル様、三名様ですね! 承っております。お会いできて光栄です」
「は、はぁ」
フロントの若い兄ちゃんはニコニコしていた。慣れた手つきでチェックイン作業を進める。
「当宿は二十四時間出入り可能。窓、裏口、通気口など、すべての隙間から出入りして頂いて結構です」
「隙間」
「ですが、施錠してある箇所のこじ開けは、ご遠慮願います。貴重品の管理は、お客様自身でお願い致しますね? 金庫は意味がないので置いていません。はは!」
「ははは……」
「食堂は三階にございますので、お好きな時間にお越し下さいませ。それでは、二階にご案内~。当宿『水の音色』のオーナー、エタンスが鍵のお渡しをいたします」
「は、はぁ」
「Have a good time! 良い宿屋ライフを!」
「どうも……?」
悪党の住処というか、普通の宿屋だった。
いや、宿屋というだけで驚いたわけではない。だって、場所は王都のど真ん中。王城近く……いや、騎士団本部の近くと言った方がいいだろう。森林公園の隣にひっそりとたたずむ建物だったから、そりゃもう驚いたのだ。
ちなみに森林公園は、クロルがレヴェイユを捕縛した思い出の公園だ。そんな思い出は、墓にでも埋めておこう。
宿屋『水の音色』は普通だった。クリーム色の外壁に水色の屋根、黄色のポストの上に、大きな黄色の旗がはためいていた。三階建ての狭くもなく広くもない、絶妙な宿屋だ。
特徴と言えば、玄関前に小さな噴水があるところ。どうやら、そこから『水の音色』と宿屋名を取ったらしい。
「なぁ、この宿屋さ、前からあったよな。ずっとあった。俺、めっちゃ認識してた」
誰もいない廊下。クロルが小声で呟くと、後ろを歩くトリズがコクリと頷き、超小声で「同じく~」と話す。
「犯罪者の中では、普通の宿屋を住処にするのがセオリーなのかな~?」
「それな」
クロルの隣には、宿屋を住処にしていた元泥棒が楽しそうに歩いていた。階段を上がる途中、サブリエメンバーとすれ違うときも「おほほ、お世話になりますわ~」と挨拶をする。フレンドリーな伯爵令嬢だ。大丈夫だろうか。
「可愛い宿屋ですわね~。お食事も美味しいのかしら?」
「え、食う気かよ。のん気が原因で、いつか死ぬぞ……?」
「ふふっ」
二階に行くと、小さなラウンジにエタンスが座っていた。
「よお、エタンス」
「来たか」
「っつーか、めちゃくちゃびっくりしてんだけど。普通の宿屋じゃん」
「表向きはな。ここは、いつでも満室の宿屋だ」
「はー、なるほど」
「宿屋は人の出入りが激しいからな。誰が出入りしていても、誰も気にしない。時計店より、よっぽど隠れ蓑に適している」
「でも、騎士団本部が目と鼻の先だぞ? 大丈夫なもんなの?」
「だからこそ、騎士が泊まりに来ることはないし、足を踏み入れることもない。下手に住処らしくするよりも、健全で怪しくない」
「なるほど。灯台下暗し」
騎士団本部が見える宿屋にプライベートで泊まりたがる騎士はいないし、仕事で泊まるならば本部内にある宿泊部屋で十分。わざわざ金を払って、目の前の宿屋に泊まることはない。上手いこと盲点をついている。
すると、エタンスはポケットから鍵を二つ取り出した。
「フロントで説明を受けたか?」
「受けた。なぁ、あのフロントくんも泥棒? ウィットに富んだ人材で、大変興味深いんだけど」
「そういう質問は一切受け付けない」
「はいはい」
「出て行くときは、フロントに鍵を返せ」
「はいはい」
クロルは、エタンスから鍵を一つ受け取った。エタンスは、もう一つの鍵をトリズに差し出す。荒ぶるトリズは、「ちっ!」とか舌打ちをしながら受け取る。エタンスの手に鍵はない。あれ? おかしいな。もう一度確認しよう。
クロルは鍵を受け取った。トリズも鍵を受け取った。エタンスは鍵を持っていない。あれ? おかしいな。
クロルは、瞬時に口を開いた。
「レヴェイユの部屋は?」
「クロルと同室でいいだろう? 苔色屋根のアジトでもそうだっただろ。荷物から察してやったぞ。二〇一号室は、ダブルルームだからベッドも大きい。感謝しろ」
「……そっか」
しまったぞ。エタンスの察しが良すぎて悪い。いや、この場合は察しが悪くて大変良い。
誤解しないで頂きたいが、彼と彼女は苔色アジトでも同室ではなかった。元々はクロルが使っていた部屋をレヴェイユにあてがっていた関係上、二人の荷物がごちゃ混ぜに置かれていただけだ。それを見て、エタンスは勘違いをしたのだろう。
クロルは考えた。盗賊のクロルは、ここで『三部屋用意しろ』と言うだろうか? ……うん、言う言うー。
「悪いんだけど、三部屋用意してほしい」
「……なぜだ?」
「そこは察しろ。ここは俺らのホームじゃないし、男と女なんだからアレだろ?」
エタンスは察した。男と女がアレということは、アレな状況ということだろう。察しの良いエタンスは、もう大慌て! 「こっちに来い!」と、クロルを引っ張ってラウンジから離れた。男二人が廊下でコソコソ話。
「なになに? どした?」
「別れたのか!?」
「は?」
「アレというのは、恋人関係を解消したということだろう? それは困る。確かにあの女は天然女だが、少しくらい我慢しろ。秋の園遊会までは手綱を握っていないとマズい。クロルが手放すのであれば、俺が……この前は顔を赤くしていたし、チョロそうだ。どうにかするしか……」
察した結果、見当違いだった。エタンスの言うアレとはドレだろうか。
「ちげーよ! 察しが悪すぎるだろ。ちゃんと愛し合ってる。お前が入る隙間はないから安心しろ」
「そ、そうか。それは安心したが、じゃあ、何が問題なんだ? 伯爵令嬢を一人にするメリットは、どこにある? アジトで同室だったのは、あの女を保護監視するためだろう? 盗賊団サブリエの宿屋とは言え、逃げられる可能性も、誰かにさらわれる可能性もなくはない」
きょとん顔でド正論をぶちかますエタンス。クロルは「だからさー」とか言いながら、それらしい答えを考えた。この現状を打破するような言い訳を。
レヴェイユとの初デートのとき然り、職業柄、こういう場面があるにはあった。どんな人生だろうと思うことなかれ、とんだ人生だ。
それでも任務に滞りがない状況であれば、テキトーに理由をつけて断っていた恬淡クロル。さぁ、思い出せ! 女にテキトーに塩をまくクロル・ロージュを!
「えーっと、ほら、壁が薄いかなって思ってさ」
思い出した結果がコレだった。さすが美形は踏んできた場数が違う。墓穴の掘り方すら美しい。
「壁? 壁と男女のアレに何の関係が?」
「わかんねぇの? 他のやつに可愛い声、聞かせたくないじゃん。でも、同じ部屋だと自然とそういう雰囲気になるだろ。だから、部屋は別がいい」
常套句をそのまま口にする。『君の可愛い声を他の男に聞かせたくないから、部屋は別にしよう?』とか、それっぽいことをズラズラ並べるのだ。百パーセント、すんなり通る。
しかし、エタンスは眼鏡がくもるほど驚いていた。
「眼鏡のくもり方はんぱなくね?」
「あぁ、湿度が急上昇しただけだ。なるほど……伯爵令嬢相手でも深い関係まで持っていけたということか。そのハードルは高いと聞くが、やはり類い希なる才能だな。確かに第三者が入る隙間はなさそうだ。憎らしい」
クロルは前髪をかきあげながら、美しきドヤ顔で答えた。
「まぁな」
あーー! しまったぁ! なにが『まぁな』だ。エタンスの言うとおりじゃないか。クロルは墓穴を掘ったことに気付いた。掘り進めてマントル到達だ。おめでとう。
だって、レヴェイユは伯爵令嬢。この国では、貴族の婚姻の際には、処女性が重く求められる。それは高位貴族であればあるほど、重~く重く。
エタンスはこう言っているのだ。『結婚するわけでもない伯爵令嬢ともヤっちゃうなんて、お前すげぇクズだな。マジリスペクト!』って。ええ、彼はこんな男だけど、彼女は清らかなままですよ。
でも、クロルはどうでも良かった。クズだと思われたっていい。それよりも、とにかく鍵が欲しいんだよ、鍵が! 尊厳よりも鍵が欲しかった。
「まぁ俺も男だし? あんな可愛い子と一緒にいたら、そういう気分になるだろ。分かってくれた?」
「そう言うことか、察したぞ。大丈夫だ。壁の厚さには自信がある」
そっちじゃねーーよ! 欲しいのは壁の厚みの情報じゃねーよ! 壁に自信があるって何だよ、お前がこの宿屋建てたんか!? ……と、クロルは叫びたかった。
大体、銀縁眼鏡なんてかけておいて、エタンスの察しの悪さは何なんだ? 銀縁眼鏡は、察しが良い人間のみ許されるアイテムだろうに。察しの悪さで殺されそうだ。
クロルは笑った。乾いたカサカサの笑いだった。墓穴を掘りすぎて、とうとう美しい墓が完成。男女のアレのアレでも埋めておくべきか。
「ははは……まじか」
チラリとレヴェイユを見る。青を貴重としたホテルの内装に、彼女の赤髪が毒々しく映える。あぁ、なんで彼女は赤いのだろうか。
きっと、この世で彼女だけだろう。同じベッドで一夜を過ごすことに、クロルがこんなに必死に抵抗する相手なんて。
「……やっぱ無理だわ。エタンス、あのさ、」
そう口を開いた瞬間のことだった。突然、クロルは後頭部に熱を感じた。その不思議な感覚に、開いた口をキュッと閉じて全神経を背後に集める。
―― なんだ? 熱い……
すぐに騎士の感性が働いた。これは、視線だ。普通の視線じゃない。皮膚に突き刺さる熱さ。試されているような、品定めされているような。憎悪とも好奇心とも言える感情を突きつけられ、炎で焼かれる心地がする。
―― どこからだ?
いや、場所なんてどうでもいい。重要なのは、この視線が誰のものなのかということだ。
―― フラム・グランド……
この視線の先には、赤く燃えるような瞳がある。どうしてだろうか、クロルにはそれが分かった。
ここはグランドのテリトリーだ。一つも失敗は許されない。指先から視線まで、その全ての行動には整合性と妥当性がなければならない。でなければ、やつを仕留めることは出来ない。それを瞬時に悟った。
クロルは息を止めた。潜るのだ。
犯罪者への憎しみとか、雨の日の重だるい気持ちとか、馬車に乗るときの落ち着かなさとか。赤とか、ミルクたっぷりの紅茶とか、近付きたくないのに奪われたくないとか。そういうものごと全部、クロル・ロージュを沈める。
潜入騎士はどこにだって潜り込む。自分の心の内側の、深く暗い底までも。
「どうした、クロル?」
「ん? あー……のど渇いたなって。飲み物ってもらえる?」
「あぁ、部屋に届けさせよう」
「紅茶二つで」
「ミルクは?」
「いらない。ストレートで」
クロルはヘラッと笑って、さらにウインクで『ありがと』を炸裂。あまりの威力に、エタンスはちょっと後ずさっていた。
「部屋の番号は二〇一だっけ? さんきゅーな。あ、言っとくけど覗くなよー? ははっ!」
クロルはレヴェイユの手を取って、「行こう」と甘く微笑んだ。
そのまま二〇一号室の鍵を開ける。彼女をエスコートするふりをしながら廊下を確認してみるが、エタンスの後ろ姿があるだけ。
潜っているのはお互い様。あの異様な視線がどこから発せられたのか、クロルには分からなかった。




