8話 トリズ・モントル
潜入捜査二日目の朝食後。
一宿一飯のお礼として、宿屋の周りをほうきで掃除してから、クロルはベッドに寝ころんでいた。ピンと張られたシーツ。小綺麗で落ち着く部屋。窓の外で羽ばたいていく白い鳥。平和だ。
―― 胸章のこと確認しないとな
忘れてはならないことだが、大切な胸章を何者かにソワられているのだ。それなのに、クロルはのんびりとしていた。
コンコンコン。
子供の「遊ぼうぜ!」「きゃはは!」という笑い声に混じって、ドアをノックする音が響いた。
「どーぞ」
「クロルさん、お加減よさそうでしたら宿屋を案内しますよ」
十六歳、紫髪のトリズだ。人の良さそうな笑顔に、「ありがと」と返しておく。穏やかなお散歩が始まった。
「一階には、カフェスペース、キッチン、あとマスターの部屋があります。二階は浴室と客室がありますが、良くも悪くもお客さんはいません」
トリズが笑って言うものだから、クロルも「居心地は最高なのになぁ」と笑って答えた。
「三階は女性の方々の部屋。……あまり近寄らないように?」
いたずらに笑うトリズ。クロルは両手を上げて降参ポーズをしながら「はいはい」と無罪を主張する。
昨日、三階にいたところを見つかっているのだから、素直に降参するしかない。
「建物の外は、畑と広い裏庭があります。裏庭の端にあるのが食料庫と薪置き場です」
トリズは、スタスタと食料庫に向かう。
クロルが後ろを振り返って宿屋の建物を確認すると、そこには窓やドアはなかった。建物から裏庭を盗み見ることは難しいだろう。だだっ広い裏庭だ、話し声も宿屋までは聞こえないはず。
さらに、外灯もないから夜中になれば真っ暗。裏庭を突っ切ったとしても、誰かに目撃されることはない。
―― 密談もしやすそうだなぁ
潜入捜査では、ターゲットの視線が届かない場所を把握しておく必要がある。相棒デュールと会うため、密談スポットを決めなければならないのだ。
トリズは「食料庫の鍵の番号は五一〇番です」と言いながら番号式の簡単な鍵を外す。誘われるままに、中に足を踏み入れた。
「食料庫とは思えないほどに広いでしょう? ろうそく台とマッチはそこにあるので、火をつけてもらえますか?」
「おっけー」
扉が閉まる直前、ろうそく台に火を灯した。
ゆるく照らされた倉庫内を見ると、食料がずらりと並んでいる。麻袋がたくさんあり、保存が効く缶詰も整列している。やたらと食料が保管されているが、これはマスターの趣味なのだろうか。さては、心配性のおじいちゃんなのでは。
泥を落としたり野菜を洗うためか、水場も設置されている。湯を沸かすこともできる様子だ。食料庫にしては居心地は悪くはない。
そのまま倉庫内をぐるりと見回す。ツイーっと視線を一周させ、扉の前に立っていたトリズまで戻ってきた。
すると、トリズの紫色の瞳が光っているのに気付く。ろうそくの火が何かに反射して、不自然に照らされていたのだ。
胸章だ。
トリズが手に持っている金色の胸章に光が反射していた。
「騎士の胸章、簡単にソワられちゃダメでしょ~?」
トリズは、好戦的な目で見てくる。二人の視線がカチッとぶつかった。
「トリズ……やっぱりお前かよ」
「よ、久々。クロル、元気だった~? 相変わらず顔面が強いね」
「トリズも相変わらず時空が歪んでるな。十三歳もサバ読んでるとは思えねぇわ」
「スキンケア、頑張ってるからかな~」
トリズ・モントル。
第五騎士団の潜入騎士、即ち、クロルやデュールの同僚だ。
騎士団への入団資格がない十六歳として潜入してはいるものの、実年齢は二十九歳。なんと驚きの十三歳もサバ読みをしている。
しかし、十六歳と言われても全く違和感がない。若さあふれる肌の質感、常に上がっている口角。そのベビーフェイスに騙されるが、クロルよりも五歳年上の潜入騎士歴十一年。大ベテランだ。
「クロルが来ることは知ってたけどさ、ベッドに寝かされてるのを見たときは吹き出すかと思ったよ~。フリじゃなくて、普通に意識ないんだもん」
「トリズが十六歳って言ったとき、俺も笑いこらえたわ」
「あはは! 良い笑顔だったよ~。予定通り、任務に就けて良かったね」
「トリズのおかげ、ありがとな」
「いえいえ~」
『ソワール任務に就くために伝手を使った』というクロルの話があったが、それはトリズ・モントルのことであった。トリズは騎士団上層部に太いパイプを持っているのだ。
「でも、なんでトリズも潜ってんだ? あ、もしかしてマスターの担当?」
「そう。マスター担当で入れてもらった」
―― そこにトリズを投入してきたのか、超重要任務じゃん
クロルが潜入騎士になりたての頃、二人は頻繁にタッグを組んで潜入をしていた。だからこそ、トリズの実力はよーく知っていた。
そこで思い至る。そもそも、この任務はトリズ個人にとっても超重要任務だったはず。
「あー、そっか。この任務にトリズの結婚がかかってるんだっけ?」
「そう。僕と彼女との婚姻をクソ親父に認めてもらうために、賭けてるんだよ~」
「ソワールと盗賊団サブリエの二大泥棒を両方とも捕縛できたら勝ちだっけか。結婚ごときで、すげぇ賭けの条件出してくるよな」
「ごときとか言わないの! 結婚は大事だよ?」
「へいへい」
結婚したくない男がテキトーに返事をすれば、結婚したい男はギロリとにらんでくる。
「二大泥棒の捕縛を手伝ってくれるっていう条件で、ソワール任務のメイン担当をクロルに回したんだから、ちゃんと任務遂行してよね~?」
「はいはい、こえーな。で、肝心の結婚相手はどんな子? トリズの相手ってことはー、天然ぼんやり系かうっかりドジっ子系とみた」
「え……よくわかるね? ……ドジの方」
唐突に始まった潜入騎士の恋バナ。
「ははっ! 大抵、潜入騎士が惚れる相手はそーゆー系。トムもダルソンもデュールも、みーんなドジ女か天然女に引っかかってる」
「そ、そうなの……?」
「裏表がなさそうなところに惹かれるんじゃね? しらねーけど」
トリズは超ドジで手のかかる彼女のことを思い出しているのだろう。かかとで床をトントンと鳴らし、何やら居たたまれない様子。
ちなみに、ドジな彼女は、少~し変わった趣味を持ってはいるものの、裏も表も出番もないショップ店員だ。
「それから、外見は……ちょっとつり目っぽいイメージ。しっかりしてそうな外見にドジな内面。トリズって、そういうギャップに弱そー」
「え! なんで!? 怖いんだけど~、なんでそんな当ててくるの?」
「プロだから」
クロルが『ふふん♪』と自慢げに眉を上げれば、トリズはジトリと目を細める。
「……先に言っておくけど、絶対に会わせないからね? 結婚式も呼ばないから!」
「へ? なんでだよ?」
「第五の格言『俺たちの恋はクロル・ロージュで終わる』結婚式で花嫁がクロルに一目惚れしたとか悲惨すぎて笑えない~」
「そんなことあるわけ……あるな。ありゃ悲惨だった」
「しばくよ?」
しばくよ、の『ば』のところで、すでに蹴りを入れられた。痛い。こう見えて、トリズは尋常ではなく強いのだ。
「いってぇなー、全力キックいれんなよ」
「真面目スイッチを入れてあげただけ~。ソワール任務、全力でやってよね?」
「おーよ。俺もソワールを捕まえたいし、利害は一致してる。やってやるよ」
「期待してる。ほら、クロルの胸章。大事にしなよ」
ポイッと胸章を渡されて、「さんきゅー」と無事にキャッチ。お帰り胸章。
「ちゃんと隠しておきなよね」
「はいはい」
クロルは右足の靴を脱いで、靴底を決められた手順でこねくり回してパカッと開けた。そこに胸章がピタリと収まるようになっているのだ。ちなみに左足の靴底には、隠しナイフが入っている。
「これで良し」
胸章の隠し場所は個人で異なる。ベルトだったり、衣服の裏地だったり、靴だったり。任務内容と適性に合わせて隠し場所が定められているのだ。
多くを語るとヒーローとしてアレな感じになっちゃうので濁しておくが、ハニトラ担当のクロルの胸章は、衣服ではなく靴に隠す。
永遠の十六歳、ハニトラとは無縁のトリズの隠し場所は、ベルトのバックルだ。
クロルが靴を履いたところで、トリズは「そろそろ出ないとね。火を消すよ」と言った。
「そうだ。先に潜入してた同僚として、一つアドバイスをしてあげるよ」
「なんだよ?」
トリズはろうそく台に近付く。早足なのに足音は聞こえない。そして、フッと息をかけて赤い火を消した。暗闇が覆う。
「赤髪のレヴェイユが怪しい。僕は、彼女がソワールだと思ってるよ」
クロルの耳に届いた声は、どこか楽しそうだった
おまけ
にこやかに裏庭を歩きながら、潜入騎士のおしゃべりタイム(小声)。
「まさか彼女のことを言い当てられるとは思わなかった~。クロル怖い~」
「ハニトラ担当の経験だな」
「……クロルってさ、今までどんな恋愛してきてるの? 純粋に気になるんだけど」
「は? 俺?」
「任務のターゲットじゃなくて、プライベートの話ね。今は恋人いるの?」
「いない」
「じゃあ元恋人とかどんな子? 天然とドジどっち? クロルの恋人とか相当プレッシャーじゃない?」
「矢継ぎ早かよ。どんなっつーか、今までいたことないけど」
トリズは固まった。たっぷり十秒後に「え」と驚く。
「え、え、え、恋人いたことないの!?」
「プラベの話だろ? ないない」
「待って。好きな女の子とはヤることだけヤッて付き合わない派ってこと!?」
「どんな派閥だよ」
「だってそういうことでしょ? うわー、この人、クズだぁ!」
「ちげぇよ。まず好きな女なんていたことねぇし、恋人なんて欲しいと思ったこともない。興味もないし、どうでもいい。仕事の邪魔じゃん」
「え、じゃあ初恋もまだってこと!?」
「ハツコイ」
あまりのピュアワードにクロルは真顔。
「二十九歳の癖に、なにそのピュア感。まじ鳥肌立ったんだけど」
「うわぁ、その反応。クズだぁー!」
「ぁあ?」
指差しでクズ呼ばわりされ、若干キレたクロルだった。