77話 ボロ家へようこそ
クロルとレヴェイユが、一時間ほど重めのキスをしていた日から数えて、一週間後のことだ。というか、一時間もしていたのか。相当こじらせているに違いない。そっとしておこう。
舞台は、厳かな王城に移る。
デュールは、『デュール・デュエル』という名前を使って、宝物管理室で働いていた。
彼は潜入騎士の中で、唯一の貴族だ。彼に限っては、本名であるデパルの氏は使わない。
文官デュールとして、警備体制の資料を作っていると、少し離れたところから視線が送られてきた。どうやら、お客様がきたらしい。
「おや、デュールではないか」
「やっほー、お疲れデュール」
白々しいほどに『今気付きました』感を出してくるグランド。そして、清々しいほどに『いるの知ってました』感を放つブロン。もうちょっと演技力を上げてほしいものだ。
「グランドさん! いらしてたんですか」
「あぁ、雑務でな。……本当に宝物管理室勤務なのだな」
「えぇ、まだ新米ですけどね」
「もうすぐランチタイムであろう。隣のカフェで、昼食でもどうだ?」
「勿論です。二十分後に」
デュールとブロンは、『二十分後に開始』と視線をぶつけた。
そうして、二十分後。
「すみません、お待たせして」
「きっちり二十分、時間厳守の人間は信頼に足る」
「デュールの好きそうなやつ頼んでおいたぜ。グランドさんのお・ご・りー♪」
ブロンは味を占めたらしく、かなり調子に乗っていた。グランドを金づる化するとは恐ろしい男だ。
「ご馳走になります。あと、本当に助かりました。ありがとうございました」
「はて、何のことだ?」
「そんな物言いをして、お茶目な方ですね。ほら……借金のことですよ」
前回、初めて食事をしてから、彼らは連絡を取り合っていた。時には酒を飲み交わし、お互いに距離を詰め合っていたのだ。
主題である借金については、グランド商会の金貸し屋に一本化してもらうことになった。お友達価格、ほぼ無利子の太っ腹。
雪だるま式に借金を増やしたかった変態は、複数の悪徳金貸し屋から借金をしていたので、まさにグランドに助けられたという図式が完成したのだ。
「ぜひ、何かお礼をさせてください」
「よい。礼などいらぬ」
礼も受け取らない徹底的な太っ腹。一体、何を企んでいるのやら。
すると、グランドは鞄の中から本を取り出し、デュールの胸に叩きつけてきた。思いのほか力が強くて眼鏡がズレる。
「な、なんですか?」
「次のステップだ。授業を行う」
「授業……?」
デュールは眼鏡をかけ直し、資料をパラリとめくる。
「経済の教科書、ですか?」
「そうだ。良い機会だ、あえて問おう」
突然のグランドクイズ。
「デュールには一つだけ足りないものがある。だから、金に困ることになるのだ。何かわかるか?」
「えーっと、」
「正解だ。そう、知識であろう!」
答えてないのに正解した。
「知識は金の源泉! ブロンよ。知識なくして金が貯まると思うか?」
「うーん、オレは、」
「ザッツライト! そう、不可能であろう!」
答えてないのにザッツライトした。
「であれば! 知識の泉こと、このフラム・グランドが直々に教えてやろうではないか!」
知識があっても良識に欠けているのが気にかかる。彼の泉に良識を注いでもらいたい。
「ぶふっ、あはは! 授業だって! 良かったじゃん、デュール」
「他人事のようだが、ブロンも強制参加に決まっておる」
「げ」
デュールは少し思案する。グランドが近付いてくる理由は、悪事の片棒を担がせるためだろう。そろそろ弱みにつけこんで、少しずつ悪いことをさせるのではないかと予想していたのだが、まさかの授業開始。そう簡単にはいかないらしい。
―― 目の前にあることを、やり切るしかないか
クロルたち盗賊とは異なり、文官は他にもたくさんいる。グランドからすれば交換できる人材だろう。踏み込みすぎは、リストラの危険性あり。
デュールは、にっこりと微笑む。
「ありがとうございます。予習しておきます!」
「うむ。それなんだが……今夜から始めよう」
「今夜? 急ですね」
「善は急げ、ということだ」
「なるほど! 助かります!」
グランドは満足そうに頷いて、肉を切っていたナイフを軽く向けてきた。
「生活スタイルから根本的に正す必要があるだろう。場所は……デュールの屋敷で行うというのはどうだ?」
「我が家ですか?」
「急な訪問でも大丈夫であれば、だが」
なるほど、抜き打ちテストというわけだ。こんな物言いをされては、受けて立つのがギャンブラー。眼鏡の奥の青い瞳を、その赤い瞳にぶつけてやった。
潜入騎士を舐めないで頂きたい。
「グランドさんなら、いつでも大歓迎です!」
◇◇◇
そうして、五時間後。貧乏男爵家である、デュエル家の前。グランドは驚いていた。
「ほ、ほう。ここがデュールの……屋敷?」
とんでもなくボロい屋敷……これは屋敷と言えるだろうか? 平たく言えば、ボロ家だった。
「なかなか趣があって良いではないか」
「おもむきってなに? ボロいって意味?」
「ブロン、口を慎め」
―― ブロンのやつめ。こういうときだけ察しが良いのが気に食わん。むむ、侮れまい
こんなボロ家を見たならば、百人が百人ともボロいと思うに違いない。察しの良さとかそういう問題じゃない。
ディティールまでこだわり抜いた、正真正銘のボロさ。腐りかけた柱、修理しては壊れているだろう屋根。一朝一夕でこしらえるのは無理だ。説得力が高すぎる。
―― 納税状況も調査させたが、本当に貧乏であるな
グランドが調べさせた内容は以下だ。
デュール・デュエル、二十三歳。男爵家の次男。家族構成は、男爵当主である父親、病気がちな母親、嫡男である長男の四人。先祖代々、立派に貧乏。
「さぁ、何のお構いもできませんが、どうぞ!」
「では、いざ!」
グランドは、ものすごい気合いで一歩を踏み出した。
建てつけの悪い玄関扉をぎぎぃっと開くと、殺風景な廊下がお出迎えしてくれる。夏なのに、なんとも寒々しい……。
「う、うむ。シンプルで合理的な玄関だ」
「へ? 合理的って、何もないって意味だったっけ?」
「ブロン、黙っておれ!」
グランドが頑張ってほめると、それをブロンが叩き潰す。なんたる側近。
建物探訪する隙を与えないほどに、短く狭い廊下を進むと、奥から「やぁやぁ」と声がしてくる。
「おかえり、デュール。お客様かな?」
人の良さそうな中年の男性だ。その後ろには「誰かと思えばブロンじゃないか、久しぶりだな」と、声をかけてくる青年。デュールの父親と兄だろう。
―― 兄らしき人物もブロンと顔見知りか、ふむふむ
グランドは見定めていた。彼らの服装、言葉使いや仕草、廊下の隅から天井の端まで、全てに整合性と妥当性があるのか。信頼することができるのか。
「あらあら。こんな格好でごめんなさいね」
少し間を置いて現れたのは、ガウンを羽織った中年の女性。顔が少し赤いところを見るに、熱があるのだろうか。水差しとタオルを持って寝室に入るところだった。
「母さん、起きていて大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ」
「あ、紹介するよ。こちらはフラム・グランドさん」
「ふらむぐらんど?」
デュエル家の三人は、目が点になっていた。グランドは少し優越感。『ほれほれ、あの天下無敵の商売人が目の前におるぞ』と、二センチくらいは鼻が高くなっていた。
もうそこからは質問攻め。デュールが間に入って、すぐお開きになったが、グランドはちょっと面食らった。
「すみません、うるさい家族で」
「いや、構わん……」
デュールの自室に通されて、ようやくホッと一息のへろへろグランド。落ち着いてみると、ムクムクと疑問が生まれてくる。
「デュール。ご家族には、私との関わりも借金のことも話していないのか?」
すると、彼はきょとん顔で「ええ」と答えた。ものすごく平たい声だった。
「五十万ルドの借金のことを、一つも、話していないと?」
「はい。借金は僕個人の問題ですし、家族に話したところで何も解決しませんから」
「……ふむ、一理あるか。しかし、心が痛むことはないのか?」
「え? ははっ! グランドさん、僕は二十三歳ですよ? 秘密の一つや二つありますよ。親に何でも話す成人男性なんていません。ブロンだってそうだろ?」
「えー? オレ、親いないからわかんねーな」
「仮に、の話だ」
「仮っていっても、普通は五十万ルドの借金とかしないもん」
「そうか? まるで人を変わり者みたいに言うなよ」
「え、根っからの変わり者じゃん……?」
「え、心外なんだが……?」
この会話の間、グランドは口元がゆるむのを必死にガマンしていた。文官デュールが、思った通りの人物だったからだ。
グランドは、彼に懐中時計の窃盗計画を手伝わせるつもりだ。
しかし、サブリエ首領であることを明かすつもりはないし、文官デュールを犯罪者にするつもりもない。善良な人間に悪いことをさせるならば、繊細なコントロールが必要となる。リスクが高すぎるのだ。
グランドの思惑は、デュールにとって尊敬できる人間であり続ける、ということだけ。
例えば、秘密を打ち明けるほど身近に感じてくれたり、グランドからの教えを守ってギャンブルをやめたり。それで十分だ。
窃盗の方法はいくつか考えているが、どの方法を選んでも文官デュールに求めるものは変わらない。
グランドが求めているのは『無自覚な共犯者』だ。信頼を寄せてもらい、知らず知らずのうちに犯罪の片棒を担いでもらいたい。
そして、犯罪だったことも気付かずに、その後も平穏な生活を送ってもらいたい。それが最高の口封じだ。
その求める人物像に、デュールはピタリと当てはまった。
―― では、最終テストを行うとしよう
グランドは、窓に手を伸ばした。やたら建て付けの悪い窓をギィーッと開ければ、そこには木がある。
ブロンとの出会いだと話していた、林檎の木だ。本当に実在していたのだ。
―― 決めたぞ。デュール・デュエルを駒に使ってやろうではないか
林檎の木に止まっていた白い鳥が『キュー』と鳴いていた。




