75話 あちらとこちらを繋ぐ橋
翌日の午前中。クロルは偽騎士になって、エタンスと共に子爵家を訪ねた。
子爵令嬢にパールのブローチを渡すと、彼女は泣いて喜んでくれた。悪党子爵からも合格をいただき、依頼は滞りなく終了。
しかし、帰ろうとしたところで、クロルは子爵令嬢に呼び止められた。
「騎士様。ハンカチをお返しいたします。ありがとうございました」
「あぁ、処分して頂いても良かったのに」
「それで、あの! ぜひ、お礼をさせて頂きたくて! またお会いできますか?」
「あー……そうなりますよねー」
当然、ナチュラルにクロるしていた。こういう場面でデートに誘われるのがクロル的日常なわけで、ある種のルーティンみたいなものだ。『そうなりますよねー』とか言っちゃって、本当に憎らしい。
しかし、これも持って生まれた才能。頭が良かったら王城文官になったり、運動神経が良かったら騎士になるのと何ら変わりない。顔が良かったから、こうなっただけ。本当に憎らしい。
「仕事ですので、お気になさらずに」
クロルが常套句で断ると、子爵令嬢はしゅんと落ち込んでしまった。
もちろん、見て見ぬフリ。こんなときに何を考えているかと言えば、『もう少し周りに気を使えよなぁ』と思うくらいだ。だって、隣にたたずむエタンスの眼鏡がくもっているじゃないか。だいぶ気まずい。
そうして、エタンスから報酬を受け取って解散。
今回は偽騎士代も含まれるため、かなりの額だ。悪いことって儲かるなぁと思いつつ、そこは正義の騎士。苔色アジトの金庫に保管しておいて、すぐに騎士団本部に持って行かないとなー、なんて考えながら帰宅する。
すると、苔色アジトには誰もいなかった。代わりにテーブルの上に、メモ書きが。
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ソワくんのお手柄だったので、ご褒美をあげることになったよ。
橋のふもとのカフェで、ケーキを食べてくるね~!
留守番よろしく。
トリズ
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「え、ケーキ!? ずるっ!」
甘いものが大好きなクロルは、留守番を放り投げ、すぐさまカフェに向かったのだった。
◇◇◇
ザーザーと水が流れる音を響かせ、王都を横切る大きな川。その上には東側と西側を繋ぐための、高く大きな橋が架かっている。
橋の上はいつも賑やかだ。楽器を奏でる人、絵を描く人、おしゃべりをする人。明るく楽しく、人々は水の上を豊かに彩る。
そんな橋のふもとには、ショートケーキが美味しいと評判のカフェがあった。
クロルがテラス席を見ると、ショートケーキみたいな娘が姿勢よく座っている。遠目からでもわかる赤と白のカラーリング。クロルはちょっと笑った。
「レヴェイユ」
声をかけると、彼女はガタッと音を立てて勢いよく立ち上がる。いつになく機敏じゃないか。
「ほ、本当に来たわ……トリズさん、一生感謝します~」
「なにその反応? っつーか、トリズは?」
彼女は「お納めを」と言いながら、メモを渡してきた。
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僕からのご褒美、ちゃんと届いたみたいだね!
支払いはクロルに任せるので、留守番は僕にお任せ~。
お守りに疲れたトリズより
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「ははは……俺がご褒美ってことね」
「トリズさん、一生推せるぅ~」
「まぁ、昨日はお手柄だったもんな。仕方ないか」
クロルは向かいの席に座って、メニューを見始める。
「もう食った?」
「ううん、お金がないから座ってただけ~」
「とんだ迷惑な客だな。何にする? 奢ってやる」
「え! いいの!?」
「良いも悪いも、想像してみろよ。お前が注文もせずに座ってて、俺がケーキ食ってたら気まずいだろ……」
「そういうもの? じゃあお言葉に甘えて、甘い甘~いショートケーキにしようかなぁ」
「おっけー。飲み物はコーヒー? 紅茶? いつものミルクティ?」
「ふふっ。ミルクたっぷりのね」
注文は、ショートケーキ二つ、ミルクティを一つ、珈琲を一つ。ミルクティはミルクたっぷりで、珈琲には角砂糖を一つ。あと、お土産に塩レモンクッキーを一袋。合計すると、三十ルドぴったりだった。
「ここのショートケーキ、美味しくて大好きだったの。嬉しい~」
「へー、捕縛前はよく来てたのか?」
『捕縛前』というえげつないワードが普通に登場するデートシーン。ロマンチックだ。
「うん。橋の雰囲気が好きでね、よく来てたの」
「ひとりで? 誰かと?」
「うん、ブロンと~」
「そう。俺、馬車でしか通ったことないからなぁ」
「今日はくもり空だけどね、晴れの日はもっと素敵なの~。ねぇ、あとで一緒に歩こ?」
「あー……そうなるよなー。いいよ、少し歩くか」
そうして、注文した品物がテーブルに並べられる。二人はいただきます、一口ぱくり。さすが名店。ショートケーキは、とっても美味しかった。
甘いのに酸っぱくて、ふわふわなのにしっかりしていて。軽そうに見えて、実は重い。
ホント、食べる前に思っていたことと、食べた後に思うことって全然違う。一口頬張って一回噛むごとに、より美味しくなる。
こんな美味しいものに口をつけるのは初めてだったから、一つ一つ、一口一口を大切にした。この甘さを、一生忘れないように。
満腹にはならないのに、不思議と満たされる。満たされるのに、もの足りない。最後の一口を食べるのがもったいないほどに、美味しい苺だった。
十ルドの三倍の、三十ルド。会計を終えたクロルがカフェを出ると、彼女は「ごちそうさまでした」と嬉しそうに笑った。
「どういたしまして。明日からも仕事に励めよ?」
「はぁい、がんばります。でも、もっとやる気が出る素敵な方法を知ってるの。試してみる?」
「なに?」
「手、繋ぎたいなぁ」
レヴェイユは少し顔を赤くして、もじもじしていた。当然、クロルはげんなりだ。
「……赤」
「え?」
「今はプライベート。恋人演技は必要ない」
「がーーん!」
クロルはスタスタと歩いた。レヴェイユは半泣きで後を付いてくるが、もちろん無視だ。
東側から西側へと、水の上を渡るために歩く。通ってみて驚いた。橋の上は、お祭りとも言えるにぎやかさだった。
「うわ、すげぇな。これ一日中、こんな感じなのか?」
「昼間はね。朝は静かで、犬のお散歩コースになってるの。夜になると出会いの場になったりするよ~」
「へー、やたら詳しいな」
「ブロンはカリバって呼んでて、よく夜に来てるみたい」
「ははは、狩場な。夜は近づかないことにしよ……」
発言がイチイチ調子に乗っている。しかし、事実として近づかない方が世のためだろう。橋が潰れそうだ。
「来るなら朝だな。気持ちよさそう」
「素敵だよ~。朝日がね、東側からぱ~っと差し込むの。あ、朝と言えば! ちょうどここらへんかなぁ」
「なに?」
レヴェイユは、橋の真ん中に差し掛かったところで足を止めた。
「お母さんが飛び降りた場所。懐かし~」
「え」
沈黙。にぎやかさが遠のく。ちょうど曲の切れ目なのかわからんが、奏でられていた音楽すら聞こえない。今こそかき鳴らせよ。
突然の重いエピソード投入に、クロルは固まった。さっきまで、ゆるゆるのお散歩タイムだったじゃないか。どうしてくれるんだ、この空気。もっとカリバの話をしようぜ、カリバのさ。これだから、彼女は軽いのに重いのだ。
「いやいやいや、『懐かし~』って、よくそのテンション出してこれるな!?」
「え? ごめんね、低かったかな? 『きゃ~! すっごい懐かしい! ひゅ~ぅ!』これくらいのテンションでどうかしら?」
「逆」
クロルは、めまいがした。
「はぁ……理解はしてるけど、体感すると引くわ。お前って、ホントに常軌を逸してるよな」
「心外~」
クロルは、数ある非常識エピソードを思い返してしまう。すると、一つ気になることが掘り起こされた。
「なぁ、母親の夢って、今もよく見るのか?」
「夢?」
「前に一緒に寝たとき、夢のせいで泣いてたみたいだった」
初デートでお泊まりをした件だ。ほら、クロルがハツコイしちゃったやつ。
「そんなことあったの? ぜんぜん覚えてない~」
「……あっそ」
こっちは刻まれてるというのに。
「言われてみれば、起きたら顔だけビチャビチャになってることがあるようなそんなような~。汗だと思ってたわ」
「思考回路がマッチョすぎる。顔だけ寝汗かかねぇだろ」
「そうなのね~」
「恐る恐る聞いてみるけど、おまえにも死別を悲しむ的な感情はあるんだよな……?」
「ふふっ、あるある~」
レヴェイユはニコニコしながら、橋の欄干に手を添えた。
「お母さんが死んで、初めの一年くらいは、よく泣いてた。心にぽっかり穴が空いたってよく言うでしょ? 本当、そのとおりなのよね~」
「……うん、わかる」
「でもね、一年経ってちょうど命日。ここに来たときに気づいたの」
彼女は欄干から身を乗り出し、下を指差した。クロルがのぞき込むと、「きゃはは」「冷たいよ!」と騒ぐ声が聞こえてくる。
「見て、川で遊んでる子供たちがいるでしょ?」
「うん」
「笑ってる。顔がよく見えるよね」
レヴェイユはクスクスと笑い出した。
「お母さんはね、橋の下にいた私たちに気付いてたんだと思う」
「あ……確かに」
実際に同じ場所に立ってみると、よく分かる。これで気付かないわけはない。
「子供が必死に呼んでるのに笑顔でダイブだもん。それに気付いたとき、なんか全部どうでもよくなっちゃったの~」
クロルは、彼女が牢屋で見せた『ニッコリ極刑』の件を思い出して、『うん、母娘だな』と思ったりした。
「……わからん。全部どうでもよくなるか?」
彼女はふわふわと笑いながら、当時を思い出すように橋の下を眺めていた。初代ソワールと同じ目線で。
「上手く説明できないんだけどね、お母さんって私たちのことを大大大好きなのよ」
「歪みすぎじゃね?」
「そう? 私は、なんとなく気持ちがわかるかな~。何て言うのかなぁ……一部を奪いたかった? 欠片を置いていきたかった? うーん……忘れないで欲しかった、みたいな?」
傷つけてでも、刻み込みたかった。
「そう思ったら、悲しい気持ちは全部飲み込んじゃった。ごっくん、消化」
飲み込んだと言い切る彼女の顔は、それはもう清々しいものだった。本当に胸につかえたものはないのだろう。心底スッキリしている表情だった。
でも、あの日、朝日が差し込むベッドの上で、クロルが見た涙も、また事実。あれはきっと、心の奥底に残る悲しみのかけらだ。自覚できない、小さなかけら。
それでも、彼女は朝日を怖がらない。橋の上に立つことも、全くいとわない。この場所を大好きだと言い切る彼女は、やっぱり何にも縛られないソワールなのだろう。
「うーん、だめだ。俺には理解不能」
素直な感想が口からスルリと出てしまう。ある種の尊敬というのだろうか、すごいなとは思うが、羨ましいとは思わなかった。
「あらまあ、大変。女性の気持ちを理解しようだなんて、おこがましくてよ?」
「出た、お茶化しレヴェイユ」
「ふふっ。私は私、クロルはクロルでカモメはカモメ」
「それ、カモメの気持ちが分からない野暮な男だって言ってる?」
その気になればカモメだって落とせるぞ、と証明してやろうか。でも、王都にカモメはいなかった。
「このまま海にでも行くか」
「ふふっ、素敵。でも、カモメを落とさずとも、もっと私のことを理解できる方法なら知ってるわ。試してみる?」
「……一応聞いてやるか。なに?」
「手を繋いで歩く~」
「却下。よし、帰るか」
「がーーん! もう!?」
「お前と二人で何をしろと?」
「ひ、ひどい……ぐすん、いじわる」
しかし、彼女は負けじと食らいつく。
「それなら、私だってイジワルソワールになるもん」
「なにそれ?」
「クロルからのご褒美はもらってないので、所望いたします!」
「は? ケーキ奢ってやっただろ」
「それは、トリズさんからのご褒美でしょ? クロルからのご褒美としてはノーカンよ、ふふん♪」
「お前……いい度胸だな」
クロルはトリズから貰ったメモを思い返し、彼女の言い分に一理くらいはないこともないかも、と思ってしまった。
あと、もう一つ。ここまで来ると認めざるを得ない。レヴェイユの実力は、クロルも買っているのだ。
この短期間でエタンスとパイプを繋ぎ、グランドの足元まで食い込めているのは、彼女の功績だ。騎士でも何でもない、正義がなにかもわからない、そんな元泥棒の彼女が、手探りで頑張ってきた結果なのだ。
「はぁ、わかったよ。仕方ねぇなー。褒美をつかわす、申せ」
「はい、苔色ハウスに帰るまで、手を繋ぎたいです!」
「ふーん? なんだ、意外と謙虚なんだな。いや待てよ。時間が長い分、強欲とも言えるな……まぁいっか」
おてて繋いでお家に帰るなんて、まるで子供みたいだなと思った。
しかし、クロルが手を繋ごうとすると、どういうわけか、彼女はスルリと逃げる。『ん?』と思って掴もうとすると、またスルリ。
「なんの遊び?」
「変更しまぁす」
「は?」
「キスを所望します」
「はぁ?」
「だって、手を繋ぐのは『謙虚』なんでしょ? だったら、もうちょっと食い込めるかなぁって~♪」
「……さすが泥棒」
こういうところが悪女っぽい。いや、でも時間対効果で言えば、手を繋いで帰るよりも、キスの方がはるかに楽チンだ。サイテーだ、こういうところがプロクズっぽい。
「まぁ、軽めのやつなら許容範囲か」
「あ、失言ゲット。重めのやつでお願いします~」
「……おい?」
「だって、軽めのやつはクロルの許せる内側なんでしょ? 許せないところのギリギリ外側が欲しいもん。じりじり広げていくの~」
「なるほど……発想が『The ソワール』って感じだな」
「ふふっ。驚くかもしれないけど、実はね、私ソワールなの~」
「それはまじで驚いた」
あぁ、水の流れが速いなぁ。もう何も言わずに、流れに身を任せた方がいいのかもしれない、なんてクロルは思いはじめる。久しぶりにショートケーキなんか食べたせいかもしれない。胃のあたりがきゅうっとする。
でも、クロルはプロの女たらし。実際のところ、キスなんかで失うものは何もない。
それでも一応、釘という名の深いため息をついてから、美しい顎先で『こっち来い』を発動。橋の上でキスをぶちかますには、いろんな音が聞こえるし、老若男女の視線が気になるからだ。
東から西へ。橋を渡って路地裏に彼女を連れ込めば、川の音が遠のく。
ロマンチックの欠片もない路地裏だけど、逆にこういう路地裏の方がいいのかもなんて思う。
ふと隣を見ると、彼女はぎゅっと目を閉じてスタンバイしていた。ぐいぐい女は、やる気満々だ。ちょっと引く。
そこは放置プレイヤーのクロル。しばらくの間、放置してみると、「クロル?」と不思議そうに目を開ける彼女。クロルは軽く笑ってから、彼女の目元を美しい指でなぞる。
「目は閉じるな。覚えとけ」
見つめ合ったまま、少しずつ近付く距離。茶色の瞳同士は、カチリと合ったまま。彼女の視界を占領して、ちゅっと軽くキスをした。
こんな軽いキスだけで、ぶわっと耳まで赤くして、彼女は恋する顔になる。
「赤……この前から何なんだよ。ちょろすぎてイライラするんだけど」
「うぅ、好き、大好き。ね、もっとして?」
「うるせぇ、黙ってろ」
「(怖)」
美形の眼光が鋭すぎる。こんな恐怖まみれのご褒美キスとか大丈夫だろうか。画素数を落とさないと耐えきれない。
でも、彼女は耐えちゃう娘。そんなのおかまいなしに、どんどん熱を上げて好き好き言ってくる。本当に黙ってほしかったクロルは、また軽いキスをする。
下手くそな彼女の唇は、緊張でガチガチに固い。そうやって何回かついばむような短いキスを繰り返していけば、言葉をなくした代わりに、柔らかくなる苺色の唇。
そこはやっぱりクロル・ロージュ。それをサインにグイッと角度を変えれば、軽いものは一瞬で重くなる。ちょっと信じられないくらいにスキルがすごいな。レヴェイユは、もうとろんとろんのでろでろだった。
―― 甘い
残り香が悪かった。まるでショートケーキを食べているみたいだ。ついつい、さっきのケーキを思い出す。
恋は、甘いのに酸っぱくて。誰かさんは、ふわふわなのにしっかりしていて。彼は、軽そうに見えて、実は重い。
ホント、食べる前に思っていたことと、食べた後に思うことって全然違う。一口頬張って一回噛むごとに、より美味しくなる。
こんな美味しいものに口をつけるのは初めてだったから、一つ一つ、一口一口を大切にした。この甘さを、一生忘れないように。
満腹にはならないのに、不思議と満たされる。満たされるのに、もの足りない。最後の一口を食べるのがもったいないほどに、美味しい苺だった。
もちろん、さっきのカフェでの感想を思い出しただけだ。
「……ん、クロル……好き」
「もう満足した?」
「もうちょっと、だめ?」
「強欲なやつ」
でも、本当に『もうちょっと』だけだった。息が続かない下手な彼女のために、少しインターバル。下らない雑談をしながら、そこかしこにキスをして、それじゃあインターバルは終わりだねと、重めのキスに戻ろうとしたところで、ぽつりと雨が降り出してしまったからだ。
ぽつん、ぽつり、しとしと。
元々、くもり空。恵みの雨なのか、水を差されたのか、果たしてどちらかな。
「すげぇ降ってきた」
「そんなぁ、お天気の神様のばか~。……決めたわ! 私、絶対に帰らない! 大雨なんてへっちゃらよ~」
「バカはお前だ。ムダな決意してないで早く帰るぞ、ほら」
「やだ、もっとちゅーしたい~。ね、もっとぉ」
「……え、そんなに? がっつきすぎじゃね? 性欲強すぎて引くんだけど」
「がーーん!」
結局、帰りたがらない彼女の手を引っ張って、走って帰った。




