70話 いい子でお留守番
冒頭で否定しておこう。ヒロインの好きな人が、ころころ変わるわけない。いくらチョロイユだからって、コロリといくわけもない。
二階の部屋に飛び込んだレヴェイユは、やっぱりベッドにダイブ! バタバタバタと足をばたつかせて、枕の隙間から「ふふふ」と気持ち悪い声をこぼす。
―― レーヴェ! レーヴェって言ってたぁ~。クロルのレーヴェ……大好きぃ……
彼女の顔が赤かったのは他でもない。愛しのクロルに『レーヴェ』と呼ばれたからだ。
三か月ほど前に封印された愛称呼び。ビジネスプレイボーイのクロルにとっては、名前の呼び方なんて心底どうでもいいし、興味もない。
先ほどの愛称呼びについては、急を要するときに長い呼称で呼ぶのが手間だったから、手早く呼んだだけ。愛称ではなく略称だ。綴ってみると悲しすぎるワード、略称。
それでも、恋する泥棒にとっては大きな一歩。
彼の心の扉を『開けてくださーい!』とノックし続けてきた三か月。やっと『ぁあ? うるせぇよ』と返事をもらえたのだ。イマジナリークロルでさえ冷たい返事だが、分厚い扉の向こう側に、確かに彼はいるのだ。
とは言え、レヴェイユは浮かれ泥棒ではいられなかった。先ほどのエタンスの依頼、彼女は本を積み重ねながらも、耳ダンボで聞いていたのだ。
「よく聞こえなかったけど、イイ子ちゃんのために、パールのブローチを取り返す的な内容だった気がするわ……」
奇跡的に合っていた。レヴェイユが本を積み重ねていたのは他でもない。『イイ子ちゃんのご令嬢』というパワーワードに嫉妬したからだ。
レヴェイユを形容する言葉に『イイ子』なんてものが使われることは、彼女の人生においてあるわけない。無いものねだりだと分かっていても、後悔が喉に詰まって苦しい。
「悪女嫌いで騎士団最強の女たらしだもん。クロルもイイ子ちゃんの方が好きよね……恋人同士になったりするのかなぁ」
好きな人に対して、そんな形容詞をチョイスして大丈夫だろうか。一言一句違わずに、現実が見えている。きっと誰かに吹き込まれたに違いない。
レヴェイユは、クロルと子爵令嬢の交際を脳内で進めてみた。クロルが本当に善き人間かどうかはさておき、犯罪者ではない者同士が出会って、なんかいい感じになって……えーっと……善き人間のデートを……あ、あれ? ぼんやりとかすむ。
「……イイ子ちゃんって、どういう感じなのかしら」
そう。レヴェイユは、善き人間という生き物をよく分かっていなかった。アレコレ考えるも、いまいちピンと来ない。人を脅すこと、人の物を盗ること、嘘をつくこと。やっちゃいけないことは少しずつ覚えているけれど、イイ子には程遠い。さっきは、エタンスに嘘をついてしまったし。
『私もイイ子ちゃんになって、クロルに誉められたいよ~』と考え込んでいると、そこでピンとひらめいてしまった。
「そっか、物じゃないんだもの。そのまま盗めばいいんだ~」
やっぱり彼女は根っからの悪人。『これは善い』とか『これは悪い』とか、いちいち覚えるよりも、お手本を観察して盗み取り、模倣して生きる方が手っ取り早いと思ったのだ。それでこそソワールだ。
「真似っこソワール~。イイ子ちゃんをソワってみせるわ」
誘拐でもしかねない勢いだ。勝手に獲物にされている令嬢が可哀想。
その翌日。早速、子爵令嬢とのファーストコンタクトということで、苔色アジトには正義の青色を着た偽物の騎士が二人いた。小難しいことに、その片方は偽物のフリをした本物なわけだが。
「すげぇな。これ本物の騎士服?」
「模倣品だ。ふむ、なかなか様になっている。これならば見破られないだろう」
「じゃあ、行ってくる」
クロルとエタンスは、騎士服に身を包み出発しようとする。
「はりきって参りますわ!」
当然、子爵令嬢の窃盗を控えたレヴェイユも同行するつもりだった。悪女を感じさせない様子で、ゆるりんふわりんとドレスの端を揺らす。
それを見て、クロルは美しい茶髪を揺らしながら首を傾げた。
「おいおい。今回、俺は騎士。ご令嬢は、連れていけないんだけど?」
「え?」
「ははは、可愛いね」
「そ、そんなぁ~!」
「トリとイイ子でお留守番してろよ」
十八歳以上でなければ入団不可の騎士団だ。十六歳設定の核弾頭トリズもお留守番。偽騎士やりたかったのにね、無念……。
「クロルさん、いってら~」
「おー、いってきまーす」
バタンと玄関が閉まり、レヴェイユは絶望した。
動きやすいドレスと久しぶりの化粧がやたら重くて、よろよろふらふらと床にしゃがみ込む。
「……ソワールちゃん、ダイジョブ? なんで絶望スタイル? 気になってたんだけど、今日は化粧詐欺がすごいね。人相違うよ、あはは」
辛辣なトリズに尋ねられ、レヴェイユはするりと話してしまう。
「私、イイ子ちゃん令嬢がどんな人か知りたくて。一緒に行くものだと思って、おめかししました」
「そんなこと知ってどうするの?」
「イイ子ちゃんになって、クロルに好かれたいんです」
「あれ? 乗り換えたんじゃないんだ? エタンスのこと、ちょっと意識してたよね」
「いしき?」
「ほら、昨日、顔を真っ赤にして二階にエスケープしてたでしょ~?」
「あれは……ふふっ! クロルが愛称で呼んでくれたのが嬉しくて。きゅんとしました~」
「なんだ、そういうことかぁ」
トリズは、ちょっと残念に思いつつも、胸をなで下ろした。
残念に思ったのは、あのいけ好かない美形野郎に『女を取られた』という体験をさせる、痛快ざまぁを期待していたからだ。性格が悪い。
でも、トリズの真の目的はドジ彼女との婚姻なわけで、クロルがソワールの手綱を手放した時点で、作戦はすべておじゃん。手綱がこちらにあることが確認できて、胸をなで下ろしたというわけだ。
「相変わらずクロルが大好きなんだね~。エタンスは残念だったね、あはは!」
昨日、レヴェイユが二階にエスケープした後、彼女の赤い顔を見て勘違いしたエタンスは、銀縁眼鏡を光らせ、「結構可愛いじゃないか、タイプだ」と、クロルにドヤァを決めていたのだ。真実を知っていると居たたまれない。エタンスに幸あれ。
「まぁ、いい子にお留守番してよっか……って、あれ?」
トリズが振り向くと、そこにレヴェイユはいなかった。バタンと玄関が閉まる音。きっとクロルを追いかけたのだろう。トリズを出し抜くとは、さすがソワール。
「あちゃ~」
野生のソワールが、街中に放たれるという緊急事態発生。トリズはニコリと笑みを深めて、玄関を開けた。




