68話 嘘つきはソワールのはじまり
翌日。グランドは、隠れ家で赤い瞳をひんむいていた。
「ソワールが騎士団と司法取引をしたと!? ノゥウェイ! これは由々しき事態だ」
「はぁ……これはノゥウェイな事態なのでしょうか?」
「エタンス、察しが悪いぞ? 騎士団がソワールを駒にしたということだ。なぜ、そんなことをしたのか」
「まさか」
「正解だ。盗賊団サブリエの征討。引いては、私の首を取るつもりであろう」
実際のところ、ニッコリ極刑とケンカ別れと後追い心中の三点セットを回避するためだ。第五チームは不真面目だった。
真面目でせっかちなグランドは、テーブルをトントンと指で叩く。ワインボトルの水面に波紋が広がった。
「エタンス。女はいるか?」
「いえ、残念ながら恋人はいません。タイプは、おっとり天然系でスタイルが良い、」
「馬鹿者! 近くに、生物学上の女はいるかと聞いておるのだ。ソワールが化けているような、女だ」
「失礼しました。サブリエに五名ほど女がいますが、長く籍を置いているためソワールではありません」
「しばらく女は雇い入れるな。まぎれこむ可能性を考慮せよ」
「はい。ですが……」
「なんだ? 申してみよ」
エタンスは、首を傾げながら進言する。
「あのソワールですよ? 悪女と名高いソワールが、騎士団に誠意を尽くすでしょうか? 従順なフリをして逃亡するのが普通では」
「ふむ。一理ある」
グランドは、これまでのエピソードを思い出しながら「確かに」と頷いた。
「……かねてより不可思議に思っていた。ソワールは、なぜ我らの邪魔をしていたのだろうか」
「わかりません。『楽しそうに茶化してくる』と聞いたことはありますが」
「我らで遊んでいたと? はっはっ!」
正解だ。おちょくりたかっただけだ。
「相当、悪い女だ。正義の青を着せられて、三か月か……退屈になる頃かもしれぬ」
そう言って、グランドは書類を片付け始める。
「エタンス、近付いてくる女がいたら報告せよ」
「はい。かしこまりました。万が一、ソワールを見つけた場合は?」
「仲間に引き込むことが出来れば御の字。改心して騎士団に仕えているのであれば……正義の盗人など邪魔であろう。始末する」
グランドの赤い瞳が楽しそうに揺れていた。うん、やばい。
◇◇◇
そんな不穏な空気とは相反して、苔色のアジトには和やかな時間が流れていた。
時計をいじっているクロルの姿を、レヴェイユはじーっと見つめていた。エタンスを通して、グランドが修理を依頼してきた懐中時計だ。
―― はぁ、かっこいい。好き……
彼の美しい指先の軌跡を目で追う。その指先は、器用にピンセットを開いて閉じて、大切そうに小さな部品をつまみ上げる。
消耗品は交換したり、まだ使える部品は綺麗に磨いて油を差して。パズルのように、少しずつ組み上げられていく。
丁寧に優しく根気良く、そして愛おしそうに。
潜入騎士クロル・ロージュとは違った、彼自身が持つ空気感。レヴェイユの心は釘付けになった。
そんな空気を吸い込むたびに、ついつい彼の方に吸い寄せられてしまう彼女。ジリジリと近付く二人の距離。
でも、それもここまで。パーソナルスペースを越えた辺りで、おでこをぐいっと押し戻されてしまった。
「近い。離れろ。距離感バグってる」
線引きがお上手なことで。相変わらずの辛辣な言葉に、彼に恋するレヴェイユは胸がズキンと痛む。
「うぅ、ごめんなさい……」
レヴェイユがしゅんとしながらクロルを見ると、彼は泣き黒子を少しだけ上げて満足そうにしていた。
―― なんでそんな楽しそうな顔なの~。ものすごい嫌われよう……
クロルは、いつもこうだった。いつもいつも、こうなのだ。
レヴェイユが傷つけば傷つくほど、彼は楽しそうな瞳で見て返すだけ。よほどソワールが憎らしいのだろう。それを突き付けられるたびに、彼女の心は雨模様。
―― けど……意地悪でもかっこいい。顔が良いって罪! 大好き!
それでも、彼女は一途な泥棒だ。罪と後悔を抱えていても、めげずに彼に近付きたい。そばにいられるだけで幸せ。あと、相変わらず美顔にやられていた。彼女もいつもこうなのだ。
レヴェイユはおでこをさすりながら、元の位置に身体と心を戻した。
「見てるの楽しいんだもの。クロルの手、すっごく好き」
「あっそ」
「触ってもいい?」
「イヤだ」
「残念~。それにしても、時計修理の腕は鈍ってないのね~」
「あー……寮でも時計いじってるから」
「そうなの!? 見たい~。お隣さんだし、お邪魔してもいい?」
「は? 無理」
『お前を部屋に入れるわけないだろ』と言わんばかりのお断り具合。悪いレヴェイユは、『今度、忍び込んじゃおうかなぁ』なんて低劣なことを考えながら、懐中時計を眺める。
「ネジなんて小さすぎて驚いちゃう。難しそう」
レヴェイユが指を動かしてピンセットでつまむ真似っこをしていると、彼はフラットな声で「やってみるか?」と言った。
「……私? やっていいの?」
「そっちに置いてある部品なら触っていいけど」
クロルが顎で指した先には、緑色のハンカチの上に、小さな部品とピンセットが置かれていた。大切な道具を触らせてくれるだなんて、彼に大きく近付いた気がして、テンションは急上昇!
「わぁ、やってみたい!」
早速、緑色のハンカチと向かい合う。「世界一、尊いピンセットね」なんて言いながら、普通のピンセットを持ってみる。
これでも彼女は超一流の泥棒だ。細かい作業なんてお茶の子さいさいよ、なんて思う気持ちもあったりした。
「よぉし、この小さなネジをつまんで……あら?」
つかみ方が悪かった。ネジはスルリと逃げていく。
「……あ、あれ? むぅ……」
まるで誰かさんみたい。近付いても、クルリスルリと逃げていく。全長二ミリもない小さなネジ。もっと大きければいいのに……なんて思うかもしれないが、全長一八〇センチあっても掴めないものもあるわけで。
「ぇえーい! ……あ」
挙げ句の果てに、無理やり掴もうとしたら、ネジはピンッと跳ねて飛んでいった。なるほど、無理やり手に入れようとすると、こうなるわけだ。
―― あ、無くなっちゃった
執着心のないレヴェイユは、焦ることもなくネジにさよならを告げた。ばいばい、ネジくん。
すると、クロルは「あ、そうだ」と言って、少し邪魔そうに前髪を手の甲でどかしながら続けた。どの角度から見ても美しい男だな。
「なぁに?」
「そこに置いてある部品は必要なやつだから、遊び半分で触るなよ? 無くしたら許さない。処すから」
「……ハァイ、ワカリマシタァ……」
絶望した。彼に処されるのはウェルカムだけど、彼に嫌われたくなかった。命よりも愛が重い女だった。
レヴェイユはソロソロと目だけを動かして机の上を探るがネジはどこにもない。ヤツは床に落ちたのだろう。
またもやソロソロと目を動かしてクロルを見ると、作業に没頭している様子。今のうちに見つけるしかないと、かがんで床を見る。しかし、ヤツは見当たらない。
―― 隙間に入ったのかしら
いつになく焦る。ネジを一つ失っただけで、三か月ほど積み上げてきた、なけなしの信頼を失うわけにはいかない。
ヤツの全長は二ミリもなかった。ちゃんと爪を切るタイプの人間の、爪の先くらいのサイズ感だ。
ほっぺたを床にぐいっと付けて、家具の隙間を見る。無い! もしかしたら遠くに飛んでいっちゃったのかもと思って、ほっぺたを床につけながらズリズリと移動した。床がひんやり。見つからない。
「どこかしら~?」
「お前、なにやってんの?」
「え?」
そうしてズリズリすること数分。気付けば、クロルが作業している机の真下に入り込んでいた。うっかりレヴェイユだ。ぬるい沈黙と共に、背中に汗が流れた。
「ナンデモナイヨ! ぇえーっと、今日も暑いわね~」
「へーー?」
「なんか逆に寒くなってきたかも~」
見下ろされているからだろうか、いつもよりも視線が美しくて冷たかった。
―― 冷ややかな視線、カッコイイ! ……あら、冷ややか。もしかしてバレてる……?
ネジを無くしたことなど、クロルはお見通しなのだろう。これはある種の確認テスト。彼女は嘘をついてごまかしてしまったので、超落第だ。またもや、悪いことをしてしまったらしい。
善悪とかいう謎の概念を会得したいレヴェイユは、床に頬ずりしたまま土下座をする。悪いことをしたら謝るという文化は知っていた。
「……ネジ、なくしました。ごめんなさい……ぐすん」
「知ってる。飛ばしてるとこ見てたし」
「え、見てたの?」
見ていた癖に『処す』とかプレッシャーかけてたわけだ、ひどい男だ。パワハラじゃないか!
パワハラの被害者であるレヴェイユは、それでも土下座?を続けた。土下座というか、意気消沈スタイルだ。ネジ一つで、彼の信頼と自分の命を失うことになったわけだ。なんと重いネジだろうか。
クロルは、何も言ってはくれなかった。長い脚を組んでテーブルに頬杖をつきながら、彼女の土下座を眺めていた。こんな絵面のヒーローとヒロインでいいのだろうか。とてもロマンチックだ。
そこで苔色アジトの玄関ドアがキィッと音を立てて開く。よくぞ水を差してくれた!
「なにやってんの~? 土下座プレイ?」
何やら買い物袋を抱えて帰ってきたトリズ。土下座という非日常的絵面を見ても、「そのプレイは未経験だな~。今度やってみよ!」なんてニコニコしていた。やるのかやられるのか気になるが、とにかく剛の者だらけだ。
「私が部品のネジを落としてしまって、ぐすん……」
「あらら~、やっちゃったね」
「さようなら現世です、ぐすん」
レヴェイユが床にめり込むくらいに土下座プレイを続けていると、クロルにつむじをぐいっと押される。より一層、床にめり込んだ。
「……ふは、くっ……あー、もう無理! ははっ! ホントは、そのネジ捨てるやつだからどうでもいい。はー、騙されてやんの。笑うわー」
「え!?」
レヴェイユが勢いよく顔を上げると、そこには上がりに上がった泣き黒子が輝いていた。一番星かな。
「馬鹿なやつ」
「ぇえ~!?」
本気で絶望していたのに、と安堵交じりの半泣きで彼をにらむ。クロルはそれはもう悪い笑顔で、もう一度レヴェイユのつむじをグイッと押してきた。その悪い男っぷりに、彼女の胸がきゅんと鳴る。重症だ。
「土下座プレイでイチャイチャしてるとこ悪いんだけど、僕の話してもいいかな~?」
「イチャイチャしてねぇよ。ヒマすぎてこいつで遊んでるだけ」
「なるほど、もてあそんでたんだね!」
「『もて』じゃなくて、遊んだだけ。で、トリズの話ってなに?」
「その前に、懐中時計の修理はどうなった~?」
「完了」
クロルはニコッと笑って懐中時計を見せ付ける。レヴェイユがネジを探している間に、修理は完了していたらしい。コチコチカチカチと針が健気に進んでいた。
「さっすが時計屋の孫息子、やるぅ~! じゃあ、この仕事も引き受けられるね」
トリズは何通か郵便を持っていた。服屋のチラシとかグランド商会のカタログとか、そういうのにまぎれて手紙が一通。この二週間、何回か送られてきた便箋だ。
クロルは、やる気満々のにんまり顔。
「エタンスからの熱烈ラブレターだよ。訳あり案件が発生した模様。盗賊団アンテに依頼したいってさ~♪」
「よし、サンドイッチ作戦。第二ラウンド開始だな」




