63話 苔色に苺
計画当初、レヴェイユは盗賊役を担う予定だった。
相方の盗賊役を誰にするかで熾烈な争いが勃発していたわけだが、『ところで、レイン姉の正体がソワールだと気付かれた場合、我々はどうなるんだろうか』というデュールの素朴な一言で、レヴェイユは盗賊役から下ろされた。
ソワールが処刑されていないどころか、司法取引をして騎士になったことは、騎士団本部内では有名な話だ。いつしか事実は広まり、グランドの耳にも入ることだろう。
そうなった時に『腕の良い女盗賊』がいたならば、それがソワールであると気づかれる。瞬間、作戦失敗だ。
というわけで、伯爵令嬢だなんて、泥棒からかけ離れた役柄が割り当てられたというわけだ。
そんな事情を乗せた馬車は、苔色の時計店に到着した。エタンスを見送った後、三人は店の中に入って「ふーーっ」と息を吐く。
息を吐き切る直前、クロルはトリズに殴られた。バシッと小気味良い音が、苔色の屋根に反響する。
「いってぇ、なんだよ」
「いやいやいや、クロル! 三分で金庫を開ける人間なんている~!? 驚きすぎてエタンスの目玉が飛び出てたよ! 打合せでは二十分以上かけるって話だったでしょ」
「弁明あり。だってさー、エタンスのやつ廊下に出ようとしてただろ? あのときレヴェイユ、どこにいた?」
「廊下の扉の前でぼーっとしてましたわ、おほほ」
「だろ? あのままエタンスを廊下に出してたら鉢合わせじゃん」
「あのね、この子はソワールだよ? 鉢合わせたって……あ~、エタンスに殴られそうになったら、うっかり避けちゃって、殴り返しちゃったり?」
「そう。貴族令嬢と盗賊が大乱闘。ありえねぇだろ」
「あら、心外~。殴り飛ばされて気絶するフリくらいできるのにぃ」
「どうだか」
というわけで、クロルがベランダの鍵を十秒で開けられたのも、金庫を三分で開けられたのも、その全てはソワールことレヴェイユがナイトドレス姿で優雅に忍び込み、十分前には鍵も金庫も解錠してくれたからだった。クロルはカチャカチャと開ける真似をしただけ。
「……俺さ、思ったんだけど」
クロルは、じろりとトリズを見る。
「レヴェイユが事前に忍び込んで解錠しまくってくれるなら、手先の器用さで盗賊役を選ぶ必要もなければ、三か月もかけて特訓しなくても良かったんじゃね?」
「あっはは~。何事も経験経験! きっと役立つときがくるって~」
何かを誤魔化すように、先輩トリズがバシバシ背中を叩くので、クロルはゲホゲホと咳が止まらなかった。
「ゲホゲホ。まあ、とにかく第二段階もクリアだな」
「なんかドキドキするね。ふふっ」
「のんきなやつ。はー、疲れた。風呂入って寝ようぜ」
クロルが伸びをすると、イタズラ大好きトリズが「どういう組み合わせで寝る?」と。
「は? 部屋は三つあるだろ」
「ベッドは二台だよ~?」
「そういや、そうだった。ったく、なんでだよ」
「だって、盗賊団は二人なのに、ベッドが三台あったらおかしいでしょ~」
「そこのリアリティいる?」
「いる。エタンスが中に入って、部屋を見て回ったらどう説明するつもりだったの?」
「たしかに」
「じゃあ、恋人同士(仮)のソワールちゃんとクロルが一緒ね! 僕と一緒だと、愛しの彼女がヤキモチ妬いちゃうから~」
「え!」
レヴェイユは、期待するようにポッと頬を染める。ずいぶんと欲がダダ漏れな頬だ。慎め、頬。
「馬鹿か。レヴェイユがリビングのソファ。俺が二階のベッド」
「そこはソワールちゃんに譲らないんだ?」
「今は任務中。新入りは先輩を敬うべき」
「僕、クロルに敬われたことな~い」
「ふふっ。はいはい、クロル先輩の仰せのままにいたします。寝る場所なんてどこでもいいもの~」
そう言ってレヴェイユはにこにこ笑いながら、リビングのソファにクッションを置きはじめる。蒸し暑い夏だ、薄手のブランケットが置いてあったのでそれを掛け布団にするつもりなのだろう、ピンと伸ばして準備万端。
「じゃあ、一番先輩の僕からお風呂に入ろうかな~」
「敬ってやる。お先にどうぞ」
「どーぞ、ごゆっくり」
トリズは「あはは!」と笑いながら浴室に向かっていった。
クロルも寝支度を整えようと二階に行こうとしたら、レヴェイユのナイトドレスが派手に濡れていることに気付く。
「服、濡れてるけど」
「あぁ、これね。廊下で果実水をこぼしたときに濡れちゃったの」
「そういや女物の着替えはなかったな」
「そうなのよね~。伯爵家のクローゼットから拝借したかったけど、それは『悪いこと』みたいだから手ぶらで来ちゃった」
拝借したならば立派な窃盗だ。ちなみに置き手紙は、置いたフリして破棄済みだ。
「また着替えなしの生活に逆戻りね~」
「普段の行いが悪いと着替えのない生活を強いられることになるんだな……俺は清く正しく生きることにしよう。犯罪などに手を染めず」
「うぅ、すぐそういうこと言うー! 優しくない~(でも、それも好き、きゅん)」
「……ダダ漏れだな……」
あれ? そう言えば、宿屋『時の輪転』にクロルが潜入した当初、彼も着替えがなかったような。なるほど、普段の行いということか。
「そういや、昨日、グランド商会のカタログがポストに入ってたな。そこから選んで注文すればー?」
「む~、他の商会から買います~」
「賢明。今日はトリズに貸してもらって」
「……はぁい」
『クロルは貸してくれないの?』と彼女の目が訴えていたので、「絶対イヤだ」と強く拒否しておいた。
それでもへこたれないレヴェイユは、ずいずいっと今日もかすめ盗る。
「ねぇねぇ、今日の令嬢役どうだったかな?」
「あー……なかなか様になってた。さすが令嬢のフリして忍び込んでただけのことはあるよな」
「何事も経験よね。伯爵令嬢へのご褒美はございますかしら?」
「……お前、ホントなんなの? さっきキスしてやったの忘れた?」
すると、レヴェイユはポッと頬を染めて「ふふふ」と笑いをこぼし始める。
「もー! クロル好き好き大好き~! まさか本当にしてくれると思わなかった~。打ち合わせにはなかったからびっくり! 『愛してる』って言ってくれたの、うれしかった」
「うるさっ。声でか……」
「今夜は眠れないかも~。私も愛してる!」
「『私も』ってなんだよ。第五の格言、忘れた?」
「格言? あったようなそんなような~?」
クロルは、彼女の頭を軽く小突いて叩き込む。
「潜入騎士の『愛してる』には裏がある。頭に叩き込んどけって言ったはずだけど」
「え~、演技だとは思えないキスだったのに?」
「お前はもっと演技をしろ。伯爵令嬢とは思えないちょろさで、本音がダダ漏れ。それを見て不安を感じた俺の英断だ。忘れろ」
「ふふっ、一生、忘れられない。味をしめてしまいました」
ちょんと唇に人差し指を当てて、おねだりポーズを決めてくるレヴェイユ。当然、クロルは草も枯れるほど乾いた目で返す。
「欲張りすぎ」
「初任務、がんばったのにぃ。じゃあ、こっちにおやすみのキス、プリーズ?」
彼女がクスクスと茶化しながら右頬を差し出すものだから、クロルは軽く微笑んで彼女の右頬に顔を近付けた。
まさか本当にしてもらえるとは思っていなかったのだろう。彼女はドキンと音を立てて、身体を固めていた。
ザーザーと、小さく聞こえるシャワーの音。近づく彼女の頬と、彼の唇。
彼女からドキドキとウキウキのアンサンブルが聞こえてきたところで、『ここにキスするよ』と告げるように、桃色に染まった頬を手の甲でゆっくりと撫でる。そうすると、彼女の頬は赤色に変わっていく。
クロルはそこで手の平をクルリと返して、思いっきり頬をつねってあげた。
「バーカ、締まりのない頬すんな」
「ひゃひひゅるひょ~?」
「犯罪者が調子のんな。おやすみのキスなんてするわけねぇだろ。一生寝るな、ねぼすけ女」
「ひゃーーん!」
こうして、苔色アジトにメンバー追加。恋愛の方はこんな状態だが、仕事の方はサクサク進行中ということで。




