62話 盗人の『愛してる』
エタンスは瞬時に状況を理解した。彼女は、この屋敷の御令嬢なのだろう。上質なナイトドレスに薄手のストールを羽織って果実水を持っていた。夜中に喉が渇いて起きてしまい、金庫室の異変に気付いた様子。身を固くして震えていた。
エタンスが『叫ばれたらまずい』と思ったところで間一髪。
「きゃ……むぐ」
クロルが令嬢の口を手で塞ぎ、そのまま金庫室に引きずり込んでくれた。
すぐさまトリが廊下に転がったガラス瓶を拾って、金庫室のドアを静かに閉める。廊下が絨毯で良かった、瓶は割れずに済んだのだから。
「んーんー!」
令嬢はジタバタと抵抗するが、クロルは構わず押さえつけていた。
エタンスが「どうする?」と聞くと、クロルは早口で「何とかする」と言う。ふーっと息を整えたかと思ったら、彼は帽子を取ってしまった。
「おい、顔がバレるぞ!?」
思わず制止すると、クロルは「いいから黙って」と指一本で制止し返してくるではないか。その美しい指先には、輝くプラチナリングが。令嬢はそれを目でとらえたようだった。
「素敵なお嬢さん、こんばんは。手荒な真似はしたくない。君の安全は保障するから、まずは話をしよう?」
クロルがニコッと笑うと、泣き黒子がキュッとあがる。不思議なことに、令嬢はバタつかせていた手足をしずめて、こくりと頷いていた。
「大きな声を出さないと誓える?」
「(こくり)」
「可愛いね。口元の手をどけるよ。いいね?」
「(こくり)」
「ありがとう」
エタンスはここでも驚いた。クロルが手をどけてみれば、そこには頬を赤く染める令嬢の顔があったからだ。そのキラッキラの瞳には、『とんでもない美形ですわね!』と刻まれていた。
そこでエタンスは気付く。この男、美顔で黙らせる気か! 泥棒だけじゃない、こっちの手腕もすごいのかと。大正解だ、むしろ本業だ。
「お嬢さん、俺たちは少し事情があって屋敷にお邪魔しているだけだ。悪い男に見えるかもしれないけど、割と紳士な方だと自負している」
紳士が泥棒などするわけもないが、クロルマジックによってステキな紳士に見えてくる。令嬢は声を出さずに、クロルの指先にあるプラチナリングを指差す。
「そう、これが狙い。優しくて可憐な君に、一つお願いがある。もし良ければ、このまま見逃してくれないかな?」
その甘く囁く声に、令嬢はこくこくと頷きながらも指をそろえて挙手をした。『声を出してもよろしいかしら?』という確認なのだろう。
クロルは「可愛らしい声なら構わないよ」と優しく許した。いちいちチャラい。
「あの、お名前をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「名前? えっと……俺の?」
「はい、素敵な方だと思いまして。あの、その……」
ポポポと音が聞こえてきそうな程に、彼女の顔は真っ赤だった。
後ろで様子を見ていたエタンスは、どえらく驚いた。驚愕で眼鏡も曇る。このクロルという男、にっちもさっちもいかないヘビーな状況だというのに、貴族令嬢を秒で落としたのか! なんというモテ力! ちょっと憎らしいんですけど。
「あー……ありがと。残念だけど、ごめんね」
クロルは令嬢の手をぎゅっと握って、手の甲にキスを落とした。紳士なら誰でもやるやつだ。
しかし、やたら甘いリップ音に令嬢の瞳はもうとろんとろん。そんなサービスをされてしまっては、夢見る乙女の貴族令嬢は食い下がるに決まっている。
出会いは真夜中の金庫室。ミステリアスな泥棒とのめくるめく、ひと夏の恋。初恋は泥棒に盗まれましたなんて、まるでロマンス小説みたいじゃないか!
「あの! 私を盗んで下さいませんか!?」
「はぁ?」
さすがのクロルも驚いたのだろう、眉を寄せて『何言ってんだこの女』という表情。
「あのさ、お嬢さん。申し訳ないけど、誘拐は守備範囲じゃないんだ」
「話だけでも聞いてくださいませ、ルパン様!」
「ははは、誰がルパンだよ」
「私、困ってますの。お父様に政略結婚を申しつけられてしまって」
「急に身の上話が始まったな」
令嬢はぐいぐい系の女だった。長引きそうな様子に、エタンスは眼鏡をかけ直して「構うな、行くぞ」と告げた。クロルたちも、それに合わせて立ち上がる。
しかし、金庫室の扉を開けようと取っ手を掴んだところでピタリと手が止まった。令嬢がエタンス的パワーワードを放ったからだ。
「お父様ったら、近いうちに婚約をして秋の園遊会に出席しろと仰るんですの」
「秋の園遊会だと……?」
エタンスの手が止まるのも無理はない。王城主催の秋の園遊会の招待客と言えば、首領グランドの欲するもの。
「そこの女。秋の園遊会に招待されているのか!?」
「きゃっ! 怖い……」
令嬢は身体を震わせ、怯えるようにクロルの背中に隠れてしまった。 エタンスはちょっと傷ついた。
「おいおい、凄むなよ」
「ふ~ん? おい、メガネ野郎。秋の園遊会に何かあんのかよ?」
二人は庇うように令嬢の周りを囲む。まるでエタンスだけが悪者みたいじゃないか! こいつらだって泥棒なのに! ちょっと可哀想なエタンス。
銀縁眼鏡に不満の色を映しながらも、とりあえず「まぁな」と言葉を濁しておいた。
しかし、盗賊クロルは茶色の瞳を少しだけ細めて、「へぇ?」と呟く。先ほどまでは紳士的距離を空けていたくせに、前髪をさらりと整えたかと思ったら、半歩近付いて令嬢の細い肩に優しく触れる。イヤな男だ。
「お宝はプラチナリングだけじゃなかったってわけか、驚いたなぁ。で、お嬢さんは本当に招待客なの? 教えてほしい」
「は、はい。先日、幸運の招待状を頂きましたの」
秋の園遊会は王城主催だ。招待客は、伯爵家以上の家格の中から王城が抽選で決めるというシステム。不正も忖度もなしの完全抽選だ。まさに『幸運の招待状』。
さらに! 王族専用のロイヤルガーデンが会場であるため、そんじょそこらの夜会とは警戒レベルが全く異なる。偽造招待状で入ろうとしても無駄。
しかし、抜け道が一つだけある。招待客が一人だけ連れてくることができるパートナー。これは、誰を選ぼうが自由なのだ。それこそ平民でも貴族でも、泥棒でも誰でも。
しかし、これは高位貴族の集いだ。大抵は配偶者や婚約者、血縁関係者がパートナーに収まってしまう。
エタンスは少しだけ思ってしまった。『幸運の招待状を持っていて、パートナーが未定の人物。グランド様がお喜びになるに違いない』と。
そんなことを思ってしまっては、すぐに潜り込まれてしまう。潜入騎士は、どんな隙間にだって入ってしまえるのだから。
「なぁ、どうする? 欲しいけど盗めないものがあれば、依頼を受けるけど?」
クロルの嘲笑うような表情。この女をたらし込んで言うことを聞くように仕向けようか、と提案されているのだ。秒で落としたのだから、それくらい軽々やってくれるだろう。大正解だ、それが本業だ。
エタンスは迷った。グランドにお伺いを立てずに勝手に判断をして良いものか。しかし、クロルが女を無碍に突き放したならば、二度とお目にかかれないだろう。
グランドのアンテ王女への情熱を思い返して、危ない橋でも渡ろうと決意した。彼のグランドへの忠誠は厚い。
「クロル」
エタンスはそれだけ告げて、こくりと頷いた。『依頼をする』という意味を込めれば、クロルはウインクで『毎度あり』と返してくる。ウインクが格好良すぎて思わず一歩下がってしまう。いつでも誰が相手でも威力がすごい。
まさか真夏の金庫室で始まるとは。さぁ、クロル・ロージュの本業開始だ。
クロルは令嬢に向き直って、その手を取る。すると、どういうことだろうか。窓から零れ落ちる月明かりが吸い寄せられ、その美しい手元を照らし出す。
さらにさらに、これまたどういう原理だろうか。観客の脳内に、観劇でよく使われる愛のメロディーが鳴り出したではないか。慌てて頭を振ってみたが、メロディーは鳴り止まない。それどころか脳内拍手まで起こる始末。わー、ぱちぱち。
エタンスは、いい感じにグランドに毒されていた。
脳内拍手に合わせて、クロル劇場が開幕。
「お嬢さん」
「は、はい」
「本当は、こんなことを言うのは許されないかもしれない」
「なんですの?」
「他の男に君を渡したくない」
「え!」
他の男なんてどこにも登場していないというのに、唐突な渡さない宣言。一体、誰と何を奪い合っているのだろうか。
しかし、令嬢はそりゃあもうちょろかった。わけわからん口説き文句で、ぐでんぐでん。いやいや、クロルの手腕がすごいのだ。もうエタンスも子分トリも置いてけぼり。
金庫室から始まる禁断の恋。エタンスの脳内オーケストラが奏でる愛のメロディーは鳴りっぱなしだった。
「一目惚れなんだ。俺の恋人になってくれる?」
サクッと告白。
「は、はい……なりますぅ」
サクッと両思い。
「ありがとう。大切にする」
秒で恋人になった。カップル誕生だ、おめでたい。
「お嬢さん、愛してるよ」
そう告げて、事もなげに令嬢の唇にチュッとキスをした。なんてこった。いや、大丈夫だ、セーフだ。
一方、恋人になってすぐのキスに、令嬢はでろんでろんに溶けていた。こちらもこちらで、あらまあ大変。頭の中は、ぱっぱらぱーの春到来。たった三十秒の口説き文句で可愛い操り人形の出来上がりだ。凄いというより、もはや惨い。
「好きぃ……」
「俺も」
そう言って、二人は熱く見つめ合う。駄目押しとでも言うように、クロルは令嬢の頬に手を添えて、もう一度キス。
「何も言わずに俺についてきてほしい。一緒に暮らそう?」
「はい、ついていきますぅ」
光の速さで同棲が決定した。
うきうきハッピーの令嬢は、書斎から秋の園遊会の招待状を取ってきて、クロルに手を引かれながら屋敷を後にした。
『このまま政略結婚なんて出来ません。秋の園遊会が終わったら、一度帰ると約束します。それまでそっとしておいて。ワガママな娘でごめんなさい、お父様』と置き手紙を残して。
簡単すぎる様に、エタンスはおののいた。首領クロルのモテ力を目の前にして、銀縁眼鏡がかち割れるかと思った。初めから終わりまで、全てが衝撃的だった。
そうして、エタンスが用意した馬車に全員で乗り込む。仲良しコラボ窃盗会もそろそろお開きの時間だ。
「いやー、人生何があるかわかんねぇなー。まさか一目惚れするとは思わなかった。秋の園遊会までは、俺らと一緒に住んでもらうことになるけどいい?」
「ええ、どこにでも参りますわ」
「エタンスもそれでいいだろ? 恋人の仲を引き裂くわけにいかねぇもんな?」
「クロルさん、自重~。あはは!」
盗賊団アンテのケタケタ笑いにエタンスはちょっとイラっとした。正直言って、三十秒で貴族令嬢を連れ帰ることができるような手腕を持つメンバーは、盗賊団サブリエにはいないからだ。
「ふん。おい、女。大人しくしていろよ? そうでなければ、どんな手を使ってでも言うことを聞かせるからな?」
エタンスがにらむと、令嬢は「きゃ! 怖い」と言ってクロルの背中に隠れながら、それでもキッと睨み返してきた。貴族令嬢らしいプライドの高さが見て取れる。
「まあ、粗野で粗暴な男性ですこと!」
「ちっ……生意気な赤髪女め。名は?」
伯爵令嬢は、座ったままナイトドレスをちょこんとつまみ、淑女の礼で答える。その所作の美しさと言ったら! まるで夜会のドレスを着ているかのようだった。さすが、伯爵家の令嬢だとエタンスは感心する。
「私、レヴェイユと申します。一つ申し上げておきますが、私の髪は赤色ではなく苺色ですわ。どうぞお見知りおきを」
※タイトルバレもつまらないかなと思って、連載中は下記の仮タイトルで投稿していました。10月10日、本タイトルに戻しました。
【62話 『観劇・真夏の金庫室』を仮初めの題にして】




