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6話 赤髪のレヴェイユ



 『いいか、クロル。女を口説くときは半歩だけ踏み込め。一歩は多すぎる。ほら、ちょうどこれくらいの距離だ』

 祖父は、マジで下らないことばかりクロルに教えてきた。しまいにはものさしなんか持ってきて、距離感を掴めとか言われたっけ。

 クロルはそれがイヤで、最後はものさしでチャンバラ対決。それはもう、残念なほどに軽薄なじいさんだった。


◇◇◇


 クロルが部屋に戻ろうとすると、奥から歩いてくるレヴェイユとかち合う。窓からの日差しを浴びて、赤い髪がキラキラしていた。


「あ、ロージュ様。ちょうどお風呂の用意ができたんです。泥んこを落としてくださいませ」

「ありがと」


 クロルは少しふらつきながらも彼女の後ろをついていく。客室が並んでいるが、そこには誰の気配もない。やたらと静かだった。


 沈黙に花を添えるように、ギシッギッと床板が鳴る。潜入していることを忘れてしまいそうな、ゆったりのんびり、なんとも穏やかな空気。


 ―― この子、のん気オーラがすげぇな


 さすがに少し笑いそうになった。壊すのが惜しいほどの沈黙。仕方がないと割り切って、仕事をしはじめる。



 宿屋メンバー、その二。レヴェイユ。


 トレードマークは赤髪。決して目を引くような美人ではなく、癒される顔つきだ。


 一方で、どういうわけか所作が美しい。歩き方はもちろん、つま先から指先まで芯がある。背筋もピンと伸びていて、体幹も良さそう。貴族令嬢と言われても違和感がないほどだった。


 身長は一六八センチ程度。スタイルは良さそうだが、そこは触ってみないことには何とも言えない。何とも。


 戸籍情報によると、両親は幼少期に死去している。孤児院から取り寄せた記録には、弟と共に入所したと記載があったが、数日後に弟も死亡。その他の経歴は一切不明。しかし、平民であれば細かい経歴が分かる方がめずらしい。


 そして、彼女については忘れてはならないことがある。屋根の上に立っていた、先ほどの異様な光景。あれはどういうことだったのだろうか。



「ロージュ様、体調はいかがですか?」

「あぁ、うん。大丈夫」

「ふふっ、よかったです~」

「心配してくれてありがとう。えっと……レーヴェって呼んでいい?」

「え!?」


 いきなり愛称で呼ばれるとは思わなかったのだろう。レヴェイユは真顔で固まっていた。


「ははっ、すごい真顔じゃん。嫌だった?」

「いえ、嬉しすぎて表情筋が破壊されただけです」

「……な、なるほど……?」

「さぁ、遠慮なさらずに、じゃんじゃん愛称で呼んでください」

「そ、そう?」


 ―― なんだこの女。さっきから変な返し方するなぁ


 路地裏で寝ころんでいたときの会話も思い出し、クロルの中で『だいぶ変わった天然女』にカテゴライズされた。


「コホン。じゃあ遠慮なく。レーヴェは、ここで働いて長いの?」

「……」

「レーヴェ?」


 謎の無視。遠慮なく呼んでみたのに、この仕打ち。


「コホン。えっと、レーヴェ? おーい。俺の話、聞いてる?」

「はい、え、あ、五年です」

「聞いてたのかよ。働いて五年ということは、十八歳以上?」


 レヴェイユは左手をパーに広げた。


「十八に五を足して、二十三歳です~」

「それなら良かった」

「はい?」

「このニュアンスじゃ分かんない? さすがに十八歳未満(未成年)を恋愛対象にしちゃマズいでしょ、ってこと」


 半歩だけ踏み込んで、ニコリと微笑む。お得意のパーソナルスペースぎりぎりでの微笑み攻撃だ。

 攻撃を受けたレヴェイユは、またもや固まる。ピタリと足を止めて、口はぽかーんと開いている。


「その表情、記憶喪失なのに女の子口説くのかよーって思ってる?」

「いえ、口説かれて舞い上がっちゃて、うっかりロージュ様に惚れた表情がコレです」

「……あぁ、そう」


 クロルはすぐに言葉を返せず、ぽかーんと返してしまった。壁を壊そうと茶化してみたら、まさかの茶化し返しを食らったのだ。

 ここまで来ると、変な女を通り越して『ちょっと面白い』と思ってしまうクロル。小さく笑って、茶化して返してやった。


「ははっ、惚れてくれた? もし、このままずっと天涯孤独だったら、レーヴェがお嫁さんになってくれたりするかな。出会いも運命的だったし、期待していい?」


 実際のところ、クロルは結婚願望ゼロだったりする。この軽薄さがライトで心地良い。


 ―― 今度はどういう返しをしてくるかなぁ


 ちょっとワクワクしていると、彼女は人差し指の先を顎にちょんと当て、「うーん」と悩むフリをし出す。その指を顎先からスッと離して小首を傾げながら、ぶっこんできた。


「……じゃあ、レヴェイユ・ロージュ?」


 彼女のゆるい微笑みの奥に、愉快という色が見えた気がした。

 本来なら、ここは嬉しそうに微笑まなければならない場面だ。でも、挑発するような彼女の指先に、ニヤリと泣き黒子を上げられた。 


「なにその返し」

「……ダメでした?」

「その逆。結構、上がった。ねぇ、他人行儀はやめて、クロルって呼んでよ」

「……クロル様?」

「ク・ロ・ル」

「一応、お客様だと思ってましたが」

「思い出して、俺は一文無し」

「あ、お客様ではありませんでした~」

「敬語もナシ。ほら、呼んでみて?」

「えっと……クロル」

「いいね。レーヴェの甘くて可愛い声」

「いいね。クロルの軽くて薄い声~」

 

 軽薄ということだろうか。


「ははっ! ことごとく返してくるなぁ。言っとくけど、可愛いなんて思うのレーヴェだけだよ」

「私、だけ……?」

「レーヴェだけ。タイプなのかも」


 記憶喪失の男から繰り出される『君だけだよ』なんて信憑性ゼロ。それでも、レヴェイユは三秒ほど固まってから「お風呂、冷めちゃう」と右手と右足を同時に出して、ぎこちなく歩き出す。


 二人の間、四十五センチの距離に流れるゆったりとした沈黙。それを味わいながら、クロルの勘が告げた。


 ―― この子、絶対ちょろい。スーパーちょろい。容疑者一人目、すぐに調査完了報告できそうだな


 おいおい、最低な野郎じゃないか。なんかちょっといい雰囲気だったのは幻か? 幻だ。忘れてはならない事実を並べておくが、彼は仕事をしているだけなのだ。甘い雰囲気を出していたのも仕事だから。


 ―― ちょろ子でラッキー♪


 クロルは、根っからの仕事人間だった。



「あ、そう言えば。さっき、なんで屋根の上にいたんだ?」


 ぎこちない歩き方のレヴェイユは「あ~」と言いながら、突然普通の歩き方になった。不思議な娘だ。


「さっきはありがとう~」

「いーえ。あんなところから飛び降りたらダメだろ」

「……以後、気を付けマス。さてさて、話は突然はじまります」

「うん?」

「道を歩いていたらね、突然に唐突な突風がビューって吹いたの。その風にさらわれて飛んじゃって」

「は? 突風で屋根の上まで飛ばされたのか? レーヴェが?」

「ふふっ、なぁにそれ。人間は飛ばないわよ? ハンカチの話~」

「あ、そう……」


 返し方といい、話のテンポといい、何から何まで『ちょっと変で、外れている』まさにド天然。クロルは気合を入れ直した。


「それで?」

「ハンカチを追いかけたら、ひょいひょいと屋根の上に乗っかっちゃって」


 レヴェイユは指を二本ピンとさせ、それを足に見立ててひょいひょいっと宙を歩かせてみせる。どうやら、彼女のハンカチには足が生えているらしい。


「ふと見ると、そこには屋根まで届くはしごが掛かっておりまして」

「登った?」

「もちろん。屋根の上にあったハンカチを無事にゲットしたところで、また突風。そこで、はしごがバタン」

「はしごを外されたわけだ」

「悲劇よね~」

「悲壮感ねぇな……それで飛び下りたってこと? あぶなっかしいやつ」

「あら、これでも運動神経は良い方なの」


 ―― そんなおっとり顔のおっとりボイスで言われてもなぁ……


 全く信憑性がなかった。

 

「さてさて、到着。こちらが当店自慢の普通の浴室でございます」

「ありがと」

「着替え……と言っても、宿のパジャマだけど、ここに置いておくね」

「ありがと、レーヴェ」


 クロルが美しく微笑むと、不思議なことに窓からふわりと風が入り込んでくる。その風は、さぁどうぞ触って下さいと言わんばかりに、彼女の髪を揺らして乱す。風すらも味方につける美しさ。


「……苺色の髪、可愛いね」


 浴室のドアを閉める直前、クロルはレヴェイユの髪を整えてあげた。ふわふわの髪の隙間に、美しい指を潜らせる。


「風呂の用意、ありがと」


 彼女の頬が赤く染まったところで、パッと手を離してバタン。ドアが閉まる音は、浴室と廊下の両方によく響いた。


 仕事人間のクロルは、ターゲットとの間にある壁を突貫工事で壊しにかかっているのだ。潜入初日、なかなか順調に終了。





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