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56話 縛る



 潜入作戦の配役が決まった翌日の朝。


 クロル・ロージュは、レヴェイユ・レインの部屋の前に立っていた。朝食の時間、約束の六時半だ。トントントン。ノックを響かせるが、返事はない。ジャラリと耳障りな音を立てて鍵を取り出す。

 

 レヴェイユの部屋の鍵。これについては議論があった。いつまで鍵部屋生活なのか、持ち回りで鍵を管理するのか。

 司法取引なんてこれまで前例がなかったことから、鍵の管理方法まで事細かに決まっていないのだ。困ったものだ。


 クロルだって毎日出勤するわけではない。レヴェイユにも一応非番の日は設定されているが、それがクロルと丸ごと被っているわけではない。

 いや、今のところ不思議と丸ごと被ってはいるものの、これから先ずっと休日が被るわけもない(と、クロルは思っている)。


 というわけで、昨日、クロル発信で鍵の管理方法が相談された。しかし、とりあえず一か月間はクロルが鍵を管理するということで決定。

 これは勿論、カドラン伯爵からの『ソワールとクロルはいつでも一緒!』という乙女的指示が多方面からごり押しされた結果であるが。


 ―― 鍵なんて持ちたくねぇっつーの


 騎士は泥棒に初恋を盗まれました、なんて黒歴史を忘れたいクロルとしては、とても複雑な心境だった。一緒にいる時間が長ければ長いほど、積もっていくものがあるのだから。


 でも、クロルは決めている。盗賊団サブリエの任務終了と共に、第五騎士団から離れることを決めているのだ。


 この先、彼女がいつまで騎士の真似事をし続けるのかは分からない。その任を解かれたとしてもレヴェイユは第五の管理下にあり続けるだろう。だから、クロルの異動は彼女と離れることを意味する。



 彼女の恋心が本物であると、クロルだって分かっている。運命ともいえる鐘の音を聞きながら、赤い髪に触れて、赤い耳を見て、出会ってからずっと彼女の気持ちが自分に向き続けていたことを深く理解してしまった。

 お互いに仮面をつけて過ごした日々は、嘘なんかじゃなかったんだと。


 だから、問題なんだ。


 きっと、出会った瞬間に落ちていた。あの袋小路みたいな路地裏で、崖みたいな屋根から落ちてきた彼女を受け止めたときに、クロルは恋に落ちていた。理屈なんてなかった。


 彼女が『ふふっ』と笑うたびに、きゅうっと鳴る胸の音を誰かに聞かれていやしないかと焦慮(しょうりょ)する。

 彼女から放たれるふわふわな空気があったかくて、一緒にいるだけで驚くほどに心地良い。その空気を吸って震わせて会話を交わしたならば、心嬉しく沸き返って溢れる言葉を止められない。


 ダメだと思いつつ、すぐにちょっかいをかけたくなるし、彼女の泣き顔といったらまるで凶器だ。深くまで刺さって抜けやしない。クロルの心は、もう穴だらけだ。


 愛しくて苦しい。


 収容所で、他の女(男爵令嬢)との関係を知られてあんなに心が墜落するとは思わなかった。それだけでも十分かき乱されたのに、クロルが落ちている隣で彼女はぼんやりしているだけ。無表情無反応、どれだけ苛立ったことか。


 もっと落ちてほしい、もっと執着してほしい。捨てたかった感情が渦巻いて、彼女がどれほど妬いてくれるのか試したくなるだなんて、本当にどうかしている。

 嫉妬でしゅんと枯れていく苺色に、彼女の涙に、底から這い上がるような情欲を感じて、その熱でとろけるかと思った。

 それなのに、他の男(デュール)と握手をしているだけで焦げ付くように妬き返してしまうなんて、自縄自縛だ。


 まるで時計の針みたいに、その場をひたすら輪転している。好きだ、最低な女だ、愛しくて仕方がない、犯罪者なんて低劣だ、可愛い触れたい、なんでこんな女なんか、全て捨てて抱きしめたい、今すぐ消えろ憎らしい!


 こんなどうしようもない恋。彼女を縛った時点で終わるはずだったのに、縛りきれない(ほころ)びから零れ落ちた問題たちが、日を追うごとに大きく膨らんでいく。


 あぁ、問題も呪縛も彼女の手枷も、全て解いてしまいたい。


 それでもどうしたってクロルは受け入れられない。彼女を許して丸ごと愛する、そんな可能性を考えてみたけれど、やっぱりどうしたって無理なんだ。


 春の雨。小さな裸足で蹴った背中の感触が忘れられない。床に散らばったショーケースの欠片を踏みしめ歩いた音が耳から離れない。ダメだ、どうしても許せない。クロルに降りかかった雨という呪縛は、がんじがらめで解けやしない。


 だから、クロルは誓った。このまま隠し通すのだ。レヴェイユへの気持ちを上手く隠して消していく。

 彼女がしている手枷と同じように、絶対解けないように心を縛って鍵をかければいい。大丈夫、ちゃんとできる。線引きをして、少しずつ距離をとればいい。


 そうして、切ない気持ちに鍵をかけて、今日も彼女の部屋の鍵を開けるのだ。



 カチャリ。


「レヴェイユ。朝だけどー」


 いい大人なんだから自分で起きろよ、と思いつつベッドを見ると、当然ながらアレな状態だった。全く! なんでこんなきわどいやつを買ったんだ! ベージュの綿素材にしとけや! クロルはブロンをぶん殴りたくなったし、今日中にパジャマを買い与えようと決心した。


 ため息をつきつつ、掛け布団をバサッと叩きつけてやった。

 そして、昨日と同じように「起きろ」と言いながら上体を起こすと、彼女は「ん……くろるぅ?」とたれ目をぼんやり開ける。「そう、クロルクロル」とテキトーに返事をすれば、ぼんやりとしていた目が見開かれて、いつものおっとり目になった。


「ハッ! クロル!? 顔面が強いわ!」

「強くて良かった。朝飯いくぞ」

「ごめんなさい~。せめて目覚まし時計があればいいんだけど」


 言われて気付いたが、目覚まし時計すらなかった。厚手のパジャマと目覚まし時計を六個、心のメモに書いた。


「さっさと着替えろ」


 そう言って、クロルはレヴェイユのベッドにドサッと腰掛けた。簡素なシーツだが肌ざわりは悪くない。


「私って本当に朝弱いの~。でもクロルの顔を見たら一発で目が覚めるから、これはすごいことだわ」


 慌ててベッドから出るレヴェイユを目で追いながら、顔面凶器のクロルは「今までどうしてたんだ?」と話しを振る。


「今まではブロンがえげつないほどの方法で起こしてくれていたの」

「ふーん。どんな起こし方?」


 レヴェイユはクローゼットを開けて新しいシャツと制服を取り出していた。大きすぎる騎士の制服は動きにくそうだ。どうにかしないとなー、なんて心のメモに書き留める。


「一番つらかった起こし方は、肺攻めかな~」

「肺攻め」


 どんな起こし方だろうとレヴェイユを見ながら考える。肺に何かを入れられたのだろうか。それとも肺を押しつぶされたのだろうか。

 肺攻めのことを考えながらぼーっと見ていると、レヴェイユが何やらそわそわし始める。ちょっと頬が赤いじゃないか。


「もたもたすんなよ、腹減ったんだけど」

「あ、あの……」

「なんだよ?」

「着替えたいんだけど……あの、恥ずかしいから、外で待っててくれる……?」

「え?」

「え?」


 沈黙。


「……わかった」


 クロルはスタスタと廊下に出て、バッターンと扉を閉めた。縛り方がちょっと緩かったかな。きつーくきつーく、縛らないと。





 さて、仕事だ。仕事をしよう。五人は騎士団本部の一室に集まっていた。


「やっとだね、ワクワクしてきた~!」


 ワクワクトリズの横で、ブロンはあくびをしていた。ちなみに二人は十歳差だ。


「オレ、一般人だしこういうの初めてなんだよなー」

「鳥使いは一般人じゃないけどね~」

「あ、ちなみに鳥だけじゃないぜ? こっちは犬笛なんだけどさ。これを吹くとー、」

「え、待って。犬? 今、犬って言った? やたらしつこく追いかけてきた獰猛(どうもう)黒い犬(cf.30話)はブロンのせいだったのかな~?」

「あ」

「ぶ~ろ~ん~?」

「いててて!」


 本当に十歳差だろうか。


 クロルが『元気なやつらだな』とじゃれつく二人を眺めていると、テーブルの向こう側から熱烈な視線が向けられる。当然、レヴェイユだ。


「楽しみね~。潜入は初めてだから、色々教えてね?」

「仕事だからな。そこはちゃんとやる」

「ふふ、ありがとう」

「でも、一つ言っておく」


 クロルは、持っていた果実水のガラス瓶をテーブルに置いた。ダンッと音が響いて、瓶の中の水がちゃぷんと揺れる。


 これは、境界線だ。これ以上、交わることはないという線引き。

 窓から入り込む風が強くなる。騎士と盗人、見えない境界線の上を寒々しい空気が通り抜けた。


 風で乱された茶色の前髪をかきあげてギロリと睨めば、泣き黒子だってギュッと下がる。あまりにも眼光が鋭かったのだろう、レヴェイユは少し肩をビクッと震わせていた。


 縛るならば、きつく縛らなくてはならない。解けないくらい、強く固く何重にも。


「俺の両親は事故で死んだ。殺されたと思ってる。じいちゃんの店は窃盗で潰れた。全部失った。当然、犯罪者が嫌いだしお前のことも大嫌い。視界に入ると虫酸が走るくらいに無理。仕事だと割り切って協力するけど、それ以上のことは求めるなよ?」


 レヴェイユはきょとんと音が鳴りそうな顔でクロルを見ていた。冷たい言葉が染み込むにつれて、彼女の茶色の瞳に水の膜が張っていく。


「……クロルのこと、好きでいるのもダメなの?」

「これ以上は無理だから、もう諦めて」


 ひどく冷たい声だった。喉の奥までツンとするような冷たさに、レヴェイユの胸はズキンと音を立てる。涙がこぼれた。


 ゆるゆるぼんやりのレヴェイユだけど、彼女は決して馬鹿ではない。ちゃんと理解している。クロルに嫌われていることなんて、もう分かっているのだ。

 でも、こんな風に線引きして真剣に突き刺してくるとは思っていなかった。真面目に働けば誉めてくれたし、頭を撫でてくれた。『頑張れば、もっと近付けるかな』なんて淡い期待をしていたのかもしれない。


「うん、……わかってる……」


 レヴェイユは俯いた。


 分かっているのに、どうしたって分からない。牢屋に入って手枷をつけて騎士の制服を着たって、善いも悪いも分からないままだ。もう二十三歳、根幹に吸収させて生き方を変えるには、彼女は大人になりすぎた。だから、もしかしたら、一生このままかもしれない。


 そうであれば、彼女は彼に嫌われたまま生きていくしかない。甘く優しい声で『レーヴェ』と呼ばれることも、二度と訪れないだろう。


 そう思ったら、ひゅっと音を立てて心が暗転した。レヴェイユは生まれて初めて深い後悔というものを知ったのだ。

 どこから間違えたのか。間違えたところから、今すぐやり直せたらいいのに。時を輪転させて過去に戻れたなら、今度は絶対、間違えないのに。

 後悔が喉に(にじ)じむ。流れる涙をそのままに、唇をぎゅっと噛んだ。苦くてしょっぱい。


 そのとき、レヴェイユの落ちた視線の先にはクロルの指先があった。すると、彼の美しい指先が少しだけ近付いた。一センチとか、それくらい少しだけ。

 そして、四秒ほど間を置いて元の位置に戻った。涙でぼやけていたけれど、見間違いじゃなかった。


 きっと盗人の才覚なのだろう。その一センチと四秒の隙間に、レヴェイユは何かを感じ取った。

 

「……うん、クロルに嫌われてることは分かってる。でも、それは……私が変わっても、変わらない?」

「は?」


 レヴェイユはパッと顔を上げた。


「善いこととか悪いこととか、ちゃんと覚えたら……私のこと少しは好きになってくれる?」


 懇願するように両手を組んで声を絞り出す。蜘蛛の糸にすがるように、万に一つの可能性をつかみたかった。

 しかし、クロル・ロージュはなびかない。風でなびいた前髪すらもパパっと簡単に直してしまった。


「いや、それはねぇな。微塵もない」

「がーーん! で、でも! 頑張れば少しくらいは見直してくれるよね? ミュラ男爵家のときはご褒美くれたでしょ?」

「調子のんなよ。大体さ、善悪を『覚える』って言ってる時点で相当やばいってわかんねぇの?」

「なぁに? どういう意味?」

「ほら、これだよ。まじで引くんだけど」


 クロルは無表情で両手を上げていた。美しきお手上げポーズだ。


 そんな意地悪なクロルを見て、レヴェイユは「む~」と頬を膨らませる。

 司法取引で死刑を()()したのはクロルなんだから、少しくらい教えてくれたっていいじゃない、と不満に思ったのだ。こんなに深い底まで恋に突き落としたくせに。どうせ叶わないなら、すんなり死なせてくれても良かったのに。彼にだってそれなりに責任があるはずだ、と。


 彼女は天下の女泥棒ソワールだ。どんな手を使っても、獲物をかすめ盗る。


「教えて貰わなくても勝手に頑張るからいいです! でも……司法取引の書類にサインさせたのはクロルだもん。死なないで()()()代わりに報酬は貰うわ」

「は?」

「ご褒美くれるなら、任務を頑張って()()()()いいかなって」


 ペロリと舌を出して笑う彼女は、まさにソワールそのもの。


 一センチと四秒。

 気持ちを縛り付けて潜るか、暴いて盗るか。


「お前……わかってねぇだろ。それ、脅しだからな? はい、『悪いこと』カウントした」

「あ、教えてくれてありがとう。脅しは悪いことなのね。もう二度としない~、ふふっ」


 レヴェイユがニコリと笑ってみると、クロルはげんなりという顔を返してきた。


「だから、そういうのやめろって」

「やめない。ずっと好き、一生好き」

「本当に無理なんだけど。お前さぁ、」

「おい。イチャついてるところ悪いが、話しを進めてもいいか?」


 白熱しそうなところで、サラリと快楽眼鏡がカットイン。


「イチャついてねぇよ。デュールもこいつの暴走止めてくんない? ストーカーの誕生が懸念される案件なんだけど」

「さて、それぞれ役作りをして、準備が出来たら作戦スタートだ」

「無視かよ」


 カドラン伯爵の指示がある限り、クロルの訴えは無視される。なんとも惨い指示だが仕方ない。


 意外なことに、全員と関係良好であるバランサーのデュール。彼の号令で、トリズとブロンもじゃれあいという名のガチ喧嘩を中断し、クロルとレヴェイユも喧嘩という名のイチャイチャを中断。各々、仕事開始の雰囲気を感じ取り、姿勢を正す。


「いつもは補佐役だが、今回は俺も潜る。互いに連絡を取るのが難しくなるだろう。基本的にはブロン(白い鳥)を介して連絡を取り合う」

「おうよ、オレもそれくらいは協力する」

「潜入中でも、身の安全が第一優先。命あってこその任務であることを忘れないように」

「当然」

「そして、発した言葉よりも、表情仕草アイコンタクト、無言のチームワークが重要だ。ここは大人同士。一致団結といこう」


 一致団結。その言葉にレヴェイユとブロンが『えいえいおー』の手を出すと、クロルが「そうじゃない」と言って、右手を握り左胸の胸章に当てた。


「騎士はこうやって誓いを結ぶ」


 レヴェイユとブロンは慣れない文化に触れて、目を合わせてにんまり。空席である胸章の代わりに心臓に拳を当てて、最敬礼の形を取る。



 さあ。恋も恨みも愛憎も、様々な想いを胸に。


「ここに盗賊団サブリエの征討を誓って。作戦開始!」


 春の日。王都の中央、騎士団本部の一室に、五人を縛る誓いの言葉がこだました。



【第二章 縛る】終










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マシュマロ

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