53話 近付いて触れて、赤い耳
黒幕の目星がついたところで、一度騎士団本部に戻ることに。クロルとデュールは、天井裏から発注書等をせっせと運び出す。
その間、レヴェイユはミュラ男爵家の金庫室に手枷を繋がれて放置されていた。
金庫は全て開けられていて、ガランとした寂しい部屋だ。出窓に腰掛けてぼんやりと外を眺める。
もうすぐ正午。天気の良いランチタイムに、道行く人々は楽しそうに足を進めていた。
「……綺麗な人だったなぁ」
窓ガラスに映り込む自分を見て、収容所で会ったミュラ男爵令嬢を思い返す。
彼女はサラサラの美しい黒髪で、化粧なんてしていないだろうに目鼻立ちがハッキリとした美人だった。タレ目をぐいっとあげても、おっとり顔は変わらない。苺髪はお気に入りなのに、こうなってしまうと墨をぶっかけてみたくなる。
誰もいない部屋。泣き虫レヴェイユはしょんぼりと涙を流す。
「私って、相当ナシなのね」
捕縛されたとき、『そういうことは、誰にでもするわけじゃない』とクロルが言っていたことを思い出す。レヴェイユには手を出さなかったのに、彼女には手を出した。それが全てだ。さぞかし甘いひとときだったのだろう。
今朝の起床時の、『クロルの前でおきがえ事件』。
種明かしをしてしまえば、ブロンから受け取った差し入れには、ランジェリーショップ店長である罪深きマミちゃんからメッセージカードが添えられていたのだ。『これを見せればイチコロですよ、お姉さん!』マミちゃんの悪ふざけが過ぎる。そのメッセージカード、騎士団の受付係はなぜ通しちゃったのだろうか。まあ捨て置こう。
簡単なレヴェイユは『見せたらイチコロなのね』と信じて、起き抜けで早速実行! カタカタ震える手でシャツのボタンを外し、勇気を出して彼の目の前で着替えてみたけれど、めちゃくちゃきつくベルトを締められて痛みと共に終了した。絞め殺されるかと思った。アイタタタ。勇気の出しどころがちょっと間違っている。
レヴェイユはソワールだ。彼と恋人になりたいだなんて、叶わぬ夢を見ているわけじゃない。でも、一夜限りでも同じベッドで夢を見るくらいの関係なら願ったって良いじゃないか。
ソワールだと知られていない時期でさえ、キスしてくれるのかなと思ったらキスしてくれないし、最後までしてくれるかなと期待してみれば『ここまでね』なんて放置される。慣れないながら、どうにかこうにか上げ膳据え膳用意したのに、そんなことあるかなー!? 正直、ふてくされた。
だから、『奥手な男性なのね!』と勘違いしてみれば、騙し打ちで牢チューをかましてくるし、極めつけに同じ犯罪者である男爵令嬢とはそういう関係だったわけで。彼が手を出さない理由に『犯罪者』が含まれないのだから、そんなにナシだったのかなー!? 正直、みじめだった。
「……ううん、ダメよ。欲張りになっちゃダメ。私はソワールよ、巨額脱税犯のご令嬢なんて犯罪者レベルで言えばヒヨッコ。クロルはきっと重い罪であればあるほど嫌いなのよ。朝食のときも言ってたじゃない。私のことは大嫌いなのよ! さあ、しっかりしないと!」
鼓舞の仕方がちょっと特殊だが、そうやって窓ガラスに映り込む自分に言い聞かせる。透明で平坦なそれに人差し指の爪を立てて、キィッと鳴らして心をなだめた。
クロルのために役に立つ。嫌われたって貫いてみせる。……それでもやっぱり、こんなことがあるとモヤモヤしちゃう。だって恋をしているのだから、そういう日だってあるでしょう? 波打つように上下に動いている感情の、下の方の日が今日だ。
「ダメダメ」と呟いて、涙がこぼれる目を二本指で広げて乾かす。こんな悲しいダブルピースがあるだろうか。
「レヴェイユ、お待たせ。……何のポーズ?」
レヴェイユがダブルピースで目を乾かしていると、それを真似ながらクロルが登場。こんな美しいダブルピースがあるだろうか。
「ナ、ナンデモナイ!」
「……下手くそかよ」
慌てて、涙をぐいぐいっと拭いて誤魔化すが、どうやらバレている様子。彼の泣き黒子がぐいぐいっと下がった。
「まぁいいや。今トリズが到着したらしくて、デュールが軽く説明中。終わったら帰って本部で昼飯だな」
「りょうかい~」
「……正直、お手柄だったよな。ソワールの実力を舐めてたわけじゃねぇけど、こんなにしっかりやってくれるとは思ってなかった。助かった」
「ふふっ、クロルのためだもの。役に立てて良かったぁ。これからも頑張るわ」
レヴェイユが窓の外を眺めながら言うと、クロルも窓の外に視線を移す。
二人が初めてすれ違ったこの景色を、二人で並んで一緒に見た。
「……お前、欲しいものとか、ある?」
「え? なぁに?」
「報酬。最低限の衣食住の補助があるだけで、司法取引での働きは全部無給なんだろ? 欲しいものとかあるなら、買ってやってもいいかなーと思って」
「あ、うん。ブロンに頼むから大丈夫~。ありがとうね」
レヴェイユがお礼を言うと、クロルの泣き黒子が少し下がった気がした。
「そういうことじゃねぇよ。褒美をやるって言ってんだ。何でもいいから欲しいものを言え」
「え? ごめんなさい? えっと、欲しいものを言えばいいのね!」
レヴェイユは頭の中であれこれ考えた。でも、浮かばない。
元々、彼女は物欲のない人間だった。宝石やお宝に興味があって泥棒をやっていたわけではない。大層悪いことに、盗むのが楽しかっただけだ。
「えーっとぉ、欲しいもの? 欲しいもの? うーん」
「ねぇのかよ……泥棒の癖に無欲」
でも、そんな無欲な泥棒に、たった一つだけ欲しいものが出来てしまった。クロル・ロージュだ。
「えっと、欲しいのは、ク」
「く? なに?」
「キ」
「くき?」
「ギュ」
「くきぎゅ? 待て、なんだそれ?」
クロルが欲しい。キスして欲しい。ダメならギュっとして。言いたいけど、言えなかった。
クロルは「くきぎゅってなんだ? 流行りの菓子?」とぶつぶつ言っていた。違う、お菓子じゃない。ここで女たらしの手腕を発揮してくれ、勘の良さが突然の迷子じゃないか。
「あ、ねぇねぇ! 頭を撫でてもらうのは……どうですか?」
「は?」
「ご褒美よね? 『よく頑張りました』で、頭を撫でてほしい。それはダメ?」
一生懸命考えて、言えるところがそこだった。断られるかなと思って、震える口の端をぎゅっと噛む。
彼の表情を盗み見ると、泣き黒子が不機嫌そうに下がっている。『あ、やっちゃった?』と思った瞬間。ふわっと頭にぬくもりが落ちてきた。
「え?」
「子供かよ」
そう言ってクロルは頭を撫でてくれた。
騎士の癖に、指先まで美しい彼の手。ふわふわの赤い髪の上を優しい手が行ったり来たり。もう夢みたいに嬉しくて、今朝のお着替え事件の失敗とか男爵令嬢のこととか、どうでも良くなるチョロイユ。
ドキドキと高鳴る心臓に、彼が好きでたまらないことを自覚する。
そこで十二時の鐘の音が鳴った。リーンゴーン、リーンゴーン、と何かを揺らすように。
「あ、鐘の音。この場所で一緒に聞けるの、嬉しいね。ふふっ、私、世界一幸せかも~」
レヴェイユがクスクス笑っていると、頭のてっぺん付近を繰り返し撫でていたクロルの手がピタリと止まった。なんだろうと思って窓の外から視線を移せば、茶色の瞳同士がカチリと合う。
それを合図に、彼の手がこめかみまでスルリと下りた。なでなでご褒美タイムは終わりなのね、と残念に思っていると、彼は髪をどかして今度は耳に触れてきた。
「ん……、なぁに? くすぐったい」
「耳が赤い」
「ドキドキすると赤くなっちゃうのかな。クロルが近くにいると、いつも耳だけ熱いの」
「……そうなのか?」
「うん、クロルが大好きって思って、心臓がドキドキすると耳がカーって熱くなる。変かな?」
クロルは返事をしてくれなかった。無言で耳に触れるだけ。レヴェイユがくすぐったいのを我慢しながらじっとしていると、ちょうど鐘の音が十二回。鳴り終わったところで、彼は飽きたのか耳を引っ張ってきた。
「いたーい!」
「最悪」
「え、私の耳が?」
「帰るぞ」
「きゃっ!」
そうして、やっぱり手枷についている紐を引っ張られる。犬の散歩スタイルだ。
さっきまで撫でてくれていた彼の手を見て、レヴェイユは『繋ぎたいなぁ』なんて思ったりするが、勿論言えない。好き勝手泥棒していたときみたいに、好き勝手に言えばいいのに言えないのだ。飲み込んでばかり。犯罪者の恋とは、そういうものだ。
馬車に乗せられる直前、クロルが小さな声で話しかけてきた。
「なぁ、泥棒は近付いて触れて隠し事を暴くんだっけ」
「え? うん、そうよ~。それで盗むの」
「そうか、じゃあこっちも気合い入れないとな」
「どういう意味?」
クロルはふっと顔を緩めて笑った。最高に格好良い男だ。
「潜入騎士も同じ。正体を隠して近付いて、深くまで潜り込んで暴く。それで、ターゲットを捕まえる。その後、どうすると思う?」
「えっと……償わせる?」
彼は小さく首を振る。
「そんな優しくない。潜入騎士は、ただ消えていなくなるだけだ」
そして、「報酬」と言いながら手を取ってエスコートをしてくれた。




