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45話 君と二人、オルの時計店の思い出を


【現在・騎士団本部の牢屋にて】


 ぴちょん、ぴちょんと音がする。暗く寒い牢屋の中。


 時は現在に戻り、牢屋の中で恋人ではない男女が二人。固いベッドに座って物語の終幕を迎えていた。


「というわけで、二代目ソワールの私が誕生しましたとさ。おしまい~。どうかしら? 終盤は説明もなかなか上手だったと思うんだけど」

「あぁ、うん……」

「あら、伝わってない?」

「伝わってはいる。十分、伝わったけど……」


 終始、クロルは頭を抱えていたわけだが、整理するように思い返す。


「四歳で父親の事故死、六歳で母親の病死、孤児院での人身売買未遂、育ての親がソワールで最後は目の前で……盛り盛りすぎて理解が遠いっつーか」

「ふふ、こんなこと話したの初めて。でも、よくある話でしょ?」

「ははは……メンタル強。泥棒やってた理由として、これを月並みと取るかは難しいとこだけどな」


 ぴちょんぴちょんと響く音に、クロルは春の雨を思い出す。時間が経っても、悪人に罰を下し続けても、どうしても晴れない。

 泥棒であったことに対して、果たして彼女の人生が深く重いと言えるのだろうか。妥当だと思えるのだろうか。クロルは隣に座る彼女を見て、ぴちょんという水の音を聞いて、やっぱりその天秤は傾かないと思った。


 しかし、もしも彼女に、クロルにとっての祖父のような存在がいたならば、こんな牢屋の中で彼女の半生を聞くこともなかったのかもしれない。そう思った。

 二歳の弟をぎゅっと抱きしめていた彼女を覆うように、ぎゅーっと抱きしめてくれるような誰かがいたら。



「それで? ()()()()で泥棒したって話に繋がるわけだ?」

「うちの店……? やっぱりオルさんの孫なのね!?」

「そうだけど」


 そう言えばと、クロルは思い出す。ブロンは、オルとクロルの関係を調べていたが、それをレヴェイユには伝えていなかった。彼女が事実を知るのは、今、このときが初めてだったのだ。


 ―― 記憶喪失って嘘ついてたもんな


 潜入騎士は、どんな嘘だって許される。だとしても説明くらいはしておくかと、クロルは牢屋の床に視線を落としながら話を続ける。


「お前の推測通り、オル・ロージュは俺の祖父。地元はカラクリ町で、六年前に王都に出てきて潜入騎士になった」


 隣からは相槌(あいづち)すら返ってこないが、これで義理は果たしただろう。


「記憶喪失なんて言ってたのは任務だったからだけど……まぁ、心配かけたのは悪かった。お前、カラクリ町に行きたいとか言い出すし、じいちゃんの名前を聞いたときは焦ったけど。……ははは」


 ―― 考えてみれば、じいちゃんのことを知ってるって時点で、こいつがソワールだと深く疑うべきだったよな。盗品じゃない時計を持ってたから……くっそ騙された……。いや、……屋根から飛び降りたときにガッツリ怪しむべきだったか。って、初対面からじゃん


 恋は盲目。振り返ってみれば潜入騎士クロル・ロージュの汚点だらけで、乾いた笑いが出てしまう。


「……っつーか、じいちゃんとは、どういう関係? 初仕事のときに出会ったとか? 六年前、店の時計を根こそぎ盗んだのがお前ってこと?」


 沈黙というより、これは黙秘だろうか。


「……俺がソワールの捕縛任務についたのは偶然じゃなくて、目覚まし時計の中にじいちゃんからの手紙が入ってて、」


 そこまで言って、言葉が止まった。床を見ながら話していたクロルが視線を隣に移すと、そこにはキラキラと音が鳴りそうな、熱っぽい瞳があったからだ。


 彼女のそれは、恋をしている瞳だった。


「好き、クロルが大好き」


 牢屋に響く甘い声。雨漏りの音を吸い込むような、ふわふわな音感。


「は? なに言ってんの?」

「『どうしようもない孫のクロル』。会いたかった、ずっとずっと」

「なんだそれ」

「私、クロルの話を聞くのが大好きだったの。ショートケーキと骨なしチキンが好物で、ジャンケンがすっごく弱くて、手先が器用で、時計をいじらせればオルさんが舌を巻くほど。美形なのに宝の持ち腐れで、十七歳でファー……むぐ」

「黙れ。じいちゃんから聞いたのかよ?」


 レヴェイユのおしゃべりな口を手で覆うと、彼女は眉を下げて「むぐ」と頷いた。


「じいちゃんと、どういう関係?」


 クロルが不機嫌に聞けば、彼女はクロルの手をぎゅっと握って口元からずらした。


「ぷはっ。しゃべっていいかしら?」

「変なことは言うなよ?」


 クロルの睨みに、レヴェイユはニコッと返して『オッケー』と指を丸めた。


「十七歳のとき、ソワールとしての初仕事でカラクリ町に行ったの。遺言じゃないけど、死に際のお母さんの願いを叶えたかった」


 美談みたいに聞こえるが、ただの窃盗話であることは添えておこう。普通に悪い。

  

「カラクリ町に行ってみたらびっくり、全然時計のお店がないんだもの」

「あー、時計職人の町だから時計店はないんだよ。みんな自分で作るから」

「それを知らなかったのよ~。でも、一店舗だけあったの!」

「それがウチってわけか」


 レヴェイユはクスクス笑いながら、ベッドから立ち上がった。楽しそうに身振り手振りを始める。

 まずは建物の外観から。空中に大きく三角形の屋根を描く。


「今でも忘れないわ。夜空との境目が分からないくらいの紺色の屋根、クリーム色の壁に黄色の看板がつり下がってる二階建てのお店。正面の玄関扉に『ぽろろん』って鳴るカラクリがあるの!」

「カラクリ扉な、じいちゃんのお手製」


 レヴェイユはまるでそこにお店の玄関があるみたいに、鍵を開ける真似をする。


「時計を一つ盗もうと思ってね。鍵は簡単な構造だったから、カチャっと開けて勝手に入ったの」

「不法侵入」

「ふふっ、ごめんなさい。でもね、そしたら突然『ぽろろん』って鳴るものだから、驚いちゃって! ショーケースの陰に慌てて隠れたの。ちょうど、ここらへんかなぁ」


 レヴェイユは、ちょこんと床にしゃがみ込む。


「メンズの時計のショーケースのとこか」

「そう! でも、誰も起きて来なかったからお店をぐるりと見て回ったのね。レディースの時計、目覚まし時計、壁掛け時計。そしたら奥の方に金庫を発見」

「え、まさかそれ開けたのか?」

「……開けちゃった」


 レヴェイユがぺろっと舌を出すと、クロルはイジワルに『あっかんべー』と返す。


「バーカ。鳴っただろ?」

「そうなの~! でも、金庫を見たら開けたくなるのが泥棒でしょ? ぽろろんの玄関の次は『ちりりりりりん!』ってカラクリ金庫が鳴り響いちゃって」

「でも、そんな大きな音じゃないはず。あれって防犯目的じゃなくて、じいちゃんの遊びみたいなもんだから」

「そうは言っても、こっちはソワールの看板背負っての初泥棒だったのよ? うっかりバランスを崩して転んじゃったの。おっとっとバッターン、と。ちょうどここらへんね~」

 

 レヴェイユはそう言って、固いベッドに戻ってきた。ちょこんと座って、転んだ感じを演出していた。


「金庫付近の床なー。あれ、滑るんだよ。俺も何回転んだことか」

「やっぱり? あれって、ワザとそういう素材にしてるの?」

「それがさー、ばあちゃんの趣味がダンスで。クルクル回る練習をするために滑る床材にしてたんだって」

「オルさんの奥様?」

「そう。でも、ばあちゃんは早くに死んじゃったからさ。使わないダンスフロアに、カラクリ金庫を置いてたってわけ」


 六年越しの謎が解けた様子で、レヴェイユは「そんな理由だったの~?」とクスクス笑う。


「で、金庫の音は止められた? あれって中のレバーを倒せば、すぐ止まる仕掛けなんだけど」

「それね。本当、ここから驚きの展開」


 レヴェイユがにまにまと笑うものだから、クロルは内心ちょっとワクワクしてしまう。


「もちろん、そんなレバーなんて知らないからね、『あらまあ、大変』とか言って金庫を開け閉めしてたの。そしたら、後ろから『中のレバーを倒してみたらどうだ?』てアドバイスが降ってきて。『ご親切にありがとうございます』って後ろを振り返ったら、オルさんが立ってたわ」


 さすがに笑った。


「ははっ! お前、泥棒の癖にすっげぇとろいじゃん! いやー、じいちゃんって感じの登場の仕方」

「人のこと笑ってるけど、クロルはそのときどうしてたの~?」

「……二階で寝てた、かな」


 泥棒が入ってきて玄関やら金庫やら音が鳴りまくっているというのに、ぐーすか寝ていたクロル。騎士になる前だから、有事にぐーすか寝ていたっていいだろう。


「で、じいちゃんは何て?」

「私をじーっと見てから、サムズアップ。『スタイルがグッドだ!』って言われたわ」

「……くそじじい……」


 頭を抱えるしかなかった。


「すぐ逃げたのか?」

「ううん。転んだときに足を捻っちゃったの。逃げようと思って足を引きずったら、オルさんが引き止めて手当してくれたの」

「え、それまじ?」

「驚くよね。『ソワールに盗みに入られるなんて人生わかんねぇもんだな』なんて笑いながら、包帯巻いてくれた。優しい人だった」


 レヴェイユは、目の前に広がる時計店の幻影を見ているようだった。懐かしそうに、愛おしそうに。


「じいちゃん、お前のこと見逃したのか」

「うん。『若いのに盗みなんてやめておけ!』とか、お小言はたくさん貰ったけど、最終的には『女性の秘密を守るのは紳士の勤めだ』って」 

「うわ、言ってそう」

「私、オルさんのこともう大好きになっちゃって。包帯を巻かれたところがあったかくて、物語に出てくる優しいお父さんみたいな、そんな感じだったなぁ」


 クロルは思い出す。両親が死んだ後、毎日毎日、抱きしめて愛を詰め込んでくれた祖父のことを。そりゃあ好きになるよなーなんて思ったりするくらいには、クロルはおじいちゃんっ子だった。


「すっかり目的も忘れて、思わず『時計を買いたいです』って言っちゃったの。深夜のお店で売ってもらったのが、前に見せたシルバーのレディース時計」

「へー、金払うことあんの?」


 ナチュラルに失礼な質問だ。


「ふふっ、時々ね」


 こちらもナチュラルに返しが強い。メンタル剛の者。


「お母さんにもよく言われてたんだけど、私ってあんまり執着心がないっていうか、大切な物って一つもなくて。でも、物を大切にする事はできるから、オルさんの時計は大切にしてたわ。……もう無いけどね。ソワールの愛用品とかいって値が付いて、誰かが使ってくれたら嬉しいな」


 レヴェイユの部屋には即日騎士団が入り、私物は全て押収されている。可愛いベッドシーツも、白いレースのワンピースも、床に置いてあった目覚まし時計たちも。そして、腕時計も。


「その時計、返してほしいとは思わねぇの?」

「そうねぇ、どうせもう死ぬからどっちでもいいかな~」

「色々と執着心ゼロだな……」


 出来れば、もっと生にしがみついてほしい。


「それでね、一週間に一度。金曜日の深夜にオルさんのところに遊びに行くようなったの」

「は? 毎週? そのときどこに住んでた?」

「王都の東側かな」

「遠っ! 毎週通ったのかよ」

「そんなに遠いかしら? 馬を取り替えて走り続ければ六時間くらいで行けたわよ?」

「色々と強すぎる。毎週、金曜日……すげぇな。ん? 金曜日?」


 そう言えばと思い出す。


「待て待て、思い出した! 毎週金曜日、菓子を買いに行かされてた時期があった。あのジジイ、妙にそわそわうきうきしてたんだよ。あれってまさか?」

「はい、深夜のお茶会で頂いてました。クロルの選ぶお菓子が本当に美味しくて~。趣味が合うなぁって思ってたの」

「まじか」

「その金曜日のお茶会で、私が楽しみにしていたのが『どうしようもない孫のクロル』の話。クロルの好きなもの、嫌いなもの、喜ぶこと、悲しかったこと、失敗したこと。色んな話を聞かせてくれたわ」

「……あのクソジジイ」


 故人であっても、さすがに蹴り飛ばしたくなった。


「話を聞けば聞くほど会いたくなった。オルさんの孫だもの、絶対素敵な人だろうなって。でもソワールだから、そういうことはできないでしょ? 寝床に忍び込む勇気はなかったし、いつかこっそり見に行けたらいいな~なんて思ってた。もっと急げば良かったのにね」

「あー……そうか」


 クロルは思い出す。金曜日にお菓子を買っていたのは、三か月くらいの期間だけ。


「……オルさんって、いつから病気だったの?」

「病気になったのは七年半前かな。治療もしてたけど年齢が年齢だったから。レヴェイユはどうやって知ったんだ?」

「何も知らずに金曜日の深夜に行ったら、お店が……時計も看板も何もなくなってた。しばらく経ってからブロンに調べてもらってオルさんが……亡くなったことを知ったの」


 彼女はおっとり顔をくしゃりと歪ませて、少し涙目になっていた。そんな顔を見せられては、どうしたって当時のことを思い出す。


「……じいちゃんが亡くなる少し前。病気が悪化しちゃってさ、入院したんだ。時計修理の仕事が残ってたから一度帰ったら、店の時計が全部盗まれてた。全部、ぐっちゃぐちゃ」


 こじ開けられた店の正面扉。持っていた傘を片手に、恐る恐る覗いた無残な店内。床に散らばったショーケースの欠片たち。全部失った虚無感。それが六年前の春。


「で、じいちゃんはそのまま亡くなった」


 足を放り出したら(かかと)が強く当たって、カツンと響いた。


「病気になった時点で、俺が跡を継ぐってことで準備してたんだけど、借金を抱えることになっちゃって店は諦めた。翌週の金曜日にはもう店をたたんでたし、俺は稼ぐために王都に出てた」

「そう……」


 彼女は、ぽつりと相づちを打つだけ。オルの死に対しては涙ぐみ、囚人服で目元を拭う仕草を見せたのに、窃盗話には温度のない声を返してくる。なかなか複雑だな、とクロルは思った。


「私ね、ものすごく眠りが深くて、朝も弱いの。寝坊してばかり」


 店がなくなったという悲しいエピソードに対し、唐突にねぼすけ話を重ねられ、クロルは「はぁ」とテキトーに返す。


「泥棒なのに真夜中の窃盗もままならなくて。その話をしたら、オルさんがやたら嬉しそうに『絶対に目が覚める時計をプレゼントしてやる。任せとけ!』って言ってくれたの。苺色にしたから気に入るぞって」

「じいちゃんが? へー、そんなの作ってたんだ」


 様々なカラクリ時計を作っていた祖父を思い出すが、けたたましい音が鳴る苺色の目覚まし時計なんて作っていただろうか。記憶になかった。


「でも、その目覚まし時計も結局貰えないままだったな~」

「心残り?」

「そうねぇ、どうかしら。仕方ないかな」

「やっぱ執着心ないのかよ」

「だって、目覚まし時計だけあってもね~」

「ドライなやつ」


 クロルは少しガッカリした。オルのことを大好きだと言うならば、その目覚まし時計とやらにも執着して、泣いてダダをこねるくらい悔しがって欲しかったからだ。


「ふふっ、そうね。でも、私もね、オルさんがお店を大切にしてたのは知ってたから、さすがに一泡吹かせてやらなきゃと思って彼らにケンカを売ったの。そのとき、獲物を横撮りされた彼らの反応が面白くて、ちょっかいを出すようになっちゃったのよね~」

「彼ら?」

「うん、サブリエよ」


 瞬間、クロルは察した。目の前にいるのはソワールで、彼女の弟は情報屋ブロンなのだ。知らないわけもない。レヴェイユの肩をぐいっと引っ張って問い質す。


「盗賊団サブリエ?」

「うん?」

「店の時計、全部盗んだ犯人」


 彼女は「え?」と驚いた表情を見せた。これまでクロルが何も知らずに過ごしていたことを、初めて認識したようだった。


「……知らなかったの? うん、そうよ。ブロンが調べてくれたから間違いないわ」


 クロルだって、その可能性を考えなかったわけではない。ただ、盗賊団サブリエは王都を中心に盗みを働いていたことから、西の街のしがない時計店を狙う理由が思い至らなかったのだ。


「盗賊団サブリエ……」


 ドクンドクンと心臓が鳴る。クロルの中にふつふつと沸き上がる嗜虐心。今まで捕まえてきた悪女たちやソワールを見たときに感じたそれよりも、深く黒い熱が血液に乗って全身を回る。


 絶対、牢屋にぶち込んでやる。そう思った。





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マシュマロ

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