44話 レヴェイユ・レイン(後)
注意、人が亡くなる描写が入ります
初代ソワールにどういう意図があって二人を受け入れたのか、レヴェイユには分からない。家族とも違う、盗賊団みたいな組織とも異なる、特殊な三人暮らし。
レイン姉弟はソワールのことを「お母さん」と呼んでいたが、彼女はいつも「ソワールとお呼び!」と返す。母親であることを認めてはくれなかった。そんな不思議な関係だった。
彼女は泥棒だ。生活の全ては盗品でそろえられ、盗品で育てられたレイン姉弟の善悪の概念は少しずつ変えられていく。
「お母さん、服が小さくなってきたわ」
「ソワールとお呼び! はぁ、面倒だけど新しい服を盗ってこないとね。どんな服がいい?」
「うーん、何でもいいかな~」
「レヴェイユ、あんたホントに欲がないわねぇ。好きな色は?」
「うーん、わかんない」
「フリフリ派? シンプル派?」
「うーん?」
「……煮え切らないわね。女は欲深く生きよ! ショッピングに行くわよ。好きなものを自分で盗みな!」
ぼんやりレヴェイユのために、服を盗む技術を叩き込む。なんだろうか、この『それじゃない感』。
また、ある時は。
「お母さん、お腹減ったんだけど」
「ソワールとお呼び! じゃあ夕食を盗ってくるから、お皿でも用意して待ってて。メニューはどうしようかしら?」
「オレ、温かいスープがいい!」
「ぇえ? 汁ものは逃走中にこぼすから却下。レヴェイユは?」
「なんでもいい~」
「出た。『なんでもいいレヴェイユ』ね! ほら、何か選びなさい」
「じゃあ、ショートケーキかなぁ」
「却下。夕飯のおかずにはならないわよ。ほしいなら自分で盗みなさい」
「え~、理不尽」
盗むのは良いのに、ケーキを夕食に出すのはダメ。よくわからない価値観だ。
そういえば、こんな場面もあった。
「お母さん、泥棒は悪いことって本当? 近所の子が話してたよ」
「ソワールとお呼び! あら、悪いことではないわ。いい? 人は支え合って生きていくものでしょ。うちには服がないから、服を持ってる人から盗る。服を盗られた人がもし困っていたら、他の人から盗ればいいのよ。持ちつ持たれつ。助け合いって素敵でしょ?」
「素敵ー!」
素敵すぎて引く。
本当に変な育て方だった。レヴェイユが泣いていたって我関せずだったし、怪我をしたら『どんくさいわねぇ』と包帯だけ渡された。熱が出たって看病なんかしてくれない。薬を渡されて終わり。
かと思いきや、お腹を空かせているとご馳走を盗んできてくれるし、寒い日にはこれでもかってほどに高級な布団を盗んでくれた。『これじゃない感』のオンパレードだ。
そんな特殊人間ソワールに育てられたレヴェイユは、物心つくころにはソワールの善悪概念が擦り込まれ、文房具や服など必要な物は自分で盗るようになっていた。ブロンは泥棒が下手くそだったから、ブロンの分も全部レヴェイユが盗っていた。
初代ソワールも面白がって泥棒技術の全てを叩き込んでいたし、父親譲りの尋常ではない喧嘩強さと運動神経の良さも相まって、初代も認める天下一品の逸材が誕生してしまったというわけだ。
レヴェイユは、母親に教えてもらった。泥棒がすっごく楽しいことだと。鍵を開けるときの快感、こっそり忍び込むスリル、盗めば盗むほどスキルアップしていく実感、出来ることが増えていく喜び。最高の遊びだった。
そして、幸せ?に暮らして十一年間。レヴェイユが十七歳になる少し前に、初代ソワールは病気になってしまった。奇しくも、産みの母親と同じ病気だった。
「お母さん、大丈夫? 苦しい?」
「ソワールと、お呼び……」
「姉ちゃん、薬を飲ませよう。呼吸が浅い」
「うん、そうね」
「薬はもういいわよ、長くはないわ」
「何言ってんだよ、弱気になんなよ……」
「さすがに命は盗めないから、困ったもんねぇ」
「お母さん、何か必要なものはない? 私、盗ってくるよ?」
「ソワールとお呼び。そうねぇ」
レヴェイユは「なんでも言って?」と、甘く優しい声で語りかける。
「じゃあ、お願いしようかしら」
「うん、なぁに?」
「西の街の外れにあるカラクリ町に行ってきて」
「カラクリ町? 知らないわ。ブロン知ってる?」
「ああ、時計職人がたくさんいて、カラクリとかオモチャとか有名な町っしょ?」
ブロンが得意げに言うと、ソワールは「そうよ」と苦しそうに続ける。
「何でもいいから、腕時計を一つ盗ってきて」
「……なんで西の街なんだよ? だいぶ遠いけど」
「遠いからいいのよ、分かるでしょ? どうしても欲しいの。お願いよ。レヴェイユだけじゃ不安だから、ブロンと二人で行きなさい。すぐに行って」
「わかったわ。私に任せて~」
憧れのソワールに頼られたのだ。レヴェイユはすぐに立ち上がる。
「二人とも気をつけてね。……ブロン」
「……なに?」
「あんたは顔がいいし、心の壁が薄いところが魅力よ。上手く使いなさい。立ってるだけで好かれるのは才能。でも、短気は損気。男は焦らすくらいがちょうどいいんだから、覚えておきなさい」
「なんだよ、それ」
「レヴェイユ。あんたはぼんやりしてるから、いつか捕まると思うわ」
「そうかなぁ? 泥棒は上手な方だと思うけど」
「どんなに上手でも、心に隙間があるとダメなのよ。欲しいものをどんどん増やして……隙間を埋めるのよ。もっと泥棒が上手くなるわ」
「う、うん。わかったわ」
「分かったら、早く時計を持って帰ってきて。待ってるから」
「いってきます、お母さん」
「……いってらっしゃい」
レヴェイユはコロッと騙されちゃって、すぐに西の街へ向かおうとする。
ブロンも付いてはくるものの、何かを思い詰めている様子で、歩きながらも俯いていた。レヴェイユが不思議そうにすると、そこでブロンは足を止める。
「どうしたの? 早く行きましょ?」
「ホント姉ちゃんってちょろいよなぁ……あー……ダメだ。やっぱり戻ろうぜ」
「なんで?」
「分かんないのかよ。母さんは、オレたちに黙って、どっか行くつもりなんだって!」
「え? なんでそんなことするの?」
「……それが母さんの願いなら受け入れた方がいいかなって思ったけど、やっぱダメだ。戻りたい、最期は一緒にいたい」
「最期?」
「西の街から帰る頃には、たぶん」
レヴェイユはそこで理解した。ソワールが『西の街』なんて遠い場所を指定したのは、そういうことなのだと。
「や、やだ!」
悲しい気持ちが爆発して、目からドバッと涙があふれた。そのまま泣きながら全速力で駆け出す。どこにも行かないで、一緒にいて、と心の中で願いながら。
走っている途中、ブロンまで泣き出すものだから、お互いによしよしと背中をさすりあって、手を繋いで一緒に走った。
でも、遅かった。ベッドはもぬけの殻。レヴェイユとブロンは死に物狂いで探した。国中の騎士が捕まえられない女泥棒を、必死で捕まえようとした。
夜通し泣きながら探して、夜明け。靴底がすり減って使い物にならなくなった靴を脱ぎ捨て、傷だらけの足で朝日を迎えた。
母親を見つけたのは、傷の消毒のために足を洗おうと、王都を流れる大きな川に寄ったときだった。
季節は初冬だったから、きっと冷たいだろうと身を固くして川に入ろうとした。水面に朝日が反射して異様に眩しくて、一度顔を上げる。
すると、高い橋の上に、金色の髪の女性が立っているのが見えたのだ。
やせ細ってはいたし、黒い外套も着ていなかったけれど、やっぱり朝日だってスポットライト。妖艶に微笑む姿は、あの日に助けてくれた憧れの女泥棒ソワールそのままだった。
レヴェイユとブロンは、母親を見つけて大喜び! 汚れた足のまま、大はしゃぎで走った。橋の下から笑顔で手を振って、「お母さん、帰ろう!」「愛してるよ、一緒にいよう!」と必死に呼びかけた。
でも、彼女には聞こえていなかったのだろうか。二人に視線を向けることはなく、とびきり妖艶な笑顔のまま、橋の上から美しく飛び降りた。
翌朝。二センチ角くらいの記事だった。身元不明の金髪の女性が橋から身を投げたと、小さな小さな訃報が新聞の隅っこに載った。彼女の命の大きさは、それだけだった。
全く以て、不思議な関係だった。レヴェイユもブロンも、ソワールの本当の名前すら知らなかった。どういう生まれで、どうしてあの日にレヴェイユたちを助けてくれたのかも、何も知らない。
なぜ最期は、自ら身を投げたのかも分からないまま。それが彼女の愛し方だったのかもしれないし、彼女が背負った業だったのかもしれない。
あるいは、レヴェイユとブロンから何かを盗りたかったのかも。全く以て、不思議な関係だったのだ。
泣き疲れたレイン姉弟は、両親の墓の隣に、ソワールの小さな墓を作って弔った。
「ねぇ、ブロン。私たちこれからどうしたらいいかな?」
「姉ちゃんはソワールを継ぐんだと思ってたけど、違うの?」
ブロンの金髪がそよそよと風で揺れる。ソワールとお揃いの金髪に青い瞳。どことなく似ている目鼻立ち。実はこっそりと『本当の親子みたいで羨ましいな』と思っていたレヴェイユは、その金髪を優しく撫でた。
「お母さんは、なんで橋から飛び降りたのかしら」
「わかんねー」
「十一年前、私たちを助けてくれた理由。ブロンは知ってる?」
「知らねー」
「だよね~。ふふっ、不思議なお母さんね」
ブロンにはお揃いの色がある。レヴェイユは、母親ゆずりのたった一つの『おそろい』を大事にしたかった。
「私、ソワールをやるわ」
「うん。いいじゃん。ってか、それ以外、姉ちゃんが金稼げる職業ないっしょ。ふわふわのぼんやりだもん」
「む~」
ブロンはキラキラと瞳を輝かせ、二代目ソワールの誕生をはやし立てる。十三歳の悪戯っぽい笑みだ。
「やってみれば?」
「うん! 泥棒好きだしやってみる~」
さすが善悪の概念がゆるゆるなレイン姉弟! こうして二代目ソワールになってしまったというわけだ。足を洗う機会だってあったはずなのに、毒を食らわば皿まで。
レヴェイユが牢屋の中でこの話をしているとき、クロルは頭を抱えていたわけだが、仕方あるまい。これが事実。
「姉ちゃん、初仕事の品物どうする? オススメの一品があるんだけど?」
「あ、わかった~。せーので言ってみる?」
「いいぜ。せーの!」
「「カラクリ町の腕時計!」」
こうして、初代ソワールの弔い合戦が初仕事。これまたどういう因果か、オルの時計店に忍び込むことになったのだった。




