43話 レヴェイユ・レイン(前)
注意、人が亡くなる描写が入ります
【二十四年前・王都】
王都の端っこに、北の裏通りと呼ばれる場所があった。違法な賭博場が立ち並び、騎士の目をかいくぐってゴロツキが闊歩する。
そんな治安の悪い場所にお似合いの、悪い男が一人。苺みたいな赤髪をなびかせて、毎日悪さばかりしていた。
「おい。そこのお前、有り金、全部よこせ」
「ひぃ! な、なんだお前は!」
「こんなところで仕立ての良い服なんて着ちゃって、逆に心配になるなぁ。身ぐるみ全部剥がされるのと、俺に寄付するのと、どっちがいいか五秒で選べ」
「なんだと!?」
「五、四、三、」
ガッシャーン! まだ三秒しか経っていないのにも関わらず、その悪い男はボロボロの靴で、道端のゴミ箱を蹴り上げた。
その威力といったら! 金属製のゴミ箱は壁に激突してペシャンコに。
こんなものを見せられては、通りすがりの善良な人間は「寄付で!」と言うしかないだろう。
「物分かりの良いお友達で、ありがてぇなー」
しかし、悪い男が金を巻き上げようとしたところで、「あら?」と声がかかる。やたら甘い声だ。
悪い男が肩を震わせて振り向くと、そこには金髪碧眼の超美人が立っていた。
「偶然ね。こんなところで何してるの~?」
「げ、ソレイユ」
「ちょうど良かった~。あのね、今日はね、新鮮な卵をもらったからプリンを作ったの。うちに来ない? 小さいころからプリン好きだったものね」
「……あぁ、わかった。行く」
「ふふ。あら、そちらの方はお友達? プリンはお好きかしら?」
金髪美人のソレイユがニコッと微笑めば、カモにされていた紳士はデレっとする。そうなると、ギロっと睨むのが赤髪のゴロツキ男だ。
その睨みの冷徹さと言ったら、カモの紳士は「ひぃ! おかまいなくー!」と、逃げ去って行くほどだ。
「あら、プリンは嫌いだったのかしら?」
「そうかもな」
「残念ね~」
彼と彼女は、幼なじみだった。
ソレイユは美しいと評判の娘で、北の裏通りに舞い降りた天使だとかもてはやされていた。
当然、幼なじみのゴロツキ男も彼女に恋をしていた。悪い男のくせに、彼女のことが好きすぎて、結婚するまで手を出せなかったくらいだ。
というわけで、そんな奥手の悪い男がレヴェイユとブロンの父親で、舞い降りちゃった金髪美人が母親だ。
父親の尋常ではない努力の賜物、二人は常に一緒にいたものだから、自然な形で結婚。愛の結晶として、苺色の髪の女の子が生まれた。
一つ目の悲しい出来事が起きたのは、レヴェイユが四歳になったときだ。
あんなに強くて乱暴者だった優しい父親が、あっけなく事故で死んでしまったのだ。整備不良の馬車が横転し、運悪く下敷きになって亡くなった。身体も心も強くても、どうしたって人は脆い。
そのとき、母親であるソレイユのお腹の中には第二子、すなわちブロンがいた。
悲しみに暮れながらも、母は強かった。いや、強くあろうとした。小さなレヴェイユとお腹の中の赤ちゃんを育てるために、それはもう大変な思いをして愛情を捧げた。
毎日、傷んだ手で苺色の髪を撫でてくれて、「レヴェイユのお父さんは格好良かったのよ」なんて話をしてくれていたっけ。
父親の分まで愛さなくてはと、きっと頑張りすぎてしまったのだろう。ブロンが生まれてすぐの頃、母親は重い病を患った。
それでも生きなければと地を這うように戦った母親の命は、レヴェイユが六歳のときに尽きてしまう。どんなにそこに愛があったとしても、奇跡なんて早々起きやしない。
長雨に豪雨が重なって、たくさんあった愛が流されたみたい。それがレイン家の末路だった。
六歳と二歳。二人ぼっちになってしまったレイン姉弟は、紅葉みたいな小さな手を固く繋いだまま、北の裏通りにある孤児院に送られた。
「ねーちゃ」
「なぁに、ブロン」
「ぎゅっ」
「ぎゅーしようね」
レヴェイユは、初めて孤児院で寝た日のことをよく覚えている。『おやすみ』と言った瞬間に寝るのがレイン姉弟だったのに、この日はいつまで経っても眠れなくて。「ぎゅー」と言いながら、弟を抱き締めた。
墨をこぼしたみたいな夜が怖くて、「ブロン」「あーに?」「ねーちゃ」「なぁに?」って、何度も何度も名前を呼び合った。きっと、これから二人で生きていくことを、擦り込むように認め合っていたのだろう。
しかし、レイン家に降る豪雨は、まだ続く。三つ目の悲しい出来事が起きたのは、孤児院で過ごして一週間が経った頃だった。
静かな夜、ぎゅっと抱きしめていた温もりがなくなったなぁと思って、六歳のレヴェイユが目をこすりこすり「ぶろん?」と隣を確かめてみると、弟が跡形もなく消えていたのだ。
寝起きの悪いレヴェイユであっても、一瞬で目が覚めた。慌てて部屋を出ると、ブロンを抱えた男が外に出て行くところだった。見たこともない男だ。
「待って! どこに行くの~?」
真夜中のピクニックかな、のん気なレヴェイユがスキップらんらんで近付くと「なんだこのガキ!」と怒鳴られた。
「私も連れてって~」
負けじとちょろちょろ動き回って行く手を阻むと、男は面倒くさいと思ったのだろう。レヴェイユも抱えて馬車に放り投げてくれた。
「ねーちゃ?」
さすがにブロンも目を覚ましたので、真夜中のピクニックに行くことを教えてあげた。青い瞳をキラキラ輝かせて「わあい!」と喜んで、二人は大はしゃぎ。どこに行くのか聞いても、全く答えてくれないミステリーツアー。ドキドキした。
でも、そのドキドキは、少しずつ別のものに変わる。レヴェイユとブロンがあまりにも騒ぐものだから、男が怒鳴り始めたのだ。
「うるせぇ! これから、お前らを売りに出す。金髪のガキだけって契約だったのに、赤色のガキがついてくるなんて計画がちげぇじゃねぇか!」
「赤も売れなくはねぇだろ、カッカするな」
「てめぇがヘマしたからだろが!」
「ぁあ!?」
北の裏通りでゴロツキと対峙してきたレイン姉弟にとっては、これくらいの怒鳴り声は鳥のさえずりみたいなものだった。
レヴェイユは「む~」と頬を膨らませて、割って入る。
「赤色じゃないもん、苺色だもん」
短気な男共は、こんな子供の煽りにも耐性がなかった。大人げない罵詈雑言を浴びせた後に、馬車を停める。そして、レヴェイユをポイっと投げ捨てたのだ! なんてひどい奴らだろうか。
王都の灯りは遠くにぼんやりあるだけで、すぐそこは森。タイミングが良いのか悪いのか、獣の鳴き声が聞こえてくる。
馬車からの灯りだけが頼りで、それがなくなれば自分の手も見えないくらいに真っ暗になるだろう。六歳の小さな身体に、大きな恐怖が襲った。
「や、やだ!」
「ねーちゃ」
「野垂れ死にな、このガキが!」
「やだやだ、置いていかないで」
「行くぞ」
「ブロン! やだやだ、ごめんなさい、ごめんなさい! もうお喋りやめるから、おいてかないで! ブロンと一緒がいいの、ごめんなさい!」
小さなレヴェイユは泣き叫んだ。恐怖と焦りを詰め込んだ金切り声だ。
でも、その声は届かない。非情な男共は笑い声を響かせて、馬車のドアを閉めようとする。そのときだった。
「あらあら? 子供相手に、大人がいーち、にーい、さーん……三人も? はっずかしー」
それは、とても艶美な声だった。夜に溶けるような声が、レヴェイユの頭上から落ちてきたのだ。
次の瞬間には、御者席で笑っていた男が「ぐっ」と、くぐもった声と共に地面に落ちる。
その次には、「なんだ!?」とドアから顔を出した男が黒いヒールで蹴り上げられて地面に転がる。
勿論、馬車の中にいた男も顔を出してしまい、ヒゲ面が歪むほどの肘鉄をお見舞いされて、意識を手放す。
まさに、あ、という間。
「全く。品性の欠片もない悪人がいたものね」
馬車から零れる淡い光が、まるでスポットライトみたいだった。
金色の髪をかきあげ、黒いブーツのつま先でトンと地面を小突く。真っ赤なリップを口元に添えて、楽しそうに青い瞳を細める悪女。
「わぁ、すてき……」
女の子なら誰だって憧れの存在がいるだろう。舞踏会で踊る美しいお姫様、真っ白な羽を持つ清廉潔白な天使、箒にまたがったおっちょこちょいの魔女。それだけじゃない。
闇夜にまぎれて少女の憧れを盗んだのは、最低最悪の悪女・初代ソワールだ。
「た、助けてくれたの? あなた、だあれ? 女神様? 天使様?」
「ふふっ、ソワールよ」
「え? ソレイユ? 金色の髪、青い目……お母さん? お母さんだわ!」
「へ?」
「ブロン、お母さんよ! お母さんが何か強くなって生き返ったわ~!」
子供の勘違いではなく、事実として、とんでもなく似ていた。同じ金色の髪、青い瞳、美しい顎先から目尻の形。何かの因果があると思わずにいられないほどに、ソワールとソレイユは瓜二つだったのだ。
これはきっと試練を与えすぎた神様が気まぐれに寄越したギフトだったのかもしれない。
「かーしゃん? かーしゃん!」
「お母さん! 会いたかったよ~」
「え、違うわよ。産んでないから」
ソワールの戸惑いと否定も聞かず、小さな子供たちは「お母さん!」「かーしゃん!」「わーい!」「わぁい!」と母親復活祭のお祭り騒ぎ。
「ぇえーー?」
真夜中の事件をキッカケに、何だかよく分からない縁が出来てしまい、レイン姉弟はソワールに懐いたのだった。




