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42話 牢屋でデート



 ぴちょん、ぴちょん、水の音が聞こえる。これは雨漏りの音だろうか。外は雨が降っているのかも。地面に続いているはずの天井を見上げて、想像を巡らす。


「寒い~」


 昼なのか夜なのか。窓も時計もない暗い地下牢の中で、レヴェイユ・レインは子供のように丸く縮こまっていた。


 捕縛されたら牢屋行きなのは分かっていたけれど、寒いものは寒いのだ。安っぽくてザラザラした白い……ワンピースとも言えない囚人服を着せられ、髪はぼさぼさ。オシャレの一つもできやしないし、ここにクロルがいなくて良かったなんて思ったり。


「最後に、恋らしい恋ができてよかったなぁ」


 クロルが騎士だと知ったとき、騙されたと思う前に、ただ彼に嫌われるのが怖いと思った。捕縛も処刑も怖くないくせに。

 言いようのない恐怖心と罪悪感が、底から這い上がってくる感覚。あの瞬間、彼を深く愛していることを理解した。



 先日、クロルと一泊旅行?をした後のことだ。ふと思い立って、以前に盗みを働いたことのある屋敷に、もう一度忍び込んでみた。クロルとのデートで聞いた、『財布を盗られたおじいちゃんが可哀想』という彼の発言が気になったからだ。


 家に忍び込むという悪事を働きつつも、こっそりと彼らを観察してみたが……正直言ってよく分からなかった。何の思い入れもない、見知らぬ他人。可哀想だとも思わなかったし、後悔したり罪悪感を持つこともなかった。そんな感情が無いから、今、牢屋にいるわけだが。

 

 でも、クロルが好きになるような女性は、きっと『可哀想』という感情をちゃんと持っている人だということだけは、理解できた。


「……嫌われちゃったよね」


 なんて呟いてみて、そもそも彼に好かれていたわけではないと思い直す。

 愛してると言ってくれたのも、熱っぽい茶色の瞳を向けてくれたのも、愛おしそうに抱きしめてくれたのも、それは全部仕事だったから。


「うん、仕方ないわよね~」


 そんな呪文を唱えて、一つだけポロリと涙を零す。当然、彼を恨む気持ちなんて欠片もなかったが、ある種の失恋のような悲しい気持ちはあった。それでも、悲しみすらもご褒美であるかのように、彼がくれた罰を受け入れる。それだけだ。


 そうして、ふわふわとは言えない毛布にくるまって、これまたふかふかではないベッドにゴロンと寝ころぶ。眠くなったら目を閉じて、夢から覚めたら目を開けて、たぶんあと数回ほどこれを繰り返せばそこで終わり。


 目を閉じて三秒。おねむのレヴェイユにはすぐに眠気が訪れる。今夜もクロルの夢を見ることができるかなと思ったとき、「ぐっ」とくぐもった声が聞こえた。

 目を開けて檻から少し様子をうかがう。なんとびっくり、先ほどまで直立不動で監視をしていたはずの騎士が二人、地面に転がっているではないか。


「え、なに?」


 何者かに暗殺されるのだろうか。レヴェイユは右肩を少し引いて、いつもの構えより手を伸ばす形で防御寄りの構えを取った。武器は何もない。

 極刑を受け入れる覚悟はあったが、得体の知れない人間に殺されるのは嫌だった。クロルの手柄にならないじゃないか。


 ―― 王家の影とか暗殺者とかかしら。ちょっと物語っぽい~


 相当な手練れでなければ、ここには辿り着けないはずだと身構える。


「あ、いたいた。レヴェイユ」


 相当な手練れがやってきた。と思ったら違う意味での手練れ、クロル・ロージュだった。


「ひゃ! クロル!?」

「なにビビってんの? その構え……また強烈キック出すのかよ、怖ぇんだけど」


 構えていた腕を慌てて解き、ボサボサ頭を手で整える。


「だ、だって王家の影とか暗殺者とかだと思ったの。なんだ、愛のファントムだったのね。はぁ、びっくりした~」

「愛のファントム」

「デュールさんがそう呼べって言ってたわ」

「あの眼鏡、ロクなこと言わねぇな。まじでやめろ」

「ふふっ、お似合いよ?」


 レヴェイユがニコッと笑って茶化すと、クロルはそれを無視して牢屋の中を観察していた。レヴェイユに視線を向け直して、爪先から頭のてっぺんまでじーっと見てくる。

 不躾で美しい視線。思わずポーズを取りたくなったので、軽くモデル立ちをして答える。


「なぁに? 一回転しましょうか?」


 クルリと回れば囚人服がヒラリ。


「回るなよ……いや、犯罪者っぽいなーっと思って」 

「ふふっ、犯罪者です~♪」


 レヴェイユがおっとりと自己紹介すると、クロルはげんなりという顔をした。


「捕縛のときも思ったけどさー、お前って素もそういう感じなわけ?」

「うん、そうかも? クロルもあんまり変わらないね。近所のマダムに貰ってた服も素敵だったけど、騎士服もカッコイイ~」

「緊張感ねぇな……」

「緊張するような御用があるのかしら?」

「ある。ドキドキの逃亡劇」


 すると、クロルは真剣な顔付きで檻に手をかけた。


「ここから出よう」

「え!?」

「鍵を持ってきた」

「ちょ、ちょっと待って。何で逃げるの?」


 レヴェイユは戸惑う。そりゃそうだ、捕縛したのはクロルでしょうに。


「……捕縛したこと、後悔してる。極刑になるかもって聞いて、俺……」


 思いつめたように眉を寄せるクロルに、レヴェイユの胸がきゅんと鳴った。顔が良いって、本当に罪!


「ううん、逃げないわ」

「……なんでだよ?」

「逃げたらクロルに迷惑をかけるじゃない。騎士をクビになるだけじゃ済まないでしょ? それに泥棒してたのは本当だもの」

「レヴェイユ」


 クロルはためらうように三拍ほど目を瞑り、そして目を開けたかと思ったら、今度は鍵を開け出した。


「クロル! 何やってるの? だめよ」


 まるで悪さをした子供を叱るような優しく甘い声が響く。クロルが鍵を回せば、キーィっと音を立てて檻が開かれるが、それでもレヴェイユは動くつもりはなかった。


「クロル」

「早くしないと、取り返しのつかないことになる」


 その一言で、もう明日処刑がされるのだとレヴェイユは察した。サクサク展開の処刑に有難みすら感じて「脱獄なんてしないわよ~」と笑って返す。


「……なんでだよ?」

「あら、ただ生きていくことだけが幸せの形とは思わないわ。死んで幸せになることもあるでしょ?」

「レヴェイユ、茶化すな」


 クロルの真剣な眼差しに、やっぱりどうしても胸がきゅんとする。『貴方に捕まって死刑になったら、ずっと覚えていてくれるでしょ?』それを言ったら、もっと嫌われちゃうから。茶化して濁して体裁を保つ。


「……なぁ、レヴェイユ。なんで泥棒なんてしてたんだよ? ずっと考えてたけど、俺には分からない」


 彼が苦しそうに顔を歪めれば、目元に添えられた泣き黒子も歪む。勿論、残念なほどにちょろいレヴェイユは、その一番星に誘われてギュンっと体温が上がった。


 罪悪感、恋慕の情欲、彼がここまでしてくれる高揚感、そしてやっぱり罪悪感。地下牢のひんやりとした空気を吸ってどうにか心を冷ますけど、熱は冷めやしない。

 あぁ、熱で焼け焦げそう。悪女レヴェイユであっても、クロルにこんな顔をされてしまっては心がじりじりと焼かれてしまう。痛くて叫び出しそう。


 そっと彼に近付いて、「ごめんなさい」と牢屋越しに謝った。檻に手をかけると、ひやりとして心地良い。


「謝らなくていい。理由が知りたい」

「理由?」

「レヴェイユ、話してほしい」

「でも、黙秘しないと……」


 クロル・ロージュは引き下がってはくれない。苦悩するように前髪をくしゃりと乱し、レヴェイユを真っ直ぐ見てくる。


「ここで聞いたことは誰にも言わない。俺だけに教えて?」

「クロル……」


 檻を持つ手に彼の手が重なって、ぎゅっと握られた。冷たかった金属が温まっていく。彼の顔が良くて、ツラい。チョロい。首はオートマティックに、縦に振られた。



 さぁ、ここから牢屋でおしゃべりデートの始まりだ。ほだされたチョロイユは「えーっとぉ」と言って続けた。


「理由は……ないかなぁ」

「理由が、ない?」

「泥棒業に携わろうと思った、志望動機ってことよね?」

「相変わらず言葉選びがアレだな……うん、まぁそういうことだ」

「志望動機は、うーん、特にはないかなぁ」

「待て待て待て。普通はあるだろ? 実は義賊的なことをやってたとか」

「え? ぎぞく? なぁにそれ?」

「いやいやいや、のっぴきならないやつ、あるだろ。脅されて仕方なくとかさ」

「え!? 私、脅されてたの? 誰に?」

「俺が知るわけねぇだろ。っつーか、理由ないのかよ」

「うーん、理由……理由? 参考までに、クロルはなんで騎士になったの?」

「は? 俺?」


 レヴェイユは「うん、騎士の志望動機!」と興味深々。


「……まぁいいか。俺の場合は、他の職業に就いても顔の問題で長続きしなくてさ」


 顔の問題とは何だろうか。


「たまたまデュールに誘われて、給金も良かったし、まぁ……流れで騎士になったかな。やってみたらやりがいもあったし」

「あ~、わかるぅ。私も他にできる職業はなかったし、お金も稼げるし、やってみたら楽しいし! 何となく流れで泥棒になったような、そんなような~? 同じね!」

「同じじゃねぇよ、同じにすんな。……もうホント嫌になるんだけど。なんで俺、こんな女……まじかよ……」


 クロルの渋い表情に胸がズキンと痛む。泣き虫のレヴェイユは思わず涙ぐんでしまった。「ごめんなさい」と重ねて謝ると、クロルはため息をつきながら「まぁいいや」と言って続ける。


「お前がソワールになったのは何年前からだ?」

「えっと、母が死んだときだから十七歳のときね。六年前」

「母?」

「うん、ソワールよ」

「母親がソワール? あぁ、お前が二代目ってことか。まさかの世襲制?」

「ううん。えっと、初めから説明するね」


 レヴェイユは記憶を揺らす。初めからと言っても昔のことすぎて、どこから何を説明すれば良いのかしら、なんて。話が長すぎてはいけないし、端的に述べなければと思うと、余計に苺頭がこんがらがってしまいそうだ。


「あぁ、なんか難しい予感がする~。えっと、あのね、母親だけど母親じゃなくてね」

「おう……?」

「えっとー、産んで少ししてから」

「産んだ?」

「うん、赤ちゃんを出産したの」

「出産? は?」

「そうそう、記憶はおぼろげなんだけど、ホント大変だったのよね~」

「……待って、それいつの話!? 相手、誰!?」

「え? あ、違うの、ごめんなさい。ブロンなんだけど」

「ブロン!? だって弟って……え、嘘? ……あー、ちょっとタイム」


 クロルはクルッと背中を向けて、何やら目を瞑って考え事をしている様子だった。レヴェイユは『待って』と言われたので、とりあえず待つ。ぼんやり。

 ぴちょんぴちょんと水の音が響く。十回ほどぴちょんとした後に、クロルはタイムを解除した。


「悪い。それで? ブロンとの赤ちゃんが何だって?」

「ブロンとの赤ちゃん? 違うわ、ブロンが赤ちゃんのときの話よ。産んだあとに病気になって二年後かなぁ、死んじゃったの」

「?」

「私が六歳のときだった。金髪って人気でしょ? そしたら大変なことになっちゃって」

「??」

「そこで会ったの」 

「???」


 『?』を並べまくったクロルは、そこで何かに気付いたように目を見開いた。


「レヴェイユ、お前……」

「なぁに?」

「めちゃくちゃ説明下手じゃね? そうだよ、そういやお前はそーゆーやつだった。素もそういう感じなのかよ」


 レヴェイユは長い説明が下手だった。特に記憶が薄い昔のことは、ものすっごく下手くそ。


「え!? そ、そうかしら? ブロンとしか話さないからかなぁ。普段から『長く話すな、なるべく冗談で返せ』って言われてたし……これはリハビリが必要ね」

「ったく、説明が下手なら仕方ねぇな。リハビリに付き合う。とりあえず全部聞きたいから、子供の頃の話から始めて。レヴェイユの人生丸ごと全部。時間は気にしなくていいから」

「え、そうなの? 床で寝ている騎士さんたちは大丈夫?」


 クロルは質問には答えず「お邪魔しまーす」とか言いながら、まさかの牢屋にお邪魔してきた。そして、固いベッドに腰掛けて隣に座るようにレヴェイユを促す。

 そんな素敵な顔で促されてしまったら、促されちゃうのがレヴェイユだ。そろそろとクロルの隣に座ると、「話をして」と真っ直ぐな瞳で返された。


「クロルには話してもいいけど、一応黙秘を貫いて死刑を希望してるの。だから、誰にも言わないでね?」

「なにそのエグい希望」

「まあ、割とよくある話だけどね。話は二十年くらい前に(さかのぼ)ります。はじまりはじまり、拍手~」

「……お、おう」


 クロル・ロージュの遠慮がちな拍手がこだまする。ぴちょんぴちょんと水の落ちる音は、まるで開幕のブザー。


 朝だか夜だか分からない。一筋の光も差し込まない暗く寒い牢屋の中。太陽のように眩しい美形を隣に携えて、誰も知らないレヴェイユの物語を語り始めた。






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