41話 平手打ちは避けるか受けるか
「お疲れ、デュール」
ソワール捕縛の翌日、昼過ぎ。クロルは騎士団本部内にある第五騎士団の棟に出勤した。
朝から出勤していたであろうデュールが「来たのか」と返しながら、隣のデスクで書類を捌いている。
ちなみにデュールも一応潜入騎士ではあるが、彼は内勤が基本だ。本部を不在にしていることの多いクロルの分の書類は、いつも彼が捌いている。ペンを走らせる速度はピカイチだ。
「任務終了の翌日は必ず休みが貰えるはずだが、どうした?」
「ちょっと用事があって。そういや、あの後どうなった?」
「ソワールか。とりあえず医務室に連れて行って処置をしながら少し聞き取りをした。本格的な尋問は朝からやってるらしいが」
「傷の具合は?」
「少し痣になっただけで、痕には残らないくらいだ。心配か?」
デュールが楽しそうに眼鏡を光らせていたものだから、少し面倒に思いながらも「あれでも一応は女だからな」とだけ答えておいた。
「で、何かしゃべった?」
「今のところ、有益な供述は盗品の隠し場所だけだ。動機も含めて黙秘を貫く様子」
「黙秘? え、それまじ?」
「ああ。昨日の時点で宣言していた。まるでカフェで珈琲を注文するみたいに『すみません、黙秘でお願いします~』と、のん気に言っていた」
デュールの声真似がちょっと似ていて、妙な器用さに呆れ顔のクロル。
「ははっ、馬鹿なやつ。黙秘なんかして、万が一極刑にでもなったら泣いて後悔するんじゃね?」
クロルが軽く笑って言うと、デュールは「確かに極刑も有り得るだろうな」と当然のように言う。
「二十年間も騎士団を翻弄してきたんだ。カドラン伯爵の判断にもよるが、王城文官たちも黙っていないだろう。極刑と判断されてもおかしくはない」
「でも、あいつ二十三歳だぞ? 三歳のときからソワールやってたわけねぇし、数年の罪だけで極刑?」
「通常なら極刑になるわけもない。しかし、そうはいかないのが女泥棒ソワールだ」
窃盗、強盗、詐欺、脱税、たくさんの犯罪が発生しているが、殺人罪でなければ極刑になることはない。そりゃ長いこと服役することはあったとしても、……被害額や被害状況によっては一生収容所の中で暮らすこともままあるが、それでも窃盗罪で極刑なんて判例は過去になかった。
「窃盗で極刑? ……さすが、最低最悪の悪女はすげぇな」
「このまま黙秘を貫くかどうかだな」
「ふーん。この案件の尋問担当って誰? あいつ、茶化しの天才だから、キレやすいやつだとおちょくられて時間かかるかも」
「今のところ知能レベルの高い紳士な騎士が担当になっている。しかし、このまま黙秘を貫いたとしたら、紳士も狼にならざるを得ないだろう」
「オオカミ」
そこで後ろから「くーろーるー」と狼が吠えるような恨めしい声が聞こえてきた。何事かと振り向くと、紫色のニッコリボーイがニッコリせずに立っていた。その顔を見て、クロルとデュールは目を合わせる。
トリズの顔には、『三発はやられたな』と分かるほどの真っ赤な平手打ちの痕が付いていたからだ。トリズ・モントルに綺麗に平手打ちを炸裂させられる人物などいるだろうか。あ、一人だけいたか。
「その顔、どうした?」
恐る恐る聞いてみると、トリズが泣きそうな顔で「彼女に嫌われた……」と。
そういえば、ソワール捕縛時の第五騎士団の動きには触れていなかったが、彼らは大変な思いをして第三騎士団とのソワール争奪戦に勝ち星を上げたのだ。
昨日、夜十二時すぎにソワールを捕縛する予定であった第五騎士団であるが、まさか十二時前にレヴェイユが宿屋を抜け出すとは思わず、作戦変更を余儀なくされたのだ。
レヴェイユが食料庫でソワールに変身し始めたとき、クロルはいち早くそれに気付いた。トリズとクロルはレヴェイユを追跡し、目的地が美術館であることを突き止め、すぐに応援を呼んだ。
そこでデュールも到着。数名を美術館内に『第三騎士団』として潜入させて、作戦内容を把握しつつ妨害作戦を立てて実行。
ちなみにこの時、『クロルはソワールに惚れてしまった。騎士と泥棒、叶わぬ恋。せめてもの手向けに第五が捕縛するぞ!』と、またもやデュールが情報流出したため、『あのクロル・ロージュを落とした!』とか『あの美形が失恋だ!』とか、もうお祭り騒ぎ。
第五の士気はバキバキに高まった。クロルのプライバシーは息をしていなかった。
そして、そこかしこでソワールが逃げ切れるように助力をしつつ、第三騎士団の邪魔をしながら情報を抜き取るという泥仕合を行い、やつらがドーナツ屋でチェックメイトをする予定であることを逆手に取ってスタンバイ。
やたら美術館内の灯りを増やしたのは第五騎士団からソワールへのメッセージ『あなた、包囲されてますよ』だったし、ソワールが展示室に閉じ込められた際に剣をカチャカチャ鳴らしたのも『こちら、騎士がスタンバイしてまーす』のメッセージ。
彼女がドーナツ屋真上から飛び降りる際に、チカチカと光通信を送ったのはデュールだし、ソワールが煙幕弾を投げたときに『油に引火するぞ~!』とか叫んだのはトリズだし。
そして、制服に着替えて先回りしたクロル・ロージュによって森林公園内で捕縛、という流れであった。
一言で言うなら、超大変だったということだ。
さて、話を戻そう。トリズがドジ彼女から平手打ちを食らった話だ。
「へー、ドジ彼女に嫌われたんだ? なんで?」
「なにその興味なさそうな返事。もっとちゃんと聞いてよ~!」
「はいはい。ソワール捕縛のせい?」
「そうだよ! 彼女が働いてるショップが美術館の隣なんだけどね、たまたま忘れ物したとかで夜にショップに戻ったんだって。そして、僕が騎士服を着て美術館まわりにいたところを見られたという……」
「そりゃ、すごい偶然だな」
「で、ソワールが美術館で捕縛されたってファンの中で噂が流れて、全部バレて、これだよぉおお!」
トリズは自分の顔を指差して、クロルをギロリと睨んできた。
それにしても、ソワール捕縛のニュースが新聞に載るのは明日の予定だと言うのに、すでに知っているドジ彼女。ファンのネットワーク、恐るべし。
「へー、避らけれない程の平手打ちだったのかよ? ドジ彼女の戦闘力やばくね?」
「避けられます~。ただ、避けなかっただけ! あのねぇ、こういう怒りは甘んじて受け入れないと」
二十九歳らしい答えが返ってきて、ふむふむなるほど。平手打ちを避け続けてきたクロルは一つ学んだ。
「そういえば、トリズの嫁(予定)はソワールのファンだったか」
デュールはペンを走らせながらも会話を聞いていたらしい。
「そうだよ、それでこれだよ。憂さ晴らしさせろ~!」
「いってぇな。どのみち結婚したら潜入騎士だって話すんだろ? そしたらソワール捕縛に関与してたってバレるし、遅かれ早かれじゃね?」
「え、何言ってるの? 結婚しちゃえばこっちのものじゃん。絶対に別れてあげないし、彼女が逃げようとしたって僕から逃げるなんて無理だし~」
「どさくさまぎれにすげぇ鬼畜なこと言ってんな……」
クロルはちょっと引いた。
「それにさ、彼女にとってはソワールなんかよりも僕の方が大事なはずでしょ? 彼女に黙ってソワールを捕縛したところで、ちょっと怒るくらいだと高を括ってた。まさか別れるとか言い出すとは思わなくて……あぁ本末転倒~。正直、メンタルやばい。泣きたい~」
「二十九歳、落ち着け」
「デュール……そう言えば、レイじゃなくてブロンだっけ? デパル家でかくまってるでしょ~?」
「……ああ、その通りだ。憂さ晴らしにブロンを使うのは面白そうだが、ブロンも実姉の捕縛でかなり参っている。瞳も顔も真っ青で、非常に面白い鑑賞物に仕上がっているが、このまま実姉が極刑になったならば後追い心中しかねない」
「え~? 後追い心中する前にボコボコにしたいんだけど~」
「どこもかしこも穏やかじゃねぇなぁ」
クロルは遠い目で外を見た。
「とにかくそう言うわけだから、クロルお願い! 僕を助けると思って協力してほしいんだよ~。さあさあ、紅茶をがぶがぶ飲もう!?」
ここは宿屋ではないのに、トリズは『顔貸せよ』を発動。クロルは面倒そうだなと思いながら、飛び蹴りが怖かったので話を聞くことにした。
そうして会議室に三人の男が籠る。
好きな子にはSっ気を発揮する女たらしのクロル・ロージュ、全方位にドSを発揮する奇跡の二十九歳トリズ・モントル、品行方正の真面目眼鏡を装った快楽ドSのデュール・デパル。どこもかしこもサド男ばかりの第五騎士団だ。
開口一番、トリズが発する。
「これより、ソワールを脱獄させよう作戦会議を開始しま~す」
「は? なにそれ?」
「彼女に言われたんだよ~。『ソワールを脱獄させないと一生許さない』って」
「脱獄」
普通の痴話喧嘩に出てくるワードではない。仮に脱獄させてドジ彼女に許されたとしても、バトンタッチでトリズが処刑コースだ。すれ違いの恋愛が過ぎる。
「とにかく! 脱獄は無理だとしても、どうにかこうにか処刑を回避しないと本当に別れることになりそうなんだよ~、泣きたい。はい、何か案のある人!」
デュールが煙草に火をつけて狼煙をあげる。
「減刑嘆願書はどうだ? ファンのネットワークで即座に集まるだろう」
「はい、採用かつ却下! すでに彼女が集め始めてまーす」
「ファンの鏡」
デュールとトリズが「まずは黙秘をどうにかせねば」「こっそり自白剤を飲ませよ~」「弱い。ブロンを人質にするのはどうだろうか」「いいじゃん~。爪と指どっちにする?」とか穏やかではない話し合いをしている横で、クロルは深いため息をついていた。
もう全て捨て去って旅にでも出ようかな、なんて現実逃避をしてみたり。
「ちょっと、クロル聞いてる~?」
クロルはそれには答えずに、平和的正答を与える。
「トリズ。俺のお願いを聞いてくれるなら、全面的に協力してやるよ。乗るか?」
「それって、具体的な策があるってこと?」
「ある」
「乗る」
恋の奴隷であるトリズは即答した。結婚願望が強すぎて引く。
クロルは満足そうにニッコリ笑って紙を一枚ペらり。
「司法取引でどーよ?」
デュールとトリズは目を合わせて首を傾げる。言葉の意味が分からないというわけではなく、そんな前例は聞いたこともないからだ。
「司法取引~? そんなの出来るの?」
「ほう? 制度があるのは知っているが……」
「まぁな。知り合いの王城文官に聞いたんだけど、規格外の有用人材なら価値もあるし、騎士団と契約を結んで国に尽くすことで刑が免れる可能性があるんだってさ」
「いいじゃん~! クロル、最高っ!」
「って言っても、上層部が動かないと、どうしようもねぇんだよなー。トリズ、カドラン伯爵を動かせる?」
「もっちろん~!」
そこでデュールが訝しそうにしながら煙草の灰を落とす。第五騎士団のボスであるカドラン伯爵。一介の平民騎士が関わり合いになれる存在ではないからだ。
「待て。トリズがカドラン伯爵を動かすのか?」
「あ、デュールは知らねぇのか」
「うん、クロルにしか言ってない。端的に言うと、カドラン伯爵は僕の父親なんだよね」
「は!? トリズは伯爵家の出身だったのか? いや、しかし……」
子爵家のデュールは、カドラン伯爵令息の存在を知っている。カドラン家は二人兄弟であるが、もちろんトリズは含まれていない。
「よくある話だよ。カドラン伯爵が平民の女を愛しちゃって妾にしちゃって、生まれた婚外子が僕。今のところ、戸籍上は赤の他人だけどね。カドラン伯爵夫人も政略結婚だって割り切ってて他に恋人いるし、僕との関係も悪くはないかな~」
「なるほど。確かに同じ瞳の色をしているな」
「何回聞いても、全然『なるほど』とは思えねぇけどな」
初恋を終えたばかりの平民クロルには、妾とか政略結婚とかちょっと遠い世界であった。
「で、交換条件のクロルのお願いってなに?」
トリズが何の気なしに尋ねてくるものだから、クロルも何でもない風に答える。
「そろそろ異動したくてさ。でも、カドラン伯爵は『クロル・ロージュ』を手放さないじゃん? だからトリズに調整して欲しくって」
「は? 異動?」
タッグを組んでいた相棒の眼鏡がずり落ちた。
「クロル、潜入騎士を辞めるのか?」
「まあな。さすがに飽きたなーって」
「飽きた? あんなに楽しそうに悪女たちを葬っていたじゃないか。クロルが窓から手を出して捕縛合図を送ってくる瞬間、あの愉悦交じりの微笑みは第五騎士団の連中に『美の天罰』と呼ばれて大好評だったぞ?」
「人を快楽殺人者みたいに言うな」
「さらに、牢屋に入った悪女からは『愛のファントム』という二つ名で呼ばれているというのに……勿体ないことだ」
「クソだっせぇな」
「俺が名付け、そして広めている」
「恥ずかしいからまじでやめて」
デュールは軽く笑って、眼鏡をかけ直した。
「本当に辞めるつもりのか?」
「だってさぁ、休みも少ねぇんだもん。もう潜入はお腹いっぱい。異動先はどこでもいいからよろしくな、トリズ」
「それはどうにかするけど……いいの?」
「とりあえず、今は司法取引作戦の打合せしよーぜ。急ぎだろ?」
そう言ってクロルは話を打ち切った。
司法取引の資料の上に、その美しい指先を滑らせて作戦を組み立てていく。
「司法取引を成立させるために、クリアしなきゃいけない事項はこれ」
「これは……なかなかに厳しいな。クロル、策はあるのか?」
「うん。考えたんだけどさー、ここは俺らの得意分野で勝負すべきかなって」
「なになに~?」
潜入騎士クロル・ロージュはニヤリと笑う。
「今夜、地下牢に潜入する」




