39話 クロル vs レヴェイユ
「隠れてろ」
クロルはそう言って、彼女を茂みに隠した。青い騎士服の襟を正し、音もなく茂みから出る。
すると、「ソワールはどこへ行った!?」という怒号と共に第三騎士団の騎士たちがわんさかやってくる。
潜入騎士はどこにでも潜り込む。森林公園の茂みにも、女泥棒の心にも、そして騎士団にも。クロルは息を切らした騎士になりきって『第三騎士団』に潜入する。
「こっちにはいない!」
青い制服を着て重厚感のある声で叫べば、ここは暗い森林公園だ。顔なんて見えやしない。第三の騎士たちは「あっちじゃないか!?」と答えてくれる。間髪入れずにクロルも答える。
「北の方角に管理小屋があったはずだ! 相当疲弊しているはず、そこに逃げ込んだかもしれない! こっちは俺たちが探すから、お前たちは管理小屋の方を探せ!」
「了解!」
そう言って彼らの背中を見送った。切れてもいない息を「ふー」と吐いて整えて、会いたくもない彼女を迎えに行く。
「もう出てきていいぞ」
茂みに向かって語りかけるが、返事がない。何を企んでいるのかと訝しく思った次の瞬間、背中にゾワリと緊張が走る。
―― 上か
感じ取った一拍後、上から影が落ちてきた。それは金髪姿の黒い影。クロルが避けたその一瞬の隙をついて、黒い影はためらわない様子で思いっきり蹴りを入れてくる。
クロルはその蹴りを左腕の上肢で受け止め、同時にその威力に驚く。腕が痺れて肘先まで衝撃が伝わった。
「重っ」
思わず声に出すと、そのまま二発目がやってくる。一発目の右足、その膝をそのまま折り、反動をつけてクロルの胸を狙って再びのヒールキック!
どんな体幹してんだよ、と内心で悪態をつきながらクロルは瞬時に腕を交差してそれを受け止める。
―― やばっ。すっげー強ぇ!
苦笑いだ。あんなにのんびりおっとりの彼女から、こんな威力の蹴りが繰り出されるとは。正直なところ、戦いを挑んでくるとも思っていなかったが。
―― ふーん? さすが天下の悪女様だな
クロルは思った。お互いに仮面をつけて過ごした日々、その全ては嘘だったのだと。本気でクロルを好いていたならば、こんな風に全力で蹴りを入れてくることはないだろう。
甘ったるい声で『クロル』と呼んできたくせに、可愛く茶化してはウェルカムしていたくせに。彼女の変わり身の早さに虫酸が走った。
蹴りを受け止めたクロルはそのまましゃがみ込み、彼女の身体を唯一支える左脚を払おうとする。
しかし、それを見越してソワールは軽く飛び、その足払いを避ける。飛んだ瞬間に彼女の帽子が地面に落ちて金色の髪がふわりと舞った。
飛んだのならこっちのもの。滞空中は避けられないだろうと、彼女の腹部を狙って一気に右手を突き出せば、彼女は腹部を守るように腕を交差して受け止める。
その衝撃が重かったのだろう、小さく「んっ……」と甘く掠れた声を零していた。
その声を合図に、お互いに距離を取る。近づいたと思っていた距離は、本当はこんなに遠かったのだと。彼女を殴った右手が、痛くて仕方がなかった。
―― 長引くとまずいな
そう判断して、地面を蹴り上げ一気に間合いを詰める。
彼女は足技が得意なのだろう、狙うなら脚だ。勢いを殺さずに思いっきり身体を旋回させて、ソワールの左脚目掛けて回し蹴り。
彼女はそれを左脚の靴底で防ぐ。おいおい、足癖が悪すぎる! 回し蹴りも不発。ならばと旋回を止めずにそのまま左手でバックブロー。それが彼女の左肩に綺麗に入り、また「……んっ」と掠れた声を出していた。クロルの左手には、堪えようのない痛みが走る。
掠れ声と共に、大きくよろけた彼女の身体を捕らえようとするが、寸でのところで彼女はバネのように態勢を戻す。
『お返しよ!』と言わんばかりに、そのまま蹴りを入れようとしてくる彼女。正直、クロルはホトホト嫌気が差していた。あのレヴェイユだとは到底思えない。とんだじゃじゃ馬じゃないか!
―― ったく、大人しく捕まっとけよ!
苛つきを抑えきれず、クロルは彼女の名前を呼ぶ。
「レヴェイユ、もうやめろ!」
狡い手だとは思わなかった。こんなときに名前を呼んだって、きっと虫が止まったくらいにしか思われない。それでも彼女を捕縛するためなら、クロルはどんな手でも使おうと思っていた。悪には正義? そうじゃない。悪には悪だ。
しかし、それは思いのほか攻撃力が高かったらしい。彼女は時が止まったみたいに突然ピタリと動きを止めて、その反動でバランスを崩す。
「きゃっ」という可愛らしい声と共に、地面に崩れ落ちるソワール……いや、レヴェイユ。クロルはそのまま彼女に覆いかぶさるようにして両腕を掴んだ。
まるでクロルが恋を自覚した、あの幸せな朝みたい。彼の腕の間に彼女は小さく収まっていた。
そこで初めて、二人の視線がカチっと合った。
森林公園には街灯なんて一つもなくて、月灯りだけが二人の頭上に光を添える。クロルが落とした影が邪魔で彼女の表情がよく見えなかったから、少し首を傾けて月灯りを彼女に注いだ。
泣き虫な泥棒は、やっぱりグズグズに泣いていた。きっと泣きながら戦っていたのだろう、厚化粧はグチャグチャだった。
―― なんだよ、そんな顔するなよ
黒い服も金髪も全然似合わねぇよって、冷たい言葉を突き刺してやりたくなった。
「ったく、すげぇ強えーな。一発目の蹴り、まだ腕が痺れてるんだけど」
「……」
「レヴェイユ?」
答えない彼女に、いつもの調子で呼びかけてみると、「……知ってたの?」彼女はぽつりと呟いた。
そこで初めてクロルはわかった。そうか、彼女はまだ正体がバレてないと思っていたのか。『わかるに決まってるだろ』、その言葉を飲み込む。
「知ってた」
クロルの短い呟きに、彼女は下唇をきゅっと噛む。噛んだ唇に伝って落ちていく涙は、まるで春の雨のようだった。




