36話 第五騎士団のボス
ブロンたち三人が食料庫で密談をしている間、トリズが宿屋を不在にしていたのは、用事があったからだ。
トリズ・モントルは、騎士団本部に向かう馬車の中で甘いキスをしていた。つり目のドジ彼女との久々の逢瀬だ。ガラガラと馬車が走る音にかき消されないほど、濃艶な音が響く。
「はぁ、久しぶりに会えて嬉しい。馬車の中もいいもんだね~」
「……ん、でも、もう少しライトなキスにして? 馬車だもん、恥ずかしい」
「ライトな方ね」
そう言って、トリズはライトなキスからスタートし直し、またもや少しずつ彼女に体重をかける。少しずつウェットになっていくキス。終いには、彼女の身体を座席に押し付けるようにして上に乗る。
「ん……ちょっと、トリズ」
「んー?」
「ここ、馬車の中! 手つき、ダメっ!」
「そういえば馬車の中だったっけ。じゃあ、ライトな方でね」
そう言って、ふわふわのスカートの中を進むトリズの手。ライトとは何だろうか。彼女はダメダメとスカートを押さえようとしていたが、そんなの無抵抗と変わらない。
だって、任務任務で会うのも久しぶりだ。少し触るくらい良いじゃないか。
「や、ちょっと、トリズ」
「少しだけ、ね?」
段々と抵抗がなくなって、彼女がとろりと溶けそうになったところで時間切れ。ギィっときしむ音を立てながら車輪が止まる。彼女の勤務先に到着してしまったようだ。
「あ、着いたね、残念~。お仕事がんばってね」
トリズは彼女のスカートと胸元のボタンを素早く直し、赤くなった彼女の頬に一つキスをして「じゃあね~」とライトな挨拶で馬車を下りた。
ドジ彼女は「ちょっとーっ!」と、待ったをかけるが、待たないのがトリズだ。
そのまま馬車のドアを閉めて、スタスタと歩き出す。十分ほど歩けば目的地に到着だ。彼女の職場から近くて楽チン。
その堂々たる青き正義の門……ではなく、裏道にあるボロボロの戸板を決められた手順で外し、そこから騎士団本部に入る。こんな風に、潜入騎士用に秘密の入口がそこかしこに用意されているのだ。
着替えをして十分程経つ頃には、青き正義の制服を身にまとった騎士トリズ・モントルの完成だ。
「ん~! 普段、制服着ないから肩こるなぁ」
近道だからと綺麗な中庭を通り抜けつつ、少し腕を動かす。シュッと音を立てながら空気が切れていく様は、顔に似合わない力の強さがよーく表れていた。ボッコボコは、ちょっと怖い。
さて、騎士団本部はかなり広い。第一から第五騎士団まで、五つの棟が円を描くように建てられていて、その真ん中に青々とした芝が広がる中庭と、やたら大きい食堂。さらに奥の方には、所属ごとの寮や鍛錬場などがある。とにかく広い。
そうして中庭を突っ切って向かうは、騎士団本部の最奥。普通の騎士が、ここに来ることは滅多にない。騎士団の上層部が比肩するように立ち並ぶ、やたら厳かな別棟。通称『ボス部屋』だ。
青い絨毯が敷かれた廊下を、音もなく歩く。入ってすぐの左側に第五騎士団のボス部屋。右側に第四、その先に第三、……と数字の順に部屋が並び、突き当りが騎士団全体を管轄する大貴族の侯爵家。
部屋が並ぶと言っても、一部屋がとにかく大きくて『お隣さんとの交流はゼロですけどね!』というムードが、とてもよく伝わってくる。なんともお鍋の冷める距離、ノーアットホームな作りだ。
トリズの所属は、言わずもがなの第五騎士団。その扉をトントントンと三回ノックする。
「トリズです」
「入っていいぞ」
中にいる人物は部屋の奥に座っているはずなのに、聞こえてくる声はやたら大きくてご機嫌だ。トリズはちょっと嫌だなぁと思ったり。
「どうだ、調子は?」
「そこそこです、カドラン伯爵」
「はははっ、そうか。何よりだな」
軽い調子の質疑応答。ただの上司と部下とは思えない距離感。とても近しい間柄なのだろう。
カゼリオ・カドラン伯爵。
目尻に皺を寄せて満足そうに笑う、人懐っこい笑顔。五十代らしい高貴なおじ様といった雰囲気ではあるものの、鋭利な眼光は騎士の名残を感じる。
シュッとした体型から想像するに、若いころは相当モテたことだろう。それこそ愛人とかいただろうな~ってくらいに。
この人こそが、クロル、デュール、トリズが所属する第五騎士団のボス、カドラン伯爵だ。彼は伯爵家当主ではあるものの、新しい制度を提案したり、個人的に私兵団を作ったり、何かと『正義』を仕事にしたがる男だった。
三十年前に潜入騎士制度の導入を提案したのも、彼だったりする。
ここで思い出して頂きたい。そもそもクロルがソワール任務に就いたのは、オル・ロージュが残した『ソワールを捕まえろ』という手紙がキッカケだ。
そして、六年前にオルの時計店を廃業に追い込んだ犯人がソワールなのではないかと疑ったクロルは、まずはトリズに相談を持ち掛けた。すると、トリズが伝手を使って、ソワール任務を回すように取り計らってくれた、という流れだった。
そう、トリズが持つ騎士団上層部の伝手というのが、このカドラン伯爵のことだ。
「それでソワールの正体はわかったか? あの宿屋にいるんだろうな?」
「カドラン伯爵。この別棟には誰もいないからって、声が大きすぎますよ」
「お飾りボスたちが、出勤してくる気配はないからな。来たとしても午後に一人来るくらいだろ。まあ、いいじゃないか」
「そのうち寝首をかかれるんじゃないですか~?」
「はははっ。やれるもんならやってみろ。こっちだって元騎士だからな」
「年寄りが過去の栄光にすがりつく姿」
「聞こえてるぞ、トリズ」
「おっと、耳はまだ無事でしたか~」
「老眼だけだ」
「なるほど。見るからにくすんだ瞳の色ですもんね~」
「トリズと同じ、綺麗な紫だろう?」
近しい間柄どころか、血を分けた間柄かな。
さて、五つの騎士団には、それぞれ『ボス』である管轄貴族が配置されており、それらの貴族をまとめて『騎士団上層部』と呼んでいる。
しかし、ボスと言っても、現場指揮とかそういうマッチョなことは一切やらない。それは騎士団長の仕事だ。ボスたちがしゃしゃり出てくる場面と言えば、大抵は権力が必要な場面だけ。
しかし、潜入騎士だけは事情が少し異なる。彼らは、それぞれ単独行動が主だ。団長の指示を仰ぐこともないし、任務に入ってしまえば本部との連携も取りにくい。
よって、個人の裁量権が非常に大きく、ミスをすれば責任問題に発展しやすい。
というわけで、カドラン伯爵は居心地の良いお飾りボスの地位を返上し、潜入騎士たちが責任を追及されないように、根回しや揉み消しをしまくるボスとして働いているというわけだ。
「じゃあ、本題に入りますよ」
トリズはそう言って、豪華なソファに勝手に座った。そして、許可もなく話をし出す。
「ソワールの正体については、昨日クロル・ロージュが逃走中のソワールを目撃しており、何か掴んだ様子です……たぶん、正体を知ったんでしょうね」
「さすがクロル・ロージュだな。どうだ聞き出せそうか?」
トリズは難しそうな顔をして見せた。聞き出すのが難しいというわけではない。世の中、上手くいかないものだな~、という不条理を難しく思っただけだ。
「あの様子からすると、たぶんレヴェイユでしょうね」
「赤髪か」
「捕縛実行の連絡は来てますか? デュール・デパルから入ると思いますが」
「いや、来ていない」
「ということは、証拠はないのかな~」
「物的証拠がなくとも、クロル・ロージュの証言ならば捕縛できるだろうに」
「それはさすがに乱暴すぎるんじゃないですか~。それとも捕縛を迷ってるのか……うーん、惚れちゃってたからなぁ」
「本当に、彼がソワールに惚れているのか?」
「一昨日まではガチ惚れでしたね。昨日の様子だと冷めきっちゃったみたいですけど」
クロルの初恋が筒抜けすぎて、とうとう上層部にまで到達してしまった。なんという恋バナ。
「ソワールの方はどうなんだ? クロル・ロージュに恋慕を抱いているか?」
「惚れてると思いますけど、演技の可能性もなくはないかな~。何とも言えませんね」
「……逆だろう。なぜロージュの方が惚れるんだ? ソワールがロージュに惚れて、出来れば自首して貰いたいのだが?」
「仰る通りで~」
「何故、こうなった?」
「なんででしょうね。人の恋心を使って思い通りにしようなんて、ゲスい作戦を立てたからじゃないですか~?」
「トリズが辛辣」
カドラン伯爵は、シルバーブロンドをガシガシとかき乱しながら落胆をしていた。
「策士、策に溺れましたね~、あははっ!」
思いっきり嘲笑うトリズ。カドラン伯爵は反撃とでも言うように「トリズ」と声を低くした。
「そんな余裕でいて大丈夫か? ソワール捕縛と盗賊団サブリエの征討が成されなければ、お前は私の言うとおり貴族籍を得て私の跡取りになるしかないのだぞ? そういう賭けだっただろう」
可愛い恋バナはどこへやら。貴族らしい威圧感を出してくるカドランに、トリズは『ゲスい』と思いながらも頷いた。
この国では、貴族と平民の婚姻は認められていない。トリズが貴族になってしまったならば、平民のドジ彼女との婚姻は不可能だ。
トリズはとっても優秀だ。それこそ正妻の子よりも優秀に育ってしまったものだから、実力主義のカドラン伯爵はトリズを嫡男にしたくて仕方がない。例え、認知をしていない愛人の子であったとしても。
しかし、トリズは貴族になんてなりたくないし、嫡男なんてまっぴら御免だ。すったもんだの押し問答。
嫌気が差していたところに、ドジ彼女のソワールデータが舞い込むというバリュアブルな出来事が発生。褒賞ものの働きを盾に持ち掛けた賭けが、二大泥棒の捕縛。
こんな大きい賭けを用意されてしまったのであれば、乗ってしまうのが博打好きのカドランだ。
「賭けのことはわかってますよ。ソワールの捕縛は、クロルにやらせますから」
「早急にな」
カドラン伯爵の急かす様子に、トリズは訝しく思う。
「なぜそこまで急ぐんです? 彼女、逃げる様子はありませんけど」
「呼んだのは、この話をするためだ。第三騎士団のやつらが怪しい動きをしている」
「具体的には?」
「ソワールの捕縛に乗り出した。大々的に、かつ非常に強引な形で進めるつもりらしい」
「今さら第三騎士団が?」
「長年ソワールを放っておいたくせにな。どうやら、我ら第五騎士団がソワールにちょっかいを出していることがばれたようだ。本来は第三の管轄だ、手柄を取られたくないのだろう」
「内通者がいると?」
トリズは思案する。内通者と言っても、ソワール案件に関わっているのはトリズ、クロル、デュールの三人だけだ。潜入騎士は少数精鋭。
「奇妙な話なんだがな。先日、巡回中だった第三騎士団の連中が、第五の騎士から緊急の言伝を頼まれたそうだ」
トリズはどこかで聞いた話だなーっと思ったし、超美形男が脳内を『てへ』と言いながら通過していった。
「その言伝が問題でな」
「なるほど~」
「ソワール案件だから急いでとか何とか言ったらしく」
「な~るほど」
「名乗らずに言伝を頼んだとのことだが、とんでもない美形だったらしい。クロル・ロージュの仕業だろう? どうしてそんなことを言ったのかはわからないが、バレてしまった以上は仕方がない」
トリズは少し目の色を変えて、「なるほど」ともう一つ言った。
「ソワール争奪戦、ということですね」
カドランも真剣な顔で頷く。
「先に捕縛した方が彼女の処遇の決定権を有する。それが騎士団のルールだ。トリズ、急げ」
「仰せのままに」
トリズはそう言って、もう用はないとばかりにソファから立ち上がった。
「なんだ、一緒にランチでもどうかと思っていたのだが?」
「嫌ですよ。宿屋メンバーの動向も気になるし、早く帰りたいんで~」
すると、カドランは「婚姻のためにもな」と言って紫色の瞳を細めた。微笑んでいるとも、眼光鋭く睨んでいるとも取れる絶妙な表情に、トリズはいつもの微笑みで返す。
「僕の恋人に手を出したら、許さないからね?」
「そういう啖呵を切るのは、私との賭けに勝ってからにしなさい」
「勝ってみせますよ~。結婚式をお楽しみに。絶対に呼びませんけどね」
バタン。
勢いよく扉を閉めて、トリズは大きく舌打ちを響かせる。扉の向こうにも聞こえて欲しいくらいだ。
「クソ親父が」
その紫色の瞳には、闘争心が宿っていた。




