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29話 落ちる

注意、人が亡くなる描写あり



 恋と絶望。どちらも落ちるという言葉を使うのに、落ちた先は天と地ほどの差があるなんて、ひどい皮肉だ。


 絶望の底で、クロルは音を聞いていた。サラサラと、耳の奥で音がする。

 砂時計だ。いっぱいあると思っていたのに、実は下に穴が空いていて、大切に溜めた砂の一粒一粒がサラサラと落ちていく。そして気付けば、また空っぽ。


「ははっ、まじか。犯罪者かよ」


 クロルは、犯罪者が大嫌いだ。騙されていた自分が滑稽すぎて乾いた笑いが零れていく。女に騙された? あのクロル・ロージュが? 本当、笑っちゃうよね。

 笑いながら地面を踏みしめると、そこにはたくさんの汚い砂粒が落ちていて、それを靴の底でなじるとガリっと嫌な音がした。その音は、クロルの頭の中に嫌な記憶を映し出す上演開始のブザーだ。


 クロルの砂時計が初めて空っぽになったのは十八年前、六歳のとき。雨が降る、じめっとした春の日。両親が死んだと聞かされたときのことだった。



◇◇◇◇◇



 時は十八年前に遡る。


 王都から西に行くこと馬車でゆっくり丸二日。そこには時計や玩具などカラクリ製品を作る手先の器用な職人がたくさんいることで有名な町があった。通称『カラクリ町』と呼ばれていた。


 その町は、人口の割には賑やかで、賑やかな割には穏やかで、事件なんか一つも起きない平和な町だった。

 しかし、そんなのんびりとした平和な町には似つかわしくない、誰もが目を奪われるスタイリッシュで顔面凶器な一家がいた。そう、ロージュ一家だ。


「母さん。今日の夕飯はショートケーキにしよーぜー」

「クロル、ケーキはおかずになりません。今日はお魚にします」

「えー、魚ぁ? せめて骨なしチキン!」

「あらまあ。決めるのはクロルじゃなくて、お母さんの仕事よ?」

「そんなこと言って、どーせ父さんが魚料理が食べたいとか言ったんだろ? はー、やだやだ」


 しかめっ面で母親を睨むのは、茶髪茶瞳のどえらい美少年。六歳のクロル・ロージュだ。

 そのクロルのふくれっ面もどこ吹く風、「ふふっ」と小さく笑って「はいはい」と言いながら魚を選んでいる茶髪茶瞳のハチャメチャな美女が、クロルの母親。


「悪いな、クロル。母さんは父さんの恋人だからね。父さんを優先するのは当然なんだよ」


 そして、その少し後ろで腕組みをしながら母息子の会話を黙って聞いていた超美形の黒髪紳士が、クロルの父親だ。


「恋人っつーか、夫婦ね」


 クロルが間違いを直すように言うと、父親は首を振って「分かってないなぁ」と言う。


「いいかい? 妻や母親である前に、一人の女性なんだ。母さんがいつまで経っても美しいまま輝いているのは、こうやって父さんが愛を注いでいるからだよ。夫婦ではなく恋人として、ね」


 軽薄ルーツが見えた。さすがはオル・ロージュに育てられただけのことはある。クロルもまた、その血を受け継いでいるのだろう。脈々。


「あなた……」


 一方、母親はうるうるとした瞳で頬を染めていた。六歳児にとっては超恥ずかしい両親だ。


「道端で愛の観劇やり出すのやめてくんない……? はずいんだけど」

「ははは、誰も見ていないから大丈夫だよ」

「そうよ、ふふふ」


 そんなことはない。魚屋の店主も客も、なんなら道行く人々もみんな大注目だ。本人たちは視線に慣れすぎていて全く気付いていないが、とにかく目立つ一家であった。


「というわけだから、母さんと父さんはこれから少し出掛けてくるからね」

「は? 聞いてねぇけど。俺は?」

「デートだから留守番だ。プロの観劇を見てくる」

「まじかよ」


 子供を置いて、デートに出かける両親。


「ごめんなさいね。ほら、今話題の観劇のチケットをお父さんがプレゼントしてくれたの。夕方には帰ってくるから、オルおじいちゃんのところで遊んでてくれる?」

「じいちゃんの店かぁ……それなら、まあ許してやるか」

「クロルは本当におじいちゃんが好きねぇ」

「色んなものが置いてあって、超おもしれぇもん」

「いたずらしちゃだめよ?」

「あいあいさー♪」


 オルの影響だろう。ぶっきらぼうな受け答えだけど、クロルだってまだ子供。右手に母親、左手に父親。三人で手を繋いであーだこーだおしゃべりしながら家に帰った。

 帰宅すれば、夕食の下拵えやら観劇を見るためのおめかしやら、もう大忙し。結局、デート開始は時間ギリギリ。


「愛してるよ、クロル」


 クロルの頭を一つ撫で、一生忘れられない愛の言葉を落としてから、バタバタと辻馬車に乗って両親は出掛けていった。


 クロルは、それを『あっかんべー』で見送ってから、すぐ近くにあるオルの時計店に向かう。


「あ、雨だ」


 オルの時計店に向かって歩いていると、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。さっきまで太陽さんさん春うららだったのにな、なんて思いながら、おめかしをした両親が傘の一つも持っていなかったことを思い出す。


 でも、両親は観劇を見に行くだけだから傘なんて無くても大丈夫だろう。むしろ、少し雨に降られて帰ってくればいいのに。お留守番で少しふてくされていたクロルは、そう思っていた。



「じいちゃーん!」


 オルの時計店にはいつも誰もいない。時計職人が溢れている町だから、時計を買う人はほとんどいないのだ。


 町では、王都や周辺の街に住む人々からの注文や修理依頼が仕事のほとんど。時計の注文もオーダーメイドが多く、店頭に並んでいる時計をそのまま買う人はほとんどいない。だから、店を開いている変わり者はオルだけだった。


「おー! クロル」

「両親に置いていかれた可哀想な子供が遊びにきてやったぞー」

「はははっ! そう言うな。ほら、昼飯まだだろ? 一緒に食うか?」

「食うー! あ、骨なしチキンだ」

「五個買ってあるからな」

「じゃあ、じいちゃんが二個で、俺が三個ね」


 クロルがパッと答えたものだから、オルは驚いて「計算が速いなぁ」と言いながら皿にチキンを分け始めた。


「だがしかし、クロル。一人二個ずつだからな」

「一個あまるじゃん」

「半分こしよう。ジャンケンで買ったほうが大きい方を貰う。どうだ?」

「よっしゃ、やる! じゃーんけーん!」

「ぽん!」

「あ……」


 クロルは、いつも負けていたっけね。



 そうして、遊んだり時計をいじるのを見ていたりしていると、いつの間にか夕焼けの時間。


「もうそろそろ、父さんたち帰ってくるかなー」


 クロルが窓の外に視線を移すと、時計修理をしていたオルが「ありゃま」と言った。


「すごい雨じゃないか。こりゃ傘がないとズブ濡れだな」

「父さんたち、傘持って行かなかったよ」

「そうか、そしたら馬車の降車場まで迎えにいこう」

「えー、めんどくさ。ダイジョブじゃね?」

「クロルは分かってねぇなー。今まで迎えに行ってばかりだったのに、大きく育った息子が迎えに来てくれたとなれば、親ってもんは嬉しくなっちまうんだよ。成長したなーとか、じんわりするもんだ」

「そういうもんなの?」


 クロルが怪しげにオルをジトリと見ると、オルはいつもの悪戯な笑顔で頷く。


「そういうもんだ。きっと帰りにケーキの一つでも買ってくれる」

「ケーキ!?」

「大きい苺のやつだ」

「よーし、乗った」


 そうして、悪知恵ばかりを植え付けるオルと悪戯っ子のクロルは、にっひひ~と笑いながら傘を差して馬車降車場に向かう。



 でも、いくら待っても、両親は帰ってこなかった。


 降車場でクロルとオルがショートケーキの話をしていると、オルの職人友達が慌てた様子で走ってきて、「オル! 息子夫婦が大通りで事故に遭った!」と告げた。


 クロルはよく分からなくて、なんでこの人は土砂降りなのに傘もさしてないんだろう、って思った。

 オルが傘を投げ捨てて、クロルの手を引いて駆け出したときもワケがわからなくて、強い雨が顔に当たるし、服も靴も雨を吸ってどんどん重くなるし、心地が悪くて最悪だった。

 転びそうになってもオルは足を止めてくれなくて、なんか大変なことが起きているんだって、そのときに何となく思った。



 クロルが泣いたのは、馬車を横転させた御者が土下座している姿を見たときだった。

 両親は応急処置を受けていて、クロルはそこには近付けなくて。雨の中「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながら謝る血だらけの御者を見て、両親がもう元には戻らないことを理解した。


 六歳だ。何も分からない子供でもないし、でも、こんな時に相手の状況を(おもんばか)るわけもない。履いていたびちゃびちゃの小さな靴を二つとも脱いで、御者に向かって思いっきり投げつけた。それしか持っていなかったから。


 そして、そのまま素足で何回も蹴ってやった。足の裏に砂が張り付いて痛くて、蹴るたびにガリガリと不快な音を立てた。大雨だったのに、どうしてだか雨の音にかき消されてはくれなくて。オルが止めるまで、クロルはずっとずっと蹴り続けてやった。


 後から聞いた話によると、御者は馬車に乗る前に酒を飲んでいたらしい。その日は御者の息子の誕生日だったらしく、ディナー用の酒を買うときに『少しならいいか』と試飲したそうだ。

 息子のためにプレゼントも買って、それを買うために毎日毎日早朝から深夜まで働き詰めで、酒のせいかふらついてることは自覚していたらしい。それでも大丈夫だろうと、クロルの両親を乗せて走らせてしまったと。

 皮肉なことに、御者の息子はクロルと同じ六歳の男の子だった。


 大雨でなければ、少し手元が狂ったところで大事故にはならなかったかもしれない。あるいは、御者の息子が誕生日でなかったなら、酒なんて買わなかっただろう。そもそも、彼が裕福であれば息子のプレゼントのために朝から晩まで働かなくても良かったのに。


 だから、少し距離を開けて見みれば、悪いのは彼だけではないのかもしれない。タイミングとか天気とか、なんかそういう神様が与えるどうにもならないものが、悪さをしていたのかも知れない。


 だけど、じゃあクロルは彼を許さなければならないのか。絶対に許せなかった。どんな事情があっても、クロルにとって憎らしい犯罪者でしかないのに。


 クロルは大粒の涙を大雨と一緒に流しながら思った。ねぇ、神様はこの男にどんな罰を与えるの? なんで父さんと母さんには罰が下ったの? 悪いこと一つもしてないよ。お願いだよ。ケーキなんかいらないよ、夕食は魚だって文句言わない、留守番だっていくらでもする。せっかく迎えにきたんだから、手を繋いで一緒に帰ろうよ。


 赤くなった目元を小さな手で覆って、いつも三人で寝ていたベッドに、まだ少しだけ残る両親の香りを探してすがりついた。

 でも、隣に二人がいるような気がしたのは一瞬だけ。目が覚めると、二人がどこにもいない人生がずっと、ずっと続いた。


 このとき、クロルの心は空っぽになった。御者への憎しみと、三人が一人になってしまった悲しみで、心がカラカラに渇いた。六歳の小さな身体に溜まっていた水分は、全部涙で流れて消えたし、両親に溜めて貰った愛情の粒は砂時計みたいに下に落ちていった。


 クロルは、いつも失ってばかりだ。愛情を貰って嬉しくて仕方がなくて、貰ったものを返そうと愛を用意する度に、いつも彼らは突然消えていなくなる。

 そして残ったのは、空っぽになった砂時計の容器だけ。割ってしまいたくなるほどに邪魔な、その透明で綺麗なガラスの容器だけ。

 


◇◇◇◇◇



 だから、クロルは犯罪者が嫌いなのだ。


 絶望に落ちた路地裏で、ガリガリと音を立てる砂をもう一度踏みつける。強くなる雨が容赦なく落ちてきて、冷たくなった服の上から心臓をぎゅっと押さえつけた。



 彼は彼女の担当潜入騎士だから、恋とか愛とか、そういう感情を持ってはならなかった。


 だから、この案件が片付いたら、そこをスタート地点にして、また一から始めようと思っていた。


 彼女の他には誰もいないってことを証明して、何回でもデートに誘って、そしたら正式な恋人になれたりするかもって。そりゃあ潜入騎士であることは結婚するまで言えないけれど、それでも街を歩く恋人たちと同じように愛を溜めていけたらいいなと思うくらいには、彼女のことが好きだった。


 そのまま上手くいって、いつか結婚とかすることになったなら、潜入騎士であることを言わなければならない。二人の出会いが任務だったことを知ったら、ふわふわゆるゆるな彼女だってものすごく怒るかも。でも、何度だって謝って、何度だって愛してると言って、どうにか許して貰おうなんて……馬鹿みたいに考えたりして。


 ただの男として彼女に触れたい欲と、潜入騎士クロル・ロージュとして彼女の心を奪わなければならない責任。その境目も曖昧で、狭間で心がせめぎ合って、くすぐったくて苦しかった。


「泥棒、悪人、犯罪者」


 呪いの言葉。並べてみると、とてもじゃないが。


 時計の針を輪転させて時を戻せたらいいのに。そしたら、こんな感情を持たなくて済むのに。でも、どうしたって時計の針は同じ方向にしか輪転してくれない。


 だから、潜入騎士クロル・ロージュは誓いを立てる。服の上から胸章をグッと掴み、心を縛るような固い誓いを。


「レヴェイユ。絶対に、俺が捕まえる」





 こうして、騎士の恋は終わりを告げた。


 互いに仮面を被ったまま出会ってしまった二人。この関係は、どこまでいっても正しく近付けないだろう。


 しかし、向かい合って本音をぶつけ合うような生易しい方法だけが近付く方法ではない。

 これは奪い合う関係だ。自分をギリギリまで削ぎ落として、相手の心にずかずかと潜り込み、嫌がられながらも鍵をこじ開け、互いに本音を暴いて奪い合う。そうやって近付く関係。


 目覚まし時計がそうであるように、鳴ってはじめて物事は動き出す。騎士が落ちてしまった運命の恋は、まだ始まったばかり。ハッピーエンドまで、その道のりは滑り落ちるように続く。

 


【第一章 落ちる】終











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マシュマロ

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