23話 記憶喪失の『愛してる』
潜入七日目。ヒヤヒヤの一泊旅行から二日後。
「ららら~~♪ あなたがぁほしい~、盗んでぇいいかしらぁ~♪」
クロルが裏庭に行ってみると、彼女は可愛らしい歌を口ずさみながら洗濯物を取り込んでいた。チャンスだ。
「レーヴェ、手伝うよ」
「ありがとう。見て見て~。まだ、お昼過ぎなのにもう乾いてるの。ほかほか、ふわふわで気持ちいい」
ほかほかふわふわな赤い髪と洗濯物。クロルはどっちを触るか悩んでから、洗濯物にしておいた。
広い裏庭の一画で、キレイになったタオルをカゴに入れていく。大きいシーツのときなんか、端と端を二人で持って『せーの』で息を合わせて畳んでみれば、なんかちょっと心もふわり。
そんな束の間の平和を楽しんでいると、柔らかい風にのってクロルの耳に甘い声が届く。
「クロルって……」
「んー?」
「やっぱり奥様とかいるのかなぁ」
「奥様」
突然登場した『クロルの奥様』。超架空の人物だ。あまりにもクロルからかけ離れた単語だったため、内心動揺する。
三歳の時点で、ご近所中にその名が轟く程度には超美形だったクロル。地元ではお触り禁止の芸術作品であったが、王都に出てきた十八歳以降はそりゃあモテた。それこそ求婚されることなんて日常茶飯事だった。
しかし、クロル本人はと言えば、結婚とか嫁とか恋人とか、そういうものとは無縁。
「なんで突然『奥様』って話になるんだ?」
「だって、きっと十八歳は超えてるでしょ? 記憶がないだけで結婚してるかも」
「……それはどうかな。ははは」
結婚どころか、先日やっとこさ初恋を迎えた人生だ。
「コホン。結婚してたら捜索願が出てるだろうし、独身なんじゃね?」
「その顔で婚姻歴なしと言われましても、あまり真実味がないかも~」
「レーヴェは、この顔は好き?」
悪戯に顔を近付けてみると、レヴェイユはさっと洗濯物で防御をした。
「今、顔のことはどうでもいーの」
「どうでもいいのかよ」
「それより、オルさんのお店に行く約束は? もしかしたらクロルの奥様が待ってるかも」
「あ、そういう話ね」
―― っつーか、さっきから奥様、奥様ってさぁ……
クロルは、全力で話をそらしにかかった。
「……レーヴェと俺ってさ」
「うん?」
「一緒に寝るような深い仲じゃん?」
「うーん? いささか語弊があるような」
はてさて。焚き付けるだけ焚き付けて放置プレイを決め込んだことを怒っているのだろうか。彼女は珍しくツンとしていた。心なしか距離があるような。
「なるほど、言い方を変えよう。一緒に眠ったこともある仲じゃん」
「うん、事実ね」
「となるとさー、特別な関係だとは思わない?」
クロルの質問に、レヴェイユは首を傾げて答えた。
「特別? ……あ、身体の関係ってことかしら?」
「身体」
―― まだヤってねぇけど
相変わらずのトンチンカンな答えに、クロルは意識が遠くなる。
そこでハタと気付く。クロル的にはノータッチと同等ではあるものの、二人の関係は『手を出している』というゾーンに入っているのではないかと。生娘の彼女相手に、告白的なことをせずにズイズイと事を進めているわけで、これでは身体目当てだと思われても仕方がない。
これは任務ではあるものの、順番は大事だ。彼女とは純愛設定で関係を築いていくつもりなわけで、そりゃベッドで首筋にキスしまくっていたが、もちろん純愛設定だ。
クロルは彼女との距離を半歩踏み込んで、靴底の胸章を感じ取った。蹴散らせ、罪悪感! よし、仕事開始だ。
「コホン。言い方を変えていい?」
「うん?」
「俺の恋人になってほしい」
クロルは攻めた。幸いなことに、容疑者の片方は女装した男。クロルとどうこうなることはないし、クロルもどうこうなりたくはない。
よって、スーパーハニトラ担当クロル・ロージュとしてのターゲットは、レヴェイユただ一人。同時進行ではなくなった現在、関係を明確にして恋人と名乗り、四六時中一緒にいる口実をゲット。そして、アリバイを確保。
彼女の無実を証明するためには、それが一番手っ取り早い。
「クロルの恋人……?」
一方、レヴェイユは何とも分からない反応を見せていた。口をぽかんと開けて、上ずった声で「恋人……」と呟く。えげつない角度で首が傾けられ、「コイビト?」と言語が分からなくなる始末。
―― すっげぇ驚いてんじゃん……
そわそわした。そわそわっと手が動いた。彼女の耳が見たい。赤くなっているのだろうか。しかし、運の悪いことに耳は隠れたままだった。
「えっと、恋人って、あの、好き合っている者同士が時間と身柄を拘束しあう状態のことよね? 四六時中監視……じゃなくて、えっと、そばにいることが許される状態の、看守……じゃなくて、あの恋人のこと?」
「ものすごい遠回しだけど、概ねその通りだな」
一体、どういう人生を歩んできたのだろうか。誰かに何かを吹き込まれていやしないだろうか。
「まままま待って! クロルは私のことが好きなの!?」
「……それ本気で言ってる? 分かるだろ」
「ぇえ!? わ、わからなかった……」
クロルはずっこけそうになった。色々してたじゃないか。どんだけ鈍いんだよ! ……とは言え、彼女は本当に恋愛慣れしていないのだろう。なんなら恋愛以外の常識にすら疎そうだ。
ここは恋愛慣れしすぎてるクロルが、ハッキリと言わねばならぬ場面だ。
さぁ、いつも通り魔法の呪文を唱えてみよう。
「レーヴェのこと……愛してるよ」
うん、これは任務だからね。いつも通り潜入騎士として『愛してる』と言っているだけだ。
これまでだって何度も言ってきた。この呪文を唱えて、彼女たちを魔法にかけて恋人関係に収まり、家探ししたり証拠をゲットしているわけで、いつも通りの流れだ。仕事は真面目にやらないと。
やわらかい風が吹く。畳んだシーツが視界の端でパタパタと跳ねていた。
よく見てみるとそれはレヴェイユのベッドシーツで、『相変わらず可愛いシーツだな。今日からこのシーツで寝るのか。まぁ最後まではシないけど』なんて思ったりした。
「ごめんなさい」
「え?」
「ごめんなさい」
何やらごめんなさいという言葉が聞こえてくる。何だろうか。謝られることなんて、あったかな。
「クロルとは恋人になれないの」
「……」
「えっと、本当に既婚者かもしれないし、泥沼が……それに、既婚者じゃなかったとしても貴族かも! 私は平民だし、……立場が、全然違うもん。それに、恋人とかってよくわからなくて」
近所の子供の声だろうか。「えーん!」「だいじょうぶー?」という泣き声が、どこからともなく聞こえてきた。なにか悲しいことでもあったのかな。
「あー……そうなんだ」
「うん、ごめんね?」
「いや、別に。気にしないで」
任務だから、クロルはニコッと笑った。彼の泣き黒子は、それはもう、きゅーんと下がっていたけれど。
だから、やっぱり思わず俯いてしまい、「……ごめん、ちょっと」と踵を返す。
でも、彼はクロル・ロージュだ。三歩進んだところで、しっかりと足を止めた。
―― いや、ここで引くのはダメだろ
そう思い直し、もう一つ「ごめん」と追加してから彼女に詰め寄った。
「やっぱ納得いかない。じゃあ、なんでああいうの許したんだよ?」
「ああいうのって?」
美しい指先で、彼女の首筋を指した。本当は触れようと思ったが、指を差すだけにしておいた。
「……キスされたの……嫌だった?」
「え! まさか! イヤなわけない」
「じゃあ、俺のことどう思ってる?」
「それは、ぇえっと」
「レーヴェ。お願い、素直に教えて?」
レヴェイユは洗濯物をくしゃりと抱きしめて、少し顔を赤くする。
「クロルのことは、……大好き……」
泣き黒子がきゅんと上がった。一命は取り留めた。粘ってよかった。
少し余裕を取り戻し、クロルは冷静に観察する。
顔を赤らめてぽつりと『大好き』と言う姿は、恋をしている娘そのもの。しかも『好き』じゃなくて『大好き』だ。この一文字がどれだけ心肺蘇生をしてくれたことか。命の恩人だ。
先日、外泊したときに『完全に落ちた』とクロルが判断したのは間違いなんかじゃない。だって、大がつくほどに『大好き』なんだから!
―― 恋人はいきなりすぎた? 既婚者かもしれないって部分がネックなのか?
もじもじとしている彼女の仕草から突破口を見つけ出す。顔が赤い。口角はいつもより三ミリ上がっている。視線の方向から察するに、この状況を喜んでいるのが見て取れる。
―― 口説き落とせる
クロルはそう判断した。っていうか、そう判断したかった。背負ったものを考えれば引き下がるわけにはいかない。すごい気迫だ、背負ったものが重すぎる。
「悪い、焦りすぎたよな。レーヴェと仲良くなりたいだけなんだ。形は何でもいいから、もっと一緒にいたい。レーヴェはどうしたい?」
「それは……私も一緒にいたい、けど……」
クロルは彼女の手をぎゅっと握った。
「それなら気持ちは一緒ってことだろ? 尚更、簡単には諦められない。友達以上恋人未満ってことでいいから、もっと一緒にいる時間を作ってほしい」
「恋人未満……?」
「今は証明できないけど、俺には恋人もいないし結婚もしてないって……レーヴェの他には誰もいないって証明してみせるから。そしたら、またもう一度『愛してる』って伝える。もう少し考えてみてほしい」
レヴェイユは、五秒ほど視線をさまよわせて、こくりと頷いた。
「うん、その恋人未満?という関係なら……大丈夫だと思います」
「まじ!?」
「うん。私もクロルのこと大好きだもの。一緒にいたい」
泣き黒子がきゅいんと上がった。またもや遠くの方から子供の声が聞こえる。「やったー!」「きゃはは」、楽しそうでなによりだ。
「レーヴェ、ありがと」
「ふふっ、よろしくね。じゃあ、私、洗濯物を片づけちゃうね」
「うん、お疲れ」
クロルはニコッと笑って、レヴェイユを見送ってから、食料庫の裏側に直行した。ちなみにデュールとの待ち合わせがあったわけじゃない。いろんな感情が混ざり合い、とにかく一人になりたかっただけだ。
さて、女をたらし込んで二十四年。彼は、別にふられたわけではない。任務中だからね、少しミスをしただけだ。それもリカバリーできたわけで、何も問題はない。
なんなら『大好き』って言われたし、どちらかといえば相思相愛だし、おおむねセーフだ。
それでも『ごめんなさい砲』にぶち破られた瞬間のことを思い返すと、おいそれと食料庫の裏側を離れられないクロル・ロージュであった。




