22話 真夜中の待ち合わせ
翌日の夜。それは日付を跨ぐ少し前のことだった。王都の街中、その路地裏の一角。帽子を目深に被った男が待ちぼうけを食らっていた。
「遅い!」
帽子を被った男、情報屋ブロンは苛立っていた。時間ピッタリに来たというのに待ち合わせ相手が全く現れないからだ。
情報屋ブロンと言えば、クロルの相棒デュール・デパルの幼馴染にして、クロルとデュールを支えてくれている影の立役者だ。
そして、忘れてはならない重要な情報を繰り返せば『宿屋にソワールはいない』とデュールに情報を与えたのも、この男。
なんでそんな偽情報を与えたのかと言えば、答えは一つ。
「ごめんね、遅くなっちゃった」
金髪姿に妖艶な微笑み、黒い外套を翻し、闇夜に溶け込み現れる。やってきたのは、気高き悪女・女泥棒ソワールだ。
そう。情報屋ブロンとソワールは、とっても仲良しな間柄だった。
「遅いー! 何分待たせる気だよ?」
「だって、どれを盗めばいいか迷っちゃったんだもの。グランド商会のワイン店って、すごくラインナップが豊富なのね~」
そう言って、外套をチラリとまくって現れたのは今日の盗品だ。今日の盗品は、なんと高級ワイン。なんでも盗む女泥棒は赤ワインだって盗むのだ。
「お、ワイン。盗れたんだ?」
「はい、どうぞ?」
「さっすが! 情報との交換で年代物のワインが欲しいってやつがいてさぁ、サンキュー!」
ブロンは慣れた手付きで盗品を受け取った。
「そうそう、置いてあったボトルオープナーもおまけに貰ってきたの。可愛いハート型。はい、どうぞ」
「なにこれ趣味悪。いらねー」
「そう? 可愛いのに。じゃあ、私は帰るね~」
「あ、待って! さては手紙読んでない?」
「なぁに?」
「はー、全く。ぼんやりしてんなよ。ほら!」
すると、ブロンはちょいちょいちょいと人差し指を揺らして『近くに来い』を発動。情報屋ブロンが情報を吐き出すときの合図だ。
ソワールもそれを知り尽くしているのだろう、金色の髪をかきあげてブロンに顔を近付けた。
「宿屋『時の輪転』のことが、騎士団にばれてる」
「ぇえ!?」
どうやら寝耳に水だった様子。いつものゆるゆるな微笑みをしまいこみ心底驚いた顔をしていた。
「それ本当の話?」
「お友達の騎士から直接聞いたから間違いない」
「そう……」
ブロンは「なぁ」と言って、続けた。
「もう宿屋を出た方がいいって」
「……今は無理よ」
「盗品の移動が無理ってこと? だったらオレがどうにかする。なんならそのまま放置でもいーし」
「それだけじゃないわ」
「あのなー、もう騎士団にばれてんだぞ? 明日にでも捕縛命令が下るって聞いたぜ」
「あらまあ、大変」
あっけらかんのほわほわふわん。ブロンはずっこけた。
「ごめん、捕縛はウソ」
「あら、そうなの?」
「本当の情報は、まだ正体は割れてない。容疑者をしょっ引いて任意聴取もせずに泳がしているということは宿屋『時の輪転』にソワールがいるという確かな証拠すらないんじゃねーかな。下手に手を出したら逃げられると騎士団は判断してるっぽい」
「じゃあまだ大丈夫ね~♪」
この調子だとお引っ越しは絶対にないだろう。彼女は案外頑固なのだ。それならばと、ブロンは気になっている男の名前を告げた。
「クロル・ロージュ」
「うん? あの人がどうかした?」
「あいつ、記憶喪失だとか言って宿屋に住み着いてるけどさ、怪しくない?」
ソワールはクロル・ロージュを思い出しているのだろう、彼女の視線を辿ってみればそこには美しい月がぷかりと浮かんでいる。しばらくの沈黙後、ソワールは質問に質問を返してきた。
「それって、彼の正体が騎士だってこと?」
「その通り」
「う~ん、あんまりそういう感じしないけど」
「言いたいことは分かる。あいつ、雰囲気が全く騎士っぽくないし、足腰も弱そうだし、いっつもぼんやりしてるし、非力でひ弱で見かけだけの使えない人間代表って感じだもんなぁ」
「ぶろん~? 悪口言わないのっ」
「へいへい。……でもさぁ、このタイミングで記憶喪失だなんて特殊な事情の人間が突然現れるか?」
「まるで観劇みたいよね~。ふふっ」
「バカ。もっと危機感持っとけよ!」
彼女は本当にぬけぬけのぼんやりなのだ。
「でも、彼が騎士だとしたら、いわゆる潜入騎士ってことでしょ? 情報屋さんなのに知らないのね、あれは実在しないのよ?」
「いーや、実際に存在するって話もある。普通はお目見え出来ないけど、ソワール相手なら投入してきたって不思議じゃないっしょ」
ソワールは「うーん」と言って、少し考える素振りを見せてから「そうね、宿屋は出るわ」と言った。ブロンは、ガッツポーズで「よっしゃ!」脳内でお引越し計画の立案スタートだ。
「いつ? 明日? なんなら今すぐ?」
ブロンが急かすと、ソワールはクスクスと笑いながら首を横に振る。
「クロルの記憶が戻ったら、宿を出るわ」
「な!?」
「ブロン、聞いて。クロル・ロージュは、オル・ロージュの孫だと思うの」
ブロンは「オル・ロージュ?」と顎を上げた。
「オル!? 時計職人のオルか!?」
「そうよ」
「いや、待てよ。だって、クロル・ロージュの情報を調べたら南の田舎町出身だったぜ? オルの店は西の街の外れだったろ?」
「南? それは同姓同名のクロル・ロージュさんじゃない? よくいる名前だもの」
「まぁ、確かにその可能性はあるけど……茶髪茶瞳の超美形でフィルターかけて調べたんだけどなぁ。それにしたって……オル・ロージュの孫ってマジ?」
「うん、絶対そう!」
キラキラと瞳を輝かせるソワール。ブロンはげんなりだ。本当に……もしも本当に、クロル・ロージュと時計職人オルに関わりがあったのならば、ソワールが肩入れするのも納得だった。彼女の唯一ともいえる友人が、オルだったからだ。
しかし、そこでふと気付く。
「ん? だからって関係なくね? オルはもう死んでるし、あいつが孫だったら何だっていうんだよ」
「うーん、それは……ね? えっと、その、少しでも役に立ちたいな~、っていうかぁ……ね?」
もじもじとしているソワールの様子に、ブロンの背筋が凍る。
「バ、バカじゃねーの!? マジかよ!?」
ブロンはがっくりと項垂れた。それもそのはず。ここでブロン的時系列を並べてみよう。
四月二十三日:記憶喪失の男、クロル・ロージュが現れる
四月二十五日:デュールから宿屋『時の輪転』が割れたと聞く
四月二十八日:今ココ
そう。たった三日で、ブロン的には最低最悪の展開になっているのだ。クロル・ロージュのモテ力がすごすぎる。よく考えてみたら初デートで一泊してるし、彼女を骨抜きにしているわけだ。本当に仕事が早い。ハニトラの天才は伊達じゃない。
ブロンの衝撃など露知らず、ソワールはくすくす笑いながら話を続ける。
「ふふっ、オルさんがよく話してたの。『どうしようもない孫のクロル』の話。まさか会えると思ってなかった。もう嬉しくて~。運命だと思わない?」
「思わねー!」
ブロンが全否定すれば、ソワールは眉を少しあげてブロンの帽子のつばを軽く指で弾いてなだめた。
「ねぇ、ブロン。クロルとオル・ロージュのこと調べてほしいの。本当に血縁関係があるなら、彼に教えてあげたい。ね、お願い!」
「それ、ずるいよなー。オレが断らないって知ってるくせに」
「いつもありがと、ふふっ」
「はいはい、わかったよ。ただし! クロル・ロージュの身元が割れたら宿屋は出ろよ?」
「え? 記憶が戻ったらじゃだめ?」
「ダメに決まってんだろ! 昨日だって……二人でどっか行ったこと……オレは許してないからな?」
「ぎくり」
「これ以上、あいつに近付こうとするな。恋人になるとか絶対マジでダメだかんな!?」
ソワールは「こ、恋人?」と言いながら、なにやら困惑しているようだ。彼女としては、クロルと恋仲になるなど考えたこともないのだろう。その考えが変わらない内に、ブロンは畳みかける。
「いいか? 恋人っていうのは、時間と身柄を拘束し合う最低なシステムだ。恋人は看守と同じ。四六時中監視されることになる」
「そうなの!? 怖い……」
本当に怖い。なんてことを吹き込むのだろうか。しかし、概ね正しい。
「それにさ、冷静になってみろって。あんな顔してんだから、嫁の一人や二人いるだろ」
「嫁……!」
「いるいる。絶対にいる。不倫泥沼ソワールになるかもよー?」
「泥沼ソワール?」
「そうそう。いつも言ってるけどー、大体の男は本命がいるくせに、そこらへんの女にも『特別だ』とか言って身体だけ提供させんだよ。気をつけろよ?」
「特別=身体の関係……?」
「それそれ。危ないのなんのって! だ・か・ら、オレの言うことをちゃんと聞くこと! 受け答えは極力短く、なるべく冗談で濁す! わかった?」
「む~。わかってるもん……」
「わかってなさそうだから言ってるんだけどー?」
「……ちょっと夢を見ただけよ。わかってるもん、じゃあね~」
「あ! こら逃げんなよー!」
ソワールは黒い外套を翻し、宿屋『時の輪転』の方角に消えていった。ブロンは歯をギリギリと鳴らしながら、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。
「あーもー、なにが『わかってるもん』だよ。こっちの気も知らないで」
ブロンは思い通りにならない彼女に少し苛立ちながらも、彼女のために何が出来るか考えた。
いや、もうずっと考えてはいたけれど、一体ブロンに何が出来るのか。大親友のデュールにテキトーな嘘をつくことしか出来やしない。『デュール、ごめん!』って感じであった。
―― とにかくクロル・ロージュだな
先日は、クロル・ロージュ単体で調べたわけだが、ソワールのリクエスト通りにオル・ロージュから辿ってクロル・ロージュの身元を調べる。それをソワールに突きつけて、さっさと宿屋を出る。
しかし、オルは死去して数年経つのだから、調べるにしても時間がかかるだろう。現地に赴く必要もありそう。時間が足りない。
―― マジで最悪の展開。そもそも、なんで宿屋『時の輪転』が割れたんだよ
デュールは情報元の騎士を知らないと言っていたが、同じ騎士団だ。デュールは顔も広いし、そのうち知ることになるだろう。
そうなれば、『時の輪転にソワールはいない』という情報が嘘だと即行でバレる。あれだけ啖呵を切ったのだ、次はブロンが疑われる。芋づる式に、ソワールの正体もわかっちゃうかも。
ブロンは考えた。ここは攻めるべきだと。短絡的だったとしても、もうこれしか手はないと思えた。時間稼ぎに最適な人物に、全ての罪を丸ごと被せるのだ。
「絶対にオレが守る。捕縛させてたまるかよ」
帽子をギュッと被り直し、ブロンは闇夜に消えたのだった。




