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21話 落ちる



 ここでしっかりと水を差すべきだろう。終始、忘れてはならないことが一つだけある。クロル・ロージュは任務中の騎士であるということだ。


 彼の目的は、レヴェイユがソワールなのかどうかを見抜いて、無実か有罪かの証拠を掴むこと。

 どんなにとろけた甘い空気があったとしても、それは任務というベースの上に成り立つ甘さだ。街で見かける恋人たちのような純粋な甘さではない。ショートケーキの生クリームみたいに、そこに砂糖を加えてやっと甘くなっているだけの、そういう関係。


 だって、仕方がない。彼と彼女は仮面をつけたまま過ごしているのだから。





「はー、さっぱりした」


 ホカホカツヤツヤのクロルが髪を拭きながら風呂を出ると、彼女はベッドの窓際を陣取って丸くなって寝ていた。まるでふて寝しているような彼女の背中に、いくらか愉悦を感じてニンマリとするクロル。悪い男だ。


 ご機嫌に髪を乾かして、大きめのベッドの右側に入り込む。一組しかない掛け布団を半分こにしてみると、それは彼女の体温でいくらか温かくなっていた。ほわわん。


 寝ているレヴェイユの背中を見ていると、そこで彼女の右手が掛け布団から出ていることに気付いた。何だか寒そうだなと思って、そっと布団の中にしまってあげる。同じようにクロルも掛け布団の中に肩まですっぽりと入り込む。

 そうして、顔だけ出した二人の男女が温かそうに寝ころんでいる絵が完成。


 ―― これはこれで、なかなか


 一定のリズムで聞こえてくる彼女の寝息と、同じく一定のリズムで上下する白いシーツの膨らみ。コチコチカッチンと刻まれる時計の音。そのうちうつらうつらと目蓋(まぶた)が重くなっていって、いつの間にか夢の中。部屋には、ふわりと心地良い空気が漂っていた。






 そうして、朝。クロルは目蓋の裏で朝の光を感じ取った。少し身体を動かしてみると、ふよんとすごく柔らかな感覚と甘い香りが漂ってくる。


 ―― やわらかー……


 そう思って、目をこすりこすり。ぼんやりと開けてみれば、赤い色にパッと目が覚めた。


「……これか」


 レヴェイユが腕の中にいた。スヤスヤと寝息を立てて、クロルにぎゅっと抱きついて眠っているではないか。

 

 ―― 寝相、悪すぎじゃね?


 状況を察するに、レヴェイユがごろりんごろりんとクロルの陣地に入ってきた様子。


 普段ならば、そもそもターゲットの隣では眠らないし、万が一眠ったとしても愛のない冷たい手でグイッとどかしてしまうところだが、彼女が相手なら『まぁいっか』とそのまま受け入れてしまう。


 動かせる右手だけでそっと掛け布団を掛け直してあげると、レヴェイユは少しだけ「……ん」と掠れた声を出して身じろぐ。そして、またリズムの良い寝息が聞こえてきた。

 時計の音と寝息が重なり合って、コチコチカッチンスヤスヤスー。柔らかい日差しがカーテンの隙間から零れ落ち、とても穏やかな朝だった。


 ……とは言え、あまりにもピッタリとくっ付いてくるものだから、さすがのクロルもちょっと……まあ、そういう気になってしまう。


 だって、クロルの脚の間にはレヴェイユの柔らかな左脚が絡まるように割って入り込んでいたし、ふわふわの髪がクロルの頬をくすぐってくるし、彼女の胸はクロルの左腕にくっ付いていたし、すっごい柔らかいし。何となく分かってはいたが、おっとり顔に似合わずスタイルが良いし。なんだか時計の音が、逆に気になってしまうじゃないか。


 ―― 俺も、男だったんだな


 なんて思ったりもした。プロの女たらしが今更何を考えているのだろうか。

 しかし、プライベートは恬淡(てんたん)なクロル・ロージュなのだ。スイッチを入れることはあっても、誰かにスイッチを入れられたのは初めてだった。


 クロルはチラッとレヴェイユの寝顔を見て、「コホン」とワザとらしく咳払い。彼女が起きないことを確認した。

 そして、フリーだった右手をゆっくり動かして、彼女の背中にその手を回しながらぎゅっと抱き締める。

 それでも起きる気配がなかったから、今度は背中をそっと撫でた。そして、次に腰。その下のおし……コホン、太もも。戻って、腕や肩、お腹、その上のおっ……コホン、鎖骨、首、耳。


 クロルは慎重に、かつ丁寧にまさぐった。丁寧にまさぐるとは一体何事だ。仕事だ。


 そう、何故こんなことをしているのかと言えば、クロルが男だからではない。騎士だからだ。


 ―― っつーか、やっぱスタイル良いな。上から89、57、90。うーん、ソワールの数字が分かればいいんだけどなー。外套の上から見て分かるかどうか……


 気色悪い測定能力を持っているクロルは、まさぐりながらもデュールの言葉を思い出していた。『レヴェイユがソワールではないという証拠を掴んでこい』という言葉だ。それならば、掴んでやろうじゃねぇかと、クロルは色んなところを掴みつつまさぐり倒しているのだ。ふにふにむぎゅ。


 ―― 悪魔の証明だってしてやろうじゃねぇか


「……ん」

「あ、起きた? おはよう、レーヴェ」

「……うん、」

「レーヴェ?」


 まだ寝ているのかなーと思って顔を覗き込むが、うっすら目は開いている。焦点は合ってない。


 ―― あ、朝弱いんだっけか


 彼女の部屋で見た、床に置かれた目覚まし時計たち。思えば朝食当番ではないときの彼女は遅起きだった。


「ははっ、弱すぎだろ」


 くすくす笑いながら、彼女の柔らかい頬を指先で触れてみたりする。スルスルのフニフニだ。


「レーヴェ?」

「ふふっ、くすぐったい……ん。も、すこし、おかあさん……」

「は?」


 お母さん。すなわち母親。どうやらクロルと母親を間違えているらしい。クロルは立派な男性だというのに、なんたる仕打ち。


「……ふーん」


 そりゃあね、若干イラッとするよね。苛立ちがクロルの美しい指先まで到達したため、レヴェイユのほっぺを軽くつねってやった。


「お母さんじゃねぇし」

「……うーん、お母さん、やめてぇ」

「まだ言うか」


 これは本格的に叩き起こすしかないと思って、彼女の顔を覗き込む。でも、到底叩いて起こすなんてことは出来なかった。レヴェイユは泣いていた。


「……レーヴェ?」

「やだ、お母さん……だめ、いかないで……なんで……」


 まだ夢を見ているのだろう。彼女はうなされながらポロポロと涙を流す。「ん……」と悲しみに掠れた声を出し、すがるようにクロルのバスローブを掴んでいた。『ずっと一緒にいて』と、言われている気がした。


 クロルはただ見ていた。例えば、涙を拭うとか慰めるように頭を撫でるとか、そういうことはせずにただ見ているだけ。非情にも聞こえるが、あるいは『目を離せなかった』という言葉を使うのが正しいのかもしれない。


 春の雨のように滴り落ちる彼女の涙を、彼は(まばた)きもせずに目で追った。そして、その涙がぽつりと彼の腕に落ちてきた瞬間。


 ―― あ……


 心がガクンと落ちた。


 まるで爆音の目覚まし時計で起こされたみたい。ドクンドクンと心臓が跳ね上がり、『生きてるよ』と主張する。エンジンがかかったみたいに、ギュンギュンきゅんきゅんと血液が動く。


 切なくて、苦しくて、泣き黒子がきゅんと上がった。


 ―― あ、これ……


 人間の身体は、心臓で作られた血液が全身に行き渡るまで二分かかる。その二分間、クロルは動けなかった。

 血液と共にじんわりと広がる熱と欲に、自分がそれに落ちたことをゆっくりと自覚していく。自覚してしまえば、もういてもたってもいられない。


 とうとう間違ってしまった。クロル・ロージュが落ちたのだ。


 ―― これはダメだろ


 ダメに決まっている。仕事中、ターゲット相手に、しかも泣き顔がトリガーとなって恋を自覚したわけだ。なんたる失態! なんたる変態! 不道徳で不真面目なド変態じゃないか。


「ごめん、レーヴェ。ちょっと、」

「うん? ……朝?」


 とりあえず物理的な距離を取るべく、クロルがモゾモゾと離れようとすると、その振動でレヴェイユが目を覚ました。そうして出来た二人の隙間で、お揃いの茶色の瞳がぶつかる。


 差し込む朝日が彼女の瞳に溶けて輝く。その瞳から降り出す涙たち。吸い込まれるように、溶け合うように近付いていく。


 でも、やっぱりあと一センチ。クロルはピタリと止まった。剥がされてしまいそうになる仮面をどうにか付け直して、熱と欲を止める。


 ―― まだターゲットのままだ。疑いが晴れるまで……『仕事は真面目に』


 祖父の口癖を思い返して、彼女の涙をバスローブの袖で乱暴に拭う。泣き顔リセット。


「レーヴェ、大丈夫?」


 息がかかる距離で問いかけても、彼女は「うーん?」と答えるだけ。目は開いているのに意識レベルが上がらない。


「ったく。いい加減、おーきーろ」


 触れそうなほどの距離はそのままに、クロルはレヴェイユに覆い被さって、彼女をベッドに閉じ込める。


 胸章の代わりに一瞬だけ心臓に触れた。仕事開始だ。


 昨日と同じ距離を辿るように、目元に『おはよう』のキスをして、頬には『どんな夢を見たの?』とキスを落とす。唇の横ギリギリ、『尋問開始だよ』のキスをすれば、やっと「くろる?」と呼んでくれた。


「あ、起きた?」

「ハッ! クロル!? う、美しい」


 クロルの顔を見るなり、彼女は一瞬で目を覚ます。顔面が強くて良かった。クスッと笑って、まだ赤くはない耳にチュッとキスをする。


「ん……」


 耳元で彼女の掠れた声が鳴った。甘い。


「首のとこ、キスしてい?」

「え?」


 首筋に沿うように口付けを何度も落とす。「ん……」と小さな可愛い声が出るのを確認しつつ、キスは鎖骨まで到着。


 ―― ごめん


 心の中で謝罪して、胸に黒くのしかかる罪悪感を蹴散らした。


「可愛い。色っぽい首筋だね」


 クロルはニコッと笑って泣き黒子を上げた。そのままスルリとバスローブをずらす。おっと、大丈夫。肩が出るくらいまでだ。


「きゃっ」

「大丈夫、これ以上は脱がせない。ちょっと肩にキスするだけ」


 大丈夫な雰囲気は一つもないが、大丈夫だ。鎖骨から少しずつ、肩先に向かってキスをしながらお喋り(尋問)タイムが始まっただけ。


「嫌な夢でも見た?」

「え?」

「泣いてたから」

「私? ……ん、おぼえて、ない」


 ―― 嘘は言ってない


 好きな女の子とベッドの上、彼が何をしているかお分かりだろうか。イチャイチャしてるわけではない、仕事をしている。


 彼女の色っぽい首筋から伝わってくる微細な頸動脈の動きと発汗具合。クロルの美貌と色気で反応を拾いやすく増幅させて、彼の唇と指先でそれらを感知しているのだ。さらに愛くるしい瞳の挙動と、可愛い表情筋をゼロ距離で観察し、それらを掛け合わせ、嘘をついているかどうか見破る。


 要するに、嘘発見器だ。天才的ハニートラップ担当潜入騎士、クロル・ロージュの気色悪い特定能力。とても便利で薄気味悪い。


「お母さんって泣きながら呼んでた。何かつらい思い出がある?」

「ひゃ……ん」

「教えて、レーヴェ」


 レヴェイユはとろんと溶けた瞳で、クロルの泣き黒子を見ていた。


「お母さんが……死んだとき、すごく悲しかったから……」

「なんで死んだんだ?」

「橋で……そわ、……ん、クロル……」


 甘い声で名前を呼ばれ、バスローブをぎゅっと掴まれた。まるでおねだりするようなその仕草に、腰が砕けそうになる。


「……はぁ、これやばいな」

「ん、なぁに……?」

「なんでもない」


 キスのお散歩が肩先まで到達したため、クロルは「じゃあ帰り道」とかフザケたことを言いながら首筋に戻っていく。


「レーヴェって、実は結構悪い女だったりする?」

「悪い……? なぁに、それ?」

「隠し事とかしてない?」

「ゃ……して……」


 その甘い声にクロルの心臓がドキンと跳ねる。


 ―― ダメだ、これじゃわかんねぇな


 触れるたびに脈が早くなる。彼女の心音なのか、クロルの心音なのか。この体温はどちらのものなのか。わからなかった。こんなことは初めてだった。


 前代未聞のトラブル発生。こうなってしまっては仕方がない。真面目な軽薄男は、内心でこんなことを思慮し出す。


 ―― あー……くっそ、やりてぇー


 アウトだ。不真面目大爆発だ。これじゃ、どっちがハニトラに引っかかっているか分からないじゃないか。ハニトラ歴五年半にして、初めてハニトラの惨さを知る。なんてこった。


 一度落ち着こうと思い直し、身体を起こして彼女の表情を眺めてみる。

 レヴェイユは惚けたようにクロルを見ていた。眠気も混じって、もうとろんとろん。首筋は真っ赤に染まり、触って欲しそうに脚をくねらせていた。眉は切なく下がり、口元は誘うように開いている。

 朝の光が差し込む中でそんな姿を見せられたら、もうため息ものだ。


「はぁ……レーヴェ、可愛い」


 大きくため息をつくクロルを見上げ、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「クロル? どうしたの?」

「最低なこと考えてた」

「ふふっ、どんなこと?」

「最高なこと」


 善行か悪行か。罠か本音か。


 朝の日差しと、それを遮って落とされる影のコントラスト。皮肉なくらい白いシーツによく映える。その上で、「最高なことってなぁに?」「んー? 最低なこと」とか言いながらクスクスと笑い合う二人。


 この方法では彼女の嘘も本音も見抜くことは出来ないだろう。アディショナルタイムかな、彼女の唇を指でなぞったりふにふにしたりして存分に遊んだ。彼女の耳が真っ赤になっている様は、それはもう楽しかった。


「ふーん、こういう感じか。聞いたことはあるけど、これは確かに……」

「なぁに?」

「んー? なんでもない」

「えっと、あの……しないの?」

「あー……レーヴェはしたい?」

「それは、キスのこと? えっちなこと?」

「なにそのエグい質問」


 クロルは彼女の質問には答えずクスクス笑いながら、また頬にキスをした。


「レーヴェはしたい?」


 先ほどと全く同じ質問を優しく投げると、彼女はこくんと頷いた。昨日よりも欲が深くなっている彼女の視線が腰に響く。グラリと傾きそうになる。

 ただの男と女。コントラストのない真っ白なシーツの上で、いっそのこと溶けてしまえればいいのに。


「可愛い」


 それだけ言って、彼女の首筋に指先を這わせ、ゆっくりと下に進んでいった。少しずつ少しずつ、どちらが音を上げるかのせめぎ合い。

 クロルの指先がちょうど鎖骨の下に触れたとき、彼女は期待するように「ん……」と掠れた声を出した。彼女のドキドキ音を指先で感じて、クロルは泣き黒子を上げる。


「これ以上はダメだな」


 そこでパッと手も身体も離して起き上がった。よく寝たとでも言うように、うーん、と一つ伸びをしてから彼女の乱れたバスローブを整えてあげる。テキパキテキパキ。


「え? クロル?」

「腹へった。朝飯いこーぜー」

「え!? ……しないの?」

「は? するわけねぇじゃん」

「ぇえ!?」


 バキッとフラグを折られ、泣き出しそうなレヴェイユ。クロルはもう楽しくて仕方がなかった。彼女をもっと苛めて、色んな表情を引き出したい欲が沸き上がる。おっと、ドSが過ぎるな。


「ま、待って! せ、せめてキスくらい、いかがでしょうか!?」


 彼女から放たれた謎の提案。クロルは優しいから、寝癖だらけの赤い髪を撫でるだけにとどめた。悪い男だ。


「また今度な」


 彼女の『今度とは?』というぽかーん顔に大満足して、クロルは王都に帰ったのだった。


 驚くことに、ここまでたったの五日間。さすが女たらしのプロ、クロル・ロージュ。女に関しては事が早い。任務も恋も、色々とフルスロットルだ。


 落ちて落として、潜入五日目終了。



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マシュマロ

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