2話 潜入任務、ソワールを捕まえろ
「女泥棒ソワール……!?」
窓から身を乗り出す。驚くことに、ソワールはすでに豆粒サイズ。どこぞの屋根の上を逃走していた。
階下は騎士でごった返しているが、誰一人としてソワールの存在には気付いていない。
「ふーん? 真上にいたのか」
思わず、飛び降りて追いかけそうになるが、目を細めて照準をあてるだけにとどめた。
だって、彼は潜入騎士。全騎士の内、一パーセント未満しかいない特別な存在だ。彼らは、息を切らして悪人の背中を追いかけたりはしない。やつらの近くに潜り込み、罠を張って捕らえるのが仕事だ。
「クロル? 何を見ている?」
クロルの背後からにょきっと顔を出し、彼をしっかりと引き止めてくれたのは、同じく第五騎士団のデュール。黒髪碧眼のめがね野郎、クロルの相棒だ。
「デュール、屋敷にソワールがいた。東に逃走中。ほら、あそこ」
「は!? ソワール!?」
デュールも窓から顔を出し、クロルの指す方向を見ていた。しかし、目を細めても分からないのだろう、軽く首を振る。
「よく見えるな、全くわからない。他の連中に追跡させるか?」
「あの速さじゃ無理。それに、ちゃんと会いに行って、恋人になってから捕まえてあげたいじゃん?」
すると、デュールは青い瞳を丸くする。
「クロル、次の任務内容を知っているのか?」
「まぁな~♪ ソワール任務が回ってくるように、伝手を使って取引したんだ」
「ほう。ソワールに興味があるだなんて、初耳だが?」
春を楽しむ人々の声と爽やかな風に背を向けて、クロルは窓枠に腰かける。軽い口調で、事のいきさつを話し出した。
「実はさー、じいちゃんの目覚まし時計をメンテナンスしようと思って、この前、分解してたんだよ」
「あの古い目覚まし時計か」
「そう。そしたら、ぽろろんって音が鳴りだして、奥の方がパカッと開いてさ」
「手紙でも見つかりそうな流れだな」
「大正解。じいちゃんからの手紙が入ってた。『遺言を残す。ソワールを捕まえろ』って」
「やたら短いな」
「じいちゃん、短気だったから。これって、ソワールが犯人だから、捕まえてほしいって意味だよな?」
「オルの時計店、窃盗事件の犯人ということか」
クロルの祖父は時計職人だった。小さな時計店を営んでいたが、六年前に店の時計を全て盗まれるという事件があったのだ。犯人は不明。事件と同時に、祖父は病死。偶然の不幸が重なった。
当時、クロルは十八歳になっていたこともあり、時計店を継ぐつもりだった。しかし、窃盗によって借金を抱えることになってしまい、店の継続を断念。
借金を返すために、地元をはなれて王都で働き出し、なんやかんやとあって、潜入騎士になったというわけだ。ちなみに借金は完済している。潜入騎士は高給取りだ。
「そしたらさ、ソワールの住処が割れたって話が出てきたじゃん?」
「ああ、第五騎士団の人間が解析したと聞くが」
「こんなタイミングいいことあるか? 正直、運命を感じた。で、このソワール任務を回してもらったってわけ」
「なるほど。あのソワールに、このクロル・ロージュをぶつけるとは、なかなか刺激的な任務が下りてきたなとは思ったが、そういう事情があったのか」
「ははっ! 悪女と言ったら、俺だろ?」
悪女と名高い、女泥棒ソワール。
長年、王都をにぎわす大泥棒だ。盗む物に共通点はなく、宝石、絵画、ドレス、食料、何でも盗む。
ここ数年、泥棒事件と言えばソワールか、もう一つ有名な盗賊団かの二択。この二大泥棒で独占状態だ。
特に、ソワールは泥棒の代名詞になるほどの有名人。『あんたの恋人、私がソワるから』『なによ、このソワール猫!』といった感じで、日常会話に登場するレベルだ。国民の生活に根付きすぎている。
「デュールが知ってるっつーことは、正式に任務が下りてきたのか。容疑者の調査結果もきた? ソワちゃんと仲良しになって、証拠をソワりたいんだけど」
「戸籍情報はデスクにある。あとで見ておけ。潜伏先は宿屋。じいさん店主が一人、若い女が二人」
若い女という言葉に、クロルは美しい眉を上げる。
「待てよ、ソワールって何歳だ? 二十年以上も、泥棒やってんだろ?」
「二十年間、ずっと二十歳前後だと言われてる」
「おー、不老不死? 新しいタイプの女だな」
「ニュータイプで食指が動きそうか?」
「動かねぇわ。それにしても、女が二人かぁ。面倒だな」
「二股だな」
デュールが眼鏡をキラッと光らせるものだから、クロルはイラっとしちゃう。
「うるせぇよ。で、じいさん店主は? そっちも俺の担当?」
「いや、他のやつが調査するらしい。クロルは女二人に専念しておけばいい」
「おっけー」
そこで、金庫室にワラワラと第五騎士団の騎士たちが入ってくる。どうやら、ミュラ男爵たちの連行が終わった様子。資産を保管するために、次々に金庫が開けられていく。
それを合図に、クロルたちは金庫室を出た。
「なぁ、任務前に休みもらえるよな? 最近、休みがなさすぎて、まじツラいんだけど」
「どの方面からもモテてご苦労なことだな、ははは」
「笑えねぇよ。はぁ、俺の顔がもう少し悪かったら、休みもあったのかな。顔が良すぎて忙しい……」
「本当に笑えない」
デュールは嫌味を続ける。やっかみだ。
「いっそのこと、容疑者相手に恋をしてみるのはどうだ? ミイラ取りがミイラ。それくらいの出来事があれば、俺とて腹を抱えて笑えそうだ」
「ばーか。そんなヘマするかよ。ハニトラ専門の潜入騎士に、プライベート含めて恋愛感情は不要。口を割らせたら、こつ然と消える幻の存在が俺。もはや夢と一緒」
「ゲスいが、ある意味プロフェッショナルとも言えるか」
「ははっ! これで金もらってるからな。じいちゃんの口癖、『仕事は真面目に』」
「では、騎士団本部に戻って、真面目に潜入準備に入るぞ」
「了解」
そんなおしゃべりが終わる頃、二人は屋敷の外に出た。春の太陽が、ぽかぽかと茶色の髪を照らす。とびっきり美しい男だ。
「あ、本部に戻る途中でケーキ屋に寄っていい?」
「またショートケーキか」
「好物なんだからいいだろ」
「まさか、それがランチじゃないだろうな?」
「昼飯は骨なしチキン。デザートにショートケーキ。任務に入ったら、なかなか食えないからさ」
「そんな余裕でいて大丈夫か? これまでの任務の中でも最高難易度だろう」
「誰に言ってんの? 女の子相手ならダイジョーブ」
余裕たっぷり、ショートケーキをあーんと食べて、潜入準備完了。
しかし、ソワール相手に余裕ではいられない。
この翌週。奇しくも、同じく金曜日。クロルは、運命の出会いをやり直すことになってしまうのだった。