19話 にょきにょきと育つもの
『空っぽになったら詰め込めばいい。ほら、クロルも満腹になっただろ?』
いつだってクロルは祖父に何かを詰め込まれていた。満たされるまで、ずっと。大嫌いなピーマンも、少し嫌いなほうれん草のソテーも、愛情も。
◇◇◇
「申し訳ございません。ただいま満杯で。一部屋しか空きがないんです」
―― そんなことあるか?
クロルは周囲を見る。ロビーには誰もいないし、窓の外を見てみても閑散とした村だ。そんなに大人気の宿屋とは思えなかった。それこそ『時の輪転』と同じレベルだろう。
この村が故郷だという御者の案内で夕食を済ませたが食堂も閑散としていたし、満室だなんてそんなことがあるだろうか。ちなみに御者は実家に泊まると言って、意気揚々と去っていった。
「え、満室? 本当ですか?」
レヴェイユも不思議そうにしていた。当たり前だ。宿屋の店員は「いやはや」と言いながら、ハンカチで汗を拭き拭き説明をしてくれた。
「はい。それがちょうどタケノコの収穫の時期でして。手伝いの人々が多くやってくるんですよ。一年間で今日だけかなぁ、一番の混雑ピークでして」
「タケノコ」
「ええ。裏手の山に、にょきにょきと」
―― そんな話、誰も信じねぇだろ……
「あらまあ、大変。にょきにょきですか」
クロルはずっこけそうになった。レヴェイユはまるっと信じているようで、「お土産にタケノコもいいかも」なんて世間話をし始めている。純粋すぎる。
このまま放っておいたら同室確定だ。ため息交じりに反論しようとしたクロルは、そこで気付く。
―― あれ? こいつ、見たことあるぞ……?
店員の顔に見覚えがあったのだ。どこで見たのだろうか。何回か会ったことがあるような。と考えること五秒。思い出した。
―― あ、こいつ、新入りの潜入騎士だ。っつーことは、これやっぱりデュールの仕込みか
クロルはいつになく戸惑った。だって、一部屋に押し込められるということは、即ち『関係を持て』ということだろう。
いつもだったら、全然全く一つとして何とも思わずフラットな感情で口説いて落として、そして家に上がりこんで家捜ししたり、必要に応じてスキルを発動して嘘を見破ったり秘密を聞き出したりして証拠をゲットする。フラットな感情のままで、ずっと。
だけれど、今回は少し勝手が違った。
―― 任務で傷物にしろって? さすがにできねぇだろ……
レヴェイユを知れば知るほど、彼女を容疑者から外したくなる。おっとりのんびりで危なっかしくて、優しくて可愛いことばかり言って。デートだって初めてだし手を繋げば手汗がダラダラ。くすぐったいくらいに緊張が伝わってきた。男慣れしていないのが丸わかり。嘘をつくのが下手くそで他人の嘘にはにょきにょきと騙される。
任務で愛してるなんて言って、彼女に手を出すなんて。想像しただけで胃が痛くなった。
「クロル、お部屋いこ?」
「は?」
「二階の一番端だって~。はい、鍵をどうぞ」
「え、一緒の部屋で寝るのか?」
「うん。だって、部屋は一つしか空いていないの。タケノコがにょきにょきなの」
レヴェイユは信じすぎていた。
「待て待て待て。レーヴェはそれでいいのかよ」
「うん?」
「俺、一応男なんだけど。レーヴェは女。意味分かってる?」
「え?」
そこで、レヴェイユはピタリと動きを止めて、何やら考えている様子だった。五秒ほど経ってから一つ大きく頷いた。
「うん、わかったわ」
―― 絶対わかってねぇじゃん
クロルは頭に『???』とクエスチョンマークを三つ並べつつ、また腕を引っ張られて部屋に連れていかれたのだった。積極的だな、なんて思いながら。
カチャ、キィ、パタン。ドアが閉まれば二人きり。
「まじかよ、ベッド一つしかねぇじゃん」
「でも、広いベッドね。掛け布団は一つだから、ぬくぬく半分こね?」
「半分こ」
年頃の男女が二人というシチュエーションに似つかわしくない、ほのぼのとした響き。言いようのないくすぐったさが背中を通り抜ける。
「さすがに疲れたわね~。お先にお風呂どうぞ?」
「はは、分かってる癖にそういう事言う。『レディーファースト』」
「素敵な紳士様。お言葉に甘えて」
恭しく淑女の礼をかまして、彼女は浴室に入っていく。そんな姿を見せられて、クロルは少し困惑した。
―― なぜ、あんなに感情がフラットなんだ? これは手を出すべき? 出さないべき?
デュール的には『出せ』の方だろう。
そこでクロルはバッと立ち上がり、音もなく部屋を出てフロントに向かった。
ロビーには男性客が珈琲片手に座っていて、フロントには先程の男性店員がぼんやりと立っている。暇そうだ。本物の店員ではないのだから仕事もない。暇で当然だ。
「あ、お客様。どうかなさいました?」
男性店員は素知らぬ顔で、二コリと営業スマイルを繰り出してきた。正直、イラっとした。
「どうかなさいました、じゃねぇよ。同職って分かってんだろ」
「……お連れ様は?」
「風呂入ってる」
「はぁ、なーんだ。仕込みだってバレました? ロージュ先輩~♪」
「こんな閑散とした宿屋で満室なんてありえねぇっつーの。なぁ、デュール?」
クロルが振り向くとデュールが「お疲れ」と珈琲を掲げていた。ロビーに座っていた男性客はデュールだった。
「こんなとこでコーヒーブレイクしてんなよ」
「クロルのせいで、まさかの泊まりになった。木こりは大変な職業だと知ったよ。木こりの皆様に、乾杯」
デュールは嫌みったらしく、珈琲カップをクロルの額に当ててきた。
「あちっ。悪かったよ、まじで助かった。それより、あの子がソワールだとは思えない」
時間がない。早速、本題だ。
「赤髪の女がソワールではないという証拠は?」
「苺髪な。それは悪魔の証明。無実の証明が難しいことくらい知ってんだろ?」
「悪魔になって証明するのがお前の仕事だということは、知っているか?」
「知ってる。でも、処女だし……可哀想だろ?」
デュールは「は!?」と声を零して、目を見開いていた。
「クロル、お前……どうした?」
「なにが?」
「赤髪の女に肩入れか?」
「は? 肩入れ? ……あぁ、色恋沙汰ってこと? 下らねぇこと言うなよ、そういうんじゃない」
「じゃあ何なんだ?」
「何て言ったらいいのか、うーん。あの子は違う」
「違う?」
「ほら、手のかかる妹的な?」
「お前……妹なんていたことないだろう」
手のかかる実妹を持つデュールは呆れ顔だった。
「妹っつーか……うーん、イマイチ伝わらないな。初めて会ったときから『究極の味方』って感じだったんだよ。とにかく今回はヤりたくない」
「まぁ、お前の勘は侮れないからな。ヤらずともいいんじゃないか? ただし、」
「ただし?」
鬼畜眼鏡野郎は、人でなしなことを言い出す。
「身体を繋げないのなら、心を繋ぐしかあるまい」
「なに? 何かのポエム? 今、ちょっと忙しいんだけど」
「そういうことなら純愛もいいだろう。ちゃんとクロっておけば、滞りなく任務が進む」
「あー……、なるほど純愛ね」
クロルは想像した。身体の関係は抜きにして本物の恋人みたいに順調なお付き合いを重ねていく的なことを。手を繋いで、頬だか手だかにキスして、それから……あれ? 告白が先? キスが先か? 何かわからんが、まあテキトーにやりゃあいけるだろうと判断した。クズい。
「んー、わかった。部屋に戻る」
そろそろ部屋に戻らなくては怪しまれる。クロルは踵を返そうとした。
「クロル」
返事をせずに軽く振り返ると、デュールは少し声を低くした。
「赤髪の女がソワールだと、トリズが言っていたことを忘れるな。あのトリズだぞ?」
「それもちゃんと頭に入ってる」
「いいか。『心を奪われるな。奪う側に立て』、第五の格言だ」
クロルは「ぶふっ」と吹き出してしまった。心を奪われる、なんて可愛らしいことがクロルの身に起こるとは到底思えなかった。
余裕綽々。「当然〜♪」と言ってから部屋に戻った。




