18話 馬車の中で半分こ
クロルは引きずられながらも頭をフル回転させた。レヴェイユの引きずる力が案外強くて、結構痛かった。
「レーヴェ! ちょっと待とう!」
「どうしたの? 辻馬車が行っちゃう」
「遅くなるなら宿に連絡しておいた方が良くないか?」
時間稼ぎにしかならない提案をしてみると、レヴェイユは「それもそうね」と言って足を止めてくれた。
「一度、宿に帰ろう」
「え~、それだと時間が掛かっちゃうもの。手紙を送るわ」
「あー、俺、切手代ないなー」
レヴェイユは首を傾げて、お財布を見せてきた。『たんまりあります』と財布が語っていた。
「そうなるよな、ははは……」
手持ちの札もなければ、手持ちの札もない。詰んでいる。胃が痛くなってきた。
「はぁ」
思わず胃のあたりをさすりながらため息をつけば、レヴェイユが「もしかして具合が悪いの?」と心配そうに聞いてくる。
「あ、いや……」
―― 待てよ。その線で回避するか
クロルが「ちょっと胃が痛くて」と仮病とも言い切れない本音を言ってみると、彼女は顔を青くした。やめてくれ、胃の辺りがどんどん重くなるじゃないか。それに比例するように、彼女の顔もどんどん青くなる。たぶん頭皮まで青いんじゃないかなってほどに、心配してくれている様子だった。
「大変! また倒れちゃうかも!」
「あー……いや、大丈夫かも。気のせいだった」
「ホント?」
「うん、病気とかじゃないからへいき……」
「良かったぁ」
「ははは……」
どうしようもない自分を殴りたくなった。
―― とりあえず、デュールに連絡しよう
このままだと、本当にオルの時計店跡地、即ちクロルの地元に行くことになってしまう。
ここで悲しい地元話をテンポ良くお伝えしよう、クロルには友達なんていなかった。明るく楽しい人生だ。
いやいや、仲良しの友達だっていたさ。でも、それらはみんなオルの酒飲み友達。そのほとんどは寿命を全うしている。悲しすぎるだろう。
同年代はと言えば、田舎に片足突っ込んだクロルの地元にとって、彼は美形すぎた。とんでもなく浮いていたし、もはやお触り禁止の芸術作品。
クロルもクロルで、声をかければ面倒事に巻き込まれることを知っていたため、無愛想な美形を貫いていた。
クロルを見て話しかけてくる者はいないだろうけれども、遠巻きに『あの美形、オルさんの孫のクロルじゃね?』みたいな感じで、鑑賞されるだろうことが容易に想像できた。不便な美形だ。
そんな雰囲気が漂う町にいたならば、おっとりレヴェイユだってさすがに気付くはずだ。そして、流れるようにクロルの身元が割れてしまう。そのまま帰る家のない地元に強制送還、任務はジ・エンドだ。
「じゃあ、急いで郵便屋さんに行かないと~。お手紙、お手紙♪」
「まじか」
何故、レヴェイユはこんなにもグイグイ進んでいくのか。またもや引きずられるように郵便屋へ行く途中、クロルは騎士を目で探した。すると、通りの向こう側に巡回中の騎士がいるではないか!
―― よっしゃ、いるじゃん! ラッキー!
クロルは乱れた前髪を軽く整え、カッと目を見開き「トイレに行きたい!」とレヴェイユに訴えた。すごい気迫だ。トイレに行きたい感がすごく伝わるような訴え方であった。格好良いのに格好悪い。
「あら、トイレ? えっとトイレは……」
「レーヴェ、俺は大人だから大丈夫だ。先に郵便屋で手紙を書いといて。すぐに向かうから」
「うん、わかった~」
とりあえずレヴェイユを先に行かせ、クロルはそこらへんの路地に入り込み、靴底をこねくり回して金色の胸章、騎士である証を取り出した。急いで路地から出て隣にあった花屋に入店。
「いらっしゃ……わぁイケメンんん……」
店員は若い女性だった。クロルはお構いなしに金色の胸章をサッと見せる。
「騎士団です。有事につき、無償での紙とペンの提供を願います」
「へ?」
「失敬」
そう言って、サッとレジを乗り越えて、そこらへんにあったメモ帳とペンを失敬した。超速度でデュールに事のあらましを書いて、ペンと紙を失敬したまま「ご協力感謝いたします」と言って店を出た。
―― さっきの騎士はどこだ? あ、あそこか
少し遠い場所にいたものの、騎士の制服は目立つ。人と人の間をすり抜けて、馬車道を走り抜け追いかけた。走っていても絵画かな。それにしても今日はよく走る日だ。
「そこの騎士! 止まって!」
「!?」
振り向いてくれたのは、二人組の騎士であった。
騎士団は大所帯だ。第一騎士団から始まり、クロルの所属する第五騎士団まで五つもある。この二人組の騎士は、当然ながらクロルの顔見知りではない。人を選んでいる場合ではなかった。
所属が分かる胸章から察するに、彼らは第三騎士団だ。
「突然悪いな。所属は第三か?」
「そうですが……貴方は?」
訝しそうにする騎士二人組。そこでクロルは金色の胸章を見せる。相手はハッとした顔をして「おぉ、なんだ騎士か。第五か?」と返してきた。
「悪いんだけど、第五のデュール・デパルに、この文書を届けて欲しい。大至急だ」
「デュール・デパルだな。了解~」
しかし、どうにも騎士二人はゆったりムードだった。クロルはちょっと苛ついた。
潜入騎士の大変さを、普通の騎士は理解していない。第一から第五までの騎士団で一番過酷なのは、ぶっちぎりで第五。それも潜入騎士は取り分け過酷だ。
それに対して、彼らが所属する第三騎士団は泥棒や窃盗事件が管轄。普段から呑気なものだった。
なんせ、昨今の泥棒窃盗被害と言えばソワールか盗賊団サブリエのどちらか。勿論、第三騎士団だって頑張ってはいるものの、特にソワールなんか二十年間も捕縛できずにいるわけで、第三は地団駄の連続だ。悔しさは定常化しているというか……まあ、諦めムードが漂っているのも事実。
彼ら二人組の騎士に、このメモと共にクロルの命運を託すわけだが、巡回ムードのままのんびり配達されてしまっては間に合わない。
そこで、クロルは伝家の宝刀を抜く。美形顔で相手に詰め寄り、「これ、ソワール案件だからな?」と凄んでやった。
「ソワール!?」
「そう! だから本当に、マジで、死ぬ気で早く届けて」
ソワールと言えば泥棒。泥棒と言えば、本来の管轄は第三騎士団だ。ソワールに詳しい彼らは、事の重大さを理解した様子で、騎士の敬礼で答えてくれた。
「了解した!」
「恩に着る」
クロルの無遠慮な念押しに、相手の騎士たちは死ぬ気の全速力で走り去っていった。
―― デュール、後は頼んだ
そして、クロルはまたもや走って郵便屋にいるレヴェイユの元に戻ったのだった。
普段だったら、絶対に戻らない。このまましれっと帰るという選択を取るだろう。でも、レヴェイユ相手にその選択肢は……もう取れなかった。
ガラガラガラ……ガタガタガタ……。
クロルは辻馬車に乗せられていた。車輪が回る音がひどく焦らせる。そわそわを逃がすように指先をすり合わせた。
―― 王都を出て、もう四時間か
「なぁ、レーヴェ。一度休憩しない? ほら、遠いけどあそこに村が見える。ランチを食べよう」
レヴェイユは、なにやらガサガサと荷物を探り始める。
「びっくりぽん。サンドイッチがここに」
「いつの間に」
「郵便屋さんの隣がパン屋さんだったの~。ほら、美味しそうでしょ? グランド商会のパン屋さんでね、大人気なんだって」
「なるほど」
奇しくも、『デートなのにランチ代がなくてどうしよう問題』がサクッと片付いてしまった。
『やっぱり後回しにできる問題は、後回しにするべきだな。朝の俺だって、まさか地元に向かう馬車の中でサンドイッチを食べているとは思うまい』とか、自虐的思考を巡らすことで気をまぎらわすしかなかった。
「一緒に食べましょ。お隣いってもいいかしら?」
「はいはい、どーぞ」
彼女が立ち上がったので、手を差し伸べて隣の席にひょいと移動させてあげる。
「これはチキンサンド、こっちは卵サンド。他にもたくさん色んな種類があって、全部一種ずつとって詰め込んでみたの」
「お、チキン美味しそう」
「ふふっ、はいどうぞ」
「一種類ずつなら、半分こにしよっか」
馬車の中でサンドイッチを半分こ。ピクニックみたいな雰囲気に、不思議なことにどうにも任務を忘れてしまいそうになる。彼女がほわほわと笑えば、彼はふわふわと揺られる。
そうして、ちょうどサンドイッチを食べ終わる頃、馬車がゆっくりと停車した。クロルは瞬時に察する。これはデュールが動いてくれたに違いないと。束の間のピクニックタイムは終了だ。
「何だろう。ちょっと様子を見てくる。レーヴェはここにいて」
「う、うん」
クロルが意気揚々と馬車のドアを開けると、御者が「すみません、お客様」と言いながら前方の道を指差す。そこには馬車道を塞ぐようにドーンと大木が横たわっていた。
「大きな木ですね」
クロルが御者に言うと、御者は「大きな栗の木ですね」と返してきた。確かに、とげとげの栗がそこら中に散らばっていた。
その会話を聞いていたのだろう、レヴェイユも馬車から下りてくる。
「あらまあ、大変。馬車道が……大きな栗の木の下だわ」
「これじゃ進めないな」
「そうね」
「残念だけど帰ろっか。レーヴェ、俺のために頑張ってくれたのにごめんね」
「うーん、どうにかどかせないかしら。全力で転がして……ううん、馬をとって乗り換えていけば……」
「は? なんて?」
「あ、ううん。何でもない~。そうね、今日は諦めるしかないわね」
「是非とも」
―― デュール、さんきゅー
そのころ、デュールと愉快なきこりたちは草葉の陰からではなく森の中からクロルを見ていた。全力で馬を走らせ、全力で大木を倒したのだ。死屍累々。皆、クロルを睨んでいた。
デュールの眼光には『仮病でも何でも使ってしのげば良かっただろうが、このバカクロル!』と刻まれていた。
レヴェイユは「王都に戻ります」と御者に告げた。クロルは心中ガッツポーズ。と思ったら、今度は御者がごね出した。
「お客様。王都に引き返すとなると、また四時間は掛かります」
「はい、不都合がありますか?」
「日没までに戻れなくなりますよ」
「はい?」
「……おやまあ、お客様は先程の看板をご覧になっていない?」
「何ですか?」
穏やかではない御者の雰囲気に、ぼんやりと大木を眺めて勝利を味わっていたクロルも耳を傾ける。
「ここらへん、山賊が出ると看板に書いてありましたよ」
「看板?」
「はい、『暗くなると山賊が出て馬車を襲うから日没以降の通行は原則禁止』と騎士団の紋章入りの看板が」
「あらまあ、大変」
「……騎士団の紋章?」
クロルは嫌な予感がした。
「それでしたら、一番近い宿屋に一泊しましょ?」
レヴェイユがそういうと、御者は「そうして頂けると、とても有難いです」と安堵しながら頷いた。
「御者さん。一番近い宿屋の場所はわかりますか?」
「えぇ、お任せください。ほら、あそこの村、私の故郷でして。綺麗な宿屋もありますし、駐屯の騎士もいます。そこなら安心ですよ」
「あら、素敵。里帰りもできますね」
「へへ、恐縮です」
そうして、クロルとレヴェイユは一泊することになったのだった。
―― これ、一部屋しか空きがないんですよーとかいうパターンだったりしないよな……? なんか嫌な予感が
さすが、女に関してのクロルの勘はよく当たる。森の中に潜む、快楽眼鏡デュール・デパルが、このチャンスを逃すわけもない。
この五分前、宿は一室を除いて満室になっていた。看板を作るのだって大変だったんだから。国家権力って、本当にすごい。