17話 時計とロージュ
「オル・ロージュ……」
―― じいちゃんの名前……なんで知ってる?
クロルは動揺を悟られないように静かに呼吸をする。記憶を探るように前髪をくしゃりと握ってみせた。
「覚えてないな……それは誰?」
「この時計を作った時計職人のおじいちゃんなの」
「有名な人?」
「うーん、凄腕だったって聞いたことはあるけど、有名かはわからないわ」
「レーヴェは、その人と付き合いがあるってこと?」
「うん。六年前、たまたま行った時計店で、この時計を買ったの。それがオルの時計店。すごく素敵な人だったわ」
クロルは少しだけ胸がキュッとした。こんな離れた王都で祖父のことを『素敵な人だった』と言ってくれる人間がいるだなんて、思いもしなかったからだ。懐かしさが込み上げる。
その一方で、オルの手紙のことも思い出した。オルは『ソワールを捕まえろ』とクロルに遺言を残している。時計店で窃盗をした犯人がソワールだとすれば、ソワールだってオルの時計店を知っているはず。
―― レーヴェはオルの時計店を知ってる。この子がソワール……? いや、でも『ロージュ』まで知ってるなら、じいちゃんと仲が良かったはず
めくるめく恋バナはすっ飛ばすが、オルはクロルの祖母に大層ベタぼれで、訳あって婿養子でロージュ家に入っている。しかし、時計店を含めて、普段は旧姓を使っていた。
オルの本名が『ロージュ』であることは、ほぼ知られていない。ましてや、ソワールが知っているはずもない。
クロルはもう一度、レヴェイユの時計を見た。六年前、盗まれた時計は全て記憶にある。
いや、盗品だけじゃない。一品一品、手作りで作られた時計だ。買われていった時計も含めて、クロルは鮮明に覚えていた。
―― 違う、これは盗品じゃない。このシルバーのレディース時計……窃盗事件の少し前に買われたやつだ。嘘はついてない。本当にじいちゃんの客だ
クロルが思考を巡らせていると、レヴェイユは「あっちの通りにある時計店」と言いながら、指を差す。
「今日の待ち合わせもそうだったけど、クロルってよく時計を見てるよね。カフェスペースの柱時計とか」
「……へー、無意識だった」
うっかりミスだ。クロルのルーツである『時計』との繋がりを指摘されてしまうとは。
「記憶喪失でも、奥底に根深く残っている記憶があって、ついつい時計を気にしちゃうのかなーって」
「はー、なるほど」
正解だ。奥底どころか、浅いところにばっちり残っている。
「クロルを見ていて思ったの。もしかして、オル・ロージュさんと血縁関係だったりしないかなーって。なんというか、雰囲気もすごく似てる気がして」
「ほー、なるほど」
正解だ。直系の孫だ。
―― 俺のことよく見てるんだなぁ
「色々と考えてくれてありがとう。それなら騎士団に話をしてみるよ」
と、答えるしかない。クロルは、デュールに丸投げ作戦で乗り切ろうと考えたのだ。国家権力に『オル・ロージュとは無関係でした』と回答させようと。
しかし、彼女は眉間に皺を寄せて反対する。
「ダメよ、騎士団は当てにならない。この前、クロルのことを通報したときには驚くほど冷たい回答が来たのよ?」
「そ、そうか」
そうなのだ。当然ながらクロルがぶっ倒れた日に、宿屋のマスターは騎士団に通報をしていた。
しかし、デュールが根回しをして『事件性はありません』という冷ややかな回答を返していたのだ。本当に事件性はないのだから仕方がない。
クロルは内心で苦笑い。国家権力が荒ぶったせいで、騎士団に対する信頼が損なわれてしまっているではないか。全て片付いた後には、騎士団は信頼できる公的機関だと弁明の機会が欲しいところだ。
「ねぇ、クロル。もしよかったら、このまま行ってみない? もうオルさん自身は亡くなってるらしいんだけど、見に行くだけでも。ね?」
「は?」
「行ってみましょう。オルの時計店に。六年前だけど、場所なら覚えてるから」
「は!? これから!?」
「クロルのルーツがわかるかもしれないでしょう?」
―― 分かりまくりだよ、めちゃくちゃ地元だよ
クロルは焦った。どうにか今持ち合わせている武器でかわすしかない。持ち合わせている武器と言えば、持ち合わせがないことくらいだった。
「金がないから馬車とか借りられないんだけど。持ち合わせがなくて」
レヴェイユは「ふふっ」と笑って、デート冒頭で見せたお財布をまたも取り出す。貢ぎたがりな女だ。
「お金なら無限にあるから大丈夫よ~」
「いやいやいや、それはさすがに悪いって。それにさっき赤いヒール買ったんだろ? 残り少ないんじゃない?」
「え? やだ、もう。ふふっ、靴にはお金使ってないから大丈夫よ?」
「またそんな茶化すなよ。本当、悪いから」
絶妙な会話の応酬に、色んな意味でヒヤヒヤする。
クロルは焦った。ターゲットと一緒に地元訪問なんて、そんなぶらり旅ができるわけもない。
「レーヴェが頑張って働いて貯めた金だろ。また今度にしよ?」
「いいの。お金なんてすぐに手に入るもの。それよりクロルのために何かしたい」
「いや、いいって」
「でも、記憶が戻ったら嬉しいでしょ?」
「えー……」
「お願い! ね? 私、クロルのために……一緒に行きたい」
真っ直ぐな瞳だった。クロルと同じ茶色の瞳をくるりんと何度も瞬きをさせて、ガツンとぶつけられた。
レヴェイユの気持ちが心底純粋なものであると、その瞳が語っていた。決して、邪魔者を宿屋から追い出そうとしているわけではない。
いつもはニコニコ顔のくせに、なぜだか切なそうな表情を浮かべ、声には優しさが乗っかっていた。それが嫌でも伝わってきた。
クロルは、言葉を失った。
―― ……あ、これやばいかも
心の隅っこに黒い塊がのしかかる。これは罪悪感だ。
これまでの潜入任務でもクロルが粉をかけて調査をした結果、無罪であった人間もたくさんいた。でも、罪悪感を持ったことはなかった。皆、それなりにクロルとの一時の恋人ごっこを楽しんでくれていたからだ。
恋人ごっこ。夢を見させて楽しませ、その時が来れば、ふわっと消えていなくなる。それが美しき幻、クロル・ロージュだ。
綺麗なドレスに、かぼちゃの馬車。十二時までしか効かないと分かっている魔法を使うのに、魔法使いは心を痛めるだろうか。クロルだって、心を痛めたことなどなかった。
じんわりと背中に汗をかく。初めて任務遂行が憚られる相手に出会ってしまった。そんな予感がしたのだ。女に関して、クロルの勘はよく当たる。ゾッとするほどに。
「レーヴェ。……その時計店までどれくらいかかる? 今日中に戻って来られるくらいの距離?」
意地悪な質問で返すしか出来なかった。距離なら知っている。戻ってこられない距離だ。諦めてもらいたかった。
「戻レモマスヨ。当たり前じゃないデスカ」
イントネーションがごちゃついていた。急な敬語。目も泳いでいる。
―― 嘘が、下手くそすぎる……!
人間の心理は不可思議だ。正直に言われるよりも、下手な嘘をつかれる方が余計にくすぐられる。
だって、嘘をついていたとしても、それはクロルのための嘘。こんな清らかでいじらしい嘘があるだろうか。罪悪感がゴリゴリに刺激される。
「じゃあ、早速行きましょ。辻馬車、カモンです~」
「ま、まじ!?」
謎にやる気に満ち溢れているレヴェイユに腕を引っ張られ、クロルはズルズルと引きずられた。引っ張る力がやたら強い。
旅は道連れ、世は情け。出会って四日しか経っていないというのに、こんな行き当たりばったりな旅に出ることがあるだろうか。彼女の気持ちが全く理解できなかった。だが、理解が出来なくても時は進む。チクタクチクタクと。
情けをかけられすぎたクロルは、うっかりと『失われたクロル・ロージュを探す旅』に出ることになってしまった。失われてもいないし、探さなくてもここにいるのに!
勿論、心の中では叫びまくっていた。
―― デュール! エマージェンシー!