14話 デートの返事はフライ返しで
『何もしない、何も話さない。それがまかり通るような心地良い相手とは、そうそう巡り合えるもんじゃない。出会ったら全力で捕まえろ。じいちゃんみたいにな!』
早くに亡くなってしまった祖母のことを、祖父はいつもそう語っていた。軽薄男なりに、祖母を深く愛していたのだと。
◇◇◇
潜入四日目。朝、クロルは行動を開始した。デュールとの打合せ通りに、レヴェイユと仲良しになる。ひとまずの目標はデートだ。
クロルが一階のキッチンに向かうと、この週の朝食担当であるレヴェイユが一人、タンタントントンと包丁をふるっていた。チャンスだ。
「おはよ、レーヴェ。朝食作り、俺も手伝うよ」
「おはよう、クロル~。ゆっくり寝ていていいのに」
「目が覚めちゃったから。今日はフランスパン?」
「フランスパンをフレンチトーストにしようかなって」
「おっけー」
クロルがパン切りナイフでフランスパンをスライスしていると、その横でレヴェイユが卵と牛乳と砂糖を混ぜ合わせる。シャカシャカシャカ……と小粋な音がキッチンを彩る。やたら手首のスナップが効いていて、そこら中にパシャパシャはねているが、気にしないでおこう。
スライスされたフランスパンをクロルがレヴェイユに渡すと、彼女は混ぜ合わせた卵液にパンを浸していく。その間に、クロルがフライパンを熱してバターを溶かして広げると、ちょうど溶けた頃合で彼女がパンをぽいっと投入。入れ方は雑だが、ジューッと良い音と、良い香りが広がる。
一言も交わさない二人の間を、ぬるい空気が通り抜ける。
―― なんか、良い
「……レーヴェって不思議」
「なぁに?」
「空気感が心地良いっつーか、うーん。話さなくても気にならないっつーか、不思議なピッタリ感? 人に言われない?」
「言われない~」
「じゃあ普段はどんな風に言われることが多い?」
クロルがフライ返しを渡すと、レヴェイユはそれを受け取ってフライ返しの先で軽く弧を描く。
「『今、寝てた?』『話、聞いてた?』とか言われるわね」
「ははっ! わかるわかる」
「心外~」
「そういうとこがレーヴェの可愛さだよ」
「ふふっ、照れて焦げちゃう」
ふわっと笑いながらフレンチトーストをひっくり返す彼女。パンの端がカリカリで美味しそう。
彼女の頬が少し染まったのを目視確認したクロルは、そこでグッと踏みしめ、靴底に胸章が忍ばせてあることを感じ取る。さぁ、仕事開始だ。
「……そういや、今日はランチ営業ない日だっけ?」
「うん、そうよ。営業は火曜と木曜だけ」
「ふーん? レーヴェって仕事ない日は、なにしてんの?」
「お仕事してる~」
ふわふわ~な笑顔を見せられて、クロルは彼女のほっぺをむにっと軽くつねった。
「話、聞いてた?」
「あ、ほら。早速、言われたわね」
「わざと。例えば、今日の予定は?」
「今日は何もないかな~。お客様はいないし、薪もたくさんあるし、買い出しもないし。お掃除とお洗濯くらいかしら?」
「じゃあ、それも手伝う」
「ふふっ、なぁに? ママのお手伝いをしたい年頃なのかしら?」
レヴェイユが茶化すものだから、クロルは直球の方が良さそうだと判断し、皿を渡しながら続ける。
「どっちかと言えば、可愛い子とデートしたい年頃なんだけど」
「デート?」
「そう。掃除と洗濯をパッと終わらせたら、街歩き付き合ってくれない?」
「……デート」
レヴェイユは、デートと何回か呟きながら、またフライ返しで宙を描く。その不思議な軌道をクロルは目で追った。
「私、よくわからなくて……えっと……記憶を取り戻すため、ってことかしら?」
「違うよ。レーヴェのこと知りたいから誘った」
ジューとフライパンの上で焼かれていくフランスパン。香ばしさが二人の間をすり抜ける。
「レーヴェ、焦げそう」
「あ」
結局、彼女は『行きます』とは言わなかったけれど、フライ返しの軌道は『行きます』と書かれていた。なんとも変な返事の仕方だった。不思議な娘だ。
そうこうしている内に香ばしさが二階三階まで漂って、いつものメンバーが階下に集まってくる。クロルは素知らぬ顔で容疑者二人の様子を注視する。
「レヴェイユ、おはよ」
「おはよう、レイ。ちょうど盛り付けしたところだから、テーブルに運んでくれる?」
「はいはーい。あ、ねぇ……レヴェイユ」
「なぁに?」
「今日、一緒に買い物いこ?」
「あ~……レイ、ごめんね。ちょっと用事があって出掛けるの。帰宅後でも良い?」
「ぇえ!? 用事ー?」
―― あ、隠した
特に口止めをしたわけではないのにレヴェイユがデートの件を隠そうとしていることを察して、少し不思議に思う。とは言え、斡旋業者レイにバレたら大変なので、クロルとしては命拾いだ。
「レイ、ごめんね。早めに帰るから」
「絶対、早く帰ってきてよね?」
「はいはい」
計らずも秘密のデートになってしまったところで。
―― よし、調査開始
ターゲットに照準を当てたプロの女たらし、クロル・ロージュのハニートラップが本格的に開始する。