118話 褒賞と交渉
―― 好きな子って、すげぇな……
恬淡クロルは、プライベートでの初体験に衝撃を受けていた。簡単に言えば、始めから終わりまで相性やら何やら含めて、全てが驚くほどアメージングだったということだ。
好きな女性が自分に好き勝手されている姿というのは、こんなにもアレなんだと。アレという言葉の便利さが際立つ。
えも言われぬ充足感というか、受け入れ合うことで幸せが充填される感覚というか。とにかく得難い。自分にとって、いかに彼女が特別で唯一無二であるか。分かっていたつもりだったが、骨の髄までよーく理解できてしまった。
よって、今日で恬淡クロルは卒業だ。もう、虜。
冷えた身体を温め、二人はいちゃいちゃしながら髪を乾かした。
クロルは愛おしさ全開で、ふわふわの苺髪を撫でる。これまでの屈折した関係で消費してしまった時間を巻き返すが如く、まじでデレッデレだった。
「よし、髪も乾いたし……あ、服がないのか」
「うん……」
「ははっ、相変わらず着替えに困る人生を歩んでるのな。とりあえず俺の制服で我慢して」
ちなみに、以前に服を貸す場面で繰り出されたクロルの返答は『絶対イヤ』だった(cf.64話)。ビフォーアフターが激しくて参照が捗る。
しかし、甘い罰で低下したレヴェイユの意識レベルは、まだ戻っていなかった。
「うん、好き……」
「はい、これ制服。早いとこボス部屋行くぞ」
「好き」
「……おい、意識戻ってるか?」
「うん、大好きぃ」
「だめだこいつ」
生産者責任を取らねばなるまいと、クロルはせっせと服を着せてあげる。これまでのことからお分かりだろうが、クロルは世話を焼きたがるタイプだったりする。
白いシャツに彼女の腕を通して、上から順々にボタンをとめる。下着はないからお察しだ。ズボンは長いので裾を折って、ベルトは優しくキュッと締めてあげる。
ちなみに、以前ベルトを締める場面では、絞め殺すんじゃないかというほどにキツく締めていた(cf.50話)。良い思い出だ。
正義の青に少しずつ意識を取り戻す彼女。クロルはネクタイを結ぼうと思ったが、そこで一度手を止めて、彼女を後ろからギュッと抱きしめる。茶色の頭を彼女の肩にあずけて、話をし出す。
「レーヴェ」
「ふふっ、なぁに? くすぐったい」
クロルの吐息が彼女の首筋にあたるのだろう。レヴェイユは少し身じろぐが、クロルはそれが気に入ったので、そのまま話を続けた。
「褒賞がもらえるらしいけど、何にするか決めた?」
「ほうしょう?」
「騎士団がくれるご褒美のこと」
「へ~。ふふっ、もー、くすぐったい」
彼女は騎士団から貰いたいものなんて一つもないのだろう。何なら、唯一欲しかったものは貰ってしまったわけで、本当にどーでもよさそうだった。
欲深き泥棒相手に『すげぇ無欲だな』なんて考えながら、クロルは制服のネクタイを締めてあげる。
そこで、ふと思う。彼女はブロンと一緒に住む予定があるし、クロルも第五から異動をする予定だ。
第五とそれ以外の騎士団では、職務内容が大きく異なるため、勤務シフトなんて合わないだろう。それどころか、彼女が任務に入れば会うことすら難しくなる。
悲しいことに、潜入騎士はプライベートを放り投げているやつらばかりなのだ。
「……なぁ、褒賞って金品じゃなくてもいいんだけどさ」
「うん?」
「『潜入が嫌なので騎士団を辞めたいです』って言ってくれない?」
「え!」
レヴェイユは一気に意識を取り戻した。
「イヤよ。騎士はやめないわ」
「それ、ブロンにも言ってたよな。なんで? どーせ贖罪ってわけじゃないだろ?」
「え? ショクザイ?」
「うん、ナンデモナイ。騎士職が気に入ったとは思えねぇし……あぁ、違うか。俺が騎士だからっつーこと?」
「当然よ。クロルがパン屋さんなら私もパンをこねる。服屋さんなら服を縫う。一緒にいたいもの。いいでしょ?」
クロルは「んー」と言って、少し濡れた前髪をいじりながら答える。髪の先から、もったいぶる様子が見て取れる。
「ちょっと愛が重いかなぁ」
「がーーん!」
ショックを受ける姿が可愛くて「嘘だよ」とクスクスと笑いながら、彼女にぶかぶかの上着を着せる。仕上げに、意味もなく後ろからギュッと抱き締めて、耳に軽くキスをして、お着替え完了。
「まぁ、大丈夫だから。とりあえず『潜入が嫌なので騎士団を辞めたいです』とだけ言って。あとは俺がテキトーにやるから」
「でも……」
「レーヴェ、お願い」
クロルからのお願いキスで、レヴェイユは「わかったぁ……」と了承してくれた。デレッデレだった。
そうして、クロルとレヴェイユはボス部屋を訪れた。
そこにはトリズとデュールもいたわけだが、レヴェイユの肌も表情もツヤツヤのゆるんゆるんだったから『ヤったな』と即バレした。クロルはニコッと笑って流した。
トリズ含めてクロルたちは立ったまま、カドラン伯爵の話に耳を傾ける。
「この度の任務遂行、ご苦労だった。結果、盗賊団サブリエは壊滅。首領グランドの捕縛にも成功した」
思えば、長年悩まされてきた二大泥棒を、たった半年間で捕縛したわけだ。これは第五騎士団として相当な手柄なのだろう。ご満悦だ。
「特に、ソワール。君の働きのおかげで、サブリエ首領の罪状も問えることになった。報告によると、多数の宝石を押収したそうじゃないか。被害者にとっては、何よりもの救済。大変な功績だ」
レヴェイユは『そうだったかしら?』と首をひねっていた。クロルが火の中に特攻してこないように撒いていた石だ。彼女にとってはそこらへんに転がる石と同じだった。
「司法取引という前例のない制度を使用した結果、それが有用であるという実績を残してくれたことも大きい。先ほど開かれた騎士団上層部の会議で、君に褒賞が与えられることになった。もちろん、満場一致でね」
きっと犯罪者に褒賞だなんて、すったもんだの激論があったのだろう。わざわざ『満場一致』なんて言葉を添えたことから、それがわかる。貴族イズムだ。
「さて、ソワール。望みを聞こう」
レヴェイユは、そこでハッとした。褒賞だ。褒賞といえば、さっきクロルからお願いをされたのだ。お願いされたなら、頑張らないと!
たれ目を少しだけキリッとさせ、今さら騎士っぽく姿勢を正して立ってみる。
「寛大なご配慮と身に余る光栄、誠に感謝申し上げます。私の望みは、……えっと~、なんだったかしら?」
そこで、クロルは「緊張してる?」とか言いながら彼女の背中を軽く押した。再生ボタンだ。
「あ、『潜入が嫌なので騎士団を辞めたいです』です」
ですですと語尾が二重になったまま流された音声。カドラン伯爵の顎がガツーンと外れた。褒賞で辞職を願うなんてことがあるだろうか! なんたる侮辱!
「コホン。ソワール、望みの方向性が異なる。こういう場合は、金品などを望むのがセオリーだ」
そこで、クロルは発言の許可を貰った上で、しれっと反論する。
「失礼ながら申し上げます。金品以外の褒賞を与えた前例もありますが」
「それは確かだ。しかし、たった半年で騎士を辞するなど、本来、彼女に課せられるべき刑罰に対して不十分だ。それに……これは次に話そうと思っていたが、『国宝窃盗事件』の過失もある」
カドラン伯爵は、こめかみに手を当てながら話す。
「今回、表向きは『国宝はグランドが盗み、それを第一騎士団が捕縛した』という報道になる予定だ。第一騎士団の損害に対する補填という意味でも、公の手柄を譲ることで合意が取れた」
合意というか示談だ。タコ殴りにされた第一の人々も浮かばれることだろう。お亡くなりにはなっていないが。
「あの後、懐中時計はデュール・デパルによって穏便に宝物管理室に戻してもらったが、処罰なしというわけにはいかない。ソワールは責任を追及されることになっている」
園遊会を潰したのだから、普通だったらクビ案件だ。当然、それを想定していたクロルは「ということは、」と核心に触れる。
「彼女は無償従事者であるから、責任を問おうにも減給にもできないし、司法取引のせいでクビにもできない。褒賞で金品を与えておいて、過失で幾らか取り上げる。そういうことですか?」
そうなのだ。これは騎士団上層部でも議論があった。責任を問おうにも、どうやって問えば良いかわからないのだ。
騎士になりたくてなっているわけじゃないから、出勤停止もノーダメージ。金を取り上げようにも一文ナシ。犯罪者だから出世街道なんて乗ってもいないし、地方に左遷しようにも野放しにはできない。打ち首にするには有用すぎる。
で、褒賞をあげるのだから、そこから差し引いて過失を埋め合わせするということになった。要は、与えて取り上げる。
カドラン伯爵は、少しばつが悪そうに座り直す。
「そういうことになる。ぜひとも金品を望んでもらいたい」
「なるほど。レヴェイユ、褒賞は何がいい?」
クロルは、また彼女の背中を押した。
「あ、『潜入が嫌なので騎士団を辞めたいです』」
再生される音声。抑揚がなさすぎる。クロルは「はぁ、やれやれ」と言って、やれやれポーズを出してみた。言わせたのは誰だろうか。
「全く相変わらず頑固だなぁ。カドラン伯爵。こう言っては何ですが、彼女は金品に興味がありません」
「泥棒なのに?」
「泥棒だからこそ、です。であれば、彼女の望みから、叶えられる部分だけを褒賞として与えるのが良いかと。宜しければ、僕が彼女を説得しましょうか?」
「クロル・ロージュ。それはどういう意味だ?」
クロルはニコッと笑って続ける。
「ソワールを、第三騎士団に異動させましょう」
「第三?」
「はい。『潜入が嫌だ』という部分に対して、褒賞を与えるのです。園遊会での過失も、主たる原因は彼女が潜入をしたことにありますから、恒久対策としても十分です」
「しかし、その場合、過失の補填はどうなる?」
「それについて、まず申し上げたいのは、彼女の実力が本物だと言うことです。率直に言えば、金を支払って雇うレベルです。そんなプロフェッショナルを無償従事者として囲えるならば、それは騎士団の大きな利益に繋がりますし、弱体化している第三騎士団の底上げにもなります」
「ふむ」
先ほどからトリズが口を挟みたそうにしているが、クロルは隙を与えずに一気にまくし立てる。
「であれば、彼女の本来の要求が辞職であったという事実を強く押し出し、引き続き無償で従事することを約束させるならば、対外的に過失補填として説明がつくかと。レヴェイユは、それでいい?」
当然、レヴェイユは訳も分からず「はぁい」と答えてくれる。
ゲスいカドラン伯爵は、腕を組んで考える。彼女は初の女性潜入騎士だ。当初はハニートラップをさせる気満々だったが、ターゲットと二人きりなんてトラブルの予感しかしない。
さらに、こうやって彼女を説得できるのはクロル・ロージュだけだろう。しかし、彼の異動は決まっているわけだから、手綱を握れない女泥棒の扱いには困りそう。
ソワールは、便利だけど不便。彼女の初任務で、それがよーく分かってしまったのだ。
もう手柄は十分に貰ったし、ここらへんで第三騎士団に押し付けるのもアリかも。
考えること、たった一秒。さすがのクソ親父であるカドラン伯爵は「良いだろう」と即決。
「その褒賞で決定だ。相変わらず女性の説得が上手いものだな。異動させるのが惜しいほどだ」
「お役に立てて光栄です」
これぞドアインザフェイス。無理目な提案をしてから本当に通したい案を提示すると、不思議なことに通して貰える。心理テクニックだ。
先輩トリズはげんなり顔。相棒デュールは苦笑い。元々、希少な潜入騎士チームから主力メンバーがいなくなってしまうわけで、残された面々はこれから苦労を強いられそうだ。