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110話 合わせる【園遊会 10時45分】


【午前十時四十五分・展示室内】



 ―― 懐中時計が来たか


 グランドは、小部屋でのデートを楽しむこと一時間。勝手口の鍵が開く音が聞こえて、意識をそちらに向けた。音もなく、ランプの火を消す。


 数名が展示室に入ってくる気配がする。鍵穴から覗くと、時計は十一時。入室してきたのは、王室管理の文官と騎士、そして、なんと宝物管理室の文官デュールがいるではないか。


 にこやかにセッティングを始める真面目な姿に、彼は幼なじみのブロンが捕縛されていることを聞いていないのだろうと察する。聞いたところで、どうにもならないが。


 ここは王室管理の文官が仕切り役のようで、話を切り出す。


「展示用の鉄格子の中に、このガラスケースを置きますので、赤い台座の上に懐中時計をセッティングをお願いします。正面扉の方向に、美しく飾りましょう」


 鉄格子が開かれ、ガラスケースがセッティングされる。


「宝物管理室のデュール殿、懐中時計のご準備はいかがですか?」

「はい。こちらに」


 文官デュールが、鉄格子内に置かれたガラスケースに懐中時計を置く。懐中時計が近くにあるという状況に、グランドの赤い瞳が少しだけ潤んだ。あと少しで手に入るのだ。


 懐中時計を向かい入れることができたならば、そのためだけに用意した別邸に連れて行き、メンテナンスのとき以外は絶対に外に出さず、生涯大切にする予定だ。

 そんな超恐怖ドリームを思い描いていると、王室管理の文官が何やらゴソゴソと鍵を取り出すのが見える。一気に、現実に引き戻された。


 文官は、そのガラスケースにカチャリと鍵をかけた。鍵を、かけたのだ。


 ―― ガラスケースに、鍵とな?


 下見の記録には、ガラスケースの鍵については記載がなかった。そりゃそうだ。あのときは、ガラスケースなんて置いてなかったのだから。

 

 文官デュールも、それに気付いた様子で「鍵?」と言う。


「あの、ガラスケースにも鍵がつけられているんですか? 初めて聞きました」

「ええ。予算が余ったので、今年から鍵付きにしてみたんですよ」

「ははぁ、なるほど。予算が余ると使いたくなるのが、人間という生き物ですよね。わかります」

「やはり、何事も鍵があるほうが良いでしょう? ほら、昨年は薔薇を切り取られる事件がありましたから。騎士の人数も例年より多いですし、こちらもやれることはやらねばなりません」

「ははは、わかります。やれることがやれるかなぁ」


 そんな文官同士の会話を盗み聞きしているグランドは、一抹の不安を抱く。あのガラスケースの鍵はピッキング可能なものだろうか。

 しかし、男気あふれる美形盗賊を思い出し、すぐに不安はなくなった。


 ―― 首領クロルであれば、解錠も容易いであろう


「ははは、新しい鍵かぁ。本当に楽しいですね!」


 と、文官デュールの楽しそうな声が響いて、セッティングは完了。鉄格子、勝手口、裏門の三カ所の鍵をしっかり施錠し、その鍵は全て王室管理の文官が持ち帰った。


 残されたのは、鉄格子を取り囲む三人の第一騎士団の騎士たち。そして、小部屋に隠れるグランドだ。


 展示室の時計は、十一時十五分を差していた。


 ―― 開場まで、残り四十五分か。そろそろ首領クロルが来る時間であるな 

 



【午前十一時・ロイヤルガーデン】

 


「レヴェイユ」

「ええ、クロル様」


 二人は視線を合わせた。展示室内に懐中時計がセッティングされたのだ。であれば、窃盗タイムの到来だ。


 一つ意識しておきたいことだが、この秋の園遊会はサブリエと第五騎士団の一対一の勝負ではない。実は、三つ巴である。


 盗賊団サブリエ vs 第五騎士団の懐中時計の()()()()()だけでなく、その基盤には、第一騎士団 vs 第五騎士団(盗賊団アンテ)の戦いがあるのだ。


 潜入作戦は少数精鋭で行う。それは、情報漏洩のリスクを低くするためでもある。

 たとえば、裏から手を回して、第一騎士団に協力をお願いするなんてことはしない。同じ騎士とは言え、信頼など出来ない。

 よって、第一騎士団とは演技でもなく、ガチでやり合わなければならない。彼ら相手に勝ち星を上げないことには、盗賊団サブリエの征討などできないというわけだ。



 その二つの戦いを始める前に、クロルはレヴェイユの手を軽く引き寄せ、赤い薔薇が咲き乱れる茂みに連れ立った。そんな素敵なシチュエーションで、二人は甘さのない最終確認をささやく。


「やることは分かってるな?」

「うん、だいじょうぶ!」

「展示室内には、グランドがいる。だから、展示室に入るのは俺だけだ。俺が入ったら、お前は騒ぎになる前に会場を出る。いいな?」


 彼女は、とっても良い笑顔で答えた。


「ウン、ワカッタワ」


 沈黙。


 チュンチュン、小鳥のさえずりがやたら響く。


「……やっぱり。なんか企んでるなーとは思ってた。何する気だ?」

「ぎくり」

「ぎくりじゃねぇよ。イントネーションがごちゃついてんだよバカ」


 彼女は唇を尖らせ「も~」と言う。


「クロルに嘘つけないのって本当に不便ね。嘘をつくなんて簡単なことなのに~。練習しておこうかしら」

「練習なんて無意味だからやめとけ。それより、早く言え。何をしでかすつもりだ?」

「……私ね、グランドの隠れ家を暴くべきだと思うの。現行犯だけなんて、そんなのダメよ」

「隠れ家? 急に騎士みたいなこと言ってどうした?」


 すると、レヴェイユは「聞いて?」と言って、耳打ちをした。ごにょごにょ。彼女がごにょごにょすればするほど、クロルの顔がくもる。あぁ、どんよりとしている今日の天気よりも、くもっているじゃないか。


「ということで、どうかしら~?」

「却下」

「食い気味~。でも、こう言っては何だけど、私ならグランドさんを()()できると思うの。むしろ、私しか説得できないんじゃないかしら。クロルは犯罪者が大嫌いなんだから、共感なんて出来ないでしょ? 同じ犯罪者でなければ、きっと無理よ」


 一理ある、とは思った。


「いや……ダメだ。絶対にダメ。もし、お前がソワールだとバレた状態でヤツを取り逃がしたら、地獄の果てまで追い詰められて、必ず報復される」

「それは、クロルも同じでしょ?」

「俺はちゃんとした騎士だから、騎士団が守ってくれる。でも、お前は違う。そんな優しい組織じゃない」


 彼女はふわりと微笑んで「泥棒だものね」と言う。


「ねぇ、クロル。これだけは譲れない。本当は勝手にやるつもりだったけど、クロルには嘘もつけないし黙ってもいられない。()()勝手にやらずに、ちゃんとクロルに話したのよ? だから許して。お願い」

「……いや、でも、」

「お願い。ね?」


 レヴェイユはヒールをあげて、チュッとキスをしてきた。艶やかなリップ音。薔薇の香りと苺の香りが混ざり合う。


 彼女からキスをされるのは、初めてだった。


「……なにしてんの? 許可してないんだけど」

「私にキスされるのは、イヤ?」

「それは、まぁ、別に……」


 すると、彼女はニコリと笑う。


「ね? やる前に許可をもらうよりも、勝手にやった後で許してもらう方が簡単でしょ? こんなことするの、クロルにだけよ」


 こんなことっていうのは、キスのことか、事前に許可を貰うことか、そのどちらのことだろうか。自分からしてきた癖に、彼女の耳は真っ赤。こういうところが、本当に憎らしいなと思う。


「ホント、悪い女」

「ふふっ、私は泥棒だもの」


 クロルは額に手を当てて考える。迷っている時間はない。こんな土壇場になるまで黙っていたなんて、彼女の手綱を握るのは大変なことだな、なんて思ったり。


「……わかった、許可する。その代わり、もしダメそうだったらすぐに逃げろ。いいな?」

「ふふっ、約束するわ。クロルも……どうか怪我のないように」

「大丈夫。約束する」


 重みの違う約束を交わして、二人は定位置についた。クロルは展示室の正面に向かって左側、赤い薔薇が咲く茂み。レヴェイユはその反対の右側、同じく赤い薔薇に囲まれていた。


 お互いの姿は、全く見えない。


 でも、姿が見えなくたって、お互いの考えてることも、そのタイミングも分かる。本音をぶつけ合わず、互いを奪い合ってきたからこそ、この半年間で得たものがあるのだ。


 クロルは、心の中でカウントダウンをする。


 ―― 三、二、一、作戦開始


「きゃーー! 誰かぁ! あの方が桃色の薔薇を切り落とそうとしています! 誰か、騎士様ぁぁ!」


 カウントぴったり。レヴェイユの声が会場に響き渡る。クロルが見ると、展示室前で目を光らせていた騎士が全員、ロイヤルガーデン側に動いた。


「薔薇だと!?」

「どこだ!?」

「桃色の薔薇の区画だ!」


 口々にそう言いながら、桃色の薔薇が咲く場所へと足を動かす。


 ―― よし! やっぱり『薔薇の切り落とし』はよく効くな


 昨年の薔薇切り落とし事件。被害は薔薇一本だけだし、犯人は高位貴族、動機はおふざけだ。しかし、それでも第一騎士団の汚点とも言える事件だった。

 第一騎士団といえば、ザ・騎士って感じの貴族出身スーパーエリート集団だ。今年の騎士の数が増えたのは、第一騎士団の威信がかかっていたからだ。


 そのことを知っていた第五のクロルは、逆にそれを利用してやろうと思っていた。『薔薇を切り落とす』は、彼らにとってパワーワード。絶対に飛びつくはずだと。事実、みんな血眼でハサミを探している。


 ―― また汚点が増えたな。ははっ、第一は真面目すぎんだよ、ばーか!


 さすがスーパー性悪集団の第五騎士団。高笑いがよく似合う男だ。


 展示室前の騎士が前方に移動し、空いたスペースと彼らの死角にクロルはスッと入った。そのまま展示室建物の裏、勝手口を目指して音もなく走る。


 ―― よし、一気にたたみかけるぞ


 またも心の中でカウントダウン。三、二、一、でクロルが角を曲がれば、反対側からは同じ速度で走るドレス姿のレヴェイユが見える。合わせなくても合っちゃうタイミング。


「な……っ!?」


 勝手口の騎士二人は、クロルの方に先に気付き、同時に剣を抜こうとした。

 しかし、彼女の方が速かった。ドレスの裾をヒラリとなびかせ、片方の騎士の背中目掛けてガツンと跳び蹴り! 肺を圧迫されたような声を出し、地面にひれ伏す騎士。その首元に、もう一発ヒールキックをお見舞いして意識と声帯を取り上げる。さすが悪女は躊躇しない。


 もう一人の騎士は背後からの奇襲に驚き、意識をレヴェイユに向けた。向けてみればビックリ! 御令嬢が仲間に向かって野蛮なヒールキックを繰り出しているじゃないか! もうあんぐりと口を開けるしかない。

 そんな隙を見せたら潜入騎士に勝てるわけもない。今度はクロルが美しい拳を首元にお見舞いして、片方の騎士を一発ノックダウン。


 エタンスは『勝手口前の騎士二名を、クロル一人で音もなく倒すなんて難しい』みたいなこと言ってたけど、一人なわけあるか。こっちには切り札のソワールがいるのだ。またも高笑いが出そうだ。


 しかし、そんなヒマはない。『ドレスなのにすげぇ蹴りだな』とか軽口を叩きたいところだが、この勝手口の向こう側には騎士が三名いるのだ。そして、裏門の向こう側の状況も分からない。


 クロルは間髪入れずにレヴェイユのドレスに手を突っ込んだ。やわらかさを手のひらで感じながらも、道具入れという名の魔法のバッグから縄を二本、猿ぐつわになる布を二枚取り出す。

 一セットを彼女に投げ渡し、意識のない騎士を縛って、茂みにポイッと捨てておいた。茂みがあって良かった。可哀想だが、これも正義のためだ。南無阿弥陀仏。


 ―― よし、次


 クロルは裏門の金属ドアに近付いてみたが、合図は何もなかった。まだトリズは到着していないのだろう。待ち合わせ時間は十一時二十五分だから、まだ早い。計画通り、展示室にはクロル一人で乗り込むべきだ。


 クロルは勝手口に戻り、ドアノブに足をかけ、軽く飛び上がって屋根の(へり)に手をかける。そのままグイッと屋根にあがった。

 地面からはかなり高さがあるし、屋根の角度もキツい。ドレス姿でも彼女なら登れなくはないが、時間短縮のためにも補助が必要そう。


 ―― 縄がいるか


 と思った瞬間、目の前に縄が飛んできた。クロルは反射的にそれを掴んで、苦笑い。阿吽の呼吸がすぎる。


 そうしてヨイショと彼女を縄で引き上げる。階下に音が届かないように、二人で慎重に天窓まで這い上がった。彼女はドレスに汚れが付くのを嫌がって『む~』と口先を尖らせていたが。のん気な泥棒だ。



 天窓から中の様子を覗き込むと、展示用の鉄格子前に騎士が三人いた。さすが王族用に作られた建造物。展示室内は壁もドアもぶ厚い。薔薇問題で発生した喧騒とパーティーのにぎやかさの違いは分からないようで、騎士三人は通常運転だった。好都合だ。


 クロルは魔法のポケットから必要な物を取り出す。複製した鍵、縄、ナイフを三本。それを取り出せば、道具入れにはハサミとピッキング道具くらいしか入っていない。


 ―― よし、いくか


 窓枠には、下見の段階でレヴェイユが細工をしてくれている。ナイフを突き刺し、力いっぱい持ち上げれば窓枠は外れると彼女がレクチャーしてくれたのだ。


 気合いを入れ、クロルは窓枠にナイフを突き刺そうとした。しかし、それをレヴェイユが手で制する。


「ガラスケース」


 微かな声で告げられた。クロルが目を凝らすと、ガラスケースに鍵がかかっているではないか。「げ」と小さな声が出てしまった。


 二人は小さな身振り手振りと表情だけで会話をする。屋根の上、タキシードとドレス姿でのサイレントいちゃいちゃだ。


『ピッキング可能なタイプか?』

『……うん、量産品ね。難しくはないと思う』

『なら、ピッキング道具を貸して。俺がやる』


 彼女はソワールらしい挑戦的な笑みで首を傾げる、『できるの?』

 

 クロルはニヤリと笑ってレヴェイユを軽く小突いてやった、『師匠に叩き込まれたからな』


『ふふっ、そうね。でも、出来なかったら?』

『エタンスにやらせるから大丈夫。お前は手を出すなよ?』


 クロルが小部屋を指差して泣き黒子を下げると、レヴェイユは笑って頷いてくれた。


 そのとき、ロイヤルガーデンから「薔薇を切り落とすところを目撃した御令嬢の方! 名乗り出てください!」と、声が聞こえてくる。かなりの騒ぎになっている様子。


『私、もう行かないと』

『大丈夫か?』


 彼女は道具入れに一つだけ残されたハサミを取り出して、悪~く微笑む。こりゃ、誰かに罪をかぶせる気満々だ。これぞ罪作りな女?


 クロルは、後処理に冤罪被害者(しかも相手は高位貴族)への対応が追加されたことに少し目眩。火消しのカドラン伯爵に全力で丸投げだ。ぽいぽい。


『俺も行ってくる』

『気をつけてね』

『レヴェイユもな』


 彼女が屋根から飛び降りるのと同時に、クロルはナイフを窓枠に突き刺した。




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マシュマロ

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