11話 薪が落ちてきた
『女を口説くのは、薪割りによく似てる。クロルも、一発で割れる木とそうではない木を見極められるようになれ』
祖父が言っていた言葉を思い出す。孫に何を割らせる気だろうか。
◇◇◇
「あ、クロル~」
引き続き、潜入三日目。ぎっくりマスターを運んで寝かせた後、クロルが部屋に戻ろうとするとレヴェイユに引き止められた。
「ん? なに?」
「一緒に薪割りをやらない? 今日、マスターがやる予定だったの」
「一緒に? レーヴェもできんの?」
「ぱっかん」
レヴェイユは斧を振る真似をしながら、ぱっかんと頷いていた。その自信満々な彼女を見て、クロルは『斧を持たせたら怪我しそうだな』と思って少し心配になった。
「レーヴェが薪割りとか不安すぎるんだけど」
「ふふっ、記憶がないから不安よね。大丈夫。私が教えてあげる」
甘ったるい声にとんちんかんな答え。こうなると、少し仕事をしておきたくなる。彼女との距離を半歩詰めて、甘い声を返してみよう。
「ふーん? どういう風に教えてくれるの?」
「あらまあ、大変。まだ朝なのに、突然夜みたいな雰囲気に。摩訶不思議~」
クロルは夜を作るのが大得意。そこで、やっぱり邪魔が入る。金髪美人のレイだ。
「あれれー? ちょいちょいちょい、なんか怪しい雰囲気が漂ってるわね。二人で何するつもり?」
「薪割り」
「健全ね」
レイは眉をあげつつ、「私もやる」と言う。顎の先をクイっと上げて『裏庭に集合』と指示してきた。正面玄関を開けば木製のベルがぶつかって、カチンカチンと音がする。カチーン。
「レヴェイユ。薪を持ってきてくれる? ロージュさんには、私が薪割りを叩き込むから」
「そう? はぁい~」
立ちはだかる金髪美人。そうであれば仕方がない。仕事人間のクロルは、レイを揺さぶってみようと思い直し、早速ぶっこんでみることに。
「なぁ、レイって俺のこと好きなの? レーヴェとの間に入ってくるのは、ヤキモチって解釈であってる?」
規格外の美形でなければ許されないぶっこみだ。危ないところだった。
レイは一瞬だけポカンと口を開け、その後すぐに「ふふっ」と笑った。ちょうど足元に猫が寄ってきたところで、毛並みに擽られたような笑い方だった。
「ばれちゃった? そうなの、ヤキモチ!」
「ふーん?」
嫉妬をする女の心は、複雑で単純だ。嫉妬心の根底にあるのは『好き』という感情なのだから、それを言い当てられたのであれば、動揺しつつも喜ぶはず。好きな人に心の内を探られる快楽と、理解してくれているという優越が混ざり合い、喜びとなって現れるのだ。
でも、レイにはそういう雰囲気は皆無だった。
またもや寄ってきた三匹目の野良猫を撫でながら、レイはクロルに視線を向けてくる。やたら猫が多い。
美形と美形。二人の視線が絡まる。なんか甘い空気が漂ってる気がしないでもない。
「ねぇ……レヴェイユは諦めて、私の恋人になってくれない?」
「無理」
「……あっそう」
ひゅーっと強い風が吹いた。甘い空気は瞬殺で散ったし、クロルの答えは若干かぶせ気味だった。ターゲット相手に、まさかの一刀両断。
猫を撫でるレイの手に血管が浮いている。猫がギャーと声を出しているが、大丈夫だろうか。寄ってきた五匹目の猫が心配そうにニャーと鳴く。
―― めんどくせぇな。とは言え、ターゲットとの壁は早めに叩き割るのが一番
少し離れた薪置き場を見ると、レヴェイユは大きい薪をせっせと荷車に積んでいる様子。やたらたくさん積んでいるが……あれを全部割る必要があるのだろうか。
まあ、とにかく、レヴェイユはしばらく戻ってこないだろう。
「コホン。……なぁ、レイ。テキトーなこと言ってんなよ。お前に嫌われてるのはよーく分かってる。なんか原因があるんだろ? レーヴェが戻ってくる前に、腹割って話すぞ」
「はぁ?」
「あのなぁ、俺は喧嘩したいわけじゃねぇんだよ。文句ならいくらでも聞くから、さっさと言え」
クロルは斧を切り株にダンっと刺して、手の平を青空に向けた。こうも竹を割ったような物言いをされては、不満を吐露したくなるのが人間であろう。
「分かったわ。単刀直入に言う。別にあんたのことは嫌いじゃない。レヴェイユに近付いてほしくないだけ」
「やっぱ原因はレーヴェなんだ? なんで?」
レイは苦渋の色を浮かべながらも、本音らしきものを口にする
「……あの子、ちょろくて」
「うん?」
「見た目通り、常にふわふわのぼんやりで、本当に驚くほどスーパーちょろいの! ちょろいっていうか、免疫がないっていうか……だから、あんたみたいな男に可愛いとか言われたら、でろでろに溶けちゃて、一生を棒に振りかねないじゃない!」
「あー、まぁ言いたいことはわかる」
クロルの勘が告げている。茶化すことでどうにか誤魔化しているようだが、レヴェイユは相当ちょろい。粉をかければ頭から粉まみれになってくれそうだし、よくこねて焼けばこんがり良い色になりそうだなとも思っていた。
「分かってるなら、ホント気をつけてよ!」
「え、それって俺が気をつける話か? レーヴェが気をつけることじゃね?」
粉をかけといて、なんたる無責任男。
「ほら、分かってない。これだから顔の良い人間は信用なんない」
「ははっ、それブーメランじゃん」
「私は自分の価値をよーく分かってる。相手はちゃんと選んでるわよ」
『俺も相手を選びたい』、なんてことは言えない。
「いい? レヴェイユとの距離感を間違えないで。イチイチ近いから!」
「そう?」
「だーー! もう! あんた、記憶喪失なんでしょ!? 既婚者だったらどうすんの、責任取れるわけぇ!?」
ものすっごい形相で指摘され、「せ、責任……?」とちょっと尻込みするクロル。さすがクズ界のプロ。
「こう言っちゃなんだけど、漂う軽薄臭がすごいからね? 相当、たらし込んできた感じがする」
正解。
「お願いだから、レヴェイユには手を出さないで。どうしても女遊びしたいなら、私で我慢して。さすがにベッドインは拒否するけどぉ、ギリギリまで頑張って耐えるから。どんとこぉい!」
「お、おう。すごい言われようだな」
「あー、でも耐えきれるかなー。正直、自信ないなー。耐えきれなかったら、気軽にヤらせてくれる女の子紹介するからそれで許してほしいなー? だめ?」
猫を抱っこしながら、可愛く小首を傾げるんじゃない。可愛くない内容に可愛い容姿、脳が大混乱だ。
「紹介してもらうほど困ってねぇわ。お前……色々すげぇな」
「うふふっ!」
「確認だけど、レーヴェに近付いてほしくないだけってことだよな。それでフィックス? 他に軋轢はない?」
「態度悪くてごめんね! フィックスで!」
サムズアップでフィックスされた。レイと腹を割って話してみたら、イメージも割れてしまった。王女オーラをまとったツンデレ要員の美人はいずこへ。
ここで一度整理すると、クロル的解釈の容疑者は二人。ぼんやりうっかりさんのド天然レヴェイユか、ヤらせてくれる女の子を紹介してくれる斡旋業者レイか、どちらかがソワールなのだ。おいおい、何だこの二択は。
そして、この一連の流れでクロルは理解した。レイは、一切合切クロルに興味がない。ノーフラグだ。
好感度を下げることになるだろうが、ここでクロルの本音をお伝えしよう。
―― これ、ありえない展開だな
色々とあり得ない展開なのはその通りだが、そういう意味ではない。年頃の若い女が、クロル・ロージュという存在に一切合切興味がないだなんて、そんな摩訶不思議な現象が起こるわけはない、という意味だ。ヒーローの好感度がぐいぐいに下がるが、仕方がない。真実だ。
「というわけで、ロージュくん。分かったら、薪割りお願いしまーす」
「……はいはい。ロージュくん、がんばりまーす」
ロージュくんこと、クロルは思案する。これまでのレイの言動、態度、仕草。ありえない展開。何かが引っかかる。
そこでもう一度レイをチラリと見ると、びゅーっと強い風が吹いた。その瞬間、クロルは「あ」と小さく声をこぼしながら、パカっとキレイに薪を割った。
分かってしまったのだ、レイの正体が。
―― これ……レイがソワールってことじゃね?
チカチカ。チカチカ。そのとき。タイミングが良いのか悪いのか、チカチカっと目に光が飛び込んできた。
―― デュールか
相棒からのサインだ。二人の間だけで成り立つ超アナログな光通信である。
―― デュールの位置は……食料庫の裏手か
ちょうどレイが背を向けている方向だった。レヴェイユの位置も確認するが……あれ? 積まれた薪が邪魔で見えないぞ。あんなに積む必要あるかな。とにかくデュールの存在がバレることはないだろう。
クロルは汗を拭うように、えり足をサッと触る。『待ち合わせは何時?』という意味のお返事だ。チカ、チカ、チカ。と三回光って、光は消えた。
―― 夜中の三時、食料庫裏手奥に集合。了解了解~
お返事に『了解』と右手で左耳を触る。待ち合わせ完了、便利だ。それはそれとして……。
「っつーかさ、薪積みすぎじゃね?」
「へ?」
クロルとレイが薪置き場に視線を移すと、荷車の上には大きな薪が山のように積まれていた。もはや積まれすぎてレヴェイユの姿は隠れて見えない。ジェンガもビックリな積み方、今にも崩れそうなグラグラ具合じゃないか! 不器用だな!
「レーヴェ! 積みすぎ!」
クロルが慌てて駆け寄ると、そのタイミングでレヴェイユがひょこっと顔を出して「今、持っていくね~」と荷車を押し始める。最悪のタイミングだ。グラグラ揺れる薪たち。押される荷車。動じないおっとりレヴェイユ! あぁ、大きい薪が!
「レーヴェ!」
まさにデジャヴ。クロルはまたもや全力で地面を蹴って飛び込み、レヴェイユを抱き込む。勢いが止まらず、そのまま彼女の頭を守るようにして受け身を取ると、右半身と地面が衝突。右半身は死んだ。
それでも彼女を守るように覆いかぶされば、クロルに落ちてくる薪、薪、薪! ガラガラドスドスと豪快な音を立てて、背中に木の塊が落ちてきた。大きい塊だから痛いの何の!
「痛ってぇ……」
薪の雨が降りやんで目を開けてみれば、また茶色の瞳と目が合う。あと二センチ、キスが出来てしまいそうな距離に彼女は収まっていた。きょとん顔だった。
クロルは抱えたい頭を、そのままポスンと彼女の肩に預ける。
「……バカ、どう考えても積みすぎ」
「ご、ごめんなさい、考え事を積みあげていたら、薪も積みあがってたみたい」
「考え事?」
「クロルが……」
そこで言葉を止めるレヴェイユ。ふわりと漂う甘い香り、ふわふわの髪がクロルの頬を掠める。
チラリと横目で見てみれば、彼女の赤い髪からひょこっと耳が見えていた。
―― 耳も真っ赤……
クロルは二センチの距離に顔を戻して、意地悪に泣き黒子を上げる。なるほどね、ヤキモキを妬いていたのはこっちの方だったか。
「もしかして……俺とレイを見て妬いた……とか?」
レヴェイユは茶色の瞳を右から左にスーッと移動させて「コホン」とワザとらしく咳払い。その瞳には『喜び』の色が浮かんでいた。
「クロルに問題です。今日は何日でしょう?」
「……四月二十五日」
「正解。人生初のヤキモチ記念日です」
茶化して尋ねれば、やっぱり茶化して返してくる彼女。二人の頭上を白い鳥が『きゅーん』と鳴きながら飛んでいく。
レイが怒って「離れなさいよー!」と言うまで、二センチの距離はそのままだった。




