107話 目覚める【園遊会 5時45分】
【午前五時四十五分・コゲ色アジト】
十月の、とある金曜日。園遊会当日は、あいにくの曇り空だった。
そんな朝の鈍い光を感じ取り、クロル・ロージュは目覚める。
まぶたを開いてすぐに彼女の赤を見ると、こうして気持ちよく目が覚めるのだ。時計を確認すると、まだ六時前。秋の太陽は、この時刻に顔を出す。
ここ三日間、彼と彼女は手を繋いだまま朝を迎えていた。この日も繋がれたものを解くことはせずに、隣に眠る彼女の寝顔をじっと見る。
サイドテーブルに置いてある『幸運の招待状』を少し憎らしく思いながら、彼はレヴェイユだけを見ていた。
そうして、午前六時になる三秒前。目覚まし時計が鳴り出す前に、スルリと手を解く。彼女の背中に手を滑り込ませ、強く引き寄せた。
言葉にできないものを裏に隠して、今日も彼女に告げるのだ。
「おはよう、レヴェイユ」
◇◇◇
【午前六時・王城】
同時刻。王城では、楽しそうな腹黒い笑顔を浮かべるデュール・デパルがいた。彼は、王城の一室で固い握手を交わす。お相手は品の良い老婦人だ。
「では、孫娘さんが盗賊を手引きした罪については、不問にいたします」
「うちの孫娘がご迷惑をおかけいたします。……あぁ、本当に何と申し上げて良いか……」
「いえ、こちらとしては取引に応じて頂き、大変助かりました。感謝しております。『赤の目覚め』の掃除中に、何があっても見て見ぬフリをして頂ければ結構ですので」
「かしこまりました、騎士様」
◇◇◇
【午前六時・グランド自宅】
世の中には、様々な『六時』がある。甘く切ない六時、腹黒く愉快な六時、そして、悩める六時。
グランド商会トップおよび、盗賊団サブリエの首領であるフラム・グランドは、王城近くにある自宅にいた。
アンテ王女の絵で埋め尽くされた私室で、二つの服を前に腕組みをする。一枚は、いつものスーツ。もう一枚は、ブロンから渡された王城使用人の制服。
グランドは「むむぅ」と悩む。
エタンスの返事は、青い旗の『可』だった。即ち、掃除スタッフとして壁画を見に行ったところで、十時前に撤退するならば問題ないということだろう。
壁画のことは別にしても、グランドはやはり王城にいくべきだと思っていた。オペラグラス片手に窃盗の行く末を見物したい。どうしても、気になって仕方がない。
「使用人の服を着るべき……か」
グランドはアンテ王女の絵をじっと見つめて、「愛しております」と一言だけ添え、使用人服を片手に部屋を出た。この場で使用人の服を着ることが、王女を裏切る行為のような気がしたのだ。
「おっはよー! グランドさん」
「元気の良いことだな、ブロン」
グランドが自宅の玄関を出ると、そこにはブロンがいた。ブロンは数日前から王城前の一軒家に住み始めており、グランドの自宅も徒歩圏内。元気ハツラツ、使用人の服を着てテンションをあげていた。
「その顔で、使用人の服とは……見たくもない」
「グランドさんも使用人服、全然似合わねー! あははっ!」
「笑うな馬鹿者」
【午前七時・王城裏庭】
そうしてグランドは、ブロンのオトモダチである掃除係のリナちゃんと共に、無事に王城の受付をパス。
ロイヤルガーデンに入るということで、腕時計や万年筆など全ての物を提出した上で、朝七時に裏庭へと入ることができた。
「リナ、今日はサンキューな♪」
「ブロンの頼みだもの、うふふ」
リナちゃんは軽く答えているが、これは犯罪だ。さすが軽すぎ男であるブロンのオトモダチ。清々しいほどの軽さだ。
「それで……えっと、こちらの方は、ブロンのご友人かしら?」
「友人っていうかー、オレの兄!」
「兄ぃ!? ……あ、いや。そうだ、我こそがブロンの兄である」
『そういう設定なら、事前に言っておけ!』と、グランドは思った。
しかし、ライトなリナちゃんは、うんうんと頷きながら二人を見比べ、「お二人とも綺麗な金色の髪ですわね、ご兄弟というのも頷けます」と言ってくれた。リナちゃん、超軽い。
「でしょー? 兄ちゃん、今日は掃除よろしく」
「……任せておけ、弟よ」
朝七時、金髪兄弟が誕生。
金髪兄弟が展示室へと続く裏門に到着すると、そこには数名の使用人がいた。輪の中心にいるのは、おばあちゃん。どうやら掃除長らしい。なるほど、リナちゃんのおばあちゃんということだろう。
「あなた方が、お手伝い志願の男性二名ですね。本日は、よろしくお願い申し上げます」
「よろしくー!」
「では、これより展示室『赤の目覚め』に入って頂きます。使用人は裏門からの入室となります。頭を下げてお入りください」
掃除長のおばあちゃんは、裏門を開ける。感嘆の声をあげながら入っていく数人の使用人たち。ブロンも当然のように、塀の中へと吸い込まれていった。
しかし、裏門を潜り抜ける直前、グランドはぴたりと足が止まってしまった。
―― やはり、良くないのでは……
心が、少しだけ重いのだ。こんな身分を偽って王女の部屋に入るなど、彼女は許してくれるだろうか。そう思ったら、足先の感覚が遠ざかる。
―― ダメだ、引き返すべきだ
そう思った。でも、遅かった。
「何してんの。ほら、入ろ!」
アンテ王女と瓜二つ。ブロンにグイッと手を引かれ、グランドは裏門を通ってしまった。まるで王女に導かれるように。
「引っ張るでない! 私は帰……」
引き返そうと手を払いのけたかったが、出来なかった。目の前に広がる光景に、グランドは何一つ払いのけることなく、受け入れ、そして見とれてしまった。
「あぁ……なんてことだ……」
勝手口のドアが、大きく開かれていたのだ。ロイヤルガーデンに入った瞬間に、展示室『赤の目覚め』の室内が瞳の中に飛び込んできた。
「これが……あの『赤の目覚め』であるか……」
何度も夢に見た。何度も何度も入りたいと願った、アンテ王女のランドマーク。こんなものを見せられては、もう引き返せない。グランドの心は、絡め取られるように展示室に縛られる。
いつの間にか、背後にある裏門には内鍵がかけられていた。デュールとの取引に応じざるを得なかった掃除長のおばあちゃんが、素知らぬ顔で告げる。
「使用人の皆様。十時になるまで、こちらから出ることを禁止させて頂きます。アンテ王女のために、展示室のお清めに励んで頂きます様、お願い申し上げます」
愛と自由の象徴である展示室『赤の目覚め』は、ロイヤルガーデンの最奥に存在する。薔薇が咲き乱れる厳かな庭は大層美しく、人々は魅惑的な光景と甘美な香りに捕らわれることだろう。
しかし、ロイヤルガーデンは、とんでもなく高い塀に囲まれているという事実を忘れてはならない。視界を広げ、王城のてっぺんにある監視棟からオペラグラス片手に眺めてみれば……なるほど。
これは、愛も自由も全てを奪う牢獄のようにも見えるのだ。




