105話 オルの目覚まし時計
二人は軽くキッチンを片付けて、寝室に戻ってきた。短時間でも寝ておこうかと、少し明るい中でベッドに入る。
おやすみと言い合うと、今日も彼女はひっついてこない。真夜中のホットミルクの魔法なんて、ベッドに戻れば、消えて然るべき。
「……なぁ、レヴェイユ」
でも、魔法は消えても、消えない何かが心を後押しすることもあるのだ。
「なぁに?」
「騎士団の寮に、じいちゃんの目覚まし時計があるんだけど」
「一つだけ盗まれずに済んだやつね」
「そう。……園遊会が終わったら、お前にやるから使ってくれない?」
「え!」
彼女はバッと起き上がって、「どうしたの!?」と詰め寄ってきた。
「クロルの大切なものなんでしょう? 小さい頃から使ってたって……。オブラートに包むと、私って遺品とか形見って、心底理解できないからアレなんだけど、大まかに言えば大切なんでしょう?」
「おい、オブラートが破れてるぞ? まぁ実際、本当に大切なんだけどさ。俺の宝物。でも、じいちゃんと約束してたんだろ?」
「約束?」
「絶対に目が覚める苺色の時計をもらうって約束のこと。じいちゃんがした約束は、俺が守りたいから。苺色じゃないけど、使ってやってほしい」
彼女は「う~ん」と少し悩んでいたが、こくりと頷いてくれた。
「わかったわ、クロルのために受け取ることにする。私、大切な物ってないんだけど、物を大切にするのは得意だからまかせて~」
「おー、頼んだ」
レヴェイユは「はぁい」と言いながら、またベッドに入り込む。先ほどまで仰向けに寝転がっていた彼女は、クロルの方に身体を向けていた。
「私も……オルさんの目覚まし時計なら、ちゃんと一人で起きられるようになりそう」
「爆音の目覚まし時計じゃねぇけどな」
「大丈夫、がんばる」
カチカチと時計の音が響くこと、二秒。クロルは彼女と向き合うように、ゴロンと横を向いた。
眠りそうになっていたレヴェイユだけど、ぼんやりと目を開いてくれる。彼と彼女、三十センチの距離。二人の視線が、やわらかく絡まる。
「それで……じいちゃんの目覚まし時計、定期的にメンテナンスしたいから……そのときは、預かることになると思う。それでもいいか?」
「……え? それって、どのくらいの頻度なの?」
「簡単なメンテナンスも含めると、最低でも一年に一回」
「必ず?」
「必ず。なるべく劣化させたくないし」
「えっと、期間は? 三年くらい?」
「ううん。ずっと」
「ずっと……? 何年、経っても?」
「うん。俺が死ぬまで、ずっと」
少し間を置いてから、レヴェイユは「ふふっ、そうなんだぁ」と呟く。その甘い吐息が、クロルの頬にふわりと触れる。
こぼれる笑みを隠すように、彼女は口元を手で押さえていた。指の隙間から、あふれる喜び。
相当嬉しいのだろう。次に、クルリと身体をひっくり返して、枕に顔をうずめる。飛び上がるのを我慢するように、軽く脚をパタパタとさせていた。
「ふふっ、一年に一回。メンテナンス、楽しみにしてるね」
「……うん」
おしゃべりレヴェイユは、枕から顔をあげて「ねぇ」と続けた。
「オルさんの走り書きが出てきたのって、その目覚まし時計なのよね?」
「おい。走り書きじゃなくて、遺言の手紙な?」
「本部に帰ったら、それも見てみたいな~」
「……今、見る?」
そう言ってランプを持って立ち上がり、荷物をゴソゴソと探し出す。
「え、持ってるの?」
「ははっ、他のやつにはナイショな?」
クロルはイタズラに笑いながら、美しい人差し指を唇に当てた。
「こういう自分と繋がるものって、任務中は所持厳禁なんだけどさ。秋の園遊会前に、どうしても見ておきたくて。この前、トリズが本部にいったときに、ついでに寮から持ってきてもらったんだ。ほい、じいちゃんの手紙」
「ありがとう~。わぁ、オルさんの字!」
レヴェイユは、懐かしむように手紙を開いた。
======
愛しい孫 クロルへ
元気か? じいちゃんは死んでるぞ。
遺言を残す。ソワールを捕まえろ。
じいちゃんより
======
「がーーん!」
そして、絶望していた。
「なんでショック受けてんの?」
「わ、忘れてたわ……そうよ、私ってオルさんに嫌われてたのかしら……? 捕縛してもらいたかったの? しょっく~」
「それな。俺もさぁ、半年前はそう思った。じいちゃんは、店が泥棒に狙われてることを予め知ってたのかなって。で、俺が目覚まし時計を分解することを見越して、死ぬ前に『犯人はソワールだ』という告発文を残した」
「わ、わたしじゃないよ~。さぶりえだよぉ~」
「知ってるよバーカ。……まぁ、今の俺がこの手紙を見てみると、そっちの意味だって分かるけどな、ははは……。泥棒と掛けたんだろうけど、分かりにくいんだよ。イタズラくそジジイ」
「どういう意味?」
クロルは、また人差し指を唇に当てて笑うだけ。
「え、え、どういう意味なの?」
「あ、そう言えば」
「なぁに?」
『そう言えば』に弱すぎるレヴェイユ。都合が悪いと話題を変える男と、それに気付かない女。相性がとても良い。
「じいちゃんの目覚まし時計をあげる代わりにさ、お前が使ってたシルバーのレディース時計。あれ貰っていい? 一つくらい、じいちゃんの時計を持っておきたくて」
「それがね、押収されたきり返ってきてないの。たぶん盗品だと思われたのね~」
「じゃあ、本部の押収品保管庫にあるだろ。任務が終わったら探しとく」
「え? オークションに出されたんじゃないの? ソワールの黒い外套は、すごい高値がついたってブロンから聞いたわ」
ちなみに、買ったのはトリズのドジ彼女だ。なんてこった。金が内輪で回りすぎている。黒い外套が自宅のリビングにドーンと飾られているトリズの気持ちを考えると、これは趣が深くて大変良い。
「そう、一般的には押収品の保管はされない。でも、重大事件の場合、持ち主が判明しているもの以外は、保管が基本。見せしめのために少し競売にかけられるけど、レヴェイユの場合は外套くらいかな」
「へ~、見せしめのためなのね。見せしめって大事よね」
重大事件の犯人が、楽しそうに見せしめの話をしている。こちらもなかなか味わい深い。
そこで、レヴェイユは「え?」と言って、ピタリと止まった。
「どした?」
「ねぇ……グランドさんを捕縛したら、オルさんの時計も押収されるんじゃない?」
「うーん……」
何かを期待するような彼女のまなざし。現実を叩きつけるのが少し可哀想ではあったが、クロルは続けた。
「正直に言うと、その可能性は低い。グランドは現行犯での捕縛を考えてるだろ? やつが盗品の保管場所を供述すれば出てくるかもしれないけど、罪状が増えるようなことを言うとは思えない」
「そう……」
「それに、そもそも六年も前だし、すでに売り払ってるだろ。目覚まし時計とシルバーの腕時計。一つだったのが、二つに増えただけで十分」
窓の外は相変わらず雨が降っていて、そこに朝の気配が加わっている。すると、不思議とふぁ~と大きなあくびが出る。久々にしゃべったせいか、よく眠れそうだ。
「少し寝るか」
そう言って、レヴェイユの手を引いてベッドに連れ立った。
「じゃ、おやすみー」
「え、……あ、うん、おやすみなさい?」
雨水みたいにサラサラと流されるレヴェイユ・レインは、少し不思議に思いつつも、目を閉じれば三秒で夢の中。二人は、久しぶりに手を繋いだまま寝た。
この繋がれた手は、私利私欲なのか、それとも義理堅いだけなのか。
少しずつ、対等になっていく彼と彼女。カーテン越しに話をするのがやっとだったのが、とうとう暗がりの中で、向き合うまでに近付いた。
でも、幸せの有効期限はもうすぐ切れる。ホットミルクを飲んでも差し支えないほどに、季節は秋になっていた。
きっと、彼女の言うとおりなのだろう。思い起こせば、オルの時計が全て奪われていなければ、クロルは王都に出てこなかった。潜入騎士にもなっていなかったし、そうであれば、レヴェイユと出会うこともなかっただろう。
クロル・ロージュを取り巻く時計の針は、もう六年前から回り始めていたのだ。
その輪転はクルクルと回りながらも、様々な偶然を絡め取っていき、運命と呼称すべきものに集約していった。
その全ては、たった一日のために。
それぞれの命運をかけた、秋の園遊会が始まる。




