1話 悪い男と悪い女
恋に落ちたことはなくても、恋に落とすのは簡単だ。裏を表にひっくり返して、愛してるって言えばいい。
その日も、クロル・ロージュは悪女を恋に落としていた。やわらかな春の日差しを身にまとい、茶色の前髪をかきあげ色気たっぷりに告げる。
「愛してるよ」
きらびやかな男爵家の応接室。真っ赤な口紅を塗りたくった男爵令嬢と見つめあう。
「私も愛してます……」
「じゃあ、約束通り、カギと金庫の場所を教えてくれる?」
「はい、カギはここに。金庫は二階の奥ですわ」
クロルがニコリと微笑めば、彼の泣き黒子もキュッと上がる。
―― よっしゃ、今回もラクショーだな♪
「本当に助かるよ」
「とんでもございません~!」
こんな風に、ご令嬢が言いなりになってしまうのも無理はない。クロル・ロージュは、とんでもなく美しい男だからだ。
職業柄、彼の容姿はとても重要だ。
完璧なフェイスラインに、完璧なパーツ。少し上がった口角からは人懐っこさを感じるのに、茶色の瞳には色気が漂う。
その目元には、夜空に浮かぶ一番星のような泣き黒子が飾られていて、それがキュッと動くたびに人の心もキュンと動かす。
茶色ずくめの平々凡々な色彩。それが逆に『がんばればいけそう』という親近感を持たせてしまう。でも、どんなに頑張ってもいけるわけもない。彼の茶色は、悪い男の香りを隠す焦香色だ。
そんな顔面凶器のクロルは、令嬢をさっさとエスコートしながら金庫室がある二階へ向かう。善は急げ、悪は滅べ。サクサクいこう。
扉を開けると、そこには金庫がキレイに並べられ、絵画は乱雑に重ねられていた。芸術好きのコレクターというよりは金が好きなのだろう。そういう置き方だ。
せっかくの春うららだというのに窓は閉められていて、光も風も誰の目も通さず、部屋にとどまる空気すら汚らしい。
「すごい金庫の数だね」
「ええ、お父様が、その……色々と」
「へー? そのお父様が一番大切にしている金庫は、どれ?」
「えぇっと。それは、その、」
悪女の悪あがき。彼女からこぼれ落ちてくる『隠したい欲』が憎らしくて、クロルはついついステキな微笑みを浮かべてしまう。
「教えてくれる約束だろ? お願い」
「は、はいぃ~、あの奥の銀色の金庫です!」
カンタンだ。彼女がぼやーっと惚けている隙に金庫を開ける。お腹いっぱい食べすぎたのだろう、大きな金庫からは陰鬱とした臭いが漂ってきた。
きらきらの宝石、たくさんの札束、そして書類。かくれんぼのオニは『みーつけたっ♪』で書類を手にとって中身を眺める。
―― よーし、証拠ゲットっと
「クロル? どうなさいましたの?」
彼女に返事をすることもなく、クロルは窓を開ける。さあ、楽しい時間のはじまりだ。
―― 配置は、大丈夫そうだな
気配を探って最終確認。剣なんて握ったこともないような美しい手を、窓の外にスッと出す。それはまるで、神様が罰を下すような仕草だった。
「クロル?」
「それ以上、動くな」
「え?」
低い声でそう言いながら、クロルは光り輝く金色の胸章を取り出した。幸せな恋人ごっこはおしまい。別れの言葉は、いつも決まってこれ。
「騎士団だ。ミュラ男爵家、脱税および脱税ほう助の罪で捕縛する!」
瞬間、けたたましい音と共に部屋の扉がけやぶられた。なだれ込む青き正義の制服を着た男たち。長剣の先を突きつけられて、慌てふためく元恋人。
クロルの宣言を合図に、彼女も、彼女の両親も、使用人も、屋敷にいた全員が捕縛される。
……いや、一人を除いて、全員が。
耳を塞ぎたくなるほどの阿鼻叫喚の中、引きずられるように連行されていく元恋人。きっと彼女は、まだクロルを愛しているのだろう。塗りたくった赤い口紅を必死に動かして、彼にすがりつく。
「クロル……私のことを愛してるのよね? 何度も言ってくれたじゃない」
この瞬間のために騎士をやっていると言ってもいいくらいの快楽。こうして絶望をプレゼントすれば、彼女たちは最高にかわいい表情を見せてくれる。
クロルはふわりと微笑んで、全く悪びれない顔で言うのだ。だって、ここに愛なんて無いのだから。
「まだ分かんねぇの? これはハニートラップ。俺は潜入騎士だよ。『愛してる』なんてウソに決まってるじゃん」
彼は悪い男かもしれないけれど、悪いのは彼じゃない。悪いのはいつだって彼女たちだ。
「任務完了っと」
窓から入り込む風が、心地良いものに変わった。目の前に広がる平和な景色と、羽ばたいていく白い鳥。任務を終えた解放感で、クロルは大きく伸びをする。
たった一人だけ、この屋敷で捕縛されなかった人物がいることも知らずに。
そのとき、王都の中央にある大時計の鐘の音が鳴り出した。リーンゴーン、リーンゴーン。正午ピッタリ、まるで目覚まし時計のような鐘の音に、ビリリと背中に何かが走った。吸い込まれるように窓の外を見る。
クロルの勘が告げた。
―― 何か、落ちてくる
瞬間、上から黒い影が落ちてきた。
その影は、二階の窓辺に立つクロルの目の前を通り過ぎ、そのまま一階へ。それは、影そのものではない。黒い外套を着ていたから、影のように見えただけだ。
背中しか見えなかったが、それが誰なのか。そんなこと騎士ならばすぐに分かる。
「女泥棒ソワール……!?」
よく晴れた春の日。大時計の鐘の音と共に、クロル・ロージュに運命の恋が落ちてきたのだ。