霧の都の霞の癒賢
──少し遡り、街周辺では。
街の正門を守る冒険者や騎士たちは、刻一刻と変化する戦況に迫られていた。
「ユグドラシルのご加護を! ……五番隊の皆さん、これでもう少し持ちこたえられますか?」
そんな中で、私はちょうど目の前を守ってくれる騎士たちに治癒の魔法を与えている。
ケンジローと別れたあと、先行するマキを追いかける形で正門の外へ出た私は、間もなくやってきた盗賊団を迎撃するべく周囲の騎士や冒険者たちを魔法で支援していたのだ。マキにはその足の速さを活かして、負傷者を連れて戻る役を任せている。前線に立ってもらうには心配ではあるが、集団戦においては心強い。
そう思うと同時に、ケンジローを連れてこなくてよかったとも思う。
これだけの敵味方がいる状況で彼が得意とする狙撃はできないだろう。罠に関しても、仲間の冒険者や騎士が踏む可能性がある以上迂闊に使えないし、それならば怪我を負うリスクを冒してまで戦闘に参加するべきではないはずだ。
そんなことを考えていると、途中から折れてしまった剣と、負傷した冒険者を担いだマキが駆けてきた。
「この人は右脇腹に矢をもらってるみたいです。前線で騎士団が使うランスが足りなくなってるみたいなので届けてきます」
負傷した戦士の冒険者を私のそばに寝かせると、捲し立てるように言われた。
仰向けになった冒険者は、矢の刺さりこそ浅いようだが意識がない。顔色も悪いので矢に毒が塗られていたのだろう。
まずは矢を抜いて、水魔法で汚れを流す。そして、解毒と治癒の魔法をかけて様子を見るのだ。
「ありがとう、マキ。気を付けて行ってらっしゃい」
刺さった矢に手を触れながら言う。
しかし、なかなか返事がないため気になって振り返ると、マキは意味ありげに私の様子をのぞき込んでいた。
「アンタもどこか怪我した? 最優先で診てあげるわよ」
大切な仲間に何かあったら一大事だということもあって声をかける。
決して目の前で横たわる冒険者を蔑ろにしているわけではないが、マキは大切な仲間なので心の中で優先順位が生まれてしまうのは許してほしい。最後には全員助けると誓うから。
そんな、誰にも聞かれない誓いを心の中で立てていると、首を横に振ったマキが口を開く。
「いえ、そうじゃないんですが。……本当にケンジローを置いてきてよかったんですか?」
意外だった。
予想外の問いかけに言葉を詰まらせていると、マキは立て続けに言葉を発する。
「アタシたち、パーティを結成して間もないとはいえ、今後は住まいも共にすると約束した仲間じゃないですか!」
その目からは、仲間に裏切られた怒りと悲しみ、それでも信じることをやめられない希望が綯交ぜになって溢れ出ていた。
「……そう。マキは私と同じ気持ちになってくれているのね」
思わずそう溢す。
小首をかしげるマキをそっと抱きしめて、湧き上がる感情を噛みしめる。
行動を共にしてまだ日が浅いというのに、この子が私たちに仲間として全幅の信頼を置いてくれていることが嬉しかった。
それでも、彼を……ケンジローを置いてきたことを後悔していない。
私やマキは進んで冒険者になったが、彼は私に召喚されたせいで仕方なくここにいる。それなのに私のわがままで連れ回したら、まるで悪女みたいだ。誇りある貴族の人間として、そのような不名誉なレッテルを貼られることだけは避けたいところ。
これは私の問題だ。
「別に! アイツが無理して怪我することが怖いなんて微塵も思ってないから!」
アイツのことだ。
どうせ狙撃も罠も有効打にならないとなれば、比較的リスクの低いこの辺で流れ弾から私を守るために体を張るだろう。
性格上、前線で剣を振り回すとは考えにくいが、一回や二回怪我をしても私が魔法で盗賊団を薙ぎ払えばお釣りがくるとでも考えるに違いない。
自分も他人も等しく駒としてしか見れず、自分が一傷ついても敵に二傷つけられれば実行できるほど淡々としており、その痛み分けを成功させるためだけに私を利用するに違いない。アイツは本当にバカだ。私の気も知らないで。
賢者として、目の前で人が傷つく光景がどれだけ堪え難いことか。ましてや、救いきれなかったらと思うと気がおかしくなりそうな日だってあったくらいだ。
マキだけはそんな私を察してくれたようで、コクコクと頷きながら。
「そうですよ! 仲間なのに、一人で活躍の機会を独占しようだなんてズルいですよね!」
「あっ、うん。……そうね」
両手を目の前で握って怒りを表現するマキに、私一人アイツのことを気にしていることがバカらしくなってきた。
数日過ごしてみて感じていることだが、この子を見てると難しく悩んでいることが簡単に思えてくるので助かっている。
「まあ、アイツのことだしどうせどっかで生きてるわよ。少なくともアッサリ死ぬような男じゃないわ」
「そうでしょうか。なんか無駄にしぶといくせに目を離した瞬間ぽっくり消し炭になりそうじゃありません?」
真顔でなんてことを言うのだろうか。
フォローできる言葉が思いつかないので案外間違ってないのかもしれない。
「っと、急がないといけないんでした! アタシはもう行きますね!」
言うが早いか、風のように駆けていった。
その小さい背中を見送ると、矢を受けた冒険者が震えながら立ち上がろうとしているのに気付いた。
「オレぁ、もう平気だ。戻って……やらねえと!」
そんなことを言いながらふらついて、倒れそうになったところを支えた。
「ああもう、無理して立たない! 治療の魔法はかけたそばから治るような都合のいいものじゃないの! 黙って寝てなさい!」
再び、横になるように促すが、予想外の抵抗を見せてきた。
仲間思いなのは結構だが、そのせいで治療が遅れるほうが味方の負担になることをわかってほしい。
しかし、仲間が気になるらしいこの男は指示に従ってくれるはずもなく。
「わかったわかった。そんなに心配ならここから支援魔法を飛ばしてあげるから、アンタはおとなしくすること。それが治癒魔法の使い手としてできる最大限の譲歩よ」
「ああ、わかった! オレの仲間はあそこだ。今はまだ持ちこたえちゃいるが時間の問題だ。不甲斐ねぇ」
冒険者が指をさす先へ視線を向けると、確かに前線に穴が開いているパーティが見えた。
幸い、今はまだ敵の数が少ないが、すぐに駆け付けられる騎士も近くにいないので突破されるかもしれないだろう。
あの辺が崩れるとこっちにまで雪崩れ込んでくるかもしれないし、早いうちに支援魔法をかけてあげた。
せっかくなので少し支援範囲を広くして、周辺の冒険者たちも強化しておいた。この恩は後で返してもらうとして、ようやく満足したらしいこの冒険者にもう一度治癒魔法をかけてひと段落だ。
「しっかし、投石器は厄介よね。私も余裕があるときに範囲魔法で巻き込んだけど、硬すぎて壊せなかったわ」
おそらく魔法耐性でもかかっているのだろう。周囲の地形も不自然なくらい傷ついていなかったので、何かしらの耐性効果が働いているとは思うのだが。
「あぁ。オレらも、あの投石に気を取られて」
この人が矢を受けた原因にもなっているようだ。
治療中の冒険者のように、前衛職の冒険者は常に攻撃に晒されており、投石器による上からの攻撃と剣や弓による横からの攻撃を同時に防がなければならないのだ。矢のような軽いものであれば魔法で風の防壁を作ることで対処できるのだが、それも絶対とは言い切れない。
だからこその魔法職であり、敵の遠距離攻撃の撃墜から範囲魔法での殲滅、治癒や肉体強化による支援が欠かせない。
治療中の冒険者への注意もそこそこに、さっそく飛んできた岩石を魔法で撃ち落とす。大きい破片が残ると危険なので、徹底的に粉砕した。
「おお、すげぇな。さすがは賢者様だ」
拍手で煽てられる。
どうよ、すごいでしょ。
さすがに口には出さないが、魔法だけはこの街の誰よりも得意な自信があるので内心ほくそ笑む。
「ったく、ウチの頭のかてぇ年増魔女とは大違いだぜ!」
「しれっとひどいわね、アンタ。いつか痛い目を見るわよ」
とんでもない陰口を吐き出したこの男を踏んでやろうかと思ったがすんでのところで踏みとどまる。一度治療を始めた手前、治るまで雑に扱うのは控えようと思う。嬢ちゃんみたいな美人だったらなぁ、などという耳が痛いほど聞いたお世辞のような言葉を聞き流していると、この冒険者の仲間がいるあたりに岩石が落下したのが見えた。
「あああ! あの年増魔女、撃ち落とせてねえじゃねえか! 人の体に毒塗りやがったから、いざというとき守ってやれる前衛が足りねえんだ! ざまぁみさらせ!」
「あれアンタの仲間じゃなかったの⁉ どっからそんな罵詈雑言が出てくんのよ‼」
魔法職の人が自分の肩に手を当てているので掠めた程度で済んでいるだろうが、仲間だとか言って心配そうにしていた人と同一人物とは思えない発言に思わずぎょっとする。そんな私の様子に気づいてか、冒険者は続ける。
「だってあの女、ひでぇんだぜ? ちょっと心配になってたから『三十手前にもなってそんなドピンク着てっから男っ気の一つもねえんだよ』って言ってやったらさぁ」
「やったらさぁ、じゃないでしょ⁉ それで毒をかぶって、矢を受けたから毒が回ったってこと⁉ アンタらバカじゃないの⁉ バカなんじゃないかしら‼」
この男がダウンした理由が斜め上過ぎて叫ばずにはいられない。
とりあえずこの男はもう冷水漬けにして放置でいいだろう。体内の毒も取り除いたし、心配する要素はない。
溺れそうな声をだしている冒険者をほどほどに痛めつけていると、前触れなく戦場にすさまじい破裂音が響き渡った。
【一言コメント】
早漏投稿。