王女の勅命は聖泉の街から
──収容所脱出から数日後。
ないなら作ればいい理論で出口を作り収容施設から脱出した俺は、目の色を変えて街中の脱走者を探し回っている妖魔教団関係者から逃亡する日々を過ごしていた。
そして今日、週に一度発着する花の都行きの乗合馬車に忍び込んでこんな危険な街からはおさらばするつもりだったのだ。
この街は山岳部に隣接していて高低差が大きい。
収容施設があったのは低い平地だったが、市街地がある中腹の盆地地帯までやってくると四方を囲む山が邪魔なせいか空からの索敵が少なく、追っ手の目を欺きやすかったと思う。
あとは、路銀稼ぎを兼ねて謎の相談屋をしていたのが要因か。
まあ、それはどうでもいい。なにせ、午後から聖泉の街を発つ予定の馬車が目の前に到着したからだ。
ここで隙を伺ってこっそりと荷車に侵入しようと身を潜めていると、到着した馬車から降りていく客の中に顔を半分隠したソフィアたちの姿があった。
どういうことだ?
ソフィアか『月夜見』のとんでも秘術で俺の居場所がわかったと言われたら納得するが、そうだとしてもわざわざ水の国まで足を運んでくるとは驚いた。ソフィアの奴、自分の身分に対して命が軽すぎる。ソフィアからしたら恩を仇で返される気分だろうが、従者という立場に身を置いている以上これはあとで説教だ。
きっとソフィアたちも心配をかけたことを怒っているだろうが、それもまずは合流してからだ。
この辺りは妖魔教団関係者の監視がたまに通るので、彼女らが話しかけやすい通りに移動するまでつけてみることにしよう
──あのあと合流を果たした俺たちは、古風な雰囲気を漂わせる旅館へと身を寄せていた。
温泉で有名らしいこの街で、日出国風の温泉宿をウリにしている隠れた名旅館なのだという。
そんな畳の客室で、持ち込んだお昼ご飯に手を付けながらソフィアたちから状況を教えてもらっていた。
「……というわけで、騒ぎを聞きつけた街の守衛たちが介入した結果私たちは無罪放免となったわけ」
レイ伯爵一行と戦闘になっていた件だろう。
膠着状態が続いていたアレは、ソフィアたちの不利にならない形で終戦したようでホッとした。
だが、ソフィアもマキも言いにくそうにしているあたり、続きがあるようだ。
「レイ伯爵がしぶとくアタシたちを外敵とみなして批難していたのは大したことじゃなかったのですが、それがきっかけで花の国議会の反体制派が一斉に彼の味方をし始めなのです」
マキの言うには、花の国の現政府は霧の国と友好関係を示しているが、反体制派はそのまま霧の国への反対感情を匂わせているそうだ。
霧の国からの使者である我々が反体制派であるレイ伯爵と衝突したがために、反体制派の霧の国排除の動きが活発化したのだろう。
「そうなれば、早めに花の国に引き返してやるべきだよな。とりあえず、俺はすぐに動ける状態になっている。判断は任せたい」
どのような交戦状況でも対処できるようにと、橋を進めつつ持ち込む装備を考えるが。
「花の国には霧の国より主力騎士団が応援に向かっております故、その必要はありませぬ」
花の国のことは大丈夫だと、ジョージさんが答えた。
俺たちがやるべきことは別にあるようで、少し困った顔を浮かべるソフィアは一通の手紙を読み上げる。
何やら地図のような紙もあるが、これはなにか面倒ごとを押し付けられたんじゃないだろうな。そんな風に身構えつつ話を聞いていく。
「息災でしょうか、スターグリーク家公爵令嬢……などという書き出しは私たちらしくありませんね」
そんな出だしから始まった手紙の内容はこうだ。
『霧の国第一王女アリサです。あなたたちの状況は占星術を用いて把握しています。想定外の死闘の数々に見舞われていると知り、占星術を行うたびに無事を祈っているほどです。さて、そんなあなたたちには一刻も早く霧の都に帰ってきてほしいと思う気持ちでいっぱいですが、こちらも現在妖魔教団の大規模攻撃が予想されていて危険です。そこで霧の国には戻らず、水の国に囚われているアオキ君と合流し、妖魔教団のスパイの魔物を倒してきてください。水の議会防衛担当にまで上り詰めた凄腕のスパイらしいので、くれぐれも油断しないように』
一通り読み終えたソフィアが、今度は二枚あるうちの一枚の地図を見せてくる。
「これがターゲットの住処か? 街中に見えるんだが」
水の国の首都、水の都の一等地だとメモ書きされているその地図の、ひときわ大きい敷地に印がついていた。
実際の現場がどういった環境なのかわからないが、まずは行ってみるしかないだろう。
「凄腕のスパイだという情報しかないから、当面の間は情報収集をしましょう。というわけで、今日は解散よ」
言い終えるや否や甘味に手を伸ばすソフィアを見て、少し不安にさせられる。
「ねえソフィア。こっちもおいしいぞ」
「あら、そうなの? ……うん、最高ね!」
『月夜見』と席を並べて、メインの料理そっちのけでお菓子を食べ進めている二人に風情なんてものはなかった。
──その日の夜。
事実上の戦争状態となったにもかかわらず平和そのものな街は、家族団らんの光で包まれていた。
そんな光を夜景として楽しめる露天風呂でのんびりと考え事をしていた。
第一王女がいったいどこまで詳細に占ったまま俺たちに命令を下したのか。少なくとも俺がこの街に捕まっていることは知っていた見たいだが。
なんだか花の国へ送り出されたときから手のひらの上で転がされているような感覚だ。命令なので逆らいようがないのだが、それならせめてターゲットのスパイについてもっと情報があるなら教えてほしいものだ。
何にせよこの頃は色々ありすぎて疲れた。
疲れを外に出さないのは簡単だがせっかくの温泉なのだ。のぼせるまでここですべて疲れを洗い流してしまおう。
ため息をひとつついて肩まで湯に漬かり直したタイミングで風呂場の扉が開く音がした。
ここの大浴場は混浴だがタオル着用がルールになっているので誰が来ようと動揺はしない。だからと言って振り向いてしまっては失礼なので誰が来たのかまで確認するつもりはなかった。
「いやあああああああ!!」
……なかったのに、誰がやってきたのかわかってしまった。
「静かにしたまえ、お嬢様。大浴場が貸し切り状態とはいえ、客室には他のお客さんも泊っているんだ。迷惑になるだろう」
身の危険を感じて首を横にずらした瞬間、側頭部スレスレを木製の桶が通過した。
「なんでこんなところにいるのよ⁉」
なんで風呂入ってるだけで桶が飛んでくるんだよ。
「考え事をしていたんだ」
一人でボルテージを爆上げするソフィアに適当な返事をしつつ、俺は風呂から出るため周辺に置いた荷物を手繰り寄せる。
ソフィアと混浴などしていたら小児性愛者のような不名誉なレッテルを貼られかねないからな。
そんな失礼な考えをしているのがバレたらしく、より一層不機嫌そうな足音を立てるソフィアがこちらに向かってくる。
「恥ずかしいなら無理すんな。せっかく気を利かせて風呂からあがろうと考えていたのに」
「うるさい! このままだと私が追いやったみたいになるじゃない! ……ははーん、もしかして私と混浴したら緊張しちゃうの?」
それだけはないのだが、即答すると怒るんだろうな。
かといってその場で固まっているとソフィア相手に意識して緊張する奴だと思われるだろうし、それは癪に障るので俺は静かに移動した。
──高温のサウナ室のような場所に移動して数分が経った頃。
ほとぼりが冷めたのか、サウナ室の扉越しに会話する程度には落ち着いていた。
「ソフィアにとって今のスターグリーク家はどうだ。経済力は立て直したし貴族院での当家の立ち位置は悪くないものになっているだろう」
相変わらず夜遅くの貸し切り状態なので、さきほどからそんな話を交えている。
「気づけば貴族の家と言っていいほど立ち直ったわね。従者となる人員がまだ足りないけれど、それ以外はまずまずね」
それでも全盛期のスターグリーク家とは程遠いらしいが、ソフィアの声色が軟らかいことから順調に再建が進んでいると受け取っていいだろう。
「そいつはよかった。なるべく早く再建してお前に満足してもらわないと故郷に帰してもらえないからな」
まあ、日本に帰ってやりたいことがあるかと問われれば、明確に何がやりたいと言えるようなものはないのだが。
才能もあって努力を重ねた兄貴は夢を叶えたが、俺にはその才能もひたむきに努力する高潔な精神力もなかった。そう考えれば、この異世界でソフィアたちとバカ騒ぎをして骨を埋めるというのも案外悪くないような。
「……どうしましょう。帰りの魔法が書かれた魔導書、まだ見つかっていないわ」
……はい?
見つかっていないとはいったいどういうことだろうか。
「おい待て。明日以降すぐ探せ。ありとあらゆる手段をもって全力で!」
どういう了見だと問い詰めてやろうとサウナ室から飛び出て、そのまま湯舟でまったりしていたソフィアの首を絞めにかかる。
「ちょ、やめ! 絞まる! 喉からマンドラゴラみたいな声が出るー! ちょ、やだ、変態! ぎゃふん!」
何が変態だ。魔法がかかったタオルがポロリすることなどあり得ないというのに。
マンドラゴラを自称する大根少女を懲らしめた俺は、そそくさと大浴場を後にした。
【作者のコメント】
今週から日曜日の更新になりました。よろしくお願いします。




