賢者のお愉しみ
──花の都で請けた依頼を達成するため、私たちは三人がかりで森の中へと足を踏み入れていた。
狙撃手のケンジローを森の外へ残して作戦を始めて既に三十分ほど茂みをかき分けている。
常にというわけではないが、数分おきくらいの頻度で銃声が聞こえていることから、森の外では彼が依頼現場の脅威を減らし続けていることがわかる。
というか、依頼現場まであと少しという地点で、私たちの目の前には何者かに射殺されたプチガルダの遺体が転がされている。先導役として索敵と歩きにくいツタの除去を担っているマキが指さす先には、銃で撃たれたと思わしき魔物の死体が点々と転がっている。依頼現場の方へ延びるさまが、さながら地獄へ続く道のように思えてくる。
妙に引っかかる。私の勘が、何か重大な事故を予見している。
「この辺りから依頼現場に入るのです。確かこの辺りは事前に魔力結界が張られていて、凶悪な魔物が外へ出ないようにしていると言いますが」
そう言いながら、マキは私の方を振り向く。どのような効果を持った結界か気になるのだろう。
「これは音を遮断する結界ね。この辺りの森は囚人たちを隔離していた牢獄があったって言うし、外からの刺激を入れないためだったんじゃないかしら」
私の言葉を聞いて必要以上に恐れなくていいと感じたのか、正面へ向き直ったマキが再び歩き出す。
「まったく。この期に及んで経験値稼ぎとは。ケンジローもいい性格をしているのです」
「気にしているんじゃないかい? 彼も男の子だから、きっと強くなりたい年頃なのさ」
確かにこの子たちの言う通りだ。せっかく夜闇に隠れて狙撃してるというのに、こんなに魔物を倒して警戒させるのでは意味がないじゃないか。
だが、冒険者として経験値稼ぎに精が出るというのは良いことだ。ざっと見渡せる範囲だけでも十匹以上倒しているようなので、今頃経験値はホクホクで……
「っ⁉ 伏せて!」
悲鳴に近い号令に素早く従う二人とともに、私も地面に伏せる。嫌な予感が嫌な予想へと進化したまさにその瞬間だった。
──銃声が森中に響き渡ったのは。
「敵に狙われているわ!」
なぜすぐに気づけなかったのか。悔やんでも、既に一方的に補足されている以上できることは撤退のみ。
あるいは、非常事態に気づいたケンジローが狙撃に成功するか。いや、最悪の事態を想定するなら、彼はもう。
生きているとは思いたいし、彼のしぶとさなら生きている可能性の方が高いとは思う。が、賢者たるもの最悪のケースさえも対応できなければならない。
「ケンジローが既にやられているなら、私たちをおびき寄せるためにわざと銃声を鳴らし続けたというのですか? 魔物とはいえ、ここらの奴らは魔力の湧き方が良くて滅多に人を襲わないというのに」
「正義感に燃えるのは解るけど今は逃げるわよ」
バリアは先ほどの狙撃でもうボロボロだ。
だが、掠っただけでボロボロになるなら直撃したらバリアごと貫通されるかもしれない。
張り直して魔力で察知されるくらいならこのまま走って逃げよう。
「月の光よ! 須臾に集いて輝きたまえ!」
逃げ際に『月夜見』が魔法を唱えると、私たちと狙撃者の間に眩しい月明りが降り注ぐ。
光で私たちの姿を隠すためだろう。
森を焼いて出た火で姿をくらまそうと考えていたのでちょうどよかった。
「ナイスよ『月夜見』! 今のうちに二人は先に逃げなさい! 私は魔法であの辺を吹き飛ばして、追い打ちを阻止してみるから」
「わ、わかりました!」
「すぐ追いつかなかったら引き返すからな! 絶対に戻ってくるんだよ!」
そんなのは当然だ。私だって反撃の隙があるときにしかこんなことやらないわ。
心の中でそんな反論をしつつ、上級魔法を唱える。
森なので燃やしてしまうと賠償が怖いので風の魔法にしてみよう。
「嵐よ、吹き荒れろ!」
夜の森に、月明りを反射する雪色の竜巻が立ち上がった!
──攻撃者が追い打ちをかけないよう魔法で牽制した後、すぐさま先に逃がした二人を合流して来た道を引き返した。
行きと違って戻るときは邪魔な茂みは切り倒したあとなので、思っていたよりずっと早く森を抜けることができたのだが。
「ごきげんよう、ソフィア君」
茂みから体を出した瞬間、まるで狙いすましたように胡散臭い男の声が私たちを出迎える。
貴族という身分を知らしめるような装いの、二十代半ばくらいの男が声の主だった。
彼の護衛と思われる全身鎧の騎士たちが森以外の全ての方角を覆っているあたり、少なくとも私たちの味方をしに来たわけではなさそうだ。
この辺りの貴族で最もよく見かける金髪に金の瞳を持つ男は、不敵な笑みを浮かべたままゆっくりと前へと出る。
私たちが逃げてくるのがわかって待ち伏せしていたのだろう。顔も名前も知らないが、ジョージが言っていた警戒すべき依頼主の貴族に違いない。
そんな彼に弱みを見せぬよう、私も一歩前へ出て堂々と振る舞う。
「ごきげんよう、見知らぬ紳士たち。ここは危険よ。賢者の名に懸けて貴方達を街まで護衛して差し上げましょうか?」
これは警告だ。
あなたたちのような中途半端な実力の騎士では私の相手は務まらない。
そんな言葉を耳にした騎士たちから憎悪の念を受けた気がするが、戦闘になった際に情けをかけずに済みそうだ。
「フハハハハ! ありがたい申し出だが、遠慮しておくよ。何せ君の言うように、この辺りは森を荒らす邪悪な魔法使いがいるからね」
誰が邪悪な魔法使いだ。そのイラっと来るほど整った顔面を氷漬けにしてやろうか。
怒りをグッとこらえていると、私以上にイラついたらしいマキが今にも飛び出していきそうなことに気づく。堪えてくれているのは、私が魔法を使うのに邪魔にならないための配慮だろう。
マキから目を離して、目の前の男をどうしようかと思案する。護衛の騎士たちは手加減しようと考えなければどうとでもなりそうだが、この貴族と考えて間違いなさそうな男は私と同じく賢者だろう。あるいは、攻撃魔法に非常に精通している魔術師か。いずれにせよ、私に比肩しうる魔力量を有しているのがわかる。
金髪の男も首から下までは鎧を着ていて剣まで持っているので外見は騎士系の職業に見えるが私の目は欺けない。
そんな男はというと、こちらへ手を差し出しながらもう一歩前へと出る。
一見すると歩み寄るように見えなくもないが、私にはわかる。これは魔法の予備動作だ。
「そんなに警戒しないでくれ、可憐なレディたち。オレは貴族だが立場を弁えずともかまわん。さあ、オレの保護を受けるといい」
言いながらさらに一歩距離を詰めた男の指先から、雷のような電気が私たちへと目掛けて飛びだした。
だが、その電撃は私たちへ届く前にもう一本の雷に打ち消される。
「この時期は静電気が起きて嫌ね。人が密集してバチってなったら嫌だから、お気持ちだけ受け取っておくわ」
当然先ほどのは静電気ではなく、生身の人間に命中すれば命を落としかねない攻撃魔法だった。同じ魔法で相殺して事なきを得たけれど。
「それより、ジェントルマン。あなたの名前を聞かされていないのだけれど?」
「ほう、そうだったかい? これは失敬。てっきりもう冒険者ギルドのスタッフから聞いていると思っていたよ」
どうやら隠す気はないようだ。
コイツは確か、ライ伯爵の従兄弟の貴族だと聞いている。
「レイ伯爵だったかしら。ごめんなさい、さっきの雷でびっくりして忘れてしまっていたみたいだわ」
レイ伯爵。
ジョージさんが長年の友人から仕入れた情報によると、現在の反政府派の一人らしい。
また、現在は与党が推し進める地方選挙制をよく思っておらず、水の国や妖魔教団と秘密裏に協力し内部崩壊を狙っているとも聞いている。
……いったいどこで知ったのやら。というか、商人の身分でそんなことまで知っていて、よく今の今まで暗殺されなかったものだ。
顔も知らないジョージさんの友人を守るためにも、ここは知らないふりをしよう。
「気に病むことはない。さて、それよりも、だ。オレは君たちを保護しようと考えているのだが、大人しくしてくれるかね?」
「そういった誘いは好みじゃないの。あなたのような方からであれば光栄だけれど、遠慮しておくわ」
「同じくなのです」
「センスがないよね」
満場一致でこの男のナンパはバツ印だと切り捨てられた。
というか、私たちがこうしてまんまと嵌められて包囲された以上、ケンジローの方も無事とは言い切れなくなっていた。一応、何かあったときのために彼が狙撃可能なギリギリまで離れたところで待機させているが。
「これは手厳しい。だが、君達は逃れられない」
額に手を当てて落胆したかと思うと、次の瞬間には憎悪の視線を向けられる。
レイが魔力を練り直すのを察知して、私も魔法を使えるように備える。
アイツの周りには護衛の騎士の数が多いけれど、足元を魔法で吹き飛ばせば隙ができそう。すこしでも対応を遅らせればマキが走ってレイ伯爵を攻撃しにいけるはず。
マキは後衛が無防備にならないように傍で待機しているが、目が合うと頷いてくれたので私の考えは伝わっただろう。
味方二人と敵の護衛は拮抗していて、魔法の撃ち合いが開戦のきっかけになりそうだと考えていたまさにその瞬間だった。
誰よりも早く、そして誰よりも魔力の流れを隠蔽していた『月夜見』が最初に魔法を発動する。
「月の祝福を授けよう」
彼女がそう唱えると心なしか月明りが強くなり、辺り一帯が心地良い光に包まれた。それに伴って魔力の流れが良くなる。
薔薇の街でも見せた、魔力を回復してくれる魔法だろう。
これだけ敵味方関係なく月明りで照らされても魔力を回復しているのは味方だけらしい。いったいどのような魔術ロジックで制御しているのか想像つかないので今度聞いてみよう。
想像より魔法の扱いが成長している『月夜見』に驚かされながらも、レイの魔法発動までに私の魔法も完成した。
「白銀の映し鏡のように!」
雪原によって照り返される月明りを魔法によって強める。
ただでさえ『月夜見』によって明るくなっている光なので、攻撃範囲内にいれば数秒で足が焼けてしまうだろう。
追い立てられるように騎士たちが動き、そしてほぼ全員で私を目標に接近し始める。
「神罰の眼差し!」
そして、敵の騎士たちを援護するように、レイ伯爵が光線のような魔法を放つ。
「光翼をもって人を護ろう」
『月夜見』の詠唱が耳に届いたかと思った瞬間、体が重力に反して空中へと浮かぶ。その次の瞬間には私のいた場所を光線が通過していた。
「ありがとう、助かったわ」
森の木々よりは低いが、騎士たちは跳躍しなければ私まで攻撃が届かないような高さだ。
人間の魔法使いで長時間の飛翔に成功した者はいないらしいが、この子は最近まで魔法を使えなかったとはいえ神という種族の底力を目の当たりにした気分だ。まあ、気にしなければならない要素の一つが私からマキに移ったということでもあるが。
私という攻撃目標を狙いにくくなった以上、騎士たちが次に狙うのはマキだろう。いつ囲まれても助けられるようにしなければなるまい。
「『月夜見』はマキの支援をお願い」
「任せてくれ!」
今の『月夜見』は攻撃用も回復用も複数のスクロールを持ち込んでいる。彼女自身も飛んでいることもあり、二人で連携すればやられることはあるまい。
なので、私はレイ伯爵と一騎討……というわけではない。気にしなければならない要素はまだある。そう、背後の狙撃者の存在だ。
巧妙な偽装工作でギリギリまでその存在をケンジローのものだと誤認させてきた敵だが、そもそもこんなに都合よく私たちの移動経路を制御できたのもこの貴族と協力していたからに違いない。
消耗が激しいうえに隙も大きいのであまり使いたくない魔法だが、魔力面は『月夜見』がいるからリカバリー可能。そんなアレを使ってみよう。
「……なにを企んでいる?」
大掛かりな魔法の準備を察知したレイが警戒を強めるが、わざわざ教えてやる義理はない。もっとも、作戦を知って私を妨害しようと思っても、魔法に強いバリアを張っているのでおいそれと中断できないはずだ。
「無粋な男は紳士的ではないわ。それに、見てからのお楽しみよ」
そんなお楽しみを阻止するためか立て続けに雷撃の上級魔法を私に向けて放つレイ伯爵だったが、バリアが割れた頃には魔法が完成していた。
広範囲を吹き飛ばす大爆発を起こす魔法。
上級魔法を圧倒的に上回る、いうなれば超級魔法。発動のための魔術式を察知した敵の顔から血の気が引くのがわかる。
「これはとんだサプライズだ。だが、そいつを使えば君たちも無事では済まない。既にこれだけ近い距離で交戦しているからね」
「そうね。あなたたちに使えばそうなるでしょう。でも、お愉しみには代えられないの」
私はそう告げると、背を向けていた森へと振り向いて魔法を発動した。
【作者のコメント】
実用性度外視の超威力超反動魔法は魔法少女の特権です。




