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『けん者』  作者: レオナルド今井
凍らぬ氷の都編
52/99

凍てつく氷の都が溶ける刻

 ──全然無事ではなかったが、見た目だけは無傷で帰還した俺たちは、ソフィアの親父さんに呼ばれて城の会議室にいた。

「ねえ、一ついいかい。……なんだか僕が悪いことをしたみたいで解せないんだけど」

 そんな文句を垂れるのは、寒い川で回収した『月夜見』だ。その正体は造られた神だが、ここ数百年は魔物として過ごしてきたらしい。経緯が不明なので断言はできないが、現状の状況証拠を考えると手錠を付けて連れてくるのは致し方ない選択と言えるだろう。

 彼女もそれをわかっているのか、文句こそ言えど抵抗する素振りは見せない。

 ソフィアや近くで手錠と繋がる鎖を握るマキとしても不本意だろう。

 かく言う俺も、満員電車で培った罪悪感をパージするソーシャルスキルがなければこの状況に耐えられなかったかもしれない。

 とにかく、ソフィアとマキの正気度が減る前に用事を済ませてしまおう。

「こちらの少女は、妖魔教団が極秘裏に抱えていた生物兵器らしい。こちらの文……古文書は、妖魔教団のアジト深層フロアにあった、本件の計画に関する研究日誌だろうだ。先ほど渡したのは、こちらをこの国の言葉に訳したものである」

 自分で言っていて超が就くほど胡散臭い。

 なにせ、古文書は日本語で書かれているので、解読して訳したなんて大層なものではないのだから。

 心にもないことを言っているのは、俺が異世界の住人だと知っているソフィアが、機転を利かせて発案した言い訳である。

 さて、パージ済みの罪悪感が仕事をするわけもなく、関心を示すソフィアの親父さんが資料に目を通す様子を淡々と眺めること数分。

 パラパラとめくっていたページが裏表紙まで辿り着くと、親父さんは資料をそっと閉じた。

「……確かに読ませてもらった。ご苦労だったね」

 ここ数百年人類を脅かしてきた巨大な悪の組織から、極秘情報ともいえるデータを持ち帰ってきたのだ。この国からしたらまたとない快挙なのだろうが、個人的にはあの階層ごと崩落させてしまったフロアを探せばまだ情報が落ちているのではないかと後悔しているところだ。

「せめて『月夜見』の記憶が戻ればいいのだが。……彼女とて被害者と言えるだろうし、このようなことを望むのは心が傷む」

 本人の望むところでもあるので、今後はスターグリーク家で保護。

 記憶が戻るかを穏便かつ倫理的な方法で試みながら、人として生きていける準備を施すつもりだ。

 まだ謎多き件ではあるので、どのようにするのが正解だったかはわからない。だが、少なくとも俺たちは後悔していないつもりだ。

 ジョージさんの隣に立ってソフィアの親父さんと話しつつ、俺が喋るべきことは一通り伝えたので『月夜見』の様子を見ようと振り向くと。

「……ねえ、心が傷むとか超似合わないないんですけど。鬼畜生の癖に言い繕うところとかお笑いかしら」

 そんなこそこそと喋るソフィアの声が聞こえた。

 大事な話の最中は聞き取れなかったが、先ほどから女性陣……というかロリっ子どもは三人固まってヒソヒソと話していたのだ。

 何を話しているのか気になっていたので耳を傾けたらこれである。

 ……しかし、なるほど。鬼畜生、か。

「しー! 聞こえていたらどうするのですか! 人の心をどこかに捨ててきちゃったあの人に聞かれたらきっと酷い目に遭わされますよ!」

 聞かれているなどとは露ほども知らない様子のマキがソフィアを諫めている。

 ……なるほど。人の心がない、か。

 なんだか面白そうなのでもう少し黙っていよう。

 すると、今度は『月夜見』が。

「大丈夫さ。人のことをうんこマンだとか低俗な呼び方をした低俗な男なんざに僕たちを叱る権利などないからね」

 ……なるほど、低俗な男か。

 ジョージさんが本格的にスターグリーク家と氷の都との今後の方針について話し合っている中、ロリっ子三人の方も盛り上がってきていた。

「いざとなったら私が魔法で返り討ちにしてやるから安心なさい。あんな小手先だけの姑息で陰湿な奴、私にかかれば、朝飯……ま」

 自信満々でガッツポーズまでしていたソフィアが、ヒソヒソ声すら尻すぼみになりながら固まった。

 どうやら俺に聞かれていると気づいたようだ。

 様子が変わったことに違和感を抱いたらしいマキと『月夜見』が釣られてこちらと目を合わせた。

「あら、話はうまくいったかしら。私の自慢の賢者だもの。心配はいらないかもしれないわね。……ところで、いつから聞いていたのかしら」

 冷や汗をたらたら流すソフィアがそんなことを聞いてくる。

「いやなに、ついさっきジョージさんにバトンパスしたばかりさ。それより、あとはジョージさんと二人きりにしていいらしい。話し合いの邪魔になっちゃいけないから、俺たちは席をはずそうぜ」

 言いながら、手をワキワキさせる。

 コイツらどうしてくれようかと考えていると、この世の終わりを予知したような表情をするソフィアたちに俺は続ける。

「遊戯屋に遊びに行くとしよう。……対戦ゲームに、鬼畜生で人の心がない低俗な男は必要不可欠だろう? 姑息で陰湿な手法でお前たちを導いてやろう」

 恐怖心のまま首を縦に振るしかなかった少女三人を、俺はその後大泣きさせるまでいじめ倒してやった。




 ──昼飯を済ませて城に戻ってくると、なにやらちょっとした騒ぎになっているようだ。

 入口付近に人だかりができているので嫌でも近づかなければならず、そのため話している内容が耳に入ってくる。

「……なんでもソフィア様とその付き人たちが、妖魔教団相手に一泡吹かせたらしいぜ」

「さすがは氷の都が誇る賢者だよな。スターグリーク家の再建だってやってのけるんじゃないか?」

 聞き耳を立ててみる。すると案の定、ソフィアを称える内容のものが多かった。

 しかし、中には……。

「近頃、この街に大規模な襲撃が来るんじゃないか? はっきり言ってこの前は雑魚ばかりだったから、幹部級に気を付ければチョロかったけどさ」

「だよなぁ。もっと強い魔物で固めた軍団で報復に来たら俺たちだけで守り切れるのか……?」

 俺たちが妖魔教団を刺激したせいで、その報復があるのではないかと予想する者もいた。

 ほとんどの人がソフィアに対し肯定的な意見を持っているが、何かが引き金となり否定的な立場に変わるかもしれない。

 無責任な気がするが、早いうちにこの街から去ってしまった方がいいかもしれないな。

 そそくさと通り抜けようと考えていたその時、何者かに袖を軽く引かれた。振り向くと、ソフィアが立ち止まってほしそうにしていた。

「ねえ、私皆にしっかりと話したい。そのうえでこの街に何かあったら守りたい。みんなを危険にさらす以上、罵声を浴びせる人がいても甘んじて受け止めるわ」

 そんなことを耳打ちしたソフィアに驚かされた。

 ソフィアの立場を考えればやめるべきだと思う。無責任かもしれないが、これはこの街のためでもある。ソフィアが王都に帰れば侵攻されるのは王都になるかもしれない。あくまで楽観的な予想だが、この場で民衆の説得に失敗するより何もせず王都へ帰る方がマシだと思うのだ。

 ……だが。

「いいだろう。市民への説明責任を履行する貴族は嫌いじゃないからな」

 ソフィアほどまっとうな貴族も希少なので、そう言った意味で「早く帰ろう」などと強く言えないのだ。

 そんな俺をマキがボソッと。

「……素直じゃない男なのです」

 おいこら、語弊を招くようなことを言うんじゃない。

 横の『月夜見』が目を輝かせてマキの話に耳を傾けているあたり、早めに止めた方がいいだろう。

 今まで年頃の少女が触れるような趣味とは無縁だったのだろう。まるで人が少女漫画に出てくる人物のように見えているのかもしれない。

「マキや『月夜見』の言ってるような理由じゃないが、ソフィアのやりたいようにやればいい。何かあったら尻拭いはしてやるよ」

 そう声をかけてやると、ソフィアは嬉しそうにほほ笑み、そのまま大衆の中へと入っていった。

 こちらに気づく気配のなかった人だかりのなかに、話題の中心にいる者が突然あらわれたので人々がどよめきだした。

 とはいえ、城の入口付近に集まるくらいなので、戦闘において皆一様に実力者なのだろう。驚きこそすれど恐れる者はいない。

 冒険者らしい敬意と打算が含まれた視線を一身に受けたソフィアは皆の前で口を開いた。

「皆はもう聞いたと思うけど、私たちは近くにある妖魔教団の支部拠点に乗り込んで、ここにいる『月夜見』を解放してきたわ。この子は高い魔力を持ってて、妖魔教団に悪用されていたみたいよ」

 本当に人類に向けて悪用されていたかは定かではないが、魔力を大量に持っている以上なにかしら妖魔教団の利益になる使われ方をしていたのだと思う。

 厄介なことに囚われていた本人が何も知らないのだが……。まあ、その辺はおいおい調査していくことにしよう。

 それよりも、注目を集める中で堂々と言い放ったソフィアへの印象は概ねいい感じだった。

 考えてみれば当然だろうが、心配だったのは本当だ。ソフィアの強さは国中に知れたことではあるし、ここの人たちにとってみれば自分たちの街を代表する有名人なのだろう。そんな人物がまた活躍したと聞いて、いいイメージこそ抱いても悪いイメージは持たないと思う。

 それどころか、この街が襲撃される可能性があることなど織り込み済みだと叫ぶ者までいるくらいだ。

「我らがソフィア嬢があの妖魔教団に一矢報いたんだ! 俺らが日和ってる場合じゃねえ!」

 人だかりのどこからか聞こえてきた声に一安心する。

 そっと胸を撫で下ろしていると、急にソフィアが話を振ってきた。

「ねえケンジロー。もしこの街が襲われたらどうすべきか、作戦を考えてやってほしいんだけど。……できる?」

 なんという無理難題だろうか。

「藪から棒どころかインゴットが出てきた気分なんだが。無茶振りも大概にしてほしい」

 正直に言ってソフィア級の魔法使いがいないと難しそうだが。

 話を振られた以上、何も思いつきませんでは召喚賢者の名折れだ。

 期待に満ちた眼差しを向けられているので、ジャストアイデアながらそれらしいことを呟く。

「戦いになったら街から離れたところに火を放つといい。予め引火しやすい木材で簡易的な防壁を作っておいて、いざとなったら遠くから魔法で発火。火の手が上がったらそこに魔法使いが総力を挙げて風魔法を吹き付けるんだ」

 この辺の樹木は寒さに耐えるために魔力をため込む性質があると聞いたことがある。

 火の魔法と親和性が高い素材を使えばそれっぽくなるだろうと思うのだ。

 この街の人たちは魔法を得意とする者が多いのだが、範囲魔法の優れた殲滅力も固い敵を倒し切るのに時間がかかる。ソフィアをもってしても『旗槍』を倒し切れなかったように、単体でも強い相手に攻撃魔法は隙を晒しやすいというのが定説だ。

 その隙を、雪原の上でも使える手段で燃やしてしまい、そこへ風を送り付けることで炎による追い打ちをかけようということだ。

 しかも、空を飛ぶ敵に対しては燻製にしてやるというおまけつきだ。

 即興で思いついたにしてはよく頑張った方だと自負しているのだが、辺りは沈黙に包まれた。

 俺、なんかやっちまったか?

 沈黙が継続するにつれて不安になっていくが、ついに誰かが静寂を破ってくれた。

「おお! さすがはお嬢の従者だ! まさか火責めだけでなく、火災旋風を起こして敵の後方部隊まで焼き尽くしてしまおうだなんて、超エキサイティングだな!」

 そんな褒めたたえる声を皮切りに……。

「おいちょっと待て!」

 人があえて皆まで言わなかったというのに、この街の冒険者どもときたら!

 間違ってはないのだが、まるで俺が鬼畜みたいじゃないか!

「あなたという人は、相変わらず仁義のない作戦を思いつきますね」

 俺だけが人の道を踏み外したような雰囲気をどうにかしたい。だから、マキの諦めたような言葉を聞いて納得できるはずもなく。

「言ってない。俺は後方の支援部隊まで消し炭にしてやればいいじゃないか、とは言ってない」

 ……中々いい案だとは思っているが、なんだか大切な何かを失った気分になった。




 ──翌日。

「懸念事項だったこの街が危険に晒されるという件も、騎士団や冒険者たちをやる気にさせるだけだったな」

 この街にもそこそこ長い間滞在したが、本来の目的であったソフィアの魔力回復という目的は果たせた。

 ソフィアの父親との再会という良いイベントもあったことだし、彼女のことを思うと三日程度で帰ろうなどとは言えなかったのだ。

 『北盗団』の件も、背後で手を組んでいる妖魔教団に打撃を与えたことで、あとはこの地方で育った逞しい冒険者たちが反撃の狼煙をあげることだろう。

 思えば、朝靄地方で休憩がてら一泊するだけだったのに、妖魔教団がらみのいざこざに巻き込まれたところから色々とおかしかったのだ。いくらソフィアが貴族だからと言えど、こんなに頻繁にトラブルに巻き込まれるほど知名度の高い異世界生活は送ってこなかったつもりなのに。

 とはいえ、その濃厚で苦労の絶えない旅路もいよいよ残すところは帰り道のみなのだ。感慨深いものだ。

 そんなことを考えながら天を仰いでいると、トントンと肩を軽くたたかれた。

 こんな時になんだと思いながら振り向くと、先ほどまで帰りのルートについてジョージさんと話し合っていたソフィアが笑顔で語りかけてきた。

「ケンジロー。私たちは今回の旅でとても頑張ったわ」

 そこそこ長い付き合いになる俺としては、こういう時のソフィアは決まって厄介ごとを持ちかけてくるのだ。

 なんとしてでも阻止したいので、とりあえずコイツの好物で釣ってやろう。

「そうだな。……ご褒美が欲しいというのなら、王都に帰ったら高級銘菓を取り寄せるといい」

「やった! お菓子屋さんの広告を見て選びましょう! ……って、そうじゃないわ! 私が言いたいのはそういうことじゃなくて!」

 チッ、引っかからなかったか。

 賢者で賢さのステータスが高いはずのお前がお菓子如きに釣られていいのかという気持ちもあるが、藪蛇になるだろうから黙っておこう。

 帰り道にまで厄介ごとを持ってこないでほしいのだが、俺のそんな気持ちなどまるで気にしていないらしいソフィアがルートを書き記した地図を見せつけてきた。そのルートとは。

「まずは半日ほどかけて氷の都を目指すわ。ここでの滞在中にも結構魔力を使っちゃったし、なによりお母さんが眠るあの街をいつまでも氷漬けにされたままにしておけないもの」

 来るときにも立ち寄ったソフィアの生まれ故郷にして、ソフィアの親父さんが統治していた街だ。

 氷の都にある湖は魔力の自然生成量が膨大で、生き物の魔力を一気に回復させてくれるのだという。

 出発時点で魔力が枯渇していたソフィアが国内有数の魔法使いの貫禄を取り戻せたのもあの湖のおかげなのだ。

 なので俺としても氷の都に立ち寄るのは賛成だ。

「俺としてもあの街の住人がいつまでも故郷に帰れないというのは浮かばれない思いでいるからな。氷の都への寄り道は同意しよう。だが、俺がケチをつけたいのはその下だ」

 そう。氷の都はいいのだ。

 だが問題はその後のルートで、行きで使ったルートより遠回りな街道を選んでいるのだ。

 なんでも、宿泊予定の街はリンゴがよく取れるらしい。つまり。

「林檎の街のアップルパイは霧の国を代表する銘菓ですからね。ケンジローは乗り気じゃないみたいですが、アタシは賛成ですよ」

 ルート選定したソフィアと甘党仲間のマキとしては外せない予定らしい。

 行きでは最短ルートを選んだから寄れなかっただけに行きたくて仕方ないのだろう。

「ええい! この街もスターグリーク家がある王都も、今となっては妖魔教団の狙いの的になっているはずだ! ワガママ言ってないで直帰だ直帰! まだ貴族院に提出しなきゃならない予定もあるのに!」

 貴族の癖に年相応の女子供みたいなことを言い出した仲間二人を言いくるめようと俺は声を荒げる。

 これもソフィアのためだ。

 王都ほど防衛力の高い街はここくらいしかないし、宿泊地にした街を妖魔教団に狙われては俺たちの身の安全も保障できない。なにより、ソフィア自身も街の人が傷つくのを見るのは嫌だろう。

 銘菓など帰ってから取り寄せればいいと言い続けていると、ソフィアがまるで分っていないとでも言いたげな呆れた表情を浮かべてご高説を垂れてきた。

「あのね、デリカシーの欠片もないアンタは知らないと思うけど。……私たちみたいな麗しい乙女は、甘い物とスパイスと素敵な何かでできているのよ」

 俺はバカみたいなことを言い出したソフィアの胸ぐらを掴んだ。

 まさか暴力を振るわれると思っていなかったのかビビったソフィアを俺は罵る。

「お前らみたいなバカは脳までコーラで溶かされてるってことか? 砂糖とスパイスじゃなくて知性と合理性を吸収してほしいものだな」

「その手を放しなさいよ! 暴力はやめて! ……あと麗しの乙女をジャンクな飲み物で例えないでちょうだい」

 さすがに苦しいのか、俺の手を払おうと爪を立ててきた。

 俺としても機嫌を損ねられたくないので離してやると、今度は涙目で訴えかけてきた。

「ねえ、どうしてもダメ?」

 目尻に涙をためて、上目遣いで言ってきた。

 そんなソフィアを見て、俺は。

「……なんか嗜虐心を掻き立てられるな」

 次の瞬間、俺の頬から空気を透き通る痛みの音が響いた。




 ──説得に失敗した俺が帰りに遠回りすることを渋々了承した、その翌日。

 ソフィアの親父さん立会いのもと、その他複数名の護衛たちに見守れるなか、氷の都が今。

「……堅氷に覆われし我が故郷よ。温かさと豊かさに満ちたかの姿を再び顕現させたまえ」

 南に高く昇った陽に照らされながら、厚く覆っていた氷が魔力の粒子となって消え去った。

 早朝に城下町を出て、着いてすぐに街を覆う魔力の氷を解析。その後、湖で魔力を回復させたソフィアは魔法で生み出したゴーレムを巧みに操り、街をぐるっと囲むようにして大規模な魔法陣を描いたのだ。

 街自体が結構デカいので使ったゴーレムの数もその分多かった。最後に術式を起動したソフィアは魔力を使い切り、その場に力なくへたり込んだ。

「街を覆う氷を一回の術式で溶かすなんて。……七百年以上生きてきたけど、君は歴史に名を遺すレベルの稀代の魔法使いだろうね。よく頑張ったよ」

 魔力どころか体力まで代償として持っていかれたらしいソフィアを『月夜見』が労っている。

 役目を果たしたソフィアを尻目に、今度はこっちの番だと気を引き締める。

「こんな時にまでする話ではないのは承知の上だが……。騎士団の件への返事はもらえるだろうか」

 目の前には愛娘の偉業と再び輝きを取り戻した氷の都を見て感動するソフィアの親父さん。

 それから、一緒に交渉する仲間であるジョージさんを隣において会議中である。

 ここ数日話し合っていた件なのだが、今日でお別れということでこの件も大詰めだ。

「そういえば正式な回答がまだだったね。娘の望みを叶える手助けになるなら喜んで協力しよう」

 ソフィアの親父さんとてこの国でも指折りのデキる貴族だと言われている。 

 そんな人物と取引をしたとなれば、今後はもっと交渉の幅が広がると思う。

 ちなみに、騎士団の件とは何だったのかというと。

「しかし、ケンジロー君か突然『この人らを騎士団としておいてほしい』なんて言われたときには驚かされたよ。長いこと領地を治めてきたが、雇った騎士団をよそに置きっぱなしにするというのは初めて見た。一般的に、貴族の騎士団というのは住み込みが基本なのだが」

 親父さんが言う通り、新しく契約を結んだ騎士たちには王都ではなく旧氷国領にいてもらうことにしてある。

 住み込みだと今回の帰宅が大所帯になってしまうことと、そもそも衣食住をすべて賄うだけの給仕がいない。

 そこで、招集をかけた際を除き遊んでいていい代わりに衣食住は自分たちで確保してもらう形にしたのだ。早い話が日本のサラリーマンみたいな感じだ。

 今回結成した騎士団も、そのほとんどが地元の冒険者たちで、自由奔放な彼らにとっても好都合なようでウケはよかった。

 さすがに王都で何かあったときに駆けつけてもらうことはできないが、ソフィアの夢であるスターグリーク家の再建というのも騎士団を抱えたことで一歩前進したといえよう。

 ちなみに、普段は用無しになる騎士団については、氷の都領主である親父さんに指揮を任せ、柔軟に使ってもらうことにしてある。その代わりに、娘を助けると思って少しだけ人件費をサポートしてもらうことになっている。今回こうして話し合っていたのはこれが理由だったのだ。

 ソフィアにはこれから伝えるのだが、予めこういう手の話は俺とジョージさんに任されているので怒られることはないと思う。

 ちなみに、勝手に騎士団がついた貴族令嬢はというと。

「ねえマキ。できればもうちょっと丁寧に運んでくれないかしら。頼んでいる側があまり文句を言うべきではないのはわかっているけれど、つま先と膝が地面にこすれて痛いわ」

 魔力切れのソフィアをマキが引きずっていた。

 そんなマキにやんわりと抗議を入れているソフィアは俺の視線に気づいたようで助けてほしそうにアピールしてくる。

「ああっ! 助けて! あとでなんでもしてあげるから!」

 面倒くさそうなのでそっぽを向くと背中に悲鳴が届いた。

 気づくと新たに仲間となった『月夜見』も面白そうに見守っているので俺の出る幕ではないのだが。

「……いまなんでもするって言ったな? よし助けてやる、その言葉忘れるなよ!」

「ええっ⁉」

 いったい何に恐怖を抱く要素があったのか疑問だが、表情が青ざめたソフィアをマキからひったくると、俺はそのままソフィアにお姫様抱っこをして湖へと運搬した。

 さて、今から何を要求するか楽しみである。

【作者のコメント】

第二章『凍らぬ氷の都編』完!

第一章の倍くらいの長さにお付き合いいただきありがとうございました!

次回、第三章『水と花の都の疾風姫編』始動!

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