番外編:望月に写らぬ景色へ思いを馳せれば
──旧氷国地方のお城生活にも慣れてきた頃。
「納得がいかないわ!」
暖炉のある部屋にソフィアの悔し気な声が響いた。
時刻は午前十時。予定通りなら今頃は城下町の商店を冷やかしていただろう。
今日は祝日ということと、先日まで三日連続の防衛戦を乗り越えたということもあり、商店街通りが大々的に記念セールをやるということになっていたからだ。
しかし、ではなぜこのように暖かい部屋に閉じこもっているかというと。
「こればかりは仕方ないだろう。元々、この地方は一度天候が荒れると吹雪で外出できなくなるって言っていたじゃないか」
奇跡的にここ一週間くらいは天候が良かったらしいのだが、昨夜から急に崩れて籠城を強いられたのだ。
誰が悪いというわけでもないので、残っていた事務仕事に着手しようと思う。
今日のために予定を開けていたソフィアは暇で仕方ないだろうがここは我慢してもらおう。
「ソフィアはここでの買い物を楽しみにしていましたからね。討伐依頼から帰って来た時にはいつも遠目に商店を眺めていましたし」
マキの言葉に釣られてソフィアを見ると、確かに少し可哀そうに思えてくる。
今日まで我慢していた楽しみを直前で奪われた気分なのだろう。
……仕方ない。
俺は、手に取っていた書類を箱に戻すと、ついに目尻に涙が溜まり始めたソフィアに言った。
「俺でよければ暇つぶしの相手になるよ。なんか要望はあるか?」
泣きそうになっていたソフィアはバッと振り向くと、期待に満ちた眼差しを向けて駆け寄ってきた。
「じゃ、じゃあケンジローの故郷の話をしてちょうだい!」
「それくらいならお安い……うん?」
脊髄反射で安請け合いしようとして、引っかかった。
コイツは今なんて言った?
故郷の話をしろ、だと?
……はっきり言って、日本にいたころの俺は今の俺に輪をかけて畜生なので、あまり大きな声で話したくない。ないのだが。
「それアタシも興味あります! 男に二言はないですよね⁉」
マキまで食いついてきて逃げられなくなってしまった。
ヤバい。墓穴を掘った。
しかもこんな時に限って、この場を丸く収めてくれそうなジョージさんはソフィアの親父さんと二人で対談中だし!
ぐぬぬ。
「……わかった。だが、あまり聞いていて気分のいい話じゃないと思うぞ。それでも良ければ、故郷についてなんでも聞いてくれ」
猛吹雪に閉じ込められた日、ひょんなことから日本について語る質問会が始まった。
──食糧庫からスナック菓子と飲み物をかき集めてきたソフィアとマキが、いよいよパーティの始まりだと言わんばかりにワクワクしていた。
「アンタって故郷にいた頃は何してたの?」
言い出しっぺだから一番最初に質問して当然と言わんばかりに、席に着いた途端にそんなことを聞いてきた。
思ったより当たり障りのないことでホッとした。
「どっかのタイミングで話したことがあるかもしれないが、日本では高校に通っていたよ。六歳から九年間の義務教育を終えた人が三年かけて通うことのできる教育機関だな」
言っていて胡散臭いと思った。
今の時代、高校なんて通って当たり前なのだから。
その中でも、一応地域でも難しい方の進学校にいたが、いわゆる底辺校にはどんな魔物が潜んでいるのかわかったものではない。
キラキラした目でこちらを見る仲間には申し訳ないが、現実とはこういうものだ。
「九年以上も学校に通うってなかなかすごいわね。というか、アンタってそんなに勉強熱心だったの? アンタって怠惰なイメージあったから以外だわ」
一言余計なソフィアの頬を抓って泣かせていると、今度はマキが。
「学校はこの国にもありますけど、ケンジローの故郷も学校で習うことってピンキリなんですか?」
ソフィアの次はマキかと思っていたが、まともな質問で安心した。
「そうだな。マキくらいの年齢の時にカエルを掻っ捌いたりしたな。解剖っていうんだが」
忘れもしない中学の理科でのことだ。
女子の反対を押し切る形で始まった実験だったが、これがまあ思いのほか楽しかったのだ。
生き物を解体するという経験は珍しいのでエキサイティングな気分で取り組んでいた。そう、クラスの男子が暴走するまでは。
興が乗った陽キャグループの数名がいきなり授業を抜け出すと、五分くらいで近くの田んぼからカエルを数匹捕まえてきたのだ。解剖用がもうあるというのに。
「忘れもしないな。クラスの男子が調子に乗って、生きたカエルを切り始めたことがあったんだ。血が飛んだんだよ、近くの女子にさ」
誰がどう見てもその女子はキレていいのだが、このくらいの年齢の男子は一度暴走したら止まらない。
既に仲間たちがゴミを見る目をしているが、話はそんなチャチなものではなかった。
「制服のスカートの絶妙な位置についた血を、バカどもが生理だなんだと騒ぎ立てたんだよ」
今思い出してもさすがに最悪過ぎると思う。
「ね、ねえ。もしかして、そのバカどもの中にアンタも含まれてたの?」
「失礼だな! 俺は生き物を切り刻む感覚に酔いしれてるだけで、そんなしょうもないことに付き合ってたわけないだろ! 俺のことなめんな! 撤回しろ!」
失礼極まりないことを言い出したソフィアに猛抗議した。
俺にだって最低限のデリカシーはあるんだぞ。
「そう言われましても」
「……日頃の行いよ」
俺の信用が低すぎる件について。
二人の生返事に少し凹む。
「この話はおしまいにしよう、そうしよう」
流れが悪くなったので話題を切り替えようとしつつ、そういえば翌年から解剖実験はやらずに映像を見る形式になったと聞いたことを思い出した。
「ほかにも面白い文化があってだな。連休前にバイトの休日出勤を命じられたり、担任教師と科目担当とで言ってること違ったりとか。お前たちは何から聞きたい?」
大人になると教師ではなく上司と取引先になるのだと兄貴が言っていたっけ。
「アンタの故郷は修羅の国なの? だからアンタみたいなひねくれ者が育ったの?」
ひどい言われようだが否定しづらい。だってそういう国だしな。
異世界に来てこちらの労働法を知ると、なおのこと日本の異常性が浮き彫りになってくるのだ。
微妙な表情をしたマキがおずおずと手を挙げて話題を変えた。
「ま、まあ、ケンジローは身の振り方を気を付けた方がいいかもしれませんね。それより、アタシは前にあなたが言ってた、えすえぬえす? というのが気になるのです」
マキとの話で言ったっけ。言ったんだろうな。
しかしどこから話したらいいものか。
「任された。まず、どんな奴がいるかだが、お互いに相手の顔と素性がわからないから本性を現す奴が多いんだよな。ほら、街の掲示板とか匿名で張り紙だせるタイプのがたまにあるだろ? あれみたいな感じでさ、美少女のフリしたおっさんとか、都合の悪い意見をなかったことにして的外れな意見を通そうと全方位に喧嘩を売る人種とか」
あえて抽象的にしか触れないが、匿名性の高い掲示板という例えが良かったのか、その光景を想像したらしい二人が苦い顔をしている。
「それ、無くなった方がいいんじゃないですか?」
「……なにも言い返せない側面があるのは確かだな。俺の経験談だが、予防接種の反対派をレスバで打ち負かしたりしたが、俺の肩を持ってくれる人の方が多かったが、かなりの数の誹謗中傷を書き込まれたこともあったからな」
ネット上ではどんな投稿が炎上に繋がるかわからないことと、自分が正しいことを言っていても関係ないという理不尽な側面を学んだ、ある意味貴重な経験だったと思う。
「あと、非常に相手の理想が高い婚活女性が暴言レベルの愚痴を吐いた際に炎上したのを見たことがある」
俺が見た炎上ケースの大半が、性別を主軸にした主語の大きい主張や国同士のいざこざだと思っている。が、俺が目撃したなかで恐怖を抱いたケースは。
「だが、その発言者がさ。素性を特定された結果、三十代後半のニート男性だったんだよ。魔物なんかいない国なのにある意味そいつが魔物だよ」
先ほどから、俺が一言喋るたびにドン引きしている二人だが、こんなものは一例に過ぎないのだ。
「アンタの故郷って本当にまともな人がいないのね。こんなことになるなら霧の国でも匿名掲示板は廃止するべきかしら」
自分の肩を抱いてそんなこと言うソフィアを見て、ふと思い出してはいけないことを思い出してしまった。こっちに来て間もない頃のこと。
「なあ、ソフィア」
「なによ」
「……俺、こっちの掲示板で一人論破したことがあってさ」
ギルドの雑談掲示板でディスられていたのでコテンパンにしてやったのだ。
リアルファイトになりかけた際に権力振りかざしたことはソフィアに言えない。
「あーあー私は何も聞いてないわ! そんなくだらないことが起きていたなんて私知らないわ!」
おっと、このままでは俺の趣味が一つ無くなってしまう。
街の掲示板でレスバする時間が数少ない憩いのひと時なのだが。
「そういうことしてるから非難されるのです。最近ではケンジローの二つ名が賢者じゃなくて嫌者って言われてるんですよ?」
マキにまでドン引きされて……。
「おいマキその二つ名流行らせた奴を教えてくれないか。今度ソイツの泊る宿の玄関に踏んだらレベルが下がるトラップを設置してやるから」
ギルドに俺を不当に貶める奴がいるらしい。
よし、粛清してやる。
「怖い! この人怖すぎます! なんですかレベルダウンって!」
レベルダウンという、この世界で指折りの状態異常攻撃を聞いたマキがツッコんでくる。
この俺に対して根も葉もない誹謗中傷をしたのだ。ただで済むと思わないでほしいである。
そんなことを考えていると、ソフィアが面白いことを言いだした。
「そういえば、低確率で相手のレベルを下げるスキルがあったわね。近隣諸国での協定で禁止されているけど。……ねえアンタ。今度妖魔教団のガルダ型の隊長を見かけたら仕掛けてやりなさいよ。アイツ、私のこと貧乳イジリして逃げてったのよ! 許せないわ!」
「俺に条例を破れと⁉」
レベル下げスキルについては非常に興味を惹かれるが、それはそれとしてソフィアの私怨で使うのは。
「いや、ありだな。ちょうど試し打ちできそうな奴がいるらしいしな」
どうやら王都の冒険者ギルドに俺のことをディスってくれた奴がいるらしいじゃないか。
お礼参りを兼ねて贅沢に振る舞ってやろうと思う。
そんなことを考えて邪悪な笑みを浮かべていると、マキどころか言い出しっぺのソフィアにすらドン引きされた。
「私が言い出しておいてなんだけど、やっぱなかったことにしてちょうだい」
「オッケーわかった了解だ。ところで俺は図書館に用事ができたから行ってくる。続きが聞きたければ後にしてくれ」
「「ああっ!」」
早口にそう告げて部屋を後にすると、後ろから二人の焦った声が聞こえてきた気がした。
──夜。
吹雪が落ち着いたのでテラスで夜空を見上げていると、ガチャリと扉が開いた。
視線を向けると、ナイトドレスを身に纏ったソフィアだった。
彼女は俺を見つけると、何を考えたのか隣に腰かけた。
「……なんかあったのか? 業務時間外だが話は聞くよ」
困った顔をするソフィアに悩みを打ち明けるように促してみる。
日頃あれほど勝ち気でマイペースなコイツが、らしくもなく言い淀むので気になるのだ。
「あ、あのね。……アンタは、こっちに来れてよかった? 故郷に帰れなくて寂しくないかしら」
ポツリポツリと呟くようにゆっくりと喋るソフィアは申し訳なさそうにこちらを見てくる。
その表情は俺のことを本気で気にかけてくれているようで、しかし慈しみの裏に陰りがあるような気がした。まるで、帰ってほしくないと言われているようだ。
なんだこの雰囲気は。
今のソフィアからは物語のヒロインと言われても納得できる儚さを感じる。
「何言ってるんだよ。帰るために頑張ってるんだから、寂しいもクソもねえよ」
そう言いながら、さすがに冷えてきたので戻ろうとして。
「……待ちなさいよ」
一段低い声とともに手首を掴まれる。
振り返ると、恥ずかしいことを言った自覚があるのか耳まで真っ赤にしたソフィアが恨めしそうにこちらを見上げていた。
「ねえ、もっと気の利いたセリフはないの? 自分で言うのもあれだけど、私はこの国でも指折りの魅力を持つ貴族令嬢なのよ。好感度稼ぎをしようとは思わないの?」
真顔でそんなこと言われたので、思わず吹き出してしまった。
「魅力満載の貴族令嬢ってお前の友人か? 今度紹介してくれよ」
とりあえず性的なベクトルにおいて魅力が微塵もないソフィアのことではないだろうと思っていると手首をつかんでくる力が強まった。
「ねえケンジロー。アンタのその節穴な目に治療魔法をかけてあげるわ。ちょっとこっちに目の奥をよく見せてみなさいよ」
暗くてもはっきり見える目潰しの構えに、ソフィアの手を振り払った俺は全速力で逃げだした!
【作者のコメント】
この度『けん者』は一周年を迎えました!
これも皆さまの応援の賜物です!
今後も応援よろしくお願いします!




