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『けん者』  作者: レオナルド今井
凍らぬ氷の都編
41/99

堅氷の内側

 ──氷の都正門前。

 長らく突破が困難だったらしい氷の壁をあっさり越えた俺たちは、何度か下級の魔物と遭遇しつつソフィアの故郷でもある氷の都へとたどり着いた。

「これは……ひどいのです」

 そう呟いたのは仲間であるシーフのマキだ。

 横一列に並んだまま立ち尽くしている俺たちの前には、街を丸ごと氷漬けにされた氷の都があった。

 よくデリカシーがないと言われる俺ですら、ソフィアにかけてやる言葉が見つからない。

「……泉はこっちよ。ついてきてちょうだい」

 絞り出すようなソフィアの言葉に、俺たちは黙ってついていった。


 泉で魔力を回復させたソフィアはさっそく防寒魔法を使って見せた。

「これでよしっと。旅の目的は果たしたし、街に鎮魂魔法だけかけて王都に帰るわよ。帰ったらすぐ貴族院に報告書を提出しないとね」

 いつもより元気そうに振舞うソフィアの姿が痛ましい。俺たちを心配させまいとしているのだろうが、もはや取り繕えていない。

 こういう時に気の利いた言葉をかけてやれるほど俺のコミュ力は高くない。したがって、横を歩くマキに「なんとかしてくれ」と目配せしてしまうのは仕方ないだろう。

 こちらに気づいて一瞬驚いた表情を見せたマキではあるが、すぐさま切り替え一人で前を歩くソフィアの隣へ駆け寄った。

「辛いかもですけど、アタシにできることがあったらなんでも言ってほしいのです! 他ならぬソフィアの頼みであればなんでも聞きます!」

 堂々とない胸を張って励ますマキの声にソフィアは足を止めて向かい合う。周りに気を配る程度のメンタルはあるようで、ひとまず魔物と遭遇してどうこうというリスクはなさそうだ。

 もしかしたら、話し相手がマキだからという可能性はあるが。だとしたらファインプレーである。

 まあ、そのマキは今ソフィアに顔中を撫でまわされていて、視線をこちらに向けて必死のアピールをしているが放っておく。

 あとで恨まれようがなんだろうが、今はソフィアの愛玩動物になっていてくれ。

「マキが仲間でいてくれて心強いわ。ありがとう」

 頬ずりまでされて可愛がられているマキがなんだか萎れ始めてきたような。

 まだ好きにさせておくか悩んでいると、一番後ろから見守るようについてきていたジョージさんに手招きされた。

 ソフィアたちの様子が見える木陰へ近づき、ジョージさんに言葉を促す。

「ソフィア様はとてもやさしい方です故、思い出に残る故郷の変わり果てた姿に大層心を痛めているはずでございます。場合によっては氷の都での野宿も視野に入れたほうがよさそうでございますな」

 言われて、マキを抱きしめ続ける変態と化したソフィアを見る。

 既に魔力は全快しており、防寒魔法により燃料も大幅に節約できるようになった。あとは食料と水などの基本的な消耗品さえあれば数日かけて街を復元することも視野に入るだろう。こんな気候だが、せめて街だけでもきれいにしてやりたいと言われたら立場上首を縦に振るしかないのだ。

 そうなれば誰かが物資を調達する必要があるのだが、足り無くなり次第ジョージさんが街道を戻って買ってくるつもりなのだろう。言わんとせんことを理解した。

「なら、その間の護衛は任せてください」

「承知」

 必要なければそれでいいのだが、とは言わない。リスクはつきもので、その辺への対応策を用意するのも俺やジョージさんの仕事なのだ。

 さて。さすがにこれ以上野放しにするとマキが枯れるから救出するか。 

 ジョージさんとの話を終えてソフィアの方へ近寄ると、こちらに気づいたソフィアがマキへの頬ずりを中断した。

「その辺にしてやれ。マキが皺だらけになる」

「失礼ですね!」

 ソフィアの腕から顔だけをこちらへむけたマキはプリプリと怒っているがとりあえずスルー。

 それよりも、マキを解放したソフィアの言動の方が心配だ。

「ごめんなさい、こんな雰囲気にしちゃって。でももう大丈夫だから」

「気にしなくていい。それより、さっきよりずっと顔色が良くなったな。……顔色良くなったついでに、マキを連れて先に歩いてくれないか? 執事服の裾が皺だらけになる」

 ソフィアから解放されたマキに足を蹴られまくって痛い。早く引きはがしてほしい。

「誰が皺だらけですか失礼な人ですね!」

 別に老けてるとかそういう意味で言ったわけではないのだが逆鱗に触れたらしい。何故だ。

 いい加減にしてほしいので雪の上に投げ飛ばしてやると、吹き出すような笑い声が聞こえた。

「フフッ。本当にもう大丈夫だから。笑わせないでちょうだい」

 こっちは真剣そのものだったのだが、ソフィアにとっては面白おかしくみえたのだろう。言い終えた後もクスクスと笑っている。

 ……結果オーライか。

「ああ、でも。街の氷を解いてくるからアンタたちはここで待っててくれる? ほら、氷にどんな魔力が込められてるかわからないし、何かあったときにアンタたちが近すぎたんじゃ守れないから」

 ならなおさら俺たちがそばにいるべきじゃないかと思うが、どうも異様なのは魔力だけらしい。

 事実として、魔法的な罠が張られているなら俺たちは居るだけでお荷物だ。ここはプロであるソフィアに任せる他ないだろう。

「わかった。だが、想定外のことがあったらすぐに助けを呼べよ」

「当然よ! 強盗とか出てきたら真っ先に盾にするから」

 嫌な宣言だな。

 まあいいか。冗談言えるくらい立ち直ったならもう止める理由はない。

「そんなことはねえから行ってこい」

 街を覆う魔力の氷を解除するため、ソフィアは一人で街の入口へと歩いて行った。

 数分後。

 火を起こしてミルクを温めていると、街があった方から女の叫び声が鳴り響いた。

 およそ人の言葉とは思えない内容の悲鳴はよく聞き取れなかったが、声色はソフィアのもので間違いないだろう。

 全速力で街へと駆けつけると、叫び声が聞こえてから数分経っているにも関わらず未だに驚愕の表情を浮かべるソフィアと……

「おお、スターグリークの執事長殿。これはこれは、娘のソフィアが世話になったね」

 ソフィアを娘だと言う初老のおじさんがいた。




 ──並走する二台の竜車で雪道を進む中。

『いやはや。もうソフィアとは会えないものだと思っていたよ』

 通信魔法でおじさんが乗ってきたという竜車と通話中だ。

 このおじさん、白髪交じりだが整えられた金髪とおそらく若い頃から変わらず輝く碧眼からもわかるように、ソフィアの実の父なのだという。

「本当に無事でよかったわ」

 正確には無事ではなかったのだと言うが、幸い氷の都の住人は全員生存しており、今は旧城下町に都市機能を移して過ごしているらしい。

 そうして単独で生き延びたんだろうが、遠方への通信手段がない以上本当に滅んだと思われても無理はない。

「お嬢様は毎夜枕を濡らし、それはもう大層悲しまれておりました」

「ちょっとジョージ! 余計な事言わないで!」

 出しにされて怒るソフィアだが、残念ながらおじさん二人は「ほっほっほ」と笑うだけである。

 面識のある親子と執事の会話に水を差すのも野暮なのでマキと二人で黙って聞いているが、ユーモアのある貴族だと思う。

 威圧感もないし嫌味な雰囲気もない、人当たりがいい人だ。

 言い返したくてもそうはできないソフィアをマキとそろって口角を上げてソフィアを煽っていると、向こうから話を振られた。

『ところで、さきほど連れていた少年と少女はソフィアの友人かい?』

 難しい質問だな。単純に友人という単語で言い表していいものなのだろうか。俺らから答えるわけにもいかないのでソフィアのボキャブラリーを見せてもらうとしよう。

「マキ……えっと、女の子の方は友人であり冒険者仲間よ。辛いときは支え合って、歳が近い同性の相手だから共感しやすくて助かってるわ」

 方は、ってなんだよ。まるで俺とは後ろめたいことがあるような言い回しはやめてほしい。

「それと、若造の方だけれど。……ねえお父さん。コイツちょっと痛い目に遭わせたいんだけど」

「いいだろう。法廷でいくらでも相手になってやる。かかって来いクソアマ」

 竜車の中で魔法を唱え始めたソフィアを三人がかりで取り押さえていると、通話越しに朗らかな笑い声が聞こえてきた。

『はっはっは。いやはや、大切な仲間を得たようだね。もうソフィアも大人だから私が言うまでもないだろうが、かけがえのない人間関係を大事にしなさい』

 さすがはおやっさんだ。じたばたしていたソフィアも顔を上げて黙った。

「一応補足させていただこう。俺はソフィアに召喚された賢者で、今はスターグリーク家と貴族院で財務を中心に事務作業を任されている」

 今に思えば、召喚された時点でソフィアの従者になる以外の選択肢がなかったのだから、とんでもないブラック労働だと思うが。

「スターグリーク家の悲劇、氷の都の惨状。ソフィアやお父様においては話を聞いても想像することすら困難な窮地に見舞われたことと思う」

 そんなソフィアに同情したのか。今となってはわからないが、少なくとも凍えるような寒さのなか命を賭したくらいには放っておけなくなっている。それが忠誠なのか別の何かなのかはわからないが。

 なので。

「個人としては今こうして会えたことを光栄に思う」

 心の底から光栄に思っている。

 旧氷国領にいる間くらいは有事の際には力を貸そう。

 そう考えつつ、なんとなくソフィアの実家を訪れて何事もなく帰るのだろうと思っていた。これまでの出来事が刺激的過ぎたせいか、次の一言にはすぐに答えられなかった。

『こちらこそ光栄だと思っているよ。しかし、だからこそ聞きたい。……今も無理をしているのではないかい?』

 これはどういう意味だろうか。

 ソフィアが世話になっている、という意味ならそれはお互い様だ。なんならさっきもそんな話をした。

 何かの暗号だろうかと仲間に視線を向けるが、マキもジョージさんもわからないようだ。唯一、ソフィアだけが首を縦に振っていて。

「ええ、そうね。気が気でないわ」

 まるですべてわかり切っているような様子のソフィアを見て、なんだか納得いかない気分にさせられる。

「どうしてそう思うんだ? 確かにこっちに来てから体張る機会は増えたかもしれないが」

 命を落としかけたこともあるが、故郷にいたころも睡眠を削りすぎて倒れかけたくらいなので、そういう意味では昔と変わらない。

「肉体的か精神的かは別として自分にできることだけ自分のペースで取り組むスタンスは故郷にいたころから変えていないつもりだ。気遣いには感謝するが、俺は健康そのものだと認識しておいてほしい」

 気遣いを無下にするつもりは本当にないのだが、今後もほどほどにやっていくつもりなのは変えない。

 そのつもりで返したのだが、ソフィアは首を横に振る。

「そうじゃないの。ケンジローっていつも気を緩めないでしょ? たまには心の底から休みなさいって言いたいの。わかったら城下町につくまで仮眠を取りなさい」

 気を緩めないのは立場上と業務時間内だからなのだが、口にするよりも早くソフィアに頭を掴まれた。

「おい、何をする」

 顔を横から両手で押さえられて身の危険を感じるのだが、俺の様子など気にも留めないのかソフィアは何やら魔法を唱えた。

 何の魔法の呪文なのか知らないのだが、なんとなく催眠系だと感じた。対処するころには意識が朦朧として瞼が──




「──に誰も…………いで……しい……」

 寝不足のような瞼の重さに負けそうになりながら、明瞭になりつつある意識を集中させて音を拾う。

 ソフィアが何やら喋っているようで、その声色からは緊張感が伝わってきた。

「……しかし、お嬢様は……」

 ジョージさんだろうか。なにやら意見が食い違っているのだろうか。

 聞き耳を立てているとだんだん鮮明に聞こえてくるようになった。

「アタシたちは先に行きましょう。ソフィアにだって人に見られたくないことくらいありますよ」

 マキの声だ。

 ソフィアはそんな恥ずかしいことをしているのだろうか。

 だとしたら、無理やり魔法で寝かされた意趣返しにからかってやりたいところだが。

 そこまで考えて、体に伝わる感触から自分がどのような状況に置かれているのか察した。

 ……まずい。今目が覚めたことがバレたら今度は攻撃魔法が飛んでくるかもしれない。

 間違いなくソフィアに膝枕をされていて、近くには仲間たちと喋ってはいないがソフィアの親父さんもいるのだろう。もう目的地についており、第三者にこんなところを見られようものならソフィアがお嫁にいけない可能性も出てくる。なにせ、年頃の令嬢が使用人の男とべったりだと誤解を与えかねないからな。

 そのような事態になることは俺も望んでいないので、今はバレることなくやり過ごすとしよう。ソフィアをネチネチからかうのは二人きりになってからだ。

 幸いこの場を去っていく足音が三人分聞こえてきたのでこの場は何とかなったようだ。

「なにか言うことがあるはずだ。そうだろう、ソフィア」

 ソフィアがこちらに気づく前に、目を開けてそう声をかけた。

 すると期待通りの反応がもらえた。

「うええ⁉ ってなんだよ」

 俺の方こそどうしてこんな微妙な気分にさせられたのか理解できないので意趣返しも兼ねて挑発する。

 みるみるうちに顔が赤くなっていくソフィアはそっと俺の頬に両手を当てて。

「いっひぇっ!」

 相当頭にきたらしく、目線で無言の圧をかけられながら両頬を抓られた。

「お、起きてたなら合図の一つくらい出しなさいよ、このノンデリ鬼畜野郎!」

「黙りやがれ。人様を魔法で眠らせておいて何をぬかすか」

 耳まで真っ赤にして非難してくるソフィアから逃げるべく、眠り眼をこすりながら起き上がる。

 寝起きの重い体で起き上がり周囲を見渡し逃げ道の確認をしていると、今度は青い顔をしてソフィアは駆けてきた。

 いったい何事か。

 そう疑問を抱いた瞬間には、再び眠りに誘われた。

【作者のコメント】

書類ミスを連続して二度もしでかしたアマチュアの物書きがいるらしいですよ?

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