凍てつく巨壁を乗り越えて
──旧霧国領北検問所付近。
朝靄地方を発ってから数日。途中何度か地方都市で宿泊して、いよいよソフィアの故郷である旧氷国領へと入ろうとしていた。
「さすがに寒いな。……なあソフィア、この辺ってこんなに寒いのか?」
厚手の服を着て、最上級の竜車の中にも関わらず芯まで凍てつく寒さだ。
霧の国はかつて四つの王国に分かれていたらしいが、その中でも氷国領は北国で厳しい冬になるのだとか。
だが、本来なら寒い思いをせずに済んだのだ。少なくとも朝靄地方を発った直後は準備も整えていたし、問題ないと考えていたのだ。
「ううん。例年通りなら……おえっ」
例年とは違う、と言いたかったのだろう。途中でえずいたソフィアの言わんとせんことは伝わった。
「しゃべらせてごめんな、ミス・エチケット袋」
瞬間、エチケット袋が飛んできた。
軽くあしらうと、本気で戻しそうになったソフィアの背中をさすってやる。
「無理するな。俺も言い過ぎた」
荷車の中から遠隔で竜車を運転するジョージさんを除き、俺たちはみんなグロッキー状態なのだ。無用な諍いは控えるべきなのだ。
恨めしそうな眼差しのソフィアに肩を殴られるも、それくらいは甘んじて受け入れておく。
「そうですよ。今はうっぷ……た、大変うぐ……罠感知スキルに──」
「お前ら揃いも揃って年頃の女がしてはいけない顔と声しやがって」
喋りながら器用にエチケット袋と睨めっこするマキを横からソフィアが介抱する。
もう筆談したほうがいいのではないかと思うが、この国において紙というのはそこそこ高級品だ。特別な書類やら包装やらに使う場合などに庶民の間でも用いられるが、書いて捨てるだけに紙を使うのはいくら貴族でも憚られる。その程度には高級品なので、いくらエチケット袋のお世話になろうとも筆談という方法はリジェクトされるのだ。
ちなみにだが、この世界にも酔い止めは存在するらしい。が、製法が複雑で量産が困難なため、めったに市場に出回らないのだとか。値段は高くないが貴重品なので、昨日泊った町で初めてみかけた。当然購入したのだが、やはり貴重ではあるので持ち帰って現代の知識で量産できないかと考えている品物なので、安易に使おうという発想には至らない。それに、万一コイツらにバレようものなら速攻で奪い取られるだろう。
閑話休題。ゲロりそうになったマキ曰く、この先に罠があるそうだ。
「ソフィア様。この先に罠があるそうですが、進路の方は如何なさいましょう」
唯一まともに喋れるジョージさんがソフィアに指示を仰ぐと、あくまで優美さを崩さぬよう口元を抑え、あいた手で意思疎通を試みだした。
「さようでございますか」
どうやらボディランゲージは上手くいったらしい。俺には全然伝わらなかったが。
内心ツッコミを入れていると、ジョージさんが今度は俺に話しかけた。
「ケンジロー殿。ソフィア様曰く、この先に魔力の壁のようなものを感じ、それが罠感知に引っかかったのかもしれないとのことだそうです。策を講じてはくれますかな?」
なるほど、ソフィアは俺に丸投げしたのか。
ふとソフィアへ視線を向けると、プイッっとそっぽを向かれた。
ソフィアのドレスの隙間を狙って執拗にエチケット袋を差し込みながら、ジョージさんに了承の旨を伝えるべく親指を立てる。
あっさりソフィアが戻したことでじゃれ合いを終えた俺は、顎に手を当てて熟考。そして、首を横へ振った。
「すまないが、その魔力を放つ壁のようなものがどういった性質を持つのか皆目見当がつかない。魔力でできた岩の壁とかなら魔法銃で穴開けて通ればいいだろうが……。そうでない場合、苦労しているうちに俺たちの食料や魔鉱石なんかの消耗品が尽きてしまうかもしれないな」
今ならいったん引き返せる。
もしくは、壁の正体が確認できるところまで進んでから昨夜泊った町まで戻って物資を補給するのだ。幸い、氷国領にさえ入ってしまえば氷の都までは秒読みだ。ソフィアの魔力が氷の都にあるパワースポットで回復すれば、帰りは補助系の魔法を使ってもらい楽ができるだろう。
「うっ……そうよね。わかったわ、行きましょう。お願いね、ジョージ」
いよいよ顔色が不味くなり始めてきたソフィアの指示を受けたジョージさんが再び竜車を走らせた。
──しばらく吐き気と格闘していると、突然ジョージさんが竜車を止めた。
何事かと思っていると、マキとソフィアが竜車から飛び出した。
「おいおい、いったいどうしたんだ」
慌ただしくする女性陣に釣られて車外にでると、見上げる限りの巨大な氷の壁がそそり立っていた。
「検証が終わったわ。これはドラゴン種の魔物の魔力が含まれたものみたい」
「またドラゴンかよ、多いな本当に」
氷の壁を調べ終えて報告してくれたソフィアの言葉に思わずそうこぼしてしまった。
「この前のドラゴンとは別の個体よ。そこは安心……できないわね」
フレイム村のドラゴンと同一個体であろうと別個体であろうと、苦労することに変わりないので安心できないだろう。
そう思っていたのだが、マキとソフィアは目を見合わせてからお互いに首を縦に振った。
なにについての意思疎通だろうと考えていると、二人を代表してソフィアがこちらを向いて口を開いた。
「これほどのことができるドラゴンがいるのに、それ相応の強さを持つ生体魔力が周辺にないわ。氷の壁さえどうにかすれば問題なさそうだけれど」
そこまで言って、ソフィアは言い淀んだ。
そんなソフィアの言葉を補足するようにマキが引き継ぐ。
「いままで、旧氷国領は滅んだとされていたのです。音信不通だったらしいのですが、氷の壁に阻まれていたんですね。ひょっとしたら、これまで王都の使者はこの壁を超える前に寒さにやられてしまったのでしょう」
恐ろしいなおい。
でも、確かにこの寒波の中、しかも吹雪でも発生したら帰還も困難を極めるだろう。亡くなった方がいても不思議なことではない。
「それだけではございませぬ。氷の都との音信が途絶えて五年近く経っております故……。しかし、皆様生きておられるに違いありませぬ」
「ジョージの言うとおりね。壁の向こうでは案外みんな普通に暮らしてかもしれないわ」
こんな状況でもソフィアとジョージさんは決して希望をなくしてはいない。
こうなったらソフィアの気が済むまで氷の都について調査するしかない。もともと氷の都には行くつもりだったわけだしな。
「いずれにせよ、ソフィアの魔力を回復させるためにはここを越えなければいけないんだ。備蓄もあと明日いっぱいまでは持つから進もうぜ」
だからどう突破するか考えろという意図でソフィアに振った。
一瞬驚かれたが、魔法方面でソフィア以上の専門性を持つ者はいないので割り切ってもらおう。
数秒ほど顎に手を当てて考えた彼女は、なにか閃いたらしく手を打った。そして俺を見る。うわ、嫌だな。
「ケンジロー、一つお願いしていいかしら」
「内容によるが」
「いいわよね?」
……あ、圧がすごい。
断ったら何されるかわからないので首を縦に振る。
満足したらしいソフィアはにっこにこでつづけた。
「じゃあ、命令よ! ケンジロー、あの氷の壁を撃ち抜きなさいっ!」
コイツとはそこそこの付き合いになるが、これまで見たことのないキメ顔で氷の壁を指差しそう言った。
ビシッとポーズまでキメたソフィアを取り囲んで十数秒の沈黙。
冷たい風が吹く音だけが強調されて聞こえる空間を、こうした張本人であるソフィアが破る。
耳まで真っ赤にした彼女が掴みかかってきたのだ。
「あっ、おいこらソフィアこらやめんかい」
俺は無言のまま首を狙ってくるソフィアをあしらうと、思わずため息をついた。
「撃ち抜きなさいって言われてもなぁ」
威力が足りているのかと、威力が足りていたとして、壁の崩落に巻き込まれないか。この二点がわからない。
そんなことを考えているのが読まれたのか、俺の疑問に対しソフィアはさらにウザいドヤ顔を浮かべて口を開いた。
「ふふん、そんなの織り込み済みに決まってるじゃない! ちなみに、壁に当たりさえすればどこを狙っても穴が開くみたい。大事なのは、一点に魔力を集中させることと、弾かれるまえに貫いてしまう弾速よ。魔力の流れを読んだ感じだとそれでいけるはずなの」
具体的にどこにどれだけの力が加わって、といった話はなかったな。しかし、ソフィアが今まで自信満々に魔法について語って失敗したところを見たことがないので信じてやってもいいか。
「そこまで言うならやってやろう。お前たちは万一の可能性を考えて離れていろ」
ソフィアの検討に誤りがあり危険が生じた場合にはコイツらには生きていてもらわなければならないと考えているのだが。
「何言ってんの? 私が守るから安心しなさい」
こっちの配慮などなかったように、ソフィアは頼もしい言葉とともに俺たちを竜車ごと防御魔法で覆った。
憂いはないな。
「安全装置解除。三、二、一……発射」
引き金を引いて、電磁砲のメカニズムを模倣した魔法銃を発砲。銃口を離れた弾丸は次の瞬間には氷の壁に当たっており、俺たちの前に反対側が見える大穴が開いた。
本当に狙い通りにトンネルのような穴が開いたのを見て驚嘆した。ソフィアの目論見通りだったということだ。
視線を向けたらおそらく不快な気分になるので向かないが。
「ねえ、なんか言ったどうかしら。ほら、こっち見なさいよケンジロー。アンタの聡明で美麗なお嬢様の笑みを讃えなさい」
「なんだよ、愚鈍で醜悪なお嬢様。お前のゲロで汚れた竜車の洗浄費はちゃんと詳細に帳簿を付けておいてやるから安心しろって」
グイグイ来るソフィアを雑にあしらって竜車に乗り込む。用は済んだのでとっとと出発するべきだろうからな。
「言い過ぎですよケンジロー。ちなみにケンジローが今腰かけたところはさっきアタシが吐いちゃったところなのです」
罠だらけじゃねえか。
もはや座れないので竜車で移動している間はずっと立ちっぱなしである。
こうして、俺たちのゲロ臭い旅は再開したのだった。
【作者のコメント】
社畜になっても筆を握る時間が減らなくてよかった。




